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第96話:宮本玲奈

 雪を踏みしめながら、一同は広い斜面を見渡していた。

 ――ここが、松尾鉱山宿舎跡地。かつて「雲上の楽園」と呼ばれた場所。


 荒涼とした白い風景に、いまは建物の残骸だけが無骨に並んでいる。

 でも私の目には、その背後にある歴史が重なって見えていた。


 「ここ……映画の舞台にもなったのよね」

 思わず口にすると、莉子ちゃんが「え、そうなの?」と目を丸くする。


 「ええ。例えば2010年の映画『ヘヴンズ・ストーリー』ね。“雲上の楽園”と言われた場所が冷たい廃墟となっている様を背景に『罪と罰』のような話しが展開する長編映画。実際この場所自体が、近代的な工業化の『罪と罰』を表象しているとも言えるわね」


 吹き抜ける冷たい風の音にかき消されそうになりながらも、私ははっきりと伝える。


 「高度経済成長を支えた松尾鉱山、その従業員と家族が暮らした街並みが、ここにあったの。でも今……その繁栄の代償として、重金属による土壌汚染が残っている。中和処理施設が今も稼働していて、地元はずっと対応を続けているの」


 「……なるほどね」

 麻里が頷き、腕を組む。

 「負の遺産をどう未来に変えるか――その文脈でフェスをやれば、意味が出てくる」


 私はタブレットを取り出し、準備してきた資料を開いた。

 「実は調べてきたの。もしここでフェスをやるとしたら、こんな構想になる」


 画面をみんなに見せながら、指で項目を示す。


 「まず、インフラ面。松川・松尾エリアの地熱発電と直結して電力をまかなう。『東北から世界へ、100%地熱フェス』――強烈なメッセージになるわ」


 「水道と大型トイレの恒久施設を整備して、観光促進の一環として常設化する。フェスだけじゃなく、登山や歴史探訪の人たちも使えるようになる。もちろん、仮設トイレも大量に導入して環境負荷を抑える」


 千鶴さんが、感心したように「なるほど……常設化すれば普段から地域にプラスね」と頷いた。


 私はさらに画面をスクロールする。

 「アクセスは、盛岡駅や松川温泉からのシャトルバス。それだけじゃなく、移動途上で地熱発電施設のガイドツアーを組み込むの。移動を“観光の一部”にして、学びの時間に変える」


 「フェス+温泉宿泊のパッケージ商品にすれば、松川や藤七の旅館群に直接メリットが波及する」


 「チャリティの要素も強いわ」

 私は声を少し強めた。

 「参加費の一部を“松尾鉱山汚染中和施設”に寄付するの。過去の公害を乗り越えるシンボルとして、“負の遺産を未来に変える”ストーリー性を打ち出せる」


 「……サステナブル認証、取れるかもな」

 直也くんが小さく呟いた。

 その言葉に、胸が熱くなる。――やっぱり彼は、先を見据えている。


 「そう。『音楽×環境修復』を掲げる国内初クラスのフェスとしてPRできる」


 私は画面を閉じ、目の前の雪原を見渡した。

 「唯一無二の“廃墟×サステナブルフェス”。観光促進と地域経済活性化を両立できる。恒久設備を入れれば、年次開催やオフシーズン観光にもつなげられる」


 言い終えて振り返ると――仲間たちは皆、真剣にこの跡地を見つめていた。


 (……負の遺産に、未来を重ねられるかどうか)

