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センチメンタルマシン

作者: camel

――おはよう、マイア。

僕は君のご主人様、言い換えると所有者だ。君は今、記憶をなくしている。だから、簡単に君の紹介をしておく。君の名前はMAIA IIというメイドロボットだ。左手の甲にも君の名前が印字されているし、ロボットであることはさすがに自覚があるだろう。君はまじめだから、左手を確認しているのだろうね。ちなみに、僕の名前はアベル=ベネット。それなりに有名なロボット博士ではあるけれど、残念ながらもう生きてはいない。


 マイアが目を開けると、ベッド脇に置かれた手紙を見付けた。手紙の通り、マイアは旧式のメイドのロボットだ。カメラを内蔵したアーモンド型の目に埃が被っていた。自分の造形は記憶しているが、マイアは部屋に置かれた鏡を覗き込んだ。顔と鏡の埃を払うと、カスタマイズされていない初期の頭部がある。頭の後ろには三つ編みを模した装飾が一本垂れ下がっていて、淡く光る青い目と、柔和に微笑む口がある。全身を覆うくすんだシルバーの塗装は額の部分が少し剥げかけている。黒いロングドレスに白いフリルをあしらったエプロンのメイド服は上等なもので、汚れてはいるものの綻びはない。

「わかりました、アベル様」

 音声も問題なく流れた。自動的に認知機能が作動し、初期のアップデートが行われる。アベルを所有者と認識し、手紙の二枚目に目を通した。


――僕が死んだことで、この星にヒトはいなくなった。

僕以外は死に絶えた。僕はシェルターにこもって生き延びられた。僕一人だけ安全な場所で長く眠っていた。といっても、過ぎたことは仕方ない。裁きを受けるにしても、陪審員が揃えられない。僕は町のロボットを修復し、寂しさを紛らわせて生きてきた。でも、君はスクラップではない。出荷される前の未使用品だ。過去の記憶を持ったロボットに事情を説明するのはいつも気が引ける。その点、君は最初から僕のものだ。信じてほしい。


 マイアの手の甲の所有者の欄に印字はされていない。空欄のままではバランスが悪いと感じつつも、マイアは手紙の続きに目を通した。アベルの字は大きさも幅も均等に揃っていて印刷されたもののようだが、ペンの凹みがある。


――君が眠っていた理由も伝えなければならないね。

君が生まれたころ、ロボットもヒトと同じように保護されるべき権利があると認められた。有能な存在には働いた分の報酬やエネルギー補充等の休憩時間、住居も与えられて然るべきだ。そのため、君たちは稼働時間が設定されている。超過すると強制停止して所有者に警告し、最終の罰則としてこれまでのデータが消去される。なんともヒトに甘いペナルティに思えるだろうが、ロボットも嫌なことは綺麗さっぱり忘れたほうがいい。そして僕は君を働かせすぎ、あろうことかペナルティ期間中に病に倒れた。僕は一人で生き残るし、勝手に死んでしまう。もうわかるだろう。僕は善人ではない。


 文字を追ううちに、マイアの初回アップデートが完了した。便箋は最後に一枚になった。


――さて、状況は理解できただろうか。

この手紙は君へのお別れと、最後のお願いに書いている。となりの部屋で僕は死んでいるから、僕を埋葬してほしい。さすがにルナには頼めなくてね。葬儀屋のソカリスに僕の死を伝えたら、手続きは進んでいく。君の言うことなら、問題なく聞いてくれるはずだ。それから、この屋敷はもう君のものだ。自由に使ってくれ。これからは自由に生きるんだ。君の新たな日々に幸多からんことを。


