先手
3人は二階の部屋に逃げ込み鍵をかける。
「お……おいなんだよあれ!? これからどうするんだよ!?」
慌てた様子で楽に声をかける涼に、楽は状況にそぐわぬ落ち着いた様子で、
「お前馬鹿だな、今話してる時間あると思うか? いいからさっさと出ろよ」
楽は部屋の窓を開け、隣の家の屋根に飛び移れと指で合図をしている。
「いや逃げろっておま――」
言い掛けた時、涼の前を通りすぎる苗が、言葉もなく、軽く隣の屋根に飛び移って見せた。
そして屋根の上でこちらに振り返り、今がどんな状況なのかを忘れさせるような涼げな顔で苗は、
「さ、涼君、早く飛ばないとあの人上って来ちゃうよ?」
苗の表情を見た涼の答えは決まった。そして涼は階段を駆け上がる音に背中を押される様に屋根に飛び移り、残された楽に手を差し伸べる。
差し伸べられた手を通り過ぎる様に、華麗に涼の横に着地を決めた楽は、苗と涼を一瞥し言った。
「俺は行かない。苗、例の場所で2日以内に俺が来なけりゃお前の好きにしろ」
「お前行かないってつかま――」
「涼君、あの人達に聞こえちゃうから騒がないで。大丈夫、ララちゃんはちゃんと考えてるから」
「でも――」
涼の言葉を遮る様にして楽は涼の肩に手を乗せ、
「涼……お前うるせぇ! いいから逃げるんだよ!!」
俺達はここだ。と言わんばかりの大声で楽は涼に言葉をぶつけた。そして最後に小声でつぶやいた。
「俺は後手には回らない」
楽の表情は、相変わらず現在の状況に全くそぐわないが、先程とは違い、まるで新しい玩具を与えられた子供の様だった。
その表情を見て説得が無意味だと悟った涼は、諦めた様な顔で楽に最後の質問をする。
「っ……はぁ……わかったよ、考えがあるんだよな?」
「うるせー屋根から落ちて死ね」
楽はいつも通りの軽口を叩く。
「後で絶対説明してもらうからな!」
涼の言葉を無視し、楽は、飛び移った屋根から、更に自分の家の屋根に飛び移る。
その直後、楽の部屋の扉が蹴破られ、謎の男と屋根の上の2人の目が合う。
苗が涼の手を引き、隣、そして更に隣と、男から逃げる様に屋根から屋根に飛び移る。謎の男も銃を腰に仕舞うと、屋根に飛び移り2人の後を追う。
そして楽は屋根の上でその様子を静観し口角を上げた。
楽の落ち着き様を見れば、一連の出来事を予想していたかの様な行動に見えるが、それは間違っている。
楽からすれば、今回の出来事は完全に予想外だった。
いずれ自分が危険な目に合うという想定していたが、その日が来るのが早すぎた。
つまり楽は、予想外の事が起きた上でこの落ち着き様なのだ。
――――――――――――
「な、なあ、瀬名……瀬名!! いつまで逃げるんだよ!?」
楽と別れた涼と苗は、その後30分程走り続けていた。
「ん? ごめんね、少し疲れちゃった?」
全力疾走では無いと言っても、自分達の命を狙う者が追いかけて来る中、息を切らす様子も無く、いつも通りの涼しい顔している苗。
「い、いや体力的には大丈夫なんだけどさ、そろそろ巻いたんじゃないか?」
「んー……そうだね! じゃあ沙也加ちゃんの家に行こうか!」
「沙也加? 沙也加ってうちのクラスの山口沙也加の事か!? あいつが関係してるのかよ!?」
「まぁ、そういう訳じゃあ無いんだけど、この辺だと沙也加ちゃんの家が1番近いし」
「匿って貰うって事か?」
「うーん、まぁそんな感じかな?」
いまいち曖昧な返事をする苗だが、状況的にも誰かに匿って貰うという判断に反対する理由は涼にも無かった。
そして、苗の後をついて行くと、それから五分くらい走った辺りの一軒家の前で立ち止まった。
表札には山口、苗がその家のインターホンを鳴らす。
「あ、ごめん涼君、携帯貸してくれる? 屋根に飛び移る時に落としちゃったみたい」
「え? 携帯? 警察に電話するのか?」
「うん、それから沙也加ちゃんを怖がらせたくないから、現状の説明は警察が来るまでしないでくれないかな?」
「ああ、勿論それは構わないけど、警察だったら俺が電話するけど」
涼の言葉に苗は首を横に振った。
「うん、でも涼君は状況が分かっていないよね? 警察の人には状況を説明しなきゃいけないから、私が沙也加ちゃんにお手洗いを借りて、そこで電話するから」
「そ、そうか、俺には何だか分からないけど、瀬名と楽は何か知ってるんだよな?」
「そうだね、涼君にも後でちゃんと説明するね」
それに涼が頷き携帯を渡すと、丁度くらいのタイミングで山口家の扉が開いた。
「あれ? 苗ちゃん? と……片山君!? なになに? 2人で家に来るなんて、何かあったの? もしかして付き合ったの!?」
2人を見てすぐさま下世話な勘ぐりを始めたこの女が、クラスメートの山口沙也加だ。
「うん、2人の事で沙也加ちゃんに話したい事があってさ……少しお邪魔しても良いかな? もし迷惑だったら――」
「え、やだやだ! 迷惑なんてそんな筈無いじゃん! 私、苗ちゃんの事親友だと思ってるし!」
息をする様に嘘を吐く苗を見て涼が感じたのは、苗の異様さに対する恐怖だった。
自分はこれでいいのか? 苗の行動をこのまま静観していて問題は無いのだろうか? 涼は一考するが、この状況下で結論を出すのは尚早と判断し、もう暫く様子を見る事にする。
「さ、上がって上がって!」
「あ、沙也加ちゃんお手洗い貸してもらいたいんだけど」
「トイレ? トイレはそこの扉だよ! じゃあ、私と片山君は部屋に行ってるね! 二階上がってすぐの所だから!」
そして涼は沙也加の部屋に案内された。
「何か悪いな! 急に押しかけちゃって」
「良いよ良いよ! それよりどうしたの? 私は苗ちゃんと付き合ってるのは、てっきりあの変人だとばかり思ってたんだけど!」
沙也加の言う変人とはもちろん楽の事だが、苗と何の打ち合わせもしていない涼は笑う事しか出来ないでいた。
「沙也加ちゃん? 開けていい?」
「あ、苗ちゃんどうぞどうぞ〜」
暫くすると、