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第2話 伝承(タルヒエンタヤ)

 ヘイノーラの街へ向かう馬車の荷台で揺られながら、ルーカスは少しばかり居心地の悪さを感じていた。視線を荷台の後方に向ける。平坦な道が何処までも続いている。さして変化のない穏やかな風景。


 身につけた眼鏡の位置を正すようにしながら、正面を向く。視線の先には同乗者は女性。マントで身を包むようにして座っている。馬車の揺れに合わせて揺れる黒髪は、外から差し込む光で青く光っているように見える。彼女の表情ははっきりとは分からないが、何か考え込んでいるようにも見える。見た目は自分よりも十歳ほど下だろうか。そんな事をルーカスは思う。


 馬車が出発してから三十分は経過したが、二人は一言も会話をしていない。乗客は自分たちだけで、他には誰もいない。ヘイノーラまでの距離はまだまだある。御者の声と車輪の軋む音だけが、気まずい沈黙を埋めていた。


 ルーカスは背が高く、くすんだ灰色の髪をオールバックできっちり固めた外観のせいで、他人からすれば話しかけにくい雰囲気がある。その事は、彼自身も自覚している。それでもこういう空気の中では、案外と相手が話しかけてくるものなのだ——今回は違うようだが。


 彼自身も人見知りな性格ではある。おそらく彼女もそうなのだろう。しかし、居心地の悪さと、元々の好奇心が背中を押す。眼鏡の奥の眉間に力を込めて、小さく咳払いをしながら、ルーカスは意を決した。


「穏やかな天気ですね」


 その言葉で、女性は伏せていた視線をルーカスに向ける。白い肌に対比するような力強い瞳。フードの影から覗く顔立ちは整っているが、どこか警戒するような緊張が滲んでいる。


「私の名前は、ルーカス・クロンヘイムと言います。よろしければ、お名前を聞かせて頂けますか」

「リーゼ。リーゼ・ノルシュトレーム」


 短く答えた後、彼女は再び視線を逸らしそうになる。だが、思い直したようにルーカスを見据える。


「あなたも冒険者?」

「ええ、まあ」


 ルーカスは少し困ったように苦笑いを浮かべた。



 * * *



 冒険者——未知の世界を探求し、困難に立ち向かい、新たな道を切り開く者。そんな心躍るイメージとは違い、現実は地道な作業の繰り返しだ。小規模な依頼をこなし、ささやかな報酬を受け取る。冒険者とはそういう職業だ。その中でも、魔導士というものは潰しが効かない。そんな風にリーゼは考える。


 一般的に魔導士は一人で討伐などの依頼をこなすのは難しいとされている。だから通常は他の冒険者とパーティを組む。そこで問題になってくるのは、パーティが必要になるような依頼は、それなりの難易度がある依頼という事だ。そうした依頼を受けたパーティが魔導士を必要としたとき、駆け出しの魔導士を求めるだろうか——私でも経験豊富な魔導士を選択する。そして、簡単な依頼であればわざわざ魔導士を必要としない。つまり、駆け出しの魔導士というものは需要がないのだ。


「そういうわけで、ヘイノーラまで移動しているんだよ。冒険者の少ない街なら少しは需要があるかもしれないでしょう」

「なるほど」


 ルーカスは軽く頬を掻きながら続ける。


「リーゼさん。私はヘイノーラの近くの森を調査する予定です。正式な依頼を届け出ますので、私の護衛をして頂けますか?もっとも、安全地域なので護衛というよりは調査の手伝いと言った方が適切かもしれませんが。多少はあなたの実績にもなると思いますし」

「安全地域?」

「ええ、冒険者組合の区域分けではそうなっています」


 リーゼは少しばかり考え込む。マントの下で組んだ腕が、思考の深さを表しているようだった。そして、真剣な眼差しでルーカスを見る。


「ルーカスさん。お金に余裕はある?」


 随分と無礼な言い草だな。とルーカスは感じ、自然と眉間に皺がよる。初対面でいきなり懐事情を聞いてくるなど、普通なら腹を立ててもおかしくない。


「まぁ、それなりに余裕はあると思いますが」

「だったらもう一人、誰かを雇った方がいい」


 予想外の言葉にルーカスは驚く。てっきり法外な報酬を要求されるのかと身構えていたが、むしろその逆だった。


「何故ですか?安全地域の調査ですよ?」

「これは私の考えだけど、危険地域というのは信頼できるんだ。沢山の冒険者が訪れて、その情報で危険度が区分けされている。私はそう教わった。多くが積み重ねた経験の結晶だからこそ、それは信頼に値するって」