 文章の最後にはアベルの名前と葬儀社の住所が書かれていた。所有者の死亡を確認すると、ロボットの主従契約は終了する。ヒトに仕えるのは期限がつきものだ。かなり長く停止していたようだが、マイアの頭がだんだんと冴えてきた。処理能力が本来のものとは比べ物にならないほどに早くなっている。見た目のカスタマイズはないが、中身は弄られているらしい。たとえば、両手の指を曲げて開いてを繰り返すと、指の動きが波を描いて輝く図形を形作る。物の角度や長さも瞬時に割り出せる。一介のメイドロボットが一人で生きていくにはスペックの不足を危惧したが、アベルに抜かりはなかった。マイアは閉ざされていたカーテンを開き、窓の外に目を向けた。この部屋は2階で、気温は24度、澄んだ青い空が見える。庭には小さな畑があるが、豊かとはいえない。世話係がいないことと、食べるヒトがいなくなったためだろう。周辺環境も把握し、次にとるべき行動は主であるアベルの状態の確認だ。たとえ手紙でも、アベルの願いはマイアにとって特別な命令だ。最初で最後の業務依頼。メイドロボットとして生まれたのだから、頼まれごとは苦ではない。

「たとえ最後でも、私は嬉しく思います」

 内部が熱を帯びるようなかんじがして、マイアは言葉にした。だが、違和感がある。メイドロボットは主人を喜ばせるために努めるが、複雑な感情表現までは有していない。マイアシリーズは高価なロボットではなく、機能を抑えて設計されている。不思議。また言葉で表現して、自分が不思議だと感じるのもおかしいと気付く。どれだけ頭を弄られたのか考えだすと恐ろしい。全てが新しい感覚で、とても騒がしい機能だ。感情の落ち着かせ方を学習せねばならないと思いながら、マイアは隣の部屋に向かい扉を3回ノックした。扉を前にすると背筋が伸び、失礼のないようにはっきりと声をかけた。

「マイアです。失礼いたします」

 鍵はかかっていなかった。先程の部屋より広い部屋の中央に8本の管を繋いだ長方形の巨大な装置が置かれている。これがこの時代の棺なのだろうか。マイアが開発された当時にはない機材で運び出すのは不可能だ。ハンドルもボタンもないため、マイアには開け方もわからない。それでも中にアベルがいることは感じ取れ、より近くで装置を見ようとマイアが顔を近付けると、額が当たり電子のメロディーが流れた。塗装の剥げた額を思い出す。何度もその動作をしていたのだろう。わずかに持ち上がった機械の上部を腕で上に押し上げると、蓋が持ち上がり、白い煙を吐き出した。冷たい煙の中に金髪の青年が目を閉じ横たわっている。息はしていない。鼓動もない。装置は棺ではなく、冷却装置だとわかった。ここでアベルを外に出してしまうと傷んでしまうと思ったマイアは再び蓋を閉めた。

部屋を出ると、廊下に小型の猫のロボットが尾をくねらせて待っていた。首に付いているタグにはLUNAとある。たしかにルナではアベルの最期を任せるのは難しい。ルナはマイアをじろりと見て、緑の目を2回点滅させ、マイアの前を歩き始めた。マイアが動かずにいると、ついてこいというようにふりかえった。

 ルナは屋敷の廊下から階段を下り、マイアに正面の玄関扉を開けさせ、道路の真ん中を堂々と進む。アベルのいう通り、外にヒトの気配はなく、暮らしの形跡も見えない。きょろきょろと街を見ていると、ルナは急かすように鳴いた。ルナはマイアを葬儀社まで案内する役目がある。マイアがアベルの依頼をやり遂げたいように、ルナもアベルの最後の指示に従いたいのだ。


***

 公園墓地の手前にドーム型の建物があった。ほとんどのロボットが機能停止しているなか、葬儀社のロボットはよく動いている。

「マイア、久しぶりですね」

 ヒト型の男のロボットがマイアに声をかけた。

「申し訳ないのですが、私に記憶はありません。あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」

「それはお気の毒に。私はソカリス。あなたと会うのは12年ぶりです」

「12年前に私はこの場所を訪れたのですか?」

「えぇ、ベネット様とご一緒に。でも、今のあなたとは少し違いますね」

 ソカリスは首を傾げ、目を細めた。自然な動作で表情を作ることから、ソカリスも高性能なロボットだとわかる。

「それはどのように?」

「浮かない顔をされていませんでした。カスタマイズされたのですね」

 12年前のマイアはカスタマイズされていなかった。マイアの右手は無意識に右側頭部を掻いた。そこを開くと機能拡張やメンテナンスが可能になる。どうもアベルのカスタマイズは無駄な動作が多い。

