42 友よ
側でキーボードを叩く音が聞こえる。
それはこの国に来た最初の時と同じ音で、ここが都市開発研究施設だと理解する。ゆっくりと目を開けると、やはり同じ天井だった。私が動いた事に気付いたのか、キーボードを叩く音が止み、椅子から慌てて立ち上がる音が聞こえる。
「マヨイさん!?どこも痛くない!?」
見ていた天井に、さらに隈を酷くしたマギーが現れる。
私はゆっくりと起き上がり周りを見る。どうやらあの時と同じくベッドの上で寝ていたらしい。思わず首筋に触れるが、痛みも何もない。あれは悪い夢だったのだと安心して吐息が溢れる。
「えっと、すいません、アレンに用事があって」
アレンに会って、最後の魔法をかけなくてはならない。そう思いマギーへ告げると、彼は目を大きく開けて、その後すぐに顔を歪めた。
「……アレン副団長は、今地下の勾留所にいるよ」
その言葉を聞いて、私は一気に全身の血が冷たくなっていった。急いでベッドから降りてドアへ向かう。その行動にマギーは慌てて肩を掴んで止めようとした。
「君は一歩遅かったら死んでた量の血を流したんだ!まだ安静にしないと!!」
「離してください!アレンの所に行かなきゃいけないんです!」
早く最後の魔法を掛けなくては、アレンの正体が気づかれてしまう。掴まれた手を払い、私はドアを開けて廊下に出る。確か地下と言っていた。この施設の大体の場所はすでにマギーに教えてもらっている。私は裸足のまま廊下を進み、地下へと向かう為に階段へ向かう。
「何処へいくんだ」
もうすぐ階段へ着く所で、後ろから声が聞こえた。その見知った声に反応して振り向くと、テオドールがいた。その碧眼は射抜く様にこちらを鋭く見つめて、私は呼吸を一瞬止めてしまう。けれどすぐに彼を見つめ返し、ゆっくりと口を開く。
「地下牢に行って、アレンに会う」
「お前はあの獣人に殺されかけたんだぞ」
やはり阻害魔法が効かなくなってしまっているのか、テオドールはアレンを獣人と呼んだ。私は顔を歪めながら、それでも何か出来る事があるはずだと、再び地下へ向かおうと歩き始める。……けれど、すぐにそれは後ろから強く抱かれた事によって阻止されてしまう。
「行くな」
短く、そして強く耳元で命令される。思わず体が固まってしまう私の体を、更に強く締め付ける。私は拳に力を込める。
「アレンは、急に魔物みたいになって、でも、アレンは、あんな事する人じゃない」
視界が滲んで、自分が泣いている事に気づく。
「操られてるみたいだった……だから、だから」
助けなくては、そう伝える為に強く抱き締める腕を押し、後ろを振り向いた。……だが、目の前にいる男の表情に私は言葉を失ってしまった。男は、ゆっくりと口を開く。
「今日だけでいい、明日俺と行けばいい」
テオドールは歪みきった表情で、堪えるようにこちらを見つめる。
「頼むから、今日は俺から離れるな」
その表情と、言葉を聞いて。ようやく自分が彼に、どれほど心配されていたのか分かった。この優しい男へ、私はどんな仕打ちをしていたのだと。そう思えば腕を押す力は弱くなっていく。そのままゆっくりとテオドールに横抱きをされ、私は階段と反対へ移動させられる。それを少し離れた場所で見ていたマギーは、安堵した様にため息を吐いてこちらを見る。
「アレン副団長は魔物化して拘束されてる。生きた存在が魔物化するのは異例だから、すぐに処罰が決まる事はないよ。……だから、今日はゆっくり休んで」
そう言って優しく微笑むマギーに、私は頷いて返事をした。
そのまま私は、部屋へとテオドールに連れて行かれた。
◆◆◆
少女と副団長を探している途中で、部屋中にけたたましく警告音が鳴り響いた。国内に魔物が発生した際に出る警報で、付けてから20年経つが初めて鳴るものだった。……何か嫌な予感がする。そう思い少女達を探すのを辞めて発生した場所周辺を詳しく調べると、その場所は副団長の実家がある場所だった。僕は隣にいる、音に驚いている師匠にそれを伝えると、師匠は目を大きく開いたと同時に移動魔法を唱え消えた。
この国には僕が張った結界がある。だから魔物はゲドナ国の様に、大量発生し攻撃されなければ外側から入ってこれない。……だから誤報だと、少女と副団長が、何も関係ない事を僕は祈った。