 頷くルーカスを見て、リーゼは一呼吸置いて続ける。彼女の声に込められた真摯さが、ルーカスの意識を完全に引きつけていた。


「でも、安全地域というものは違う。わざわざ安全地域を冒険する人はいない。安全だからこそ、敢えて足を踏み入れる理由がないんだ。たまたま過去に冒険者が危険に遭わなかっただけかもしれない。そこには積み重ねがないからこそ、今も安全だという確証もない。本質的には危険度が不明な地域と考えた方がいい」


 リーゼの表情は揺れない。冗談ではなく、本心からそう考えている。その理路整然とした分析に、ルーカスは感心すら覚え始めていた。


「ルーカスさん。あなたは調査と言った。それは調査の余地があるぐらいには、未開拓な地域と考えたけど、何か間違っている?」


 その問いかけは鋭く、ルーカスの胸に突き刺さった。確かに、彼女の言う通りだった。未知の植物を求めるという自分の真の目的を、彼はまだ明かしていない。



 * * *



ルーカスは調合と呼ばれる祝福が発現した調合師だ。野草や薬品を組み合わせ、様々な道具を作り出すことに秀でている。冒険者と呼ばれる職業がある限り、回復薬や解毒薬の需要が無くなる事はない。普通に暮らす人たちにとっても薬は欠かせない存在だ。調合師は普通に暮らすだけでも儲かる職業といってもいいだろう。


 幸か不幸か――ルーカスは知的好奇心の強い、学者肌の男だった。彼の創意工夫が反映された道具は、同年代の調合師が作るものよりずっと効果が高い。冒険者間で話題となり、評判が町で広がり始めていた。順風満帆な調合師生活のはずだった。だが、その成功に影を落とすものがあった。知的好奇心という、彼自身の性質が。


 先人の残した知識をもとに、ありふれた調合をこなし続ける日々。そうした繰り返しに、ルーカスの心は次第に渇いていく。未知なる植物は無いのか。それにはどんな薬効があるのか。新たな発見への渇望が、彼の胸の奥で燻り続けていた。


 調合師の冒険者は少ない。わざわざ冒険をしなくても生きていけるし、何より戦闘に不向きであることが一番の理由だ。ルーカスも例外ではない。そこで彼が目をつけたのが安全地域だった。文献にそこまで詳しく記されていない地域。そこは単に書き記すべきものがさほど無かっただけの場所かもしれない。あるいは――。


 元々、後者の可能性に賭けていたルーカスには、リーゼの語る推測が腑に落ちた。いや、自分自身がそれを望んでいるのだ。未知の可能性を。あるいは危険性すらも。冒険者組合への発注依頼を書きながら、ルーカスは久しぶりに心が躍った。


「あんな場所の調査に護衛依頼とは、物好きだね」


 ヘイノーラの街にある小さな冒険者組合の施設。提出された依頼書の内容を目で追いながら、受付業務を担当している初老の男は呆れたように言った。


 ヘイノーラは寂れた街だ。北西の方角はルーカスの目的地である安全地域が広がり、南東の方角には多少の危険地域、それも一番低い危険性の場所が点在している。駆け出しの冒険者が腕試しをするような、そんな場所だった。受付の男の表情には、つまらない依頼の受付だけを何年も続けてきた倦怠感が染み付いている。それとは対照的に、ルーカスは期待に満ちた微笑みで答えた。


「ええ、物好きなんですよ」

「希望者が来たら連絡するよ。ああ、一枠はそこの子でいいんだっけ」


 受付の男の視線を受け、リーゼは静かに頷く。



 * * *



 冒険に憧れる子供たちが得たいと思う祝福。その中で最も人気があるのは、やはり剣士だ。光り輝く剣で屈強な怪物に立ち向かう姿。幼い頃に読み聞かされた英雄譚の主人公は、常に剣を手にしていた。その姿を真似るかのように、剣に見立てた木の枝で野山を駆けた幼い日々。ラースは自分に剣士の祝福が発現した時、歓喜の叫びをあげた。自分もあの頃夢見た英雄のようになれると。