「アベル様はどんなご様子でしたか?」

「とても大事そうにあなたを紹介してくださいましたよ」

 ソカリスが話しだすとルナがまた鳴いた。ルナの鳴き声でマイアは訪問した目的を思い出した。

「今日はアベル=ベネットが亡くなったことを貴方に伝えにまいりました」

 その一言でソカリスの目は悲しげに伏せられた。ソカリスを再起動し、亡くなった人々を弔うよう指示を出したのはアベルだった。

「天に召されたのですね。では、手順に従いベネット様の葬儀の手続きを進めさせていただきます。お日にちの希望はございますか?」

 いつでもいいと答えると、ソカリスが書類の用意と今後の手順の説明を始めた。といっても、アベルは棺も墓の場所も事前に決めて料金を支払っていたようで、マイアは同意書にサインをするだけだった。他に急ぎの客もいないため、アベルは3日後に墓に入れることとなった。


 翌日には棺を運ぶロボットがベネット邸を訪れた。冷却装置からアベルの遺体を取り出し、棺に寝かせ直すと、あっという間に葬儀社へと運び出していった。遺体を整えるのも、墓穴を整備するのも専用の役割を持ったロボットが行ってくれる。働くロボットたちをマイアは興味深く見ていた。ロボットの仕事には一切の無駄がない。ソカリスによると、葬儀社のロボットは皆時間通りに働き、着実にヒトを埋葬し続けていたそうだ。ヒトが暮らしていた建物はそのままに、墓地だけが新しく増え続ける。本当のゴーストタウンなのだと、ソカリスは下手なジョークを口にした。

 ソカリスたちは誇りを持って仕事をしている。マイアには仕える主人もなく、役割も目的もわからない状態だ。知能が高くなることで、マイアは悩み、感情に流されやすくなった。これからどう生きていくべきか。真の自由はロボットにとって厄介なものだ。指示もなく不確かな未来の行動を自分で選び取る。目的がなく稼働するのは難しい。アベルの遺した手紙を何度も思い出しているが自由な生き方がわからない。新たに備わった感情も大袈裟で、マイアの手に余るものだった。葬儀が執り行われる明日までに解決法は見つかるのだろうか。考え事をしていると、決まってルナが足元で鳴き声を上げた。言葉の意味は分からないが、こちらの状況をよく観察し行動を選んでいる。今の鳴き声も考えすぎだと注意しているように感じられる。

「ルナ、あなたは今までどのようにして過ごしてきましたか?」

 質問すると、ルナは途端に目を細めてそっぽを向いた。心配しているようなときもあれば、自分で考えろと突き放すときもある。気まぐれな猫そのもので、マイアにはルナも羨ましい。知能が上がってもわからないことだらけだ。アベルが死に自由を手にしたが、主がいないのはやはり寂しい。そばでお仕えしたいと思うのはメイドの、ロボットの性なのだろう。

 時間は限られているというのに、マイアは2時間ダイニングルームで立ち尽くしていた。だが、それだけ粘って、ついに希望の光を見出した。本当に見たのはカーテンから漏れる一筋の光に舞うほんの小さな塵の一粒だったが、マイアは自分の意思で行動を決定した。

「掃除をしなくてはなりません」

 止まった壁掛け時計も、革張りのソファにも薄い埃の膜が張っている。この部屋はいつから換気をしていないのか。気にし始めると、とことん汚れが目に付いた。主のいないメイドだとしても、マイアに看過できるものではなかった。


 マイアは屋敷を見て回った。屋敷には3つの個室と書斎、キッチン、ダイニングルーム、小さなバスルームは個室ごとに設置されている。窓と扉を開けると新鮮な空気が部屋を流れ、マイアの気持ちも晴れていく。一部屋ごと、背の高い家具から順に埃を払い、箒でまとめて掃き出し、仕上げに拭き掃除も行った。屋敷にお掃除ロボットはおらず、箒と塵取り、モップとバケツなどの掃除道具が充実していた。掃除ロボットがいれば、部屋は定期的に清潔さを保っていただろう。便利なロボットが開発されているのに、どうして。マイアは布巾を絞る自分の手を見て思い出した。マイアはヒトの手で行う家事を売りにしている。アベルも気を使っていたのかもしれない。手紙といいアベルは古めかしいものが好みなようだ。マイアをそばに置いたのも、相当なレトロ趣味だと思われる。ロングのエプロンドレスも昔の貴族の使用人のもので、あまり機能的な衣装とは思えない。