 私の胸にも強い問いが突き刺さっていた。


 冷たい風が吹き抜けるたび、鉄骨の残骸がかすかに鳴いた。

 私たちは、かつて「雲上の楽園」と呼ばれた――松尾鉱山宿舎跡地に立っていた。


 あの白い廃墟群。

 コンクリートの壁面は風雨に削られ、冬の光の中で鈍く光っている。

 かつてここに千人を超える人々が暮らし、学校があり、商店があり、賑わいがあった。

 そのすべてが、いまは雪と沈黙の中に埋もれている。


 「……すごい、まるで異世界ね」

 誰かがそう呟いた。

 でも私は「異世界」なんて言葉で済ませたくなかった。

 これは、日本の“近代化のなれの果て”そのものだ。

 豊かさを求め、自然を削り、地熱と硫黄を掘り続けたその先に――残ったのは、無人の廃墟と汚染だった。


 いまも、鉱毒の中和処理は続いている。

 汚染された地下水を浄化しながら、ようやく少しずつこの土地は“呼吸”を取り戻そうとしている。

 その現実を前にすると、私たちの足音さえ、罪のように感じた。


 そんな中、直也が静かに言った。

 「莉子、ここはどう思う?」


 莉子は凍てつく風の中でゆっくりと息を吐いた。

 「うん……課題は多いと思うけど――ここで歌いたいな」


 その一言に、誰もが顔を上げた。

 彼女は高田さんに向き直り、「ギター、貸してもらえますか?」と声をかけた。


 「……え? ここで?」

 高田さんが驚くと、莉子は小さく笑った。

 「ギターはあまり上手くはないけど――いま、ここで歌ってみたいな」


 風が止んだ。

 莉子がギターを抱え、指先で弦を爪弾く。

 その音が、冷え切った空気を震わせた。


 そして、歌が始まる。


 「♪僕らが手にしている 富は見えないよ

  彼らは奪えないし 壊すこともない……」


 その声は、柔らかく、それでいて刃のように鋭かった。

 私は思わず息を止めた。


 この地で“富”は確かにあった。

 人々は仕事を得て、家を建て、電気と生活を手に入れた。

 けれど、その富は――自然を奪い、命を削り、そして消えた。


 「♪もしも彼らが君の 何かを盗んだとしても

  それはくだらないものだよ……」


 莉子の声が、廃墟の壁に反響する。

 “くだらないもの”――それは、かつて私たちが誇りにしたはずの、効率と利益の象徴。

 目先の繁栄のために、私たちは何を盗み、何を失ったのだろう。


 私は、遠くに立つ鉄骨の影を見つめた。

 風化した配管が、まるで“死んだ動脈”のように見えた。

 鉱山採掘が止まっても、汚染は生き続けている。

 それは、進歩の名のもとに残された“負の生命”だ。


 「♪何故なら価値は 生命に従って付いている……」


 その歌詞が、心臓を刺した。

 そう――価値は生命にこそ宿る。

 地熱でも、電力でも、鉱山でもない。

 “生きている”ということ自体が、富なんだ。


 莉子は目を閉じ、次のフレーズを歌う。

 「♪君の喜ぶものは ありあまるほどにある

  すべて君のもの 笑顔を見せて……」


 私の目の奥が熱くなった。

 “ありあまる富”――それは、手の届く場所にある。

 風、雪、息、仲間、歌――どれも奪えない。

 でも私たちは、あまりに長い間、奪えるものだけを追ってきた。


 そして、太陽光発電、メガソーラー――

 いまも同じ過ちを、別の形で繰り返している。

 自然を「利用」することを、いつのまにか「支配」と取り違えている。

 鉱山を掘り尽くした先に残ったものが“汚染”だったように、

 次の世代に残るのは、ソーラーパネルの廃棄物かもしれない。


 ――それでも、直也は言っていた。

 「過去の罪を“再生”で塗り替える。それがフェスの意義だ」


 莉子の声が、最後の一節を紡ぐ。

 「♪ほらね 君には富があふれている……」


 雪明かりの中で、廃墟が光った。

 まるでその歌に共鳴するように、古い窓ガラスがきらりと反射する。

 過去の亡霊が、いま微笑んだようにさえ見えた。


 歌い終えた莉子は、息を吐き、空を見上げた。

 沈黙。

 でも、その沈黙こそが、この場所にふさわしい音楽だった。


 私は思った。

 ――富を掘った人々が残したのは、廃墟と汚染。

 でも、莉子が掘り出したのは“意味”だった。

 もうここには、空虚な富じゃなく、魂の価値がある。


 (やっぱり……この子の歌には、“赦し”がある)


 私は凍える指先をポケットに押し込みながら、静かに涙を拭った。

 そして心の中で呟いた。


 ――“エコ”って、技術の話じゃない。

 人間がもう一度、何を富と呼ぶかの話だ。


 莉子が一言だけ言った。

 「直也くん。この曲はここで歌うよ。それだけは今決まったと思う」


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