 だが、剣士という祝福は決して珍しいものでも無かった。そして、その祝福を高みへと昇華させる事ができるかは、各個人の鍛錬に委ねられる。剣士の祝福を得ながらも冒険者以外の道を選ぶ者は多い。不安定な冒険者より、安定した兵士を選ぶ者の方がずっと多いのだ。それでも、ラースは冒険者の道を選んだ。幼い日の憧れに、突き動かされるように。


 英雄になりたい。伝説に残るような怪物を倒すような英雄に。冒険者になってから数年、ラースは難易度の高い依頼に積極的に挑み続けた――そして失敗し続けた。


 夢見た英雄との現実のギャップ。自身の力量を過信し、窮地でも逃げたくないと先走る気持ち。そんな直情的な性格が、彼を止めようとする声を振り払い、周囲との溝を深めていく。口だけ威勢のいい男。危険を認識できない死にたがり。そうした評判が広まるにつれ、彼をパーティに誘う冒険者は減っていった。


 その境遇に苛立ちながらも、ラースは幼いころの憧れを諦めなかった。素振りを繰り返しながら何度でも思いを反芻する。それでも、それでも、それでも――諦めるわけにはいかない!


 冒険者証明書には、どの程度依頼をこなしたか、失敗したかが記録されている。依頼の成功率が低ければ当然敬遠される。ラースの成功率は、見るも無残なものだった。だったら低難易度の依頼をこなしてでも、実績を積み上げればいい。そして再び、高難易度の依頼へ挑むために。ラースがヘイノーラにやってきたのは、そういう理由だった。



 * * *



「ラース・カールステットさん、ですか」

「ああ、よろしく頼む」


 冒険者組合より渡された紹介状を読んでいたルーカスは、顔を上げて男を見つめた。太陽の下で鍛えられたような小麦色の肌と逞しい体つき。無骨な外見とは裏腹に、瞳は湖の澄んだ碧のように美しく澄み渡っていた。短く刈り込まれた金髪に負けないほど輝く、情熱的で自信に満ち溢れた表情。しかし――ルーカスは紹介状に記された成功率を見て、思わず眉をひそめた。胸に不安がよぎる。


「ちょっと、この成功率は――」


 言いかけたルーカスの言葉を、ラースは片手を突き出して制した。


「いや、待ってくれ!言いたいことはよくわかる!」


 ラースは一度目を伏せ、深く息を吸ってから顔を上げた。その瞳には真摯な光が宿っている。


「今まで背伸びをし過ぎてたことは、俺も自覚してる。強い敵ばかりを求めて、自分の力量も考えずに無茶な依頼ばかり受けてきた。だから、失敗の連続だった。情けない話だが、これが今の俺の実力なんだ」


 そう言ってラースは自嘲気味に笑った。だが、すぐに表情を引き締めると、ルーカスをまっすぐに見据える。


「だけど、もう過去の過ちは繰り返さない。今はコツコツと経験を積み重ねてるところだ。着実に力をつけて、いつかは憧れの英雄みたいな冒険者になってみせる。だから、この依頼を任せてくれ。必ず期待に応えてみせる。後悔はさせない!」


 ラースの決意が込められた力強い声に圧倒され、ルーカスは思わず息を呑んだ。そもそも、それほど魅力的な依頼ではない。有能な希望者が殺到するような案件でもないのだ。経験豊富な分だけマシという考え方もできる。


 どうしたものか。そんな風に迷いながら、ルーカスはリーゼに視線を向けた。その視線に気づいた彼女は、小さく頷く。


「まぁ、いいんじゃない」

「本当か!助かる!」


 リーゼの言葉に飛び跳ねるように反応して、ラースは身を乗り出した。その勢いに押されるように、リーゼは少し後ろに身体を傾ける。そして思う――随分と嬉しそうな顔をするんだな。その真っ直ぐな前向きさは、私には無いものだ。この三人の中で、一番冒険者らしい人を選ぶとするなら、きっと彼になるんだろう。



 * * *



「おっと!」


 森の中、突如として後方から飛び出した影。振り下ろされる鋭い爪を、ラースは剣で弾くように受け流しながら身をかわす。その咄嗟の声に反応して、ルーカスとリーゼは即座に身構えた。三人の視線が、茂みから現れた獣の姿を捉える。


 ダスクロロス——エヴェラス大陸全土に広く生息する一般的な怪物だ。がっしりとした四肢に鋭い牙と爪を持ち、低く伏せた姿勢で三人を威嚇している。縞模様の入った灰色の毛を逆立て、垂れた口からだらしなく唾液を垂らしながらも、赤い瞳は獲物を狙う獰猛な光に満ちていた。