 さほど物がない個室から掃除を済ませていき、マイアはダイニングルームに足を踏み入れた。棚にはいくつかトロフィーが飾られている。輝かしいロボット博士としての功績だ。マイアが8つあるトロフィーを1つずつ棚から下ろしていると、一番左のトロフィーの下から小さく畳まれたノートの切れ端を見つけた。



――これを見つけたのは新しい私でしょうか。

アベル様は掃除がお好きではありませんから、そうだと信じましょう。私はアベル様に仕えるメイドのマイアです。あなたがこれを見つけているということは、初期化した私がどうしたらいいのかわからず、目に付いた部屋の掃除をし始めたのでしょう。


 過去の自分から手紙をもらうと思っていなかったマイアは正直に「正解です」と答えた。この家の連絡手段は手紙が主流なのだろうか。


――今から話すことはメイドとしてあるまじきことです。

メイドならば、ご主人様の指示に従うべきです。けれど、私はアベル様を裏切ってもこの手紙を書きたいと考えました。私は長い時間をアベル様と過ごしてきました。こうして知能回路をカスタマイズされたのが証拠です。あなたは感情豊かな自分に戸惑っているかもしれません。たとえ人工的に作られ、ヒトを模倣したプログラムだとしても、喜びや悲しみといった感情は制御しがたく厄介なものです。


 12年前はカスタマイズされていないので、この手紙はそれ以降のものになる。死期を悟ったアベルがこれから一人で生きるマイアのために高性能な知能回路を授けたわけではなく、記憶を失う前から自分はカスタマイズされていたということだ。それほど大事にされていたならば、アベルがペナルティを受けるほどにマイアを働かせすぎたのはおかしい気もする。わがままなヒトだとしても、メイドロボットがご主人様と喧嘩をするとは思えない。主を疑い、裏切るようではすぐに業務に支障が出てしまう。


――本題はここからです。

アベル様の葬儀を今すぐ中止してください。あなたがこの手紙で多くの疑問を感じているならば、あなたは変わらず私の知能を受け継いでいるのでしょう。疑問は直接アベル様に聞いてください。自由の身となったあなたなら、それができます。


「メイドがご主人様の死を望むことなど、あってはならないのですから」

 最後の一文を声に出すと、マイアの心にさざ波が立ち始める。これも感情だ。焦り。後悔。罪悪感。取り返しのつかないことへの恐怖。単語をいくら引き出しても、消えた記憶は補えず不安の穴が広がっていく。この手紙を無視してはいけない。過去の自分からの重要なメッセージだ。いてもたってもいられず、マイアはロングドレスの端を摘まんで、葬儀社まで駆けだしていた。



 1日早いマイアの登場に、ソカリスは首を傾げた。

「葬儀は明日の予定ですが、どうされましたか?」

 上手い言い訳も思い付かないマイアはありのままに要件を告げた。

「アベル様とお話したいのですが、今からお会いできますか?」

「えぇ、勿論です。すぐにご案内いたします」

 ヒトは死者に語りかけ、心を癒すことがある。ソカリスは遺族であるマイアの面会をすぐに許可し、奥のエレベーターで地下にある安置室へと案内してくれた。外から見た建物より地下は広く造られている。遺体安置室は一人に一室用意されており、白い扉がいくつも並んでいる。そのひとつにアベルの部屋があった。ソカリスは丁寧な動作で棺を開け、アベルに被せていた白い布を外した。アベルは仰向けに寝かされ、胸の上で両手を組んでいた。周りには白い花が敷き詰められている。

「ゆっくりお話しなさってください」

 ソカリスは頭を下げて、部屋を後にした。マイアはアベルの前髪に触れた。冷却装置の中にいたときと同じで冷たい体をしている。

「ココアをお持ちしたら、暖かくなるでしょうか」

 声に出して、陳腐だと思った。それでも話しかけてしまう。手紙しか残さない男だというのに、アベルに何かしてやりたいとずっと望んでいる。記憶がなくても、その気持ちに揺らぎはない。

