その3
「お前、物を浮かす事しかできねーのかよ、ダッせえ」
「クソッ!」
しかし現実は違った。周囲が炎や氷など攻撃に使える魔法を覚えていく中で俺に出来たのは物を浮かすだけ。俺は選ばれた人間などではなかったのだ。
失意の俺に追い打ちをかけるように魔力値というシステムが俺の前に立ちはだかった。魔力値とは魔術師が体内に留めておける魔力の量をランク付けしたものでS~Eの間で格付けされる、一目でわかる強さの指標みたいなものだ。それで俺の魔力値は最低のEランクだった、そこから俺の地獄のような学園生活が始まった。
周囲がランクを上げていく中、俺はEランクから変わらない日々が続いた。授業では戦闘訓練に参加させてもらえず、いつもイジメの標的や笑い者にされた。
最初は努力した、体を鍛え魔力がない事を補おうともした。先生も周りもみんなより少し遅いだけだと励ましてくれた。それが侮蔑と嘲笑に変わったのはいつだったか正確には覚えていない。クラスメイトから足手まといと言われ、先生からは死にたくなければ前線に出るなと言われた。最初は悔しかった、周囲を見返してやりたかった、妹のホノカの入院費を稼ぐ為、努力もした、しかし物語の主人公のようにある日突然、力に覚醒する事なく時間だけが過ぎていった。
「神話獣のランクと魔術師のランクの関係について、佐藤説明してみろ」
今日も変わらず座学の授業が行われる。月日は経ち俺は高等部二年生になっていた。
「神話獣と魔術師のランクは共通でS~Eに分けられます」
「その通りだ、続きは暁、お前がやれ」
「へっ!?」
ヤバイ授業を適当に聞いていたから、何の話をしていたかわからないぞ、困っていると親友の佐藤翔太がページ数の書かれた紙を渡してくれた、ありがたい。
「えーランク基準にするとまずEランクは魔術なしで対処可能なレベルだが、滅多に現れない。Dランクは同じDランクの魔術師が一人で対処可能だが、数が多く注意が必要。CランクはDランクの神話獣を率いて現れる事が多く、Dランクの魔術師が複数人で対処する必要がある。BランクはCランクの魔術師が数十人集めて、やっと互角。Aランクは災害クラスで百人単位の魔術師が必要。Sランクは国家の存亡を懸けたレベルでここ数十年確認されていない」
俺の説明が終わると同時にチャイムが鳴る。
「ちょうどいいところだし、これで午前の授業を終わるぞー各自食事はきちんと摂るように。それと暁はちゃんと授業を聞くように」
俺が適当に聞いていた事はバレバレだったらしい、教室が笑いに包まれる。俺は笑われる事に慣れっこなので気にしない事にした。
教師はそう言って教室から出ていく。みな退屈な座学から解放され、学食や購買など思い思いの場所へ移動する。
「ハガネ! 早く学食に行こうぜ!」
後ろから声をかけられ振り向くと、この学園で唯一の友達でありルームメイトの翔太が居た。こいつの事を説明すると容姿は茶色の短髪に開いているのか怪しい糸目が特徴で顔立ちは悪くない。学年は俺と同じ高等部二年B組であり中等部二年生の頃からの付き合いである。性格は誰にでも優しく、曲がった事が嫌いという好青年だ。その為一部の女子から人気があり度々放課後に告白されているのを目撃した事がある。魔術師としての実力は魔力値Bランクと上位で身体強化の魔術と槍を使った戦闘が得意だ。周囲から空気のような扱いを受けている俺とは大違いである。
何故、俺みたいな生きた死人のような男が翔太みたいな相手と友達なのかと言うと二年生の頃、俺はイジメを受けていた。低い魔力のせいだと抵抗する事すら諦めていた俺を見かけた翔太はイジメを止めさせた。その後も何かと俺の事を気にかけてくれるいい奴だ。しかも哀れみなどではなく純粋に俺を心配してくれる呆れるほどの善人だ。
「何ぼさっとしているのさ! 早く行かないと席埋まっちゃうよ?」
「わかったから腕を引っ張るな、俺はそこまで怠惰じゃない」
