17,お姫様
「ひよ、厨房で泣いてただろう?なにかあったのか?」
仕事が終わって迎えに来てくれたハーシーが、心配そうに言ってきた。見ていないと思っていたけど、見られていたらしい。でも他の子達もいる手前、おおっぴらに話すわけにはいかない。
わたしはハーシーに、耳打ちをした。
「……ちょっと、ここでは話せないから。帰りながら言うね」
「わかった」
わたしは、子供たち一人一人に「おやすみ」と伝えて回った。アビーは元気な顔で、「また明日ね!」と言ってくれた。
夜の星が瞬くなか、ハーシーと二人、ジギス伯爵の屋敷まで歩いている。
わたしは、アビーのことは置いといて、ラッセルが彼女に花をプレゼントしたことだけ話した。
するとハーシーは「あいつやるなぁ」と、どこか嬉しそうに笑った。
「あの二人、本当に推しだわ。幸せになってほしすぎる」
「推し?」
「推しっていうのは……応援したい人、かな?」
「なるほどね。じゃあおれも、二人のこと推しになるのかな」
「わぁ、推し被りですね!同担!いえーい!」
ハーシーはハイタッチに応じてくれながらも、色々聞きなれない言葉に苦笑いしていた。
「ラッセルは16歳になったら、おれの養子にして、貴族の学校に入れるつもりなんだ。
あいつはここで人生を終わるんじゃなくて、もっと広い世界を見て、見聞を広めたら、才能が開くんじゃないかと思ってる」
「やっぱりそうなんですね……推しカプが離れ離れになったら、辛いなぁ」
「まぁ、離れ離れって言っても。
同じ世界にいるんだから、いつかはまた会えるだろう」
「そうですね。わたしが元の世界に帰ったら、二人のこと、よろしくお願いします」
その時、ハーシーが足を止めた。
わたしは今まで、じっくり人を観察することがなかったけど。今日あんなことがあったから、今度はハーシーを、冷静に観察してみようと思った。
なんで足を止めてるんだろう?わたしの「帰ったら」っていう言葉に反応した?
彼は何か言いづらそうな顔で、固まっている。わたしに聞かせたくないけど、言わないといけない話があるのかな?
その言葉を待ってあげたいけど、沈黙は気まずい。わたしは彼より先に、口を開いた。
「あのね。ハーシー様も、わたしの推しですよ」
「……おれも?」
その時、彼の瞳に少しだけ、光が宿った。
「はい。お仕事の話をしているとき、真剣な顔が、すごくカッコいいです。
あと、子どもたちみんなのことも、よく見てくれています。
ハーシー様は、この護衛士館で働いている人、みんなを大事にしているのが伝わってきて推せます」
夜の暗闇のなか、耳が赤くなっているかどうかまで見えないけど。彼の表情は穏やかになって、「ありがとう」と優しく微笑んでくれた。
「おれはみんなが、笑顔で暮らしていけるようにしたいんだ。そのために、おれがここを守っていかないといけない。
でも、おれの笑顔は……きみがいないと、消えてしまいそうだ」
まただ。また泣きそうな顔になっている。
大の大人が、男の人が、こんなにも泣き虫なのは初めて見た。
「君が元の世界に帰る日まで……あと、1週間しかない」
「えっ……あと1週間!?」
急な告知に、わたしは大きな声を出してしまった。
「ちょうど1週間後、満月の日。
おれがひよを召喚した日から1ヶ月が経つと、召喚を解いて、元の世界に返してあげる事ができる」
「そうなんですね!そんなに早く戻れるって知らなかった。1週間て、きっとあっという間ですね」
その言葉に、彼は何も答えなかった。
わたしは我慢の限界にきて、思わず口を開いた。
「なんで、いつも言いたいことを我慢するんですか?わたし察しが悪いから、表情だけでわかったり、人の気持ちに気づいたりできないんです。
だからちゃんと、ハーシー様の気持ちを言葉にして欲しいです!」
「ひよを、傷つけてしまわないかと思って……」
彼の、どこか怯えたような表情。もしかしてわたしが、小さくなってしまっていたことと関係があるのかな?
「……わたしも、正直に思ったことを言います。でも、ハーシー様のことを否定はしません。だから安心して、言ってみてください!」
「それじゃあ……聞いてみてもいいかな」
「はい、なんですか?」
「おれがあの女性と、舞踏会に行くのを知った時、なんで怒ったの?」
予想外の質問に、わたしはうろたえた。てっきり、召喚は裸でやらないといけないとか、そんな感じで言いにくいのかと思ってた……。
「えっと……嫉妬、したからですかね……?」
するとハーシーが、ぐっと顔を近づいてきた。
だ、大丈夫。この星明かりだったら、顔が赤くなってても、きっと分かんないだろう。
「嫉妬?なんで?」
「なんでって……なんででしょうね?
わたしもハーシー様と、舞踏会に行きたいと思ったから……?」
彼はいつの間にか、膝立ちになっていた。立っていると身長差があるけど、ハーシーの顔が低くなって、いつもよりも彼の表情がよく見える。
彼はわたしを見上げながら、何を思ってるんだろう。目を合わせると気まずいから、わたしは顔をそっぽ向いた。
そっと、ハーシーの手が、顔から耳に流れるように触れた。
わたしはうつむいて「く、くすぐったいです……」と言うと、「うん、ごめん……」と謝りながらも、さらにすりすりとほっぺたを触ってきた。
「……一緒に行く?舞踏会」
「えっ!?で、でも、あの人との約束が……」
「残念ながら、王宮の舞踏会は、ひよが帰った後にあるんだ。
あれは仕事で行くけど……その前に、伯爵家で舞踏会を開いてもらえないか、お願いしてみようか」
「えっ……それは、みんなでパーティってことですか!?」
「そう。護衛士や見習いたちも呼んで、みんなで」
わたしは興奮のあまり、ハーシーの肩に手を置いた。
「うわぁ!それ、楽しそうです!!
やったー!!パーティいつしますか!? 」
「明日。非番だから」
「あ……明日!?!?!?」
わたしが目を丸くしたとき、彼はわたしの手を取った。そして優しく持ち上げ、手の甲にキスした。
「一日だけ……おれのお姫様になってくれますか?」
また、川に飛び込みたくなってきた。
胸が痛くなって、顔がほてって、ハーシーをぎゅっとしたい気持ちが、ぜんぶ一気に襲ってきた。
まっすぐにわたしを見つめる、青い瞳。
気のせいじゃない……ハーシーは、私に帰って欲しくないんだ。
それでも、わたしが帰りたがっているから「一日だけ」って言ってくれたんだ。
その気持ちは……アビーがラッセルに感じているものと、同じなのかな?
好きだけど、相手の幸せを願ってってこと……?
わたしも、言いたいことを正直に言うって約束してしまったから。だけどこの気持ちは、どうやって伝えたらいいんだろう……。
「あの……」
「なに?」
「お姫様抱っこ、してほしいです……」
「……はい、よろこんで」
その瞬間、ハーシーは立ち上がって、わたしをお姫様抱っこした。
なにこの展開、少女漫画すぎる……。
「そうとなれば、早く帰って準備しないと」
こんな嬉しそうな顔、初めて見た。
でもそこからの、飛ぶような高速移動は……少年漫画すぎて、気絶するかと思った。