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おいしい源氏パイの育て方

**

 「おにいちゃん、かずはも源氏パイ食べたい」

 「いやだよ、一個しかないんだから」

 「けち! 化けて出てやる!」

 ――そういって妹は駆け出し、俺の目の前から消えた。

**



「え? 死ぬほど美味しい源氏パイ? ただの市販のお菓子が?」

 五月女そうとめ警部補は、パソコンから目を離さず、声だけで返答をしてきた。長崎県の五島列島五島市にある3丁目交番は、今日も平和だ。特に夜の時間は、何もすることがない。

 最近、長崎から赴任してきた五月女警部補は、都会(といっても長崎市)の忙しさが身から抜けないようで、忙しくないはずの日常を多忙のように振る舞うことが好きだった(と少なくとも俺からはそう見える)。年は30代後半だが、ショートボブが似合う、小柄ながらもがっちりした体格だ。俺からみると守ってあげたくなる存在だが、他の同期は小ゴリラと呼んでいる。俺は、俺よりも小柄な存在を見ると、なんとしでも守ってやりたい衝動に駆られるのだ。

 俺、深堀樹ふかぼり・たつるは、大きなあくびをしながら、書類とにらめっこするふりをしている。警察官になって7年目。30歳になりたての、生粋の長崎ボーイで、見た目は普通。同期からのあだ名は「ヒーロー」。幼い頃に滝つぼに落ちた妹を助けた逸話を俺がいつまでも自慢していることから、同期から揶揄されてつけられたあだ名だ。俺が警官になるきっかけの出来事を話し続けて何が悪いのか。

 俺は書類に意味のない付箋をはって、仕事をやっている感を出す。用もないのに仕事をするふりをするのは、五月女警部補に気に入られたいから、という事実がばれないように立ち振る舞うためだった。

 俺は、ポッキーを頬張りながら五月女センパイに話しかける。

 「なんでも、最近できた新しいパン屋があるじゃないですか。5丁目の角のとこ。そこに口コミで、すんごい美味い源氏パイがあるらしいですよ」

 「源氏パイって商標登録されてるんじゃないの?」

 五月女センパイ、鋭い指摘だ。しかしこの話にくいついてきたようで、こちらに顔を向けた。俺は話を広げようと、あえて大きいリアクションで言った。

 「いや、知らんすけど。五島列島の田舎で法律違反をやっても、あんまし大事にはならんかと」

 「まあ、そうなのかもしれないけどね。深堀くん、けっこうすぐ嘘つくって聞くから、本当に源氏パイがパン屋に売ってるのかすら、怪しいな」

 「今度行ってみましょうよ。どうせ事件なんか起きにないし。交通事故だって起きませんよ。人少なすぎて」

 「そんなに言うなら、買ってきてみてよ。他のみんなも喜ぶだろうし」

 そう言って五月女は口を閉ざし、パソコン作業に戻ってしまった。

 しょんぼりした俺はポッキーのチョコのない部分をゴミ箱に捨て、事務仕事に戻った。


 有言実行。

 俺は、仕事がオフの日に、わざわざ噂の5丁目パン屋「おもひで」を訪れた。わざわざと言ってもこの五島では、余暇に当たってはユーチューブを見るか寝るかくらいの楽しみしかないので、暇つぶしがてらやってきたのだった。夜勤明けの俺は、閉店ぎりぎりの夕方の時間に店に到着した。

 路地の奥にひっそりと佇むパン屋「おもひで」は、新しいパン屋ということもあり、街になじむような現実感がなかった。外壁は煉瓦造りだが、ところどころに見たこともない色合いの苔や蔦をわざと配置されており、雰囲気作りがより一層現実感をそいでいた。窓は不揃いで、丸窓や三角窓が混在し、ガラスにはパン生地のように曇った模様が浮かんでいた。そして店の周囲にはかすかな甘い匂いが漂っていた。だが、それは焼き立てのパンというよりも、どこか懐かしさを感じるような奇妙な香りだった。


 俺は意を決して中に入る。

 閉店間際とあってか、並んでいる商品は少ない。一見すると、源氏パイは売っていなさそうだった。

 店のなかには誰もいない。俺はレジのところまで歩いて行って、店内奥の厨房のほうに向かって大きい声を出した。

 「すみません、誰か、いますか?」

 店内は静寂に包まれていた。夕焼けの西日が店内に差し込み、パンの色と同化している。

 「あの~すみません!」

 「はい」

 突然、後ろから声が聞こえた。俺はびっくりして振り返ると、エプロン姿の腰が曲がった小さなおばあちゃんが立っていた。髪の毛は小麦をまいたかのように真っ白で、しわしわの顔がこちらを見ている。