俺は翔太と共に学食へと向かった。
基本この学園の学食や購買は無料だ。理由は日本を守る為の貴重な人材育成の為、国民の税金が使われているからだ。飯だけではなくこの学園内にいる限り金を使うという事はほとんど無い、それは生活に必要な物が学生証を提示すれば貰えるからである。学生証は他にもネットやメール機能など便利な機能がそなわっている。魔術師候補というのはそれほど優遇される存在なのだ。
この学園は一学年約百五十名前後、中等部から高等部まであるので全校生徒約千名が暮らすのがこの青龍学園であり、それが日本の魔術師候補生の内訳だ。一体どのくらいの金が使われているのか想像もできない。しかしそれほどの大金を投じるほど魔術師候補生は国にとって重要なのである。
神話獣との戦いが始まって約七十年、いまだ神話獣との戦いは続いている。一時期は絶滅寸前まで追い込まれた人類であるが魔術師達の力で地球の約半分ほどまで生活圏を取り戻す事に成功し人々の生活もだいぶ向上した、様々な料理を食べられるのがその証拠だ。
「ハガネは席を確保してきて、俺が料理を取ってくるから」
「わかった、料理は焼きそばを頼む」
「おっけー、それじゃあ行ってくる!」
俺は翔太と別れ、席の確保に向かう。幸い壁際の端っこにある席が空いていたのでそこに座れた。何分もしないうちに翔太が二人分の料理を運んでくる。翔太はカツ丼を選んだようだ。
「お待たせ、はい焼きそば」
「サンキュー、それじゃあ食べるか」
「うん」
そう言って俺達は手を合わせた。
「「いただきます」」
俺達はしばらく他愛のない話をしながら食事をした。あの先生の授業は退屈だとか、家族と連絡を取り合っているのか? など会話をしていると突然、複数の生徒がこちらに近づいて大きな声を出して言ってきた。
「おい! 無駄飯食らい、そこの席をどけろよ、俺達魔術師様の迷惑だ!」
顔を見ればクラスメイトのようだった、会話した事はほとんどないが。
「おい! 無駄飯食らいってハガネの事か?」
翔太が席を立ってクラスメイトを睨む。
「そうだ! ろくに魔術も使えないくせに学園に居座る奴を無駄飯食らいと言って何が悪いんだ?」
クラスメイト達が嘲笑しながらこちらを指差す。
「ハガネだって立派な魔術師だ! 訂正しろ!」
翔太は普段の優しい表情からは想像出来ないような形相で今にもクラスメイト達に飛びかかっていきそうだった。
「やめとけ翔太」
「でも!」
「イケメンはお優しいこった、こんな魔術師モドキにも手を差し伸べるなんてな! そんなに善人アピールがしたいのか?」
「この! 言わせておけば!」
「翔太!」
「騒がしいですわね、今は食事中だというのが分からないのかしら」
俺達が言い争っていると第三者の声が聞こえてきた。声のした方を振り向くとそこには数人の女生徒を周りに侍らせた風格漂う女生徒がいた。
その女生徒の姿は、髪が長く腰の辺りまで届いていて、サラサラとなびく姿はまさに大和撫子を思わせ、制服の上からでもわかるほどの巨乳を組んだ腕で支えて仁王立ちしていた。
「一年時の学年トーナメント一位、霧崎冬華」
「『氷界の魔女』(コキュートス)だ」
誰かそう呟いた。
霧崎冬華、俺達と同じ高等部二年。中等部から負けなしで去年行われた高等部一学期最終トーナメント戦において圧倒的な力で相手をねじ伏せ一位の地位を手に入れた生徒、その実力は学園全体でも上位に入ると言われている、まさに俺にとって雲の上のような存在だ。
「私から見ればどちらも魔術師を名乗るのもおこがましい連中ですわね」
霧崎冬華が再び口を開き、凛とした声が響く。その声に誰もが口を閉ざしてしまう。彼女の声はそれ程のプレッシャーを放っていたのである。
「チィッ! 行こうぜお前ら」
「お、おう」
クラスメイト達は霧崎冬華に怖気づいたのか、その場を去ってしまう。