けれど、その後すぐに現場へ向かった騎士団からの連絡で、師匠が重症の少女と、魔物化してしまった副団長を保護したと聞いた時、僕は思わず舌打ちをしてしまった。……明らかに命の危険のある少女を、騎士団達の目の前で治癒魔法で治す師匠は、加護を持った存在だと皆に知られてしまった。……あれほど隠していた事を、知られても構わない程に師匠は少女を愛していた。
今は僕と、ガラード騎士団長と師匠が今回の件について、施設の中にある宰相室で話し合う事になった。ガラード騎士団長は壁に強く拳を打ち付けて、唇を噛み締めている。
「アレンが獣人族だった事を隠していたのはいい、ハリエド国の戦争にはあいつは関係ない。……だがどうしてあいつは魔物になったんだ!!!」
師匠は無表情のまま騎士団長を見つめる。先ほど少女に見せていた様な優しい表情ではなく、怒りを抑えているのがこちらにも分かる。騎士団長もまさか、精霊だと思っていた師匠が、伝説の大魔法使いである事実に驚いているのか、気まずそうに目線を逸らした。それを見て師匠は小さくため息をこぼす。
「生きている奴が魔物になるなんて、長く生きてる俺でも聞いたことがねぇよ」
「そう、こんな事例は歴史を見ても初めての事だと思う。……だからこそ、何故副団長が魔物化してしまったのかを調べる必要がある」
そう、これは逆に言えば好機かもしれない。未だに謎が多い魔物という存在を、解き明かすきっかけになるだろう。死の神が創り上げた魔物という存在は、それほど謎に満ちた存在なのだから。騎士団長は師匠を見て、顔を歪める。
「……俺は、お前にも頭に来てるんだよ、テオ」
騎士団長の歪んだ表情に、師匠は無表情で見つめる。それに腹を立てたのか騎士団長は師匠の胸ぐらを掴む。
「大魔法使いテオドール、俺でも知ってる位の有名な加護持ちだ。……俺はお前と、親友だと思っていた……なのにどうして!どうして嘘を付いていたんだ!?お前があのテオドールだと30年前から伝えていれば!もっと早く国は豊かになっていただろう!?もっとそのご立派な魔法で救える命だってあったはずだろう!?」
……騎士団長が言いたい事は理解できる。30年前にやってきた師匠が、すでにその時点で加護を持った存在だと公表していれば、騎士団再建し鍛えるのではなく、内戦で荒れた土地に出現する魔物を狩ってくれれば、僕が魔法を使える様になるまでに救えなかった命は、救えたのだから。
師匠は真っ直ぐ騎士団長を見て、ゆっくりと口を開いた。
「サヴィリエは天候の神の土地だ。他所の神の加護を受けた奴が、勝手に治めていい国じゃねぇ」
「じゃあどうして俺に嘘を付いていたんだ!?」
師匠は、目を細めて騎士団長を見た。
「俺も、お前と親友ってやつだと思ってたからだよ」
その言葉に、騎士団長は目を大きく開いて胸ぐらを掴む手を緩めた。何事もなかったかの様に師匠は彼を見つめる。
「俺はお前と、親友で居るために嘘をついた。……テオドールではなく、テオとして」
それだけ告げると、師匠は騎士団長をそのままにして部屋のドアを開ける。そのまま廊下へ出ようとした所で、僕の方を見た。
「明日、マヨイと獣人の状態を見にいく。……マヨイは、前に魔物を元の人間に戻してる」
「は!?」
僕は思わず声を出してしまい、騎士団長も驚愕した表情で師匠を見た。
「俺ァあの獣人はいけ好かねぇが……まぁ、骨のある奴だとは思ってるよ」
そう頭を掻きながら師匠は告げると、少女の元へ向かう為に部屋から出た。
◆◆◆
頬に当たる冷たい感触で、私は目を開けた。どうやらあのままテオドールに連れられて、自室に戻っているらしい。柔らかいベッドの上で寝ていた。
「起きたかい?愛おしい子」
すぐ側から、少年の声が聞こえる。
私は顔をその方向へ向けると、やはり黒髪のあの少年がいた。すぐそばの椅子に座っており、月明かりだけの薄暗いこの部屋でも、真っ赤な瞳ははっきりと見える。
「そのまま死んでくれたら、すぐに僕のものに出来たんだがね」
そう冷たい吐息で告げる少年に、私は口を開く。
「……アレンを、魔物にしたのは、君なの?」
そう質問すると、真っ赤な瞳は歪んでいった。
だから私は、もう一度問う。
「………教えて、どうすれば古城の魔物の時みたいに、アレンを助けられるの?…………死の神、アドニレス」
そう名前を告げると、少年は更に瞳を歪めていった。