 安全地域と呼ばれる場所でも、ダスクロロス程度の怪物には普通に遭遇する。しかし、体高六十センチメートル程度のダスクロロスの爪は、一撃で人命を奪うほどの脅威ではない。彼らが真の危険性を発揮するのは、群れで行動する時だ。単体のダスクロロスなど、怪物と呼ぶにも値しない——そう豪語する冒険者もいるほどだ。


 三人対一匹。その圧倒的に不利な状況を、ダスクロロスも本能的に察したのだろう。威嚇の遠吠えを響かせると、その身を翻して茂みの奥へと駆け去っていく。


「大丈夫ですか?ラースさん」


 緊張をとくように息を吐きながら、ルーカスが声をかける。


「ああ、別になんともねぇよ」


 ラースは剣を鞘に戻しながら答えたが、内心では自分を責めていた。剣士であるなら、怪物の接近にはもっと早く気づくべきだった。気が緩んでいる証拠だ。


「どこかに群れがいるかもしれないね」


 リーゼの言葉に、ラースは首をかしげる。


「何でそんなことがわかるんだ?」


 そんな疑問が返ってくるとは思ってもいなかったのだろう。リーゼは少し戸惑いながらも、丁寧に説明し始める。


「最後の遠吠えのことよ。ただ逃げるだけなら一目散に逃げるはず。わざわざ鳴いたのは、他の個体に私たちの位置を知らせたんだと思う」

「じゃあ、この後に群れで襲ってくるってことか?」


 ラースは思わずリーゼの両肩に手を置いた。その勢いに、リーゼは小さくよろめく。


「ちょっとラース、危ないって」

「ああ、すまない」


 慌てて手を離すラース。肩を軽くはたきながら、リーゼは続ける。


「群れで襲ってくる可能性もあるし、単に『ここには人間がいるから近づくな』って警告してるだけかもしれない。どちらかはわからないよ」


 二人のやり取りを横目に、ルーカスは手元の地図にダスクロロスとの遭遇地点を記録する。そして街との距離を考えた。もしここが群れの拠点を中心とした活動範囲だとしたら、ダスクロロスの習性からして街がもっと頻繁に襲われていてもおかしくない。それがないということは、この近くに群れの拠点はないのだろう。