「翔太、俺達も行こう」
「……わかった」
俺達もいたたまれなくなってその場を立ち去る。
何故だか俺は霧崎冬華のあの見下すような蔑んだ目が忘れられなかった。
「ハガネはどうしてあいつらに言い返さなかったのさ!」
昼食を済ませ人気のない場所に来ると翔太は突然、怒りを爆発させた。
「あいつらの言った事は正しいからな……」
俺は自嘲的に言う。実際、あいつらが言った魔術師モドキと言うのは的を射ている。本当なら俺なんかが人々の生活を守る魔術師を名乗るなんてできない。だからと言って妹の為にも魔術師を辞める訳にはいかない。
「ハガネは諦めるのが早すぎるよ、まるでイジメを受けていたあの頃みたいだ。俺はそんなハガネを見たくないな、どうせなら前みたいに前向きに努力してあいつらを見返そうよ!」
翔太は悲しそうに懇願してくる。翔太の言葉が痛いほど胸に突き刺さる。確かに一時期は体を鍛えたり、色々な武術を学んだりしたが結局、魔力の差と言う壁で止まったのだ。俺の魔術じゃまんぞくに攻撃も防御もできないからだ。
「無理だよ、魔力がない俺なんかじゃ」
だから俺は魔力がない事を言い訳に逃げるしか出来なかった。
「ハガネ……」
翔太が悲しそうにこちらを見つめてくる。しばらく重い空気が俺達を包むが午後の授業を知らせるチャイムが鳴り、翔太が無理やり明るい声を出して言った。
「そろそろ教室に戻らないとね、行こうか」
「そうだな」
俺達は若干重たい空気を引きずりながら教室に向かって歩きだした。
「突然だが午後の授業は中止だ、国から緊急の依頼が入った」
教卓の前で担任の教師がそう告げ、多少教室がざわついたがすぐに落ち着いた。魔術師は慢性的な人手不足であり、候補生が実戦に駆り出される事も少なくないからだ。
続けて担任が依頼の説明に入る。
「今回は二年生全員参加の大掛かりな作戦だ、内容は農業プラント周辺に現れた神話獣の殲滅だ」
「あの現役の魔術師達はどうしたんですか?」
誰かがみんな思っている疑問を口にした。
「現在、戦闘可能な魔術師は最近、確認された神話獣の巣攻略作戦の為、動かせない」
周囲から不安そうな声があがる。すると担任はみんなを安心させるようにこう付け足した。
「心配するな、今回確認された、神話獣は下級のものばかりで小規模だと聞いている。普段から訓練している諸君なら、神話獣と遭遇しても十分対処可能だろう」
周囲から安堵する声が漏れる。
「続けてチーム分けに入る、A班は……」
担任が次々と名前を告げていく。俺は後方で住民の避難誘導を担当する班。翔太は最前線の班で戦うようだ。
「最後に作戦開始はこの後すぐ、各自準備を怠るなよ!」
「「「はい!」」」
俺達は元気に返事すると慌ただしく教室を出て行った。
二年生はそれぞれ武器の点検や傷薬や魔法薬の補充などの準備に追われ、学園全体が騒々しくなった。そんな中俺達といえば、寮の自室で待機していた。
俺は久々に自分の武器である木製の杖を点検していた。魔力が低く危険な為、俺は戦闘実習に参加出来なかったから、部屋の隅にほったらかしにしていた杖に不備がないかチェックしていたのである。
隣では翔太が愛用の槍を手入れしており、しばらく静かな時間が過ぎた。
「これでよしっと、ハガネは準備できた?」
準備ができた翔太が立ち上がりこちらに聞いてくる
「ああ俺は大丈夫だ」
俺はそう返事して杖を持って立ち上がる。
「それじゃあ集合場所に行こうか」
「そうだな」
俺達は部屋から出て集合場所に向かった。
集合場所に着くとそこは張り詰めた空気に包まれていた。周辺には多数の輸送用トラックが並んでいた。
他には仲が悪い者同士がチームになり怒鳴りあう生徒とそれを止めようとする生徒達。恋人の安全を祈って抱きしめ合う生徒などがいた。
「俺のトラックはこっち側だな」
「それじゃあハガネ、気をつけて」
「俺よりも翔太の方が危ないだろ、俺は安全な後方にいるから大丈夫だよ」
