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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

キミ色宝石に秘密のキスを

「可愛げがない」と殴られましても、人魚姫にはなれません

作者: タケミヤタツミ

「お前は本当に可愛げが無いな」


平手一撃の後、中等部の空き教室に言葉は冷たく落ちる。


夕暮れに伸びる影は長く、窓に背を向けている顔は逆光で非情な色に染まる。

国王ヴァーク・サイト七子の七、黒髪のヤコブ・サイト王子。

彼に打たれたばかりの頬を押さえて、対するは婚約者のラピス・ラズリ侯爵令嬢。

名の通り濃い青の長髪と涼やかな切れ長の目、一足先に夜空の色を持つ少女だった。


「こんなキツい顔の大女、俺の好みじゃない」

「成績良いからって優秀なつもりか」

「名前の通り石みたいな女だ」


次々に吐かれる暴言は刃物の鋭さ。

普通の令嬢なら泣き出してしまうであろう場面。


ところが、当のラピスはといえば痛みなどまるで感じていない。

涙どころか心に波風一つ立たず。

相変わらず平静を保つ目で王子を見下ろしながら。



夕方の方が雰囲気も出るからこの時間にわざわざ呼び出したんでしょうね、知っていますよ。


正直、先程から突っ込みどころが多過ぎる。

それとも笑うところなのか。

引き結んだ唇の中、密かに舌で言葉を転がしていた。



まず二次成長期は女子の方が早い。

ただでさえ発育がとても良いラピスは女性の中でも背が高くシャープで大人びた美貌を誇り、若干13歳にしてもう外見は立派な淑女であった。

現在ヤコブとは頭一つ分ほどの身長差。

同学年でも小さい彼の方は全力だったろうが目測を誤って指先しか当たらなかった上、咄嗟にラピスも首を動かして衝撃を逃がしたので何ともなし。


そもそも攻撃にはあと一歩のところで踏み込みが甘過ぎた。

ああ、惜しかったですね王子様。

もしくは爪が伸びていれば血の一滴でも流れたかもしれないのに。



名前にしても、確かに「ラピス」は石という言葉だが実はお互い様。

王子の姓の「サイト」も別の言語で石を意味するのだが、まさか忘れているのだろうか。

この国の貴族は姓名で鉱物を表すと決まっており、彼の名もヤコブス鉱から。

平民も姓が鉱物なので、国民全員そうである。


ラピスだって国一番の名門である王立ディアマン・ブラン学園に進学する筈だった、本来なら。

ピアノが好きなので、高名な講師が居るそちらでもっと学びたかったのに。

しかし王子が受験に落ちてしまったので釣り合いを取る為、滑り止めのエイゲート学園を共にした。

ここも貴族が集まる学校だが遊んでいても卒業できる三流なので大したライバルも居らず問題も易しい。

真面目に勉強していたラピスが試験で成績順位総合一位を取れたのは何ら不思議でなかった。


「悪口は自己紹介」とも言うもので、本人の気にしている事柄ほど他人に厳しくなる。

先程の暴言を翻訳すれば、身長、顔、成績とヤコブはコンプレックスだらけだからこそ虚勢を張るのだ。

これで素直だったり努力家だったりするなら好感も持てるものを。



「今ですね、お父様のご友人のモーツァル・タイト侯爵御一家が遠方からいらっしゃって我が家に滞在なさっているのです」


あれだけ先制攻撃したのだ。

口答えでなければ少しの後攻くらい許されるか。

今まで転がしていた言葉を丸呑みした後、ラピスは別の話を始めた。


「ファウス君と仰る7歳の息子さんがいらっしゃって、表情もご機嫌もくるくる変わってとても可愛らしいのですよ」

「何の話……」


訝しむヤコブに、ラピスは望み通り笑ってみせた。

それこそ竜胆の花のような可憐さで。


「癇癪起こして叩いてくるところ確かにヤコブ様は可愛いですね、ファウス君と同じことしてらっしゃって」



怒りで顔を染めたヤコブからもう一撃が飛んできたが、今度は喰らわない。

ならばラピスも反対の手を振り被り、全力で迎え撃つ。

中空で両者の掌がぶつかり合った。


「イエーイ!」


端なくラピスが腹の底から叫んでも誰も来やしない。

あなたこそ分かっていたから、ここに呼び出したのでしょう王子様?


別に、最初の一撃だって避けられなかった訳じゃないのだ。

もう体格は完全に大人なので今のところラピスの方が力も強かった。

傍から見れば単に強めのハイタッチで負けた形、ヤコブが思わず尻餅を付く。



「馬鹿にしやがって!」


最終的に泣いたのはヤコブの方だった。

王子ともあろうものが物語の三下みたいな台詞を吐かないで下さいな。


ご自分で仰ったのではないですか。

背が小さくて顔がいまいちで成績が悪くて叩かれたら泣くのが可愛いのでしょう?

