3 夜が明けました。
遠くから水の跳ねる音が聞こえる。
私はゆっくりと瞼を開けると、朝日が近くの湖に反射した光が真っ直ぐに入る。
周りをそのまま見ると、やはりそこは森だった。……あの夜の事は、夢じゃなかった。
大きく背伸びをしながら起き上がると、自分の上に、テオドールのローブがかけられている事に気づく。黒の生地に、黒の糸で刺繍をされた古いローブ。この持ち主である本人は、どこへ行ったのだろうと周りを再び見ると、また水の跳ねる音が聞こえた。
私はローブを持ちながら立ち上がり、その音が聞こえるであろう湖へ向かう。
湖は近くへ寄れば寄るほど、朝日を反射して眩しい。
だが、その湖の中に人がいるのがわかった。その人物はこちらに気づいたのか、大きな水音を鳴らした。
「ああ、起きたか」
その水音はどんどんと此方に近づき、そして目の前までくると、持ってきたローブを取る。……何故か上半身だけ着ていないが、やはりテオドールだった。……なんてこった、水も滴るなんとやらだ。手には籠を持っており、中には生きた魚が跳ねている。籠持って魚を取ってても、顔面が良ければ全部よく見える。しかし、なんてサバイバル力溢れる男なんだ。
……少し、ほんの少し上半身を見ると、中々、というか大分良い体をしていた。……だが、それよりも身体中に刻まれた傷に、目を見張る。こんなにたくさんの傷、一体どうしたらつくのだろうか?
「おい、なにまじまじと見てんだ」
「ご、ごめん、傷すごいなって思って」
「100年生きてれば、この位誰でもできる」
そう言いながら、テオドールは焚き火をしていた場所へ歩く。そんな、生きてるだけでそこまでの傷、できるわけないと思うのだが……あまり話したくない事なのかもしれない。私も彼の後に続いて歩いた。
そのままテオドールは、器用にナイフで魚の腸を取り、魚を串に刺して焚き火に当てる。私も何か手伝おうかと言ってみたが、「大人しく待ってろ」と言われてしまったので、手際の良い彼の姿を黙って見ていた。……こんなに世話焼きな彼から、私は生活の知恵を学ぶ事ができるのだろうか、ちょっと心配になってきた。
やがてこんがり焼けた魚を受け取り、それを口に運ぶ。魚の脂がじゅわりと口の中に押し寄せ、それがソースのように魚の肉を彩る。そして何と言っても、この振りかけられたハーブのようなものが、塩味を効かせていて美味しい!
「おいしーーーい!!!」
「アンタは本当に美味そうに食べてくれるな」
私が目を輝かせて食べているのを、テオドールは笑いながら見ていた。
そういえば、彼が何故この森にいるのかを聞いていなかったと、私は口に含んだ魚を飲み込み、彼へ顔を向ける。
「テオドールは、何でこの森にいるの?」
「ああ、近くにある村に依頼されて、最近森で暴れていた魔物を狩ってたんだ」
「魔物!?」
平然と告げるその言葉に、私は大きく叫んでしまった。テオドールは私がいきなり叫んだので驚いていたが、すぐに納得した様な表情になる。
「そうか、前の世界じゃ魔物なんていねぇよな」
「いないわ!何だそれは!?」
「この世界にいる動物だの人間だのが死んでから、恨み辛みが残ってできたバケモンだよ。でかい国なんかは、俺達みたいな神の加護持ちが大魔法で結界を張るが、小さな国や村はそんな事できねぇからな、俺みたいな魔物狩りできる奴に、報酬を与えて雇ってるんだよ」
「……なるほど」
全然納得していないが、話す内容は理解できたので頷いた。
「という事は、今日はその依頼された村に行くの?」
「ああ、魔物から刈り取った牙や爪は、武器の素材になるからな、依頼者に渡さねぇと」