「そうやって油断してると取り返しのつかない事になるよ」
「わかったから、お互い無事に帰ってこような」
「ああ、じゃあ俺はこっちだから」
俺は周囲にもみくちゃにされながら、気をつけながら進みなんとか目的地に到着する。そこには既にチームメンバーが揃っており荷台で待機していた。メンバーは俺を含め十人、幸いな事に俺を毛嫌いする奴らは見当たらない、まあだからといって特別、仲がいいわけでもないが。
「それじゃあ全員揃った事だし作戦会議を始めよう」
メンバーの一人がそう言って荷台の中心にみんな集まる。そこで移動にかかる時間の確認、他のチームの位置、神話獣が出た場合の対処法などを話し合った。
そして作戦開始の時間が来て、トラックが次々と移動を開始し始めた。
作戦開始から一時間後、俺達を乗せたトラックは何事もなく目的地に到着する。
通常ならば魔術師は神話獣との戦闘に備えバリアジャケットと呼ばれる装備を発動させるのだが、俺達は制服姿のままで作業を開始した。
バリアジャケットそれは魔力で作りだした一種の防護服であり、形は人の心身によって変化しほとんどの場合、体に装着する場合が一般的だ。親友の翔太の場合は胴や腕、足など要所を守るように配置された鎧姿である。槍を構えた姿はまさに中世の騎士という装いだ。
俺達が何故バリアジャケットを発動させていないかと言われれば、発動したらすぐ魔力がなくなる落ちこぼれだからだ。
「押さないで! ゆっくり移動してください! 避難用のトラックは十分ありますから!」
俺達は付近の住民の避難誘導を開始した。
避難は子供や老人から優先して避難させるのだが、親と離れる事を嫌がった子供が泣いたり、避難を拒否した老人など、トラブルがあり予定通りに進まない。
「それにしてもこんな大掛かりな作戦を発動する必要があったのか?」
襲撃もなく安心しきったところで誰かが言った。
「そうだよな二年全員参加と聞いたから、頑張って準備したのに無駄になりそうだぜ」
「神話獣の規模は小さいのに今回は大袈裟すぎよねー」
みんな口々に今回の任務は簡単だとか、楽勝と言い始めた。このままいけば後、一時間ほどで任務終了からか全体的にだらけた雰囲気が漂う。
「みんな気を抜きすぎだ、勝って兜の緒を締めよって言葉を思いだせよ」
「暁は心配性だな」
「大丈夫だって、もう戦闘の音が聞こえなくなってきたから、もうすぐ終わりだよ」
確かに遠方からの爆音や閃光が少なくなってきた。
「だから心配ないって、俺達みたいな落ちこぼれじゃない、魔力が高いエリート様がもうすぐ全部片づけてくれるって、ん? 地震か? 今、地面が揺れた気がしたが」
「言われてみれば確かにでも、これって戦闘の余波じゃないの?」
言葉とは裏腹に地震は大きくなっていった。
「おい、なんかヤバイ気がする、早く避難誘導を終わらせようぜ!」
誰かがそう言った直後、地面が爆ぜてミミズのような神話獣が現れる。
「て、敵襲!」
誰かが強張った声でそう叫ぶ、それが命を懸けた戦闘開始の合図となった。
「クソッ! バリアジャケット発動!」
空気が一気に変わる。全員がいつでも戦えるように武器を構え魔術を行使できる体制になる。俺も万が一に備えて黒いロングコート型のバリアジャケットを発動する。
その直後、ミミズが作った穴からDランク、アリ型の神話獣ジャイアントアントが多数出てくる。
「だ、誰か救援を呼べ! 俺達が敵う相手じゃない!」
ここにいるのは俺を含め、ろくに戦闘訓練を受けていない連中ばかりだ、なので撤退は妥当な判断だと思える。
「クソッ!」
俺達はそれぞれ近くに停めてあったトラック慌てて乗り込む。
「早く出せ!」
「り、了解!」
怒鳴るように叫ぶとトラックは猛発進した。
「嘘だろ! おい!」
「な、なんだ!?」
味方が狼狽えた声を出すと同時に上から鎌のような物体が突き出てきた。