それなら、涙目で見上げてくる今の貴方はとてもお可愛いですよ。


女子と喧嘩して負けました、なんて本当のことなどヤコブは誰にも言えないだろう。

何しろ告げ口したところで、せいぜいラピスの方が「手加減してあげなくては駄目」と笑われる程度で大事にはならないと知っていた。


昔からそうなのだ。

あちらが売って、こちらが受け流し、そうして何度揉めても子供の喧嘩で済まされる。


それにしても「可愛い」の言葉自体は馬鹿にしているつもりはなかったのだが。

「可愛げがない」と言われたので返してあげたのに。




「いえーい!」


しなやかなラピスの手に、紅葉の手が重なる。

帰宅後の挨拶は二人きりの時の秘密。

ラピスが床に膝を付けて同じ目線、白葡萄色の髪をしたファウスが笑う。


子供とはいえ両者共に侯爵家の人間。

これこそ大人に見られたら叱られそうなので、この程度でも「悪い遊び」になるか。



「こんどはなかよしよ」


次は握手の後、小さな手を軽く丸めて指先同士がキスする。


「らぴ様だいすき、はーと!」


長さの違う親指と人差指で、歪なハート形。

これは決してラピスが教えた訳ではなく幼いファウスなりの愛情表現。

そうして柔らかそうな笑窪の頬を緩めて笑い掛けられると、どうしようもなく胸が締め付けられる。


「らぴ様、なんでなくの?どっかいたい?」

「……大丈夫ですよ」


頭を撫でられて、平静で固められたラピスの仮面が外れる。


ああ、本当に可愛いとはこういうことだ。

この子を守らねば。

なんて、勝手に使命が芽生えてしまう。




ヤコブ王子が一人の令嬢と浮名を流したのは、それからしばらく後のことだった。


お相手はシレーナ・パール男爵令嬢。

豊かなクリーム色の髪を靡かせ、大きな瞳は青真珠、小柄同士でヤコブと並ぶとお似合い。

マベ・パール男爵の再婚により、最近平民から貴族籍になったばかり。


それから彼女に関する噂は、もう一つ。

「ラピス・ラズリ侯爵令嬢がシレーナ・パール男爵令嬢に嫉妬している」と。


「あらあら、私初めて聞きましたわ」

「ですよねぇ」


そう言ってラピスが口に手を当てると、友人達は俯いて肩を震わせた。

砕けた仲なので当然の反応。

あの不仲ぶりも知っていれば、嫉妬なんて言葉は笑いどころしかない。



そう、飽くまでもそれは「噂」であって「悪評」ではなかった。


噂の中にはシレーナの教科書を破かれただとか、靴に落書きされただとか根も葉もない物もあったが、彼女自身が泣いたところで何も起きず。

「あなたが可愛いから嫉妬しているのです」と穏やかに流される。


何というか、周りはあまり本気にしていない。

この学園はそういうところがある。


いじめが行われたとしても家柄によっては教師すら見て見ぬ振りの傾向、だから三流なのだ。

パール男爵家など爵位持ちとはいえ、その辺の成金平民よりも資産で負ける上にシレーナは元々平民。


ヤコブからは糾弾されることもあるが、子供の癇癪程度でしかないので大人の対応をすると最後には「もう良い!」とあちらから逃げ帰ってしまう。

ラピスも陰口は叩かれているのだろうが表立って何か言ってくるような生徒も居らず、噂を笑い飛ばす友人達も居るので別に環境は変わらない。

とはいえ、やっていないことを他人の話の種にされるのは大変気持ち悪かった。

優秀なラピスのことを逆恨みしていた生徒は前から居たことだし恐らく出処はその辺りか、或いは。



そんな時、放課後にラピスを呼び出す手紙が届いた。

このタイミングで怪しいにも程がある。


差出人はヤコブの名を騙っているが字の癖が違い、どう考えても罠。

その場で蹲って涙が出るほど笑ってしまった。

嫌な予感しかしないものの、つい怖いもの見たさで面白くなってしまい高鳴りが半分。



そこで取った手段、指定の場所には行くが姿は隠す。


件の教室には、隣の準備室と繫がる鍵付きの扉が一つ。

とはいえ薄くてガタガタ、光や音が漏れるほど微妙な隙間も開いてるので申し訳程度の板。

現在ほぼ使われておらず、扉どころか埃を被った準備室の存在自体を皆から忘れられている。

こっそり鍵を拝借して準備室から入ったラピスは、約束よりずっと前から来て扉越しに張り込み中。


故に、隙間からしっかりと見ていた。


呼び出し時刻よりも前に現れたのはシレーナ。

ここまでは予想の範囲内、何も驚かない。

そう、問題はそこから先。


シレーナが自分で頬を何度も殴り付け、ヤコブから貰ったという髪飾りを踏み砕いていた。

夕暮れが歪んだ笑みに影を落として、恐ろしさでラピスの方も乾いた笑いの形で表情が固まってしまう。


少し遅れてヤコブが現れると、一転して真珠の涙。

腫れた頬を押さえて彼の胸に泣き付いた。

ラピスに殴られて、大事な髪飾りまで壊されたと。



呆れのあまり頭痛がする。

要するに、今までの噂はシレーナ本人の仕業か。


学園で一番身分が高いのは王族のヤコブ。

