3,ジギス伯爵家の人々
お屋敷の中の客間に連れてこられ、わたしは怪我の手当をしてもらった。
そのあと、夜更けまでもう少しあるから、一眠りしたほうがいいとハーシーは言った。
「着替えは、夜更けに使用人が起きてきたら、頼んでおくから。ゆっくりお休み」
そういって、大きなベットに寝かせられた。
お休みって言われても、初めての場所で緊張して寝れないよ。
「……行っちゃうの?」
わたしは少し甘えた声で、布団越しにハーシーを覗いた。でもさすがに、いい年した男女が、同じ部屋で夜を過ごすのも、いかがなものか。
「隣の部屋にいるから。何かあったら呼んで」
わたしは素直にうなずいて、ハーシーを見送った。
ふかふかの布団の中であくびが出ると、案外眠気がきたみたいだ。
わたしはいつの間にか、眠りに落ちていた。
「おはようございます」
その声に、わたしははっと目を覚ました。
もう日が高い。真っ暗で見えにくかった部屋は、豪華な装飾がめぐらされて、まぶしいくらい煌びやかだった。
ベッドの近くに立っているのは、使用人らしき年配の女性だった。わたしは急いで起きて、ベッドの上で正座をした。
「は、はじめまして!日向ひよと申します。
急にお邪魔してしまって申し訳ありません!」
するとその女性は、目を丸くした。
「まぁ、なんて腰の低い聖女様なんでしょう。
ハーシー様は、素敵な方を召喚されたのですね」
その一言に、もうわたしはこの人が大好きになった。この女性は、メリッサさんというらしい。
「差し支えなければ、着替えをお持ちしましたので、お手伝いさせていただけますか?」
「はい、よろしくお願いします!」
わたしの元気のよすぎる返事に笑みがこぼれ、心を開いてくれたのか、メリッサさんは手を動かしながらたくさんお喋りをしてくれた。
ハーシーは、このジギス伯爵家の一人息子であること。家族は父親しかおらず、あとここに住んでいるのは、わずかな使用人だけであること。
隣接する建物は、護衛士館といって、もっとたくさんの人が住んでいる。
ジギス伯爵家は代々、護衛士を育てて各地に派遣することで、生計を立てている貴族なのだそうだ。
ハーシーはその護衛士団の団長だが、日中は自分も仕事に出かけたり、夜の当直をしたりしている。
子供の頃から、周りの護衛士と一緒に育ってきたので、辛い仕事も率先して行い、必要な時は最前線で指揮を行う、それは人望のある団長なのだそうだ。
「助けてくれた時も思ったんですが……すごくかっこいいですよね。女の子も、よりどりみどりでしょう」
そう言うと、メリッサさんはなぜか表情を曇らせた。
「それが……護衛士は、汚れ仕事ということもあってか、一度も貴族のご令嬢が会いに来られることはございませんでした。
ハーシー様も、舞踏会の日こそ護衛のお仕事をいたしますので、なかなか交流がないご様子で……」
その時、コンコンと部屋の扉がノックされた。
「入ってもいい?」と、話題の人物、ハーシーの声がした。
わたしはいつの間にか、髪まできれいに編み込まれて、お化粧も少し施され、すっかり人に会う準備が整っている状態になっていた。
「ようございますよ」
メリッサさんが返事をすると、ハーシーが客間に入ってきた。
うわ……まぶしい!!
陽の光の中で見る金髪碧眼のハーシーは、車のハイビームをくらった時くらい眩しすぎる!!
でもそんな例えは、この世界の人には分からないと思うので、わたしは口をつぐんだ。
「申し訳ありません。女性用の着替えはこの、使用人用の服しかなくて……」
「うん、ちゃんとした服を今日、仕立ててもらいに行こう。
その前に、お腹がすいただろう。一緒に朝食を食べよう」
ハーシーにエスコートされて、わたしは客間を出た。こんなお姫様みたいな扱い、されてもいいんだろうか……。
そもそもわたしは、聖女として召喚されたみたいだけど。聖女って、何かしないといけないのかな?
お役目を果たしたらもしかして、元の世界に帰れる?
わたしはまだ、家賃滞納の文字が頭から離れない。
ハーシーに連れられるまま、広間のようなところに入ると、すでに食卓には、初老の男性が座っていた。
「はじめまして。わたしはジギス伯爵。息子が突然、あなたを召喚してしまったと聞いて。迷惑をかけたね」
その人はわざわざ立ち上がって、挨拶をしてくれた。わたしは、この世界の作法は分からないけど、とにかく無礼にならないように、頭を深々と下げた。
「はじめまして!日向ひよと申します!
息子さんには、崖から落ちて死にそうになったところを、助けていただきました。お部屋も貸していただいて、本当にありがとうございます」
「そうか、それは大事にならず良かった。見ての通り、この屋敷には全然人がいないからね。部屋もたくさん余ってるし、好きなだけ居るといい。
なにか困ったことがあれば、使用人のみんなが力になってくれるだろう」
伯爵を囲むように、数人の使用人たちが立っていて、その中にメリッサさんも加わっている。わたしが「よろしくお願いします!」と頭を下げると、使用人の皆さんも深々とお辞儀を返してくれた。
貴族のご令嬢が寄りつかないなんて、もったいないほど、この家の人たちはみんな温かいなぁ。
「とりあえずおれ、今日は非番でいいかな。ひよの生活に必要なものを、街で揃えてきたいから」
「あぁ、そうしなさい。たまにはわしも、あっちに顔を出さんとなぁ」
「そうだよ。元団長がずっと庭いじりしてるなんて、みんなが知ったらがっかりだ」
伯爵は笑いながら、「護衛士館でも、庭いじりするよ」と言った。「ちゃんと仕事しろ!」と真面目に返すハーシーを見て、親子って微笑ましいなと思った。