「上に何かいるぞ!」
鎌はまるで缶詰を開けるように穴を大きくしていく。
「ギチチチ」
穴から顔を出したのは真っ赤な複眼に鎌のような腕をした巨大なカマキリの神話獣、Bランク神話獣のキリングマンティスだった。キリングマンティスはひと噛みで人間の頭を潰せそうな顎からガラスを爪でひっかいたような不快な音と唾液を垂らしながらこちらの様子をうかがっているようだった。
「こ、攻撃だ! とにかく攻撃しろ!」
鎌に怯えていた仲間達は勇気を出すために大声で叫びながら攻撃姿勢をとった。みんなの攻撃がキリングマンティスに集中する、しかしキリングマンティスは防御用魔方陣を発動し、こちらの攻撃を防ぐ。
「く、クソッ! 話が違うじゃねえか!」
「なんでこんな強力な神話獣が現れるんだ!」
「今はとにかく攻撃に集中しろ!」
みんなが必死に攻撃をする中、俺は茫然と見ている事しか出来なかった。
みんなと同じく少しでも攻撃しなくちゃいけないのに体が恐怖で動かない。動け、動け、このままでは本当に役立たずになってしまう。
「このままじゃ駄目だ! 奴を振り落とすぞ! みんな何かに掴まれ!」
運転席から声が聞こえ、トラック大きく揺れる。
「クソッ!」
キリングマンティスを上から振り落とす事には成功したが、トラックの後方に鎌を突き立ててトラックの動きを止めてくる。さらに不幸な事にトラックの重心が後ろによった事でトラックが斜めに傾き民間人の夫婦が後ろに投げ出される、不幸中の幸いは投げ出された夫婦はキリングマンティスの鎌を避けて地面に落ちた事だろうか。
「暁!?」
トラックから投げ出された夫婦を追って地面に着地する。その直後に大きな影がこちらに向かってくる、危険を感じた俺は横に転がった、そのすぐ後に鎌が俺のいた場所を抉る。
「ギチチチ」
「クソッ!」
俺は立ち上がって目の前の神話獣、キリングマンティスを見上げる。月夜に照らし出されたその姿はまさに死神そのもの、四メートル以上はある巨体に人間サイズの鎌、闇夜に光る赤い瞳がこちらを殺意のこもった視線で見つめてくる。どうやら奴は確実に殺せる俺と夫婦達に狙いを定めたようだ。
この状況で援軍は期待出来ない、トラックはすでに走り去ってしまった。どうする? 俺は頭の中で必死に考える、味方の一斉攻撃に耐える防御力にこちらの防御を貫通する魔術と鎌。さらにこちらには無力な一般人が二名、底辺の俺が勝てるわけがない。
「おい! あんたら走れるな? とにかくこいつから逃げるぞ」
そう判断した俺は逃げる事を選択してキリングマンティスを視界に収めながら夫婦と一緒に走る。するとキリングマンティスは巨体に似合わない速さで接近してきた。
「ちっ!」
「「うわっ!?」」
俺は魔術で夫婦を浮かせ横の林に投げる。俺は囮になるべく速度を落としキリングマンティスと対峙する。キリングマンティスの鎌が振り下ろされる、回避に成功するがここで誤算が生じる。振り下ろされた鎌が土煙を起こして視界が塞がる。そして一瞬動きが止まる、直後左肩に激痛。
「“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ!?」
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、左肩を恐る恐る見る、ない、なくなっている。左肩から先がなくなって血が勢いよく吹き出している。そして地面には俺の腕が転がっている。嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、認めたくない。こんなのあり得ない。
「ギチチチ」
キリングマンティスは俺のなくなった腕を強靭な顎で食っている。
現実逃避している場合じゃない。奴が食事に夢中の間に逃げないと。さっきの攻撃でバリアジャケットは消えている、今動かないと殺される。俺は無様に地面を這いずり、背を向けて逃げる。
