本屋にて
渋谷で適当にラーメンを食べたあと、まっすぐ家に帰ろうと思ったが、正面にそこそこの大きさの本屋があったので、なんとなく入ってみた。入り口から全体的に本屋を眺めた。その時、この本屋の一体さえ一生のうちに読みきれないのだろうと考えると、堪らない気持ちになった。
私は生きる目的というのがよく分からないのだが、生きてるうちはできるだけ、本の世界の旅だけは続けたい。これはただの趣味であり、学を得たいという欲はそこまで大きくない。しかし寿命というこの世が作ったサイクル機能のせいでそれは叶わないであろう。じゃあ諦めて死のうというほど、この世で生きることに絶望しているわけでもなく、仮に絶望していたとしても自決するほどの度胸もない(これを度胸と呼んでいいのかは疑問ではあるが)。自分自身どういう風に過ごして良いかわからず、ただ茫然と目に入った本を手に取り、空想の世界へ旅にでる。
依存に近いほど空想への旅を繰り広げるが、これがこの世の冷たさへ背を向けたいがための現実逃避なのではないかと考えることがある。
自分の脳だけにできた、自分だけの世界。最新のグラフィックを使用したゲームも、恋愛スポットとして有名である山の上から眺める景色も、脳の中の世界には叶わない。
私はあまり人と深く関わるのを好まない。友人は少しはいるが、基本的には1人を好む。自分の頭の中だけで完結した世界の方が綺麗だからだ。勿論他人との関わりの中で新たな世界、哲学を知ることで、自分の脳の世界に更なる彩りを与えることもできるかもしれない。しかしそれを知ろうとすることは、私にとってはかなりの苦痛であり、大半の場合他人から得た新しい情報は、私の脳の世界を毒ガスで満たす。その毒ガスは実際の身体にも影響を及ぼして、常に不安や恐怖がぐるぐると頭の中を駆け巡り支配する。そうなってしまうと、私は仕事はおろか趣味や家事すらまともに行うことができなくなってしまう。
自分だけで作った美しい世界で生きることは幸せであるが、人と人とで助け合うこの社会においては、むしろこの居心地の良い世界は、生きていく上では足枷となってしまうような気もする。
しかし本に依存しているように、本以上に依存してしまっている自分の脳の世界の居心地の良さを知ってしまった以上、ここからは永久に、死してさえも抜け出せないように思うのだ。