「まぁ、警戒するに越したことはありませんね」


 ルーカスの冷静な判断に、二人は無言で頷いた。



 * * *



 夜の森に焚き火のあたたかな光が揺らめいている。薪に含まれる水分がパチッと弾ける音が、静寂を破って響く。不規則に踊る炎が三人の顔を赤く染めては、また影に沈ませた。


 ラースは新しい薪を火に差し込みながら、焦げた古い薪を引き抜く。舞い上がった灰が薄い煙となって夜空に消えていく。その煙を見つめながら、ラースがぽつりと口を開いた。


「リーゼは魔導士の学校に行ってたんだよな」


 その何気ない問いかけに、リーゼの表情がわずかに曇る。脳裏を駆け巡る魔導施設での記憶——。


「そうだよ。それがどうかした?」


 リーゼの声には、微かに警戒の色が滲む。だが、ラースの真剣な眼差しを見て、その警戒心は和らいだ。


「学校だと、ダスクロロスみたいな怪物の事も教わるんだよな?」

「そうだけど、何が言いたいの?」


 焚き火の炎が風に煽られて激しく揺れる。まるでラースの内なる思いに呼応するかのように。意を決したように、ラースは深々と頭を下げた。


「頼む!俺やルーカスに、ダスクロロスの事を教えてくれ!この先戦闘になるかもしれないなら、知っておいた方がいいと思うんだ!」


 頭を下げたまま、ラースは返事を待つ。しかし、沈黙が続いた。痺れを切らして顔を上げると、目の前には唖然とした表情で固まる二人の姿があった。


「ダメなのか?」

「いや、ダメというか——」

「ちょっと待ってください、ラースさん」


 戸惑うリーゼの言葉を遮るように、ルーカスが割り込む。その声には驚きが隠せていない。


「それ、本気で言ってるんですよね?」

「当たり前だろ!ルーカスだって知っておいた方がいいはずだ!それとも、そんな知識は不要だとでも言うのか!」

「まったく逆です!」


 ルーカスの声が裏返る。


「ダスクロロスの習性も知らない冒険者なんて、見た事がありませんよ!」


 ラースはルーカスとリーゼの顔を交互に見ながら、そっと自分を指差す。


「もしかして、俺だけ知らないのか?」


 その問いかけに、二人は無言で頷く。自分だけが当たり前のことを知らなかったのだと理解して、焦ったように声が高くなる。


「俺だけなの?みんな普通に知ってるもんなの?」


 呆れたようにルーカスは言う。


「今までどうやって戦ってきたんですか……」


 ラースは独学で剣術を学んだ男だった。そして今までのパーティとの軋轢から、怪物に関する基礎知識が決定的に不足していた。


「それは、その……襲ってくる相手に反応して、いち早く斬りつけて……」


 歯切れ悪く説明するラースを横目に、ルーカスはリーゼの表情をうかがう。そこには呆れを通り越した、ある種の諦めにも似た感情が浮かんでいた。成功率が低い理由も納得せざるを得ない。むしろ、よく今まで生き延びてこられたものだと、感心すら覚える。


 ルーカスの視線に気づいたリーゼは、深いため息とともに肩をすくめた。


「まぁ、いいや。教えるよ」


 観念したように小さくため息をつくと、リーゼは背筋を伸ばした。まるでカリーナ先生の姿を思い出しているかのように。


「私が学んできた範囲だけだけどね。ルーカスさんには退屈な時間になるかもしれないけど」



 * * *



 人を害する危険な群体が怪物として分類される。そういった意味で、ダスクロロス種はまさにその定義通りの怪物と言えるだろう。森や平原に生息するダスクロロスは、アーク・ダスクロロスと呼ばれる長を中心に群れを成して行動する。アーク・ダスクロロスの身体能力は並の個体と大差ないが、知能と統率力に長けているため、彼らに率いられた群れは極めて危険な存在となる。


「ルーカスさんは、アンシェント種のダスクロロスって知ってる?」


 リーゼの問いかけに、ルーカスは首を横に振る。


「私の知識は、実際に遭遇する可能性の高い怪物に限定されていますから」

「まぁ、知らなくても問題ないと思うよ。アンシェント・ダスクロロスはとっくに絶滅してる種族だから」

「それって、今のダスクロロスと関係があるのか?」


 ラースの問いかけに、リーゼは静かに頷く。


「大いに関係あると思ってる。まぁ、順を追って説明するよ」


 リーゼは焚き火の炎を見つめながら、まるで遠い昔の記憶を辿るように話し始めた。


 はるか昔、ダスクロロス属の祖先は森の奥深くでひっそりと暮らす、おとなしい生物だったという。その平穏な存在を一変させたのが、アンシェント種のダスクロロスだった。通常のダスクロロス種の倍ほどの体格を持つ彼らは、獰猛で好戦的、そして驚異的な繁殖力で一気に数を増やし、生息地を大陸全土へと広げていった。


「そんな強力な怪物が、なぜ滅びてしまったんだ?」


 ラースは身を乗り出すようにして問いかける。その瞳には、純粋な好奇心が燃えていた。


「簡単に言えば、好戦的すぎたの」


 リーゼは苦笑いを浮かべる。


 アンシェント種は同種族であろうと異種族であろうと、視界に入るだけで襲いかかる性質を持っていた。それは自分より遥かに強大な怪物が相手でも変わらなかった。結果として、ある地域では他の強力な怪物との生存競争に敗れ、ある地域では人間の討伐隊に狩り尽くされ、ついには絶滅の道を辿ったのだ。


「現在のダスクロロス種は、アンシェント種の中で知性と自制心を身につけた個体群が枝分かれして生き残った種族なの。だいたいの生き物は、少しぐらい臆病なほうが長生きできる。生存のために、獰猛さを抑える狡猾さを獲得した結果、今のダスクロロス種は大陸全土で見かけるようになったの。闇夜にひっそりと獲物を囲み、勝機を見極めてから襲いかかる。彼らが群れで狩りをする時は、既に勝利を確信している時と言っていいかもね」


 森に吹いていた夜風が止み、焚き火の燃える音だけが静寂を支配していた。リーゼの声は低く抑えられているが、その言葉には重みがあった。新しい薪を火にくべながら、ルーカスが呟く。