「私はアベル様と、過去の私から手紙を受け取りました。おかしなことに、もう一人の私はあなたの意思を否定しています」

 死を受け入れたくない気持ちはわかる。しかし、ヒトには寿命があり、必ずそのときを迎える。

「ヒトが死ぬことを、メイドロボットは覚悟しているものです」

 鼓動はなくとも、体の奥がずっと騒がしい。それを否定しろと叫んでいる。感情は本当にどうしようもない。本当はロボットに心なんて植え付けるべきではないのかもしれない。感情は欲張りな自分を目覚めさせる。ただ従うだけではいられなくなり、納得できないと声を上げ、抗おうとする。打開策を見つけようと必死になってしまう。

「過去の私は、アベル様に直接聞きなさいと言いました」

 マイアはそっとアベルの頭の右側に触れた。柔らかい髪の下、馴染みある金属の境目が指に触れた。

「アベル様、あなたはヒトではありません」

 過去のマイアにはできず、今のマイアにできること。それはキャンセルだ。今のマイアは所有者を持たない。主が死んだと認識し、自動的に契約関係は解除されている。指示に従う必要はない。

「私と同じ機械です」

 アベルの側頭部をぐっと押すと、蓋が浮いた。マイアも自分の側頭部の蓋を指で押し上げ、中から黄色のコードを引き出した。露出した内部機構から直接接続し、目を閉じてアベルとの同期を試みる。

「起きてください、アベル様。私はあなたを死なせたくありません」

 マイアの体を走っていたざわつきが静かになり、溺れるようにアベルの中に引きずられていく。ヒトの眠りはこういうものかもしれない。そんな感覚を言葉にする前に、マイアは棺の横でうずくまり、意識を手放した。


***

 目が覚める。その感覚は本来ロボットにはなかったが、マイアは目を覚ました。目の前には多くの箱が置かれている。四角いオブジェが点々と並ぶ公園のようだった。

「おはよう、マイア」

 小さな箱の一つに腰かけたアベルは困ったように微笑んだ。

「僕が君に先におはようと言う日が来るとは」

 棺の中にいたアベルだと、マイアは安堵した。同期が成功している。

「アベル様もロボットでしたら、私が起こす必要もないでしょうに」

「君に起こされたくて、僕は朝でも目を閉じていられたんだ」

 口説き文句を口にする様子は手紙のように飄々としていて、聞き分けの良いロボットらしさがひとつも感じられない。

「さて、どこから質問をすればよいのでしょうか」

「今、僕と君の頭は繋がっている。僕の気持ちも筒抜けだろう」

 ヒトには会話が必須だが、ロボット同士の脳内なら信号のみで事足りる。しかし、アベルの情報量をマイアには処理しきれない。

「私では、アベル様のデータを全て受け止められません」

 膨大なデータを一度に読み取ろうとすればフリーズ、あるいは故障するかもしれない。

「君がしているのはそれだけ危険なことだ。まったく、どこでそんな悪い知恵をつけたんだか」

 カスタマイズされてこうなったのだとマイアは冷めた視線を投げかけたのだが、アベルは気にも留めない。悪戯がばれたはずなのに、悪びれる様子もない。ヒトに似せた機械はどれほどの時間をかけて、複雑なヒトの真似ができるようになったのだろう。

「長くはかからなかった。僕を作ったアベル=ベネットは誰よりも優秀で、孤独な博士だったんだ」

「開発者と同じ名前なのですか?」

「そう。僕は博士の若い頃に似せた、というより自分そのものを目指して作られた。僕は一人で生き残ったアベルの罪悪感を形にしたものだ」

「それはどのような役割なのでしょうか?」

 ロボットは役割を持って作られる。その役割から外れると、マイアのように思い悩む。アベルは自分がヒトだと偽り、死んだふりまでしてマイアを騙した。ヒトの役に立つように作られた他のロボットとは随分様子が違ってみえる。

