15,招待状
アパトさんから、会いに行ってもいいと伝えられて、わたしは執務室の前に来た。
なんだか緊張する……でもちゃんと、ネックレスのお礼を伝えなきゃ。
すると案内してくれたアパトさんが、窓の外を覗いた。
「あれ、お客さんが来てる」
わたしも窓の外を見た。
本当だ。黒い艶のある車体に、真っ赤なバラの装飾がたくさんついた、豪華な馬車が止まっている。それは王様のものでもなく、ジギス伯爵家のものでもなく、初めてみる馬車だ。しかもその風貌から、女性が乗ってきたと分かる。
アパトさんも気になったのか、「本当はだめだけどね……」と呟きながら、ドアに聞き耳を立てた。
わたしも、ドアに耳をぴったりとつけた。
すると確かに、ハーシーと女の人の声が聞こえてきた。声がはきはきとしているおかげで、しっかり内容が入ってくる。
「ハーシー様も、世が世なら公爵家の跡取りです。わたしは、夫の爵位を気にする事はありませんが……」
その言葉に、沈黙が続いた。ハーシーはどんな顔をしているだろう。さきほどの女性の言葉を、意に介していないような声で言った。
「それで、今日のご用事は?」
「まぁ、つれないお方。実は今日、王宮から舞踏会の招待状が届きましたの」
女性はカサカサと言う音を立てた。
「このたびは何か重大な発表があるとかで、式典も兼ねているとのこと。
なので従来の舞踏会とは違い、誰を誘っても良いものとされています。友人で参加するも良し、気になる殿方を、お誘いするも良し……」
ハーシーはひと呼吸おいて答えた。
「わたしは舞踏会には行きません。ご存知の通り、護衛士は、近衛士とは仲が悪い。
たとえ伯爵家でも、歴代の当主が参加してこなかった所以は、汚れ仕事をしているからです」
「まぁ、汚れ仕事だなんて。人の盾となって働く、尊いお仕事ですわ。
……それにこのたびは、わがケンディ侯爵家とジギス伯爵家の、友好の証としてお誘いに来ました。
これまで父は、細々と護衛士館に援助をしていると聞きます。
父の顔を立てる面でもどうか、エスコート役を引き受けてはくださらないでしょうか」
女性はなんとか、彼と一緒に舞踏会に行きたいのだろう。家の話まで持ち込んでまで……。
「……仕事としてで良ければ、喜んで」
(あ……行くんだ)
断りそうで安心していたけど、ハーシーのその言葉に、胸がズンと沈むのを感じた。
「まぁ、ありがとうございます。1日だけでも、ハーシー様を独占できるのですね。身に余る光栄です。
それではどうぞ、よろしくお願いいたしますね」
話が終わった気配がして、わたしとアパトさんは急いでドアから離れた。廊下の端に並んで立ったところで、ふたりが姿を現した。
女性は、真っ赤なドレスを着た、長い黒髪の美しい人だった。勝気な顔をしていて、こちらに気づくと、わざとらしくハーシーの腕に手を添えた。
「まぁ、あちらのお嬢さんは?」
本当なら、あの手を振り払って「そっちは痛い方の腕です!」と怒ってやりたい。
「……彼女は、護衛士館の一員です」
「まぁ。それでは、ハーシー様のご家族のようなものですね。ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
満面の笑みで挨拶してくれたけど、友好の証には思えない。
わたしと彼女には、大きな身分の違いがあることを見せつけるかのように、彼の腕を離さずエスコートしてもらって、馬車へと帰って行った。
アパトさんは何を思ったのか、「中で待っていなよ」と声をかけてくれて、仕事に戻っていってしまった。
だけどしばらく経っても、なかなかハーシーは帰ってこない。痺れを切らして、また廊下に出て外を覗くと、まだ馬車が止まっている。
ハーシーは優しいから、ずっと話に付き合ってあげてるんだろう。それとも、本当に話が楽しくて終わらないのか……。
そんなことを考えていたとき、館から護衛士さんが出てきて、ハーシーに何かを伝えた。彼は急に、女性に謝り始めて、諦めて馬車に乗った彼女を見送り、やっと館に入ってきた。
「……やあ、待たせたね」
そのままどこかに行ってしまうかと思ったけど、彼はまっすぐわたしのところに戻ってきてくれた。
「あの、何かあったんじゃ……?わたしのことはいいので……」
「あぁ、さっきのはね。こうやって帰ってくれない時は、折を見て呼んでもらうようにしてるんだ」
