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 十四歳の時に、私たちは婚約した。

 私の両親は祝福してくれたけれど、アルファルドのご両親は渋面だった。


 私より家柄の良いお嬢さんと息子とを結婚させたい、と考えていたらしい。

 けれどアルファルドは、私以外とは絶対に結婚しない、と両親に告げ、最終的には、渋々ながらも婚約を認めてもらうことができた。


「やっと君と結婚できるんだな」


 婚約したばかりなのに、もう結婚の話をするアルファルドの気の早さに、私は声を立てて笑う。


 きっと、その時が、私たちの最も幸せな時間だったに違いない。





 それからしばらく経ったある日。


 後から考えれてみれば、私とアルファルドの転機は、ここで訪れたのだろう。


 私の屋敷の近くにある庭園。そこが私たちが、よく逢瀬に使っていた場所だった。当家の私有地なので、何に憚ることもない。

 いつもの木陰のベンチに腰掛け、彼が来るのを待ちながら、本を読む。何ということもない日常のはずだった。


 かさり、と茂みから葉擦れの音がした。


 ここは小動物も住んでいる自然豊かな場所だ。リスでもいるのかしら? と思い、音のした方に目を向ける。


 そして……息を呑む。


 茂みの影から現れたのは、黒ずくめの男だった。その格好だけでも、静かな庭園の雰囲気にそぐわないのだが、それ以上に異様なものがあった。


 その手に持った何かが、太陽の光を鈍く反射する。


(刃物……!?)


 私はベンチから立ち上がる。抵抗の手段など持つはずもない私の選択肢は、逃げることだけだ。

 私に気づかれたことを知った男が、追ってくる。

 必死に逃げても、女の足だ。あっという間に距離を詰められる。そして……刃物を持った男の手が薙ぐ。


「……っ!」


 咄嗟に庇った腕に、熱い痛みが走る。斬られた、と感じると同時に、


「マリアンヌ!」


 アルファルドの切羽詰まった声が聞こえてきた。

 駆け寄ってきたアルファルドは私を背に庇うと、帯刀していた剣を構える。すると曲者は、身を翻して逃げて行った。


「マリアンヌ、大丈夫か!」


 アルファルドの声を聞いて、そして脅威が去ったことに安心した私の足から力が抜ける。倒れ込みそうになるのを、咄嗟にアルファルドが支えてくれた。

 切羽詰まったアルファルドの声に、私は微笑む。


「大丈夫。アルファルドが来てくれたから」


 しかしアルファルドの表情は強張ったままだ。彼は、斬られた私の腕に応急処置を施す。斬られた腕は熱を帯びていて、それが少しずつ全身に広がっていく。


「早く家に戻って、医者に診てもらったほうがいい」


 そう言って、アルファルドは私を抱き上げる。

 その腕の中で、張り詰めていた緊張の糸が切れた私の意識は、深い闇の淵に落ちて行った。

 その、おぼろげな意識の中、


「どうして、こんな……」


と呟くアルファルドの震えた声が、微かに響いていた。





 家に運び込まれた私は、二日間ほど熱を出して寝込んでいたらしい。その間の記憶はほとんどない。

 目が覚めると、熱も落ち着き、体も動かせるようになった。斬られた腕は、まだ痛むけれど、十分に我慢できる程度だった。


 目が覚めるとすぐに、アルファルドが大きな花束と果物を持ってお見舞いに来てくれた。


「怪我はどうだい?」

「あ、見た目ほどは大したことないみたい。アルファルドのおかげね」


 本当に、アルファルドが来てくれるのが、もう少し遅ければ、どうなっていたか分からない。感謝の言葉を伝える。

 けれど、アルファルドの表情は曇ったままだ。

 少しでも彼を安心させたい。そう思いながら、私はアルファルドの頬に手を添える。


「本当に、大丈夫なのよ。そんなに心配しないで」


 触れて、はじめて分かった。アルファルドの体が震えている。瞳が、不安に揺れている。私は、そんな彼の唇に、そっと自分の唇を押し当てた。

 口づけはほんの数秒。離れると同時に、ぎゅっと抱きすくめられた。


「君が無事で……良かった」


 絞り出すような声で、続いた。


「君さえ無事なら……それだけでいい」


 抱き締められた背中を、抱き締め返す。強く強く、互いの熱をその身に刻み込むように。





 その日から、アルファルドは何か考え込むことが多くなった。話しかけても上の空で、次第に逢瀬の機会も少なくなって行った。


 会いたい、と思っても、


「今、少し忙しくて無理だ」


と、やんわり断られる。たまに会えても、会話は上の空で弾まない。


 何故だろう、アルファルドとの距離が遠くなった、そんな気がした。


 ただ、当時、アルファルドの家ーースコット家に対する黒い噂が密やかに流れ始めていて、彼はきっと、その処理に追われているのだろうと、自分に言い聞かせていた。


 けれど、次第に私たちの間に暗雲が立ち込める。

 アルファルドが、他の女性と懇意にしていると、そんな噂が人の口の端に登るようになったのだ。


 アルファルドに限って、そんなことがあるはずない。


 私は、アルファルドを信じたかった。けれど、噂の内容はとても具体的で、一度生まれてしまった不安は、胸に巣食い、じわじわと全身を冒す。


 やがて、その瞬間が訪れた。


 それが、ベルトーネ家の夜会の席だ。

 ……思えば私をエスコートするアルファルドの表情は、いつも以上に硬かった。


「マリアンヌ。君とはお別れだ」


 そうして私は、長年連れ添った初恋の婚約者を失った。

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