しかしキリングマンティスはこちらを見逃してくれない。奴は俺を飛び越えて回り込む、その衝撃で石が飛んでくる。
「うああああああ!?」
ちくしょう! 神様、いったい俺がなにをしたというのだろうか? ただ魔術師に憧れ戦おうとしたのがそんなに罪なのか? こんな理不尽許されるのだろうか? 自分の過去を思い出して、いい事なんてほとんどなかったことに涙が出そうだ。俺は自分の運命を呪わずにはいられなかった。
「ギチチチ」
キリングマンティスの鎌が振り上がる、俺は痛みに震え死を覚悟して目を閉じる。しかし死の瞬間はいつまでたっても訪れなかった。
「無様ですわね」
血生臭い戦場に不釣り合いな凛とした声が響く。声のした方を向くとそこには、白を基調とし、闇夜でも輝く白銀色の籠手に脚甲、胸当てにスカート状の鎧を着けた女生徒が巨大で宝石などで派手な装飾が施された両手剣を華奢な腕で構えて立っていた。
「霧崎……冬華……」
俺は絞り出すようにその女生徒の名を口にする。
「ギチチチ」
キリングマンティスが霧崎冬華の方を向く。
「味方が襲われていると聞いて飛んで来てみたら、こんな雑魚相手に死にかけた生徒が一人、民間人を置いて逃げようだなんて笑えない冗談ですわね」
「ギチチチ!」
キリングマンティスが鎌を振り上げ霧崎冬華に襲いかかる。
「甘い!」
霧崎冬華はキリングマンティスの攻撃を両手剣で簡単に受け止める。
「アイシクルブレイド!」
霧崎冬華の声を受け両手剣の宝石が輝きだす。すると剣の周りに氷が集まって巨大な刃になる。
「ギチチチ!」
キリングマンティスは野生の本能か逃走しようと後ろに後退する。
「遅い!」
霧崎冬華は剣を振り、逃走するキリングマンティスを追いかけ、縦に剣を一閃。俺達が傷一つつけられなかった防御魔法を簡単に切り裂きキリングマンティスを一撃で仕留める。文字通り俺なんかとレベルが違う。
そして静寂が訪れる。残ったのは死にかけの俺と林で息を殺し隠れる民間人に無傷の霧崎冬華、そしてキリングマンティスの死体。
霧崎冬華が振り向いてこちらに近づいてくる。
「今、傷口を凍らせて止血します、このまま死なれては困りますから」
そう言うと霧崎冬華は腕を傷口にかざし凍らせて止血を行う。もはや感覚が麻痺したのか何も感じなかった。
「ありが……」
「お礼なら結構ですわ」
俺が礼を言おうとするのを遮って、冷たい眼差しでこちらを見る。
「それよりもあなた、守るべき民間人を置いて一人で逃げようなんて、魔術師としてのプライドはないのかしら? 魔術師なら死んでも民間人の盾になるくらいしなさい! それが魔力を持った者の宿命ですわよ。まあその怪我ではもう戦場で会う事もないでしょうけど」
霧崎冬華の言葉が俺の胸に突き刺さる。あいつの言う通りだ、俺は周りの事を考えず自分の命大切さに民間人を置いて逃げようとしたのだ。そしてこのザマだ、なんと自分は情けないのだろう。
「後少しで救援が到着するみたいですわね、私は周囲に討ち漏らしがないか確認してきますわ。これ以上味方の迷惑になりたくなければ、あなたはそこでじっとしていなさい」
霧崎冬華は耳に着けた通信装置でどこかとやりとりをした後、そう言ってこの場を去っていった。
「あの、学生さんが私達を庇ってくれた事は感謝していますから……」
その言葉だけが唯一の救いだった。
この後、俺は霧崎冬華の冷たく見下した目が忘れられずにいた。ああいう奴らを見返す為に魔術師でいたのに結果は取り返しのつかない怪我を負っただけだった。俺にも魔力があれば、戦う力があれば結果は違ったのかもしれない。神様あんたはなんで俺にこんな中途半端な力を授けたんだ。魔力がなければ夢を見ずに守られるだけでよかった、魔力がもっとあれば人類の為に戦えた。俺はどこにいるのかもわからない神様の不平等差を呪った。