「なんで、ご自分で断らないんですか?倒れたばかりなのに……」
そう言うと、彼は待たされたことを怒っていると思ったんだろう。「本当にごめんね」と謝って、わたしを執務室に入れてくれた。
彼と向き合って座ったけど、まだソファが暖かい。さっきの女性の顔がちらついて、わたしは頭が真っ白になった。
……あれ、わたし、何を話しにきたんだっけ……。
沈黙が続いてしまって、彼は気を遣って口を開いた。
「ひよ、また少し成長したね。でもまだ、この国に来た時の姿ではないみたいだ」
「……はい。まだあまり、記憶も戻ってなくて……でも、アビーと喧嘩したことは覚えています」
その話をすると、わたしははっと思い出した。
「あの時、反抗してしまってすみませんでした。あと、ペンダントを見つけてくださって、ありがとうございます」
深々と頭を下げると、ハーシーは「顔を上げて」と言った。
「いきなり記憶がなくなったら、みんな気も動転すると思う。気にしてないよ。
あとペンダントの件は、魔物討伐の依頼が来ていてね。たまたま見つけられて良かったよ」
「でもそのために、怪我まで……腕は、大丈夫なんですか?」
さっき、女性が掴んでいた左腕。話によると、ひどい火傷をしたと聞いていたけど、服の上からだとまるで分からない。
「王様の治癒魔法で、大した痕は残っていないんだ。ひよが気に病むことじゃないよ」
「そうですか。じゃあ気がねなく、舞踏会に行けますね」
そう言うと、彼は「聞いていたのかい?」と、苦笑いした。
わたしは盗み聞きしたことを謝ることなく、「話は以上です。お忙しい中、ありがとうございました」と言って立ち上がった。
そのまま部屋を出ようとしたわたしに、彼は「ちょっと待って」と呼びかけてきた。
「なにか落ちたよ」
彼が拾ってくれのは、ポケットに入れておいたはずのミサンガだった。
「もう、必要ありません。捨てておいてください」
「……なにか、怒ってる?おれ鈍いからさ。何か気に触ることをしたなら、謝るよ」
「違います。あげようと思ってたけど、やっぱりハーシー様には、似合わないと思ったんです。そんなものつけて、舞踏会に行ったら恥ずかしいですから!」
そう言って部屋を出ようとしたわたしは、背後に彼の気配を感じた瞬間、目の前のドアを押さえられた。
これ、もしかして……うわさの壁ドン?
「これ、おれに?」
わたしは背を向けたまま、うなづいた。そして今や、アビーや護衛士見習いたちみんなに編み方を教えて、みんなつけてくれていることを話した。
「へぇ、これ君が編んだの!?
器用だなぁ……どこにつけたらいい?」
「……手でも足でも、お好きなところに」
「あれ、首にはつけられないのか。残念」
振り向くと、本当に彼は首にまきつけようとしていて、吹き出してしまった。
「明らかに短いって、見たら分かりますよね」
「そう?だって、ひよがつけてくれないからさ」
彼なりの甘えなのだろうか。わたしは「もう、仕方ないですね」と言いながら、彼の手からミサンガを奪って、左手に結びつけた。
「……火傷した手が、早く治りますように」
すると彼は、とっさにわたしの手を掴んできた。びっくりして顔を上げると、彼はうつむいたまま、「ありがとう、大事にする」と言ってくれた。
かすかに、目に涙が浮かんでいる。その涙がひとしずく、ぽろりと流れ落ちたのを見て、わたしはつい彼の頬に手を当てた。
「ど、どうしたんですか!?」
「おれもさ、一つだけ気になっていること、聞いてもいい?」
うなづくと、彼はわたしがつけているネックレスにそっと触れた。
「……このネックレスは、さ」
彼は、わたしの手を握ったまま言った。
「大事な人から、もらったもの?」
「……はい。亡くなった、父と母から」
そう言うと、彼はもっと力を入れて、ぎゅっと手を握ってきた。
「……ごめんね。おれは君に、酷いことを言ったんだ」
そう言って、彼の潤んだ瞳から、ぽろっと涙が溢れ出てきた。
青い瞳から出る涙は無色透明だけど、まるで宝石の雫のように、きらきらして見えた。
「えっと、なんのことか分かりませんが……泣かないで……」
その顔に手をのばして、涙を拭ってあげても、どんどんぽろぽろと落ちてくる。
わたしはハーシーの泣き顔に、胸をぎゅっと掴まれるような感覚を覚えた。