 (警察官の後ろを取るなんて、やるな)

 早まる鼓動を落ち着かせながら、俺はなんとか言葉を発した。

 「あ、あの、すみません。ここに源氏パイがおいてあるって聞いたんですけど」

 「あんた、源氏パイ目当てかい」

 「え、ええ」

 「あれは美味しすぎて、市販の菓子では満足できなくなるよ」

 しわしわの顔がにっこり笑う。

 俺はおばあちゃんの湧き出る自信にたじろぎながらも、答えた。

 「そ、そんなに美味しいなら、仕事仲間にも買って帰りたいので」

 「あんたね、どうしてもほしいんだろ」

 「あ、はい」

 おばあちゃんが身を乗り出して、

 「なら、育てないとだよ」

 「そ、育てる?」

 「こっちきな」

 そう言っておばあちゃんは店の奥に入ってしまった。俺は訳も分からずおろおろしていると、おばあちゃんが「早くしな」とまくし立ててきた。その声の凄みに負けて、店内に入る。

 店の奥には、パン焼き窯が置いてあった。昔懐かしい手作りの窯で、ピザ窯に似ている構造をしている。窯は稼働しているようで、近づくと炎が燃える音がしていた。それは、どこか人の泣き声にも聞こえた。

 おばあちゃんが、厨房の奥からパン生地のようなものを手に持ってきた。それを俺に無理やり渡し、これるように指示する。

 「え、セルフメイドなんですか、ここのパン屋」

 俺は冷静さを取り戻せるように必死に状況を理解しようとした。

 そんな俺にはおかまいなしに、おばあちゃんは話しかける。

 「これが“源氏パイの種”だよ。これを育てるのは記憶。焼き上げるにはアンタの想いが必要なんだ。忘れられた心、封じられた記憶、叶わなかった夢……。そういうものを生地に混ぜ込むと、甘美な源氏パイになる」

 俺は鳥肌が立つのを止められなかった。田舎の平和な町だが、少なくとも警察学校を出た俺は冷静に理屈で状況を理解しようとした。しかしそれよりも生地から漂う強烈な甘い香りが頭を支配していった。

 「おや、アンタの記憶は育ち切ってるね。それ以上やると発酵しすぎて臭くなる。早く窯に入れな」

 言いながらおばあちゃんは、俺が持っていた生地を投げ込むように窯に放り込んだ。窯の前で、立ち尽くす俺とおばあちゃん。

 途端、俺の胸に鋭い痛みが走った。耳の、鼓膜の奥で、声が聞こえる。ゴオゴオとなる窯の音が、俺の鼓動とシンクロするようだった。俺は目の前が真っ暗になる感覚を覚える。


 たすけて――。


 「いい感じだよ。源氏パイっぽいね」

 おばあちゃんが窯を眺めて、満足そうに笑っている。


 耳鳴りが俺を苦しめる。足元が揺らぎ、立っていられなくなりそうだった。


 ――ちゃん。


 「かずは」

 無意識に俺は、口に出していた。妹の名前。


 ――おにいちゃん。

 た、すけて――。



 俺は、思い出した。子供の頃。川で遊んでいた俺と妹。森の奥まで行き過ぎて、妹は滝つぼに落ちて、姿が見えなくなったこと。


 そうだ、俺は嘘をついていた。妹を助けたのではなく、救えなかったがために、警官になったことを。


 おばあちゃんが窯から何かを取り出しているのが見えた。俺は一歩も動けずにその場で棒立ちになっている。


 おばあちゃんが皿を俺の前に出してきた。

 焼きあがり、皿の上にのせられた源氏パイが、俺を見つめていた。焦げ目の模様は、あの日の妹の微笑みそのものだった。


 「これを食べれば、妹さんに会えるよ」

 遠くでおばあちゃんの声とも、妹ともつかぬ声が聞こえた。


 食べれば、妹に会える。

 食べれば、戻れなくなる。

 

 今ある現実よりも、あったかもしれない救えた過去に手を伸ばしたい。

 

 俺は震える手で、源氏パイを掴んだ。


 「美味しい」

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