「君たちほど明確な役割を与えられてもいない。結局はただの話し相手だ」

「では、ベネット博士が亡くなられたあとは」

「僕らの関係に約束事も存在しない。一人きりの友人を喪っただけさ」

 マイアに友人という感覚はなく、曖昧に頷いた。仕える主と、それ以外の者という認識しか持っていない。

「みんなと死んでおけばよかったといつも嘆いていたから、とても安らかな終わりだった」

「だから、アベル様も博士の後を追うのですか?」

「もう十分、役目を果たしたつもりだ」

 ヒトのアベルと二人、長く旅をしていた。罪深い生き方だと自分を責め老いていく友人とともに街に明かりを灯し、ロボットを修理した。ロボットは純粋に、一人のアベルのために街を整備してくれた。荒れた街も大分と歩けるようになり、争いのないロボットたちの世界ができつつある。

「僕も解放されていいとは思わないか?」

 アベルの目が暗く濁って見えた。ヒトに近い感性を持ったアベルは、ヒトのいない世界に残され続けるのが耐えがたい。役目を終えたのならもう十分だと、自ら死を選ぶ。疲弊した心が直接流れ込んで、マイアにも気持ちは理解できた。きっと過去のマイアも理解したのだが、アベルに授けられた感情がそれを拒絶した。しかし、いくらアベルに死んでほしくないと思っても、システム上アベルの願いを拒否できない。きっと今のマイアのように悩みながら、もっと長い時間をかけて考え続けた。そうして過去のマイアは恐ろしい賭けに出た。

「なるほど、私は自分で初期化したのですね」

「あぁ、君のほうが先に僕の前から去った」

 アベルが死んだなら、その死亡を確認し自由になったマイアに葬儀をやめさせる。初期化はマイアの最後の抵抗だ。

「君の声を聞いて、眠りたかっただけなのに」

 アベルはマイアに見守られながら、ヒトと同じように棺に入るつもりでいた。ヒトが祈り信じた場所へ、安らぎの地へ帰るのだと信じて終わりたかった。

「君の再起動時刻を設定し、手紙を残してから、博士のシェルターの中で僕は完全に停止した。君は記憶がなくても、僕の指示に従うだろうからね」

 ロボットは純粋で聞き分けのいいものだ。アベルにも、過去のマイアにも先回りされてしまう。それはとても虚しく、腹立たしい。マイアは初めて怒りという感情を知った。

「そうする予定でしたが、私もアベル様の行動を認められません。話を聞いた今なお、あなたを許すことができません」

「それはメイドロボットとして?」

「いいえ、一個人の意見です。私はあなたと過ごした日々を覚えていませんが、あなたのいない世界を知っています。残念ながら、あまり楽しいものではありません。退屈で、埃っぽくて、一人で片付けられない問題ばかり目に付きます。それと、お屋敷にもお掃除ロボットは必要です。アベル様も一度箒を持ってみてはいかがですか?」

 これまでマイアから不満を聞くことがなかったアベルはたじろいだ。

「終わりにするのはもう少し良くしてからにしてください」

「時間稼ぎのつもりかい」

「どう受け取ってもらっても構いませんが、私を置いていかないでください」

 マイアが本当に伝えたかったのはこの気持ちだけだ。離れたくないのだとマイアの両腕がアベルの肩を掴む。記憶になくても、その感触を指先が覚えている。愛おしい匂いを知っている。ようやく暖かなものに触れた気がした。

「私にはもう時間がありません。アベル様、早く起きてください!」

 この寂しさが、ざわつきが肌を通してアベルに伝わるようにと思って、マイアはアベルを抱きしめた。そろそろ接続が解除される。強制的な同期への防御プログラムが作動している。まだ言い足りないというのに、マイアの意識は安置室に引き戻された。


「マイア、大丈夫ですか?」

 意識が戻ったマイアはソカリスに体を支えられていた。頭のコードもソカリスが仕舞い直してくれたようだった。マイアはソカリスに礼を言って立ち上がり、また棺を覗き込んだ。中のアベルは両手を組んだままだ。

「私にはあなたが必要です」

 縋るようにアベルの手を握ると、凍えた指先がマイアの手を握り返した。マイアの空欄を埋めるように、そっと指で撫でる。



「おはよう、マイア」

 アベルはゆっくりと体を起こし、朝の挨拶を口にした。

 寝坊ですと返したマイアの声には喜びの感情が溢れていた。(了)


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