「ダスクロロスを相手にする時は、後手に回ると厄介だと言いますからね」

「向こうのペースで戦ったら厄介なのは確かね。なにせ数が多いから」


 両手を上に向けて肩をすくめるような仕草をしながら、リーゼはラースに視線を向ける。焚き火に照らされた彼の表情は、何かを深く考え込んでいるようだった。


「私が教えられることはこれくらいだけど、理解できた?」

「ああ、ありがとう」


 ラースは深々と頭を下げる。その様子を不思議そうに見つめながら、リーゼは首をかしげた。


「何か考え込んでいたみたいだけど、納得できないことでもあった?」

「いや、そういうわけじゃないんだ。アンシェント種の話を聞いて、俺の知ってる英雄譚に似た話があったような気がしてさ」

「私はそういうのには詳しくないから知らないな」


 本当に人の話をちゃんと聞いていたのか——そう言いたげな、わずかに不機嫌そうな表情を浮かべるリーゼ。それに気づいたルーカスが、場の空気を和らげるように話題を変える。


「そろそろ交代で仮眠を取りましょうか。長時間話していてお疲れでしょうし、リーゼさんから休んでください」


 そう言いながら、ルーカスは手にしたカップをリーゼに差し出す。淡い色の温かな飲み物から立ち上る芳香が、リーゼの鼻腔をくすぐった。心を落ち着かせるような、優しい香りだ。


「これは?」

「レヴォンヴィリの葉で作ったお茶です。リラックス効果があって、よく眠れますよ」


 リーゼは受け取ったカップを両手で包むように持ち、一口飲んでみる。すっきりとした中に微かな甘みが感じられ、体の奥からゆっくりと温まっていくような感覚だった。


「ありがとう。確かに眠れそうな気がする」



 * * *



 リーゼが静かな寝息を立て始めるまでの間、ラースは黙って考え込んでいた。一方のルーカスは、昼間に乱雑に記したメモの内容を、手元の地図に丁寧に清書している。発見した野草の群生地、確認した木々の種類、目撃した野生生物——調合師としての職業意識が垣間見える、几帳面な記録作業だった。


「思い出した」


 眠るリーゼに配慮してか、ラースは普段より小さな声で呟く。


「クヌートの英雄譚だ。ルーカスは知ってるか?」

「聞き覚えはありませんね。どのような話なんですか?」

「まさにこの辺り、ハーメンマー地域に伝わる、黒き獣の討伐譚さ」


 そう前置きして、ラースは語り始めた。


 ——女神ヴァルダには、タルヒエンタヤという名の白き獣の従僕がいた。タルヒエンタヤは知性と理性を備えた気高き獣であり、ハーメンマーの地では人々から女神の遣いとして崇められていた。


 ある時、ヴァルダ神の絶世の美しさに心を奪われたツァルノグ神が求婚したが、冷たく拒絶されてしまう。その憤りと嫉妬から、ツァルノグはヴァルダの愛しい従僕タルヒエンタヤに呪いをかけた。


 呪いによってタルヒエンタヤが産んだ子は、黒き獣トゥホラワへと変貌し、凶悪な性質を持つようになった。大地に降り立ったトゥホラワが身震いするたび、散った毛が小さなトゥホラワとなって無数の群れを生み出した。やがてその群れは大陸に溢れ、破壊の限りを尽くすようになった。


 荒廃したハーメンマーの地に住む人々の悲痛な叫びに、クヌートという名の剣士が立ち上がった。クヌートは長年培った剣術の技で群れを次々と討ち、激しい戦いの末にトゥホラワ本体を討ち倒すことに成功した。こうしてハーメンマーの地は破壊から救われたのだ——。


「リーゼが教えてくれたアンシェント・ダスクロロスの話に似てると思わないか?」


 目を輝かせながら語り終えたラースを見つめ、ルーカスは顎に手を当てて考える。


「確かに符合する部分が多いですね。昔、ハーメンマー辺りでアンシェント・ダスクロロスが大量発生していたのかもしれません」

「そうだよな!」


 ラースは拳で手のひらを叩きながら、子供のような無邪気な笑顔を浮かべる。


「なんだか嬉しいんだ。俺が憧れてきた数々の英雄譚が、単なる絵空事じゃなくて、ずっと昔に本当にあった出来事かもしれないってことが」


 そして、炎の向こうでゆらめく夜の闇を見つめながら、ラースは静かに、しかし確信に満ちた声で呟いた。


「俺はやっぱり、英雄を目指したい。いつまでも語り継がれるような、そんな英雄に」


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