11,反抗期
ひよを食事に連れて行ったあと、ジギス伯爵家に帰ったときには、疲れて寝落ちしていた。
しばらく客間に寝かせていたが、目覚めた時に1人だったので、心細くなったのだろう。
屋敷が小刻みに揺れ始め、まさかと思って駆けつけると、ひよがすすり泣いていた。すぐさま抱きかかえて、彼女を自分の部屋に連れていった。
メリッサに、寝る前の世話をお願いしたが、一晩中彼女に預けるわけにもいかない。
おれは多少の後ろめたさを感じながら、ひよを自分のベッドに招き入れた。彼女はるんるんで、おれの腕を枕にして、また眠りについた。
体も心も子ども返りして、すっかり記憶をなくしている。
明日からまた仕事だから、彼女も護衛士館に連れていかないといけない。
見習いたちに説明しても、分かってもらえるか分からないが……とりあえず、面倒はみてくれるだろう。
あと2週間ほど、この生活が続く。
おれはひよの柔らかい髪をなでながら、少しだけ、彼女が子どもになってよかったと思ってしまった。
いつの間にか自分も眠っていて、気がつくと朝だった。
だが、腕の中にひよがいない。
急いで辺りを見渡したが、影も形もない。
おれが部屋を出ると、待ち構えていたように、メリッサが近づいてきた。
「あのう、ハーシー様……」
「なんだ?ひよは大丈夫なのか?」
「それが……」
言いにくそうにしている彼女は、おれに手招きをして、食堂に招き入れた。
そこには見知らぬ少女が、すでにテーブルについて、朝食を食べていた。
「え……?」
「なんだよ。人の顔をじろじろ見やがって。あっちいけよ」
それは、昨日よりずいぶんと大きくなった、10歳くらいのひよの姿だった。彼女の目まぐるしい変化に、そろそろ心が追いつかなくなりそうだ。
「ひよ、おれのことは分かるか?」
近くに行って膝まづくと、彼女はおれを、毛虫でも見るかのように、嫌そうな顔で見てきた。
「近づいてくんなって、うぜぇな。
あんたのことなんてどうだっていいんだよ」
「なにを、そんなに怒ってるんだ?
おれはまた何かしてしまっただろうか?」
すると彼女はため息をついて、カトラリーをばんとテーブルの上に置いた。
「あんたがあたしを、金で買ったんだろ?」
「え?何を言ってるんだ……」
「あたしはまた捨てられて、新しい家に引き取られた。こんな、どこの国かも分からないところに……あんたも運が悪かったな、こんな出来そこないがきてさ」
また捨てられた、という言葉が引っかかった。彼女に「それはどういう意味だ?」と聞いても、もう彼女は口をきいてくれなかった。
なんとか護衛士館には着いてきてくれたものの、ずっと不機嫌そうな顔をしている。
まさか、ここが嫌で逃げてしまわないだろうか……そんな思いがよぎって、不安で仕方ない。
ライラには訳を話して、とりあえず困ったら、おれを呼びに来てくれと伝えた。
ひよにも「執務室にいるからな。何かあったら来てくれ」と声をかけたが、彼女はこちらを見向きもしなかった。
執務室に入ってきたデイヴィスが、目を丸くした。
「ハーシー……老けたか?」
「ほんとにさ……おれには、手に負えないことばかりだよ。
いきなり子供ができたと思ったら、思春期の女の子になって……ただでさえ女性に対する免疫がないのに、難しすぎる……」
「まぁ、深くは知らんが頑張れ」
彼は、我関せずな声で言った。まぁ、他人事だから仕方ない。
「次の仕事は、商人の護衛だ。かなりの大物を運ぶそうで、最近強盗も増えているから、熟練の護衛士が欲しいと依頼が来た。行ってくれるか?」
「報酬は?」
「ここに書いてある」
おれが差し出した書面を見て、彼は「引き受けた」と短く答えた。
こうして仕事を引き受け、適任の護衛士にふって行くのが、おれの仕事だ。
そして各仕事の進捗、成果を管理し、次の依頼に繋げていく。もし護衛士がしくじったときは、自分が出向いて先方に謝りに行く。
その身をもって、人の盾となる仕事なだけに、不満を抱いて足抜けする護衛士も多い。
そろそろデイヴィスも働かせすぎだから、ひよのことが終わったら、おれ自身も護衛の仕事に行かなくてはならないだろう。
大きなため息をつきながら、書類の山を整理しようとしていると、廊下を走る音が聞こえてきた。
男のものとは違い、体が軽くパタパタと走る音。ライラだ。
「ハーシー、来ておくれ!」
おれはただごとではないその様子に書類を置き、何も聞かないまま急いで、執務室を飛び出した。