16,好きな気持ち
「ひよ。今日は……一緒に家に帰らないか?」
そう聞いてきたハーシーの目は、まるで子どものようだった。
「うん。いいよ」
そう答えると、彼の涙は引っ込んで、明るい顔になった。
「じゃあ、仕事終わったら迎えに行くから」
「う、うん」
ようやく手を離してもらえて、わたしは執務室を出れた。わたしは足早に、見習い館に戻った。
ハーシーに握られていた手が、じんじんする。この手はもう一生洗えない。いや洗うけど。
ほっぺたも、触ってしまった……張りのある、ちょっとごつごつした、男の人の肌だった。
「ひよ、おかえり!……あれ、顔赤くない?」
アビーに話しかけられて、わたしは初めて、顔が熱くなっていることを自覚した。
「えっと……な、なんでもないよ……」
「うそー!!絶対ハーシー様となんかあったでしょ!!」
アビーのその言葉に、みんなわたしに注目した。
恥ずかしくて恥ずかしくて、わたしは思わず、洗濯をしている子の横から、屋敷の中を流れる川に飛び込んだ。
「えーー!!なにしてるのひよ!!
びしょびしょじゃん!!」
目を丸くしてるアビーの横で、何が面白かったのか、小さい子たちがきゃーきゃー笑って、わたしのことを見ている。
思わず飛び込んだけど、足がついてよかった。流れもそんなに早くなくて……。
そんなことを思っていると「ぼくも入りたい!」「わたしも!」と、アビーが止める暇もなく、3、4人が飛び込んできてしまった。
足がつかない子は溺れるんじゃ!?と冷や冷やしたが、みんなさすが、護衛士の卵だ。
水には慣れているようで、器用に泳ぎながら、遊び始めてしまった。
「こらーーーー!!」
その声を聞きつけて、近くで洗濯物を干していたライラさんが、駆けつけてきた。わたしは、急いで子どもたちを地面に引き上げた。
「何を遊んでるんだい!洗濯物も終わってないし!日が暮れちまうよ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
わたしは頭を下げながらも、小さい子たちが「楽しかったね、また水遊びしようね」と言ってきてキュンとした。可愛すぎて、今はそれ言う時じゃないよって、怒れない……。
「さっさと着替えてきなさい、風邪ひくよ」
謝ったあとは、ライラさんも穏やかに接してくれた。わたしは濡れた子たちと一緒に、部屋に着替えに行ったあと、また洗濯物を洗いに戻った。
「アビー、ラッセル、ごめんね……二人にさせちゃって」
「大丈夫だよ。いきなり飛び込んだから、びっくりしたけどね」
ラッセルがそう言ってくれた後、アビーがわたしに耳打ちした。
「逆にありがとう。二人きりにしてくれて」
その言葉にピンときた。
もしかしてアビーって……と言いかけたところで、彼女はわたしの背中をバンバン叩いてきた。
「もうやめて!わたしも川に飛び込みたくなっちゃうから!」
そのはしゃいでいる声を聞いて、ライラさんがこちらを見ている。
やばい、今度こそやばい……。
わたしたちはそれ以降は話さずに、真面目に洗濯をする手を動かした。
洗濯が終わって、掃除をしたあと、あっという間に夕食を作る時間になった。
護衛士館にいるみんなの家事をしているから、子どもたちはほとんど、遊ぶ時間もなく働いている。
護衛士さんたちも暇な時は手伝ってくれるけど、今日はみんな仕事だったみたいだ。夕食ができる頃に、みんな疲れた様子で帰ってきた。
ちょうどできた料理をお皿に盛り付けているころ、彼らと一緒に、ハーシーも食堂に入ってきた。
こちらを見ることもなく、真剣な表情で、他の護衛士さんと話をしている。
「……ひよ。そんなに見てたら、ハーシー様が好きだって、みんなにバレちゃうよ」
わたしはハッとして、「好きってわけじゃ……!」と言い返した。
「……でも、見ていたのは本当。アビー、言ってくれてありがとう」
「うん。人の気持ちは、言葉だけじゃなくてね。その人が無意識に見ているものや、態度で分かっちゃうんだよ」
年下なのに感心した。アビーは本当に、人を見る力があるというか、わたしよりも大人なところがある気がする。
「そうだよね……でもアビーのこと、わたし全然気がつかなかった」
その時、裏の勝手口の方から、ライラさんが怒っている声が聞こえた。
「まーたあんたは!必要なものだけとってこいって言っただろ!?こんな遅い時間まで、外にいるんじゃないよ!!」
怒られているのは、ラッセルのようだった。
アビーは「またやったわね」と、肩をすくめた。
「……ラッセルは、本で見た植物の名前をすぐ覚えちゃうの。たまにああやって時間を忘れて、ずっと植物を見てるのよ」
「ラッセルって、自由時間はみんなと遊ばないし、何してるんだろうって思ってた。アビーもけっこう、ラッセルのこと見てるのね」
すると彼女ははにかんで、「ふふ、そうなの。だからひよを見た時、あ、一緒だなって思ったのよ」と言った。
「ハーシー様も言ってたんだけど、ラッセルは将来、護衛士よりどこかの学校に入って、博士とか研究者を目指す方がいいんじゃないかって。
だからいつか、ラッセルが学校に入れる年になったら、ここを出ていくんだと思う」
アビーの声が、だんだん元気をなくして、暗くなっていく。
「だから……言わないの。
その時、笑顔で送り出すために」
そのとき裏から、ライラさんと、こってり絞られてしゅんとしたラッセルが戻ってきた。
みんなの前で「遅くなってごめんなさい……」と頭を下げたあと、こちらにきて「なにか手伝うことある……?」とおずおずと聞いてきた。
「あんたね!毎回毎回、わたしが声かけに行かなきゃ戻れないわけ!?
今日は何の雑草を見てたのよ!」
ひよは心の中で、アビーったら言葉がきついよ……と思った。それじゃあ、ラッセルは気づいてくれないだろうな……。
すると彼は、ポケットに隠し持っていた何かを出して、アビーに差し出した。
「これを探してたんだ……そろそろ咲く頃かと思って」
丁寧に布で包まれていたのは、小さくて黄色い花だった。アビーのイメージぴったりの、明るくて可愛らしい花。
アビーは、びっくりした顔をしていた。
「それって……」
「うん。前にアビーが、好きだっていってた花」
「これを見つけるために……?」
その瞬間、なぜかわたしの涙腺がぶわっと緩んだ。
アビーは、ぼろぼろと泣いているわたしにギョッとして、急いで手ぬぐいを渡してくれた。
「うわぁあああ推しカプすぎる!!」
「推しカプ……?よく分かんないけど、早く拭いて!!」
「またあんたたち、手が止まってるよ!!」
「ごめんなさいーー!!」
わたしは手を動かしながらも、ふとアビーを見ると、耳たぶが真っ赤になっているのに気がついた。
ほんとだね、アビー。
言葉にしなくても、「好き」の気持ちは充分、人に伝わるんだね。
わたしは、末永くお幸せに……と、心の中で二人を拝んでいた。
お久しぶりです。
筆が止まってしまっていたので、書き直すことにしました。前は完結まで急ぎ気味でしたが、ゆっくりこの物語を紡いで行けたらと思っています。
よろしくお願いします。