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一枚上手な藍川さん  作者: アカイノ
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今を生きる者よ

 あらためて式を書いてみよう。


[記憶力が高い人=ほとんどを忘れている人]


 岡部くんはこの中の『ほとんど』という部分が案外重要かもしれないと言った。

『ほとんど』ということは『全て』ではないと言った。

『全て』を忘れているわけではないと言った。

 それはつまり、何かは覚えていることを示唆していた。

 

 僕は岡部君と別れた後、そのまま自宅に直行して、自室にこもり、あらためて考える。

 岡部君は、案外、なんて遠慮がちに言ったが、実際この『ほとんど』という副詞こそがこの式を成り立たせている背骨のように僕は感じた。


 そうだ。

 記憶力が高い人とは忘れている人ではない。

 ほとんどを忘れている人なのだ。

 

 僕は字面がなんとなく似ていることからなのか、ほとんど忘れている=忘れている人、であるとどこか無意識的に思っていた。これが正しいという前提で思考を進めていた。


 しかし違った。

 ほとんど忘れている人と忘れている人は似ているどころか全く違うと言っても良い。それこそ≠で結べるくらいの。

 寧ろほとんど忘れている人はこのように言い換えることができるのではないか?

 

 大切なことを覚えている人。


 僕らの脳の中には、忘れてもいい記憶がたくさんある。

 例えば昨日電車に変なおじさんが乗ってきたとか。

 今朝は目玉焼きを2つ食べたとか。

 富田くんが最近2キロほど太ったらしいとか。

 

 そのような忘れてもいい記憶、端的に言えばどうでもいい記憶がたくさんあって、もちろんそれら記憶単体で見ればそれがどうでもいいものことはわかるのだけど、そんなどうでもいいものの中に紛れてしまっている大切なことを、大切な記憶を、忘れないでいることは、覚えていることは、難しい。

 

 大切なことを覚えている。


 それは当たり前のことのようで、きっと案外できていないことなのだろう。できてないからこそ、人は記憶力を高い人を羨む。


 岡部君はトラウマを抱えていると言った。

 忘れたくても忘れられない記憶があるといった。

 それはつまり、岡部君の脳内がより普通の人に比べてより大きなノイズに包まれていることを指しているのだろう。

 忘れてもいい記憶加えて、トラウマという忘れたい記憶まで入り込んできた脳内。その中で大切なことを覚えているというのはどれほど大変なことなのだろうか。

 

 大切なことを覚えている。

 他は別に忘れていい。

 ほとんどは忘れていい。

 ほとんどを忘れている。


「ほとんどのことを忘れている人」

 僕が記憶力の高い人について尋ねたとき、藍川さんはこう答えた。そしてその後に彼女が言った大切なこと思い出した。


「知識っていうのは優越感に浸るためにあるものじゃない」


 優越感に浸るための質問を多くの者にしていたあの時、僕はまさしく大切なことを忘れてしまっていたのだろう。知識の正しい使い方を忘れてしまっていたのであろう。間違った使い方を思いだしていたのであろう。そんな使い方は忘れることができるなら忘れてしまった方がよい。



――――――――――――――――――――――――



 次の日。

 僕は藍川さんの元に向かい、記憶力の高い人に関する自分なりの結論を話した。記憶力の高い人はほとんどを忘れている人であり、大切なことを覚えている人であると。


 藍川さんは

「ふーん、そうか」

と肯定とも否定ともとれない返答をする。初めは知識を優越感のために使った僕にまだ怒っているのかとも思ったが、そんなことこそ藍川さんとっては大切なことでもなんでもなく、というよりも、なんだか僕の話よりも気になることがあるかのようだ。


 経験上、藍川さんがこうなっているときは大抵お腹すいているときだ。僕は事前に準備しておいたお菓子の袋を藍川さん渡す。袋の中身はミックスナッツだ。


「私をお菓子で釣ろうなんざ、よくわかっているじゃないか」

 

 カシューナッツとアーモンドとクルミが混ざった、テンプレートなミックスナッツ。

 ちなみに藍川さんが好きなのはミックスナッツの中のアーモンドだ。

 ただのアーモンドじゃなく、ミックスナッツの中のアーモンドであるのが大切らしい。


「大切なことを覚えている人ね。だけど、大切なことってどうやったらそれが大切だってわかるんだ?」


 藍川さんはアーモンドをバリバリと噛み砕きながらそう疑問を呈する。

 その疑問に関する解答を僕は持ち合わせていなかった。実はその疑問に関しては僕も気付いてはいたものの、それに関しては考えてもわからなかった。

 大切なものを大切と認識するにはどうすればいいのか。そこまではわからなかった。

 


 僕が答えられずにいると藍川さんは、

「この袋の中に詰まっているのは私たちの記憶の源だとする」

 と僕が渡したミックスナッツの袋をガサガサと揺らしながらそう言った。


「この中にはクルミが入っていて、カシューナッツが入っていて、だけど、その中にあるアーモンドを選び出さないといけない。大切を選ばないといけない」


 そんなアーモンド贔屓の例え話をする。僕はどちらかというとナッツ派なので共感はしづらかったが、藍川さんが言わんとすることは何となく分かる。


「だけど現実はより複雑だ。現実の中身はミックスナッツより多種多様だし、大切なものはアーモンドのようにわかりやすい形をしていない。それに人によっても違う。私はアーモンドが大切だが、お前の場合はナッツが大切だし、もちろんクルミが大切な人もいる」


 大切は多種多様で。

 大切はわかりずらくて。

 大切は人によって異なる。


 これほど複雑ならば、やはり、大切なんてわからないのではないか?大切を分かる方法なんてないのではないか?


 そう問うてみると、藍川さんは、


「何を言っているんだ?方法に関しては常に明白だろ」


 そう言うと、藍川さんは袋の中に手を突っ込み、ミックスナッツを手の中一杯に握った。アーモンドもナッツもクルミも関係なく、大切も大切じゃないも関係なく、握りしめた。


「今を存分に味わうことさ」


 そう言うと、大口を開けて、手の中のミックスナッツを一口で頬張った。ハムスターのように口を膨らませ、僕の目線など全くと言ってよいほど気にせず、バリバリと大きな音をたてながら、本当に美味しそうに食べた。


 なんだかんだで、それが一番大切なことなのではないかと思った。

 それを覚えておこうと、思った。

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