彼自身か金か名誉かどれが目的なのかまでは分からないが、落とすには婚約者のラピスが邪魔。

その為に自作自演のいじめで悪評を立てようとしたものの、ヤコブが怒るのは狙い通りでも学園側が相手にしないのは誤算だったのだろう。

そこで業を煮やして、暴力を振るわれたと過激な虚偽にまで出たか。

ラピスが現れなかったので作戦失敗かと思いきや、このまま続行するつもりらしい。



「ああ、シレーナ……君の泣き顔はとても可愛いね」


慰めるヤコブに胸焼けがして、思わずラピスが口に手を当てた。

初めて聴いた彼の甘い声はこちらの方が恥ずかしさで居た堪れなくなる。

本当に馬鹿馬鹿しい。

企みも見届けたことだし、遅くなる前に帰らねば。


抱き合う二人を置いて足音を殺しながら立ち去ったので、ラピスは知らなかった。

この後、ここで一体何が起きたのかを。




「ラピス・ラズリ、お前との婚約は破棄だ!」


初めてこの件が大事になったのは翌日の話。


シレーナがラピスの所為で酷い大怪我を負ったと、公衆の面前でヤコブに怒鳴られた。

大怪我だなんて随分と大袈裟に膨らませたものだ。

自分で叩いて出来た傷なのに。

そして当人はショックで学園を休んでいると。


勿論冤罪ということは毅然と訴えたが、訳が分からないまま一方的に退学と婚約破棄。

この学園は結局のところ家柄次第、王族の一言は何より強い。



これは破滅と呼ぶべきなのか。

それとも、解放されたと喜ぶべきなのか。


事情は呑み込めない部分も大きいが、切り替えなければ時間が勿体ない。

周りの人間がラピスの無実を信じてくれたのは幸いだった。

ヤコブと人柄や不仲を知っていれば、尚更の話でもある。

実のところ両親など以前から心配しており、破棄になって安堵していたくらい。


「だったらね、らぴ様ぼくとけっこんすればいいでしょ?」

「そうですねぇ……それでは、成人してもファウス君の気が変わらなかったらお願いしますね」


ファウスからプロポーズを受けて、優雅に受け取っておいた。

両親もタイト侯爵夫妻も微笑ましさで笑い、お陰でその場が和んだのは有り難い。



退学になったところでエイゲート学園にあまり未練はなく、見方を変えれば本当に行きたい学校への編入のチャンスでもあった。

今度こそディアマン・ブラン学園という選択もあったが、卒業生の親族曰く「まるで軍隊のようだった」と重い溜息を吐いていたので辞退。

国内五大名門に数えられているサフィール総合芸術校の音楽科へ進み、貴族間の悪評の所為で腫れ物扱いではあったが残りの学生生活は大変気楽だった。

ピアノさえあれば何も要らない、一人で構わない。


調べたところ、どうやらシレーナが顔に大怪我を負ったこと自体は本当らしい。

ラピスが消えた後、ヤコブに付き添われ泣きながら大量の鼻血を流して医務室に運ばれたと聞く。


あれからヤコブの婚約者になり、男爵家を出て彼の別宅で昼も夜も傍に侍ることとなった。

しかし、以前ならお喋りで明るかった彼女はすっかり人が変わってしまったという。

いつも婚約者にしがみついて行動し、口を噤む姿はまるで地上に出てきた人魚姫のようだと。

その配役だと、ラピスは他国の王女様か。

人魚姫と正しく結ばれたならハッピーエンド、結構なことで。




ところで、こんな話を聞いたことはないだろうか。


涙が真珠に変わる人魚は強欲な人間に捕らわれると、あらゆる拷問をその身に受けて泣かされるという。


 


それから二年後、ラピスの冤罪は思わぬ形で晴らされた。

国を震撼させた大事件。

第三王子のヤコブが婚約者のシレーナ嬢殺害で投獄されたという。


致命傷は腹部の打撲による内臓損傷。


供述は「泣き顔が可愛かったから」と一言。

憎むどころか、愛していたと。


吐瀉物や血に塗れて冷たくなったシレーナに縋り付いてヤコブは号泣していたが、当の遺体は服で隠れる部分が傷や痣だらけで日常的に暴力を振るわれていた証拠。

特に真夏でも長靴下で包んでいた両足など、その下は「まるで赤い鱗に覆われたようだった」と司法解剖に当たった医者は語る。

日頃彼にしがみついていたのは痛みで歩けなかった所為。

そうして散々甚振って泣かせた後、欲情しては無理な性行為に及んでいたという残虐ぶり。


後にヤコブ・サイトは「真珠偏執狂」と呼ばれ、この国の犯罪史に名を残す。

恋人や夫婦間での暴行や強姦の罪が重くなるように法が見直される切っ掛けになった事件。



血生臭い結末を迎えた人魚姫の物語から途中退場してしまったラピスは、これからどう生きれば良いのだろうか。

少なくとも「他国の王女様」は完全な無関係ではいられない、不本意だろうと端役であろうと。


けれど、確かに生き残った。


背筋を伸ばし、筆を持ち、自分の物語を描いていかなければならない。

大丈夫、この足で歩いて行けるのだから。


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