そう言いながら荷物から白い袋を取り出し、こちらに中身を見せる。……前の世界ではあり得ない大きさの牙と爪が出てきた。こ、これを持つ魔物を狩ってきたのか、この青年が。……確かにそれなら、あの傷達がついているのも頷ける。
「飯を食ったら村へ報告に行くぞ。……その報酬で、アンタの服も買わなきゃな」
「え?」
「アンタの服、この世界じゃ異質すぎて目立つんだよ」
そう言われると、確かに今の私の服は、社会人らしい黒のスーツだ。対するテオドールは黒のローブの中は、動きやすそうなシャツとズボン。私も上のジャケットを脱げばまだマシになるかもしれないが。そう考えていると、テオドールは大きくため息を吐いた。
「……上はともかく、お前のその下。この世界じゃ女が足を出すのは、男を誘う時しかねぇんだよ」
「えっ!?」
そういうの早く言ってほしい!慌てて隠そうとしている私に、テオドールは着ていたローブをこちらに投げ渡す。
「村ではそれ着とけ」
「テ、テオドール〜〜ありがとう〜!!!」
「おうおう、優しい俺に感謝しろよ」
朝食を食べた後、私はテオドールに借りたローブを羽織り森を歩く。魔法で村まで糸のようなものを伸ばしていたそうで、それを頼りに歩く。
「ねぇ、魔法が使えるなら、魔法でその場所まで行くこと出来ないの?私を空から助けてくれた時みたいに」
前を歩くテオドールに、私は気になった事を伝えた。彼は一瞬こちらを振り向いたが、すぐに目線を前にする。
「んな事したら、俺が魔法使いだってバレるだろ。俺ぁ国に縛られるのは御免だ」
「そっか、確かに魔法が使えるのは聖霊か、加護持ちだけだったもんね」
「だから今から向かう村でも、アンタは偶然知り合って、偶然仲良くなって、一緒に旅をする事になったって事で通す」
「それ難しくない……?」
そうこう言っている内に、目の前に丸太で出来た門が見え始めた。門の下には門番らしき村人の男性がおり、こちらに気づくと目を大きく開いた。
「テオドールさん!戻ってきたって事は、魔物は無事に狩れたんだな!」
「おう、ちゃんと素材も集めたぞ。村長を呼んでくれ」
「ああ、それは構わないが………その隣のお嬢ちゃんは誰だ?」
外見が10代になってから、嬢ちゃんだのお嬢ちゃんだの言われている事に眉を寄せる。だが今はそれで不機嫌になってられない。明らかに不思議そうに見ている門番を、どうにか誤魔化さなくては、私は口を開けようとしたが、その前にテオドールに肩を掴まれ体を寄せられる。一体何をしているのだと彼を見ると、美しい顔をさらに輝かせて笑っていた。
「この女は偶然森で出会って、んで体の相性がいいんで、一緒に旅をする事になったんだ」
「は!?」
私は思わず大声を出してテオドールを見る。ちょっと待て!さっきの「仲良くなって」って言うのはそういう意味だったのか!?このクソジジィ何て事言ってるんだ!?門番も気まずそうに顔を真っ赤にしてるじゃん!はっっっず!!!
そんな事を思っているのを知ってか知らずか、テオドールは美しい瞳をこちらに寄せて、後もう少しで口付けができそうな位までに持ってくる。
「んだよ、まだ足りなかったって?後でたっぷり可愛がってやるよ」
「ふっっっ!!!!…………………」
ふざけるな!!!と言いたかったが、それを何とか抑える。自分の顔がだんだん赤くなっていくのがわかる。くそう、昨日は手を握った時に顔を赤くするから、ピュアボーイ、いやピュアジジィだと思っていたのに、とんだ曲者だ。
「そっ、そうか!悪いなぁ聞いちゃって!さぁさぁ!中へ!」
門番は顔を赤くしながら門を開ける。私は隣で美しい笑顔を浮かべながら、口元を引き攣らせ笑いを堪えているテオドールを見て、一緒に旅をするのが本当に良かったのか心配になってきた。