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第九十二話:あまりにも平凡な朝

「ピピピピッ、ピピピピッ……」


けたたましい電子音で、神谷陽介は目を覚ました。視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井の染みと、安物のプラスチックでできた目覚まし時計。時刻は、午前六時半を指している。


(……なんだ……? ここは……俺の部屋……?)


体を起こすと、全身が鉛のように重い。筋肉の張りも、あの世界で感じたような漲る力も、どこにもない。そこにあるのは、三十路を迎え、少しばかり運動不足が気になる、ごく普通のサラリーマンの体だった。


慌てて部屋を見回す。壁には、営業目標が書き込まれたホワイトボード。クローゼットには、クリーニングから戻ってきたばかりのスーツ。机の上には、昨夜作りかけだったプレゼンの資料が散らばっている。聖剣カレドヴルフも、エクスカリバーも、古のアーティファクトも、どこにもない。


夢だったのか。


あまりにも鮮明で、長く、そして過酷だった、あの異世界での冒険は。


しかし、心の奥底で、何かが違うと叫んでいた。アリアの力強い瞳、バルドの無骨な優しさ、リズの悪戯っぽい笑顔、ルーカスの純粋な眼差し……。それらの記憶は、夢として片付けるには、あまりにもリアルで、温かすぎた。


「……うそだろ……」


陽介は、力なく呟いた。窓の外からは、車の走る音や、新聞配達のバイクの音が聞こえてくる。鼻をつくのは、コーヒーの香りではなく、排気ガスの匂いだ。全てが、元の世界のものだった。


彼は、元の世界へ「帰還」してしまったのだ。魔王を倒した、その瞬間に。


喜びは、なかった。胸を締め付けるのは、途方もない喪失感と、孤独感だけだった。仲間たちは、どうしているだろうか。世界は、本当に平和になったのだろうか。そして、何よりも……もう二度と、彼らに会うことはできないのだろうか。


無情にも、月曜日の朝はやってくる。陽介は、まるで操り人形のようにスーツに着替え、満員電車に揺られ、会社へと向かった。しかし、彼の心は、ここに在らず。あの剣と魔法の世界に、大切な仲間たちの下に、置き去りにされたままだった。

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