19,聖女
(注意)自傷シーンがあります。
苦手な方は読むのをお控えください。
メリッサに叩き起こされて、おれは寝ぼけたまま玄関に連れていかれた。
異変は、玄関に近づいてすぐに気がついた。
昨日までなかったはずの、小さい花々が、足元で咲いている。
「ハーシー様……あそこに……」
メリッサの声に顔を上げると、庭にできた花畑の中に、1人の女性が立っていた。
そよ風に、寝間着のワンピースが揺れている。
差し込む朝日に照らされて、花畑の中に立つ彼女を見たとき、心から美しいと思った。
こんな無骨な男が、美しいだなんて口にするのは、恥ずかしいけれど。
集まってきた使用人の誰かが「本当に、聖女様だったんですね……」と言葉を漏らした瞬間、見る人みんなが同じように見えているのだと分かった。
それと同時に、彼女に誰も近づけない、何かがあることも--。
「聖女様!」
「聖女様ーー!」
気持ちが昂った使用人たちが、口々に彼女を呼んだ。
すると彼女の顔が、みるみると歪んだ。
「やめて……わたしはそんなんじゃないです!!」
様子がおかしい。彼女はその賞賛の声を拒否するように、声を荒らげている。
パニックになっているのか、自分の肌を爪でかいているのが見えた。
だがそのかきかたが尋常ではなく、白い肌から、血が滲むのが見えた。おれはとっさに、花畑の中に足を踏み入れた。
「来ないで!」
その声がした瞬間、花のツルが鞭のように伸びてきて、足が捕まった。その瞬間、どんどんツルが体を登ってきて、身動きが取れなくなってしまった。
「ハーシー様!」
使用人たちが助けに来ようとするのを「誰も来るな!」と拒んだ。
こんなことになると思っていなかったから、なにも武器を持っていない。剣でもあれば、このツルを切れるだろうが……このツルは『ひよの意思』だろう。
俺を近づけたくない何かが、彼女の心にある。
そうだとしても……行かずにはいられない。
「ひよ……お願いだから、そんなに自分を痛めつけないでくれ……」
無心にかいた彼女の腕から、鮮血が足元の花に滴る。赤く染まった足元の花から、トゲのあるツルが現れた。
そのツルが鞭のようにしなって、おれの体を打ちつけた。顔や腕に、鋭い痛みが走る。
使用人はみな悲鳴をあげて、その場から動けずにいた。
一瞬、ツルの攻撃が弱まったと思うと、ひよの声が聞こえた。
「……わたしを、牢屋に閉じ込めてください。そうして、元の世界に送り返してください!」
「どうして?今日は、パーティするんだろう?
おれだけのお姫様になってくれるって……言ったじゃないか」
「そんな夢物語がみたいわけじゃないの!
わたしは、人を愛する資格も、愛される資格もないから……」
その言葉に、おれは腹の底から、何かが込み上げてくるのを感じた。
これは怒りだ。自分らしくない、激しい感情が込み上げてきた。
どうして?なぜ?
そんな理不尽さに対して、何もかも諦めていたら感じることのできない、自分の心を振り回すものに対しての怒り。
骨が折れようが、どうだっていい。
とにかく今は、君を止めに行きたい。
「ハーシー様!おやめください!」
無理やり足を動かし、ツルを引きちぎってひよのもとへ行こうとしているのが分かったのだろう。使用人たちが口々に「剣を持ってきますから、そのまま動かないで!」と叫んだ。
その言葉を無視して、おれはひよのもとへ足を動かした。
「ごめんな。おれ……自分の気持ちを押しつけてばかりで、気づいてあげられなくて」
抗うように、どんどんツルが体に打ちつけてくる。だけど植物の力だ。ふりほどけないほどではない。
昔からの言い伝えでは、聖女は強大な魔力を持って、この国を繁栄に導いてくれる。
時には怪我人を治したり、枯れた湖に雨雲を呼んで、水を満たしたり。色んな伝説を残した聖女たちは、その後どうなったのだろう?
この国で、幸せに生きられたのだろうか。やはりみんな、自分の世界に帰っていったのかもしれない。
彼女は、簡単に好きになっていい人じゃなかったのだ。好きになるほど、近づきすぎるほど、彼女をこうして苦しめてしまう。
今までも充分、聖女としての兆しはあった。体の時が戻ったり、地を揺らしたり……。
彼女が聖女の力を出す時はいつも……心が傷ついている時だ。
いつもは眠っている魔力が、感情が乱れて暴走することで、この不思議な現象が起こっていると、クラウスが言っていた。
この力は、美しくもあり、一歩間違えれば人の命を奪いかねない。
それなら……おれのせいで、ひよがこれ以上傷ついてしまうなら。
その時、近くで花びらが舞った。
剣が突き刺さっている。誰かが投げてくれたんだ。
おれはその剣を引き抜いた。そして、刃先を自分の首にぴたりとつけた。
ひよはその光景を、目を見開いて見つめている。
「な、何してるの……?」
「今まで、引き止めてごめん……召喚者が死ねば、この召喚はすぐに終わるんだ。
元の世界に戻してあげるから、もう安心して」
「や、やめて……!!」
「いいんだ。おれは今まで、金をもらって人を守りながら、たくさんの人を傷つけてきたから……。
おれはずっと、幸せになっちゃいけないと思ってた。でも、君がおれの仕事を褒めてくれて、認めてくれて、本当に嬉しかったんだ。
いつ誰に恨みを買って、狙われてもおかしくない。
……それなら最後に、好きな人のために、この命が使えるなら、本望なんだ」
ぐっと力を入れた瞬間、ひよがこちらに駆け出してきた。
痛みが走って、息ができなくなった。
膝から崩れ落ちたおれに、彼女は寄り添ってくれた。
「だめだめだめだめ……」
ひよがとっさに、開いた傷口に顔を近づけてきた。何か、柔らかいものが当たった感触がした。
その瞬間、彼女の体がまぶしいくらいに光った。
目をつぶった瞬間、温かい何かに包まれて、身体中の痛みがどこかへ消えていった。
ああ、傷が治ったんだ。
目を開けると、目に涙をためたひよの顔が、すぐそこにあった。
お互い、何も言わなかった。
けれど見つめ合いながら、何となく感じた。
彼女がおれからのキスを、拒まずに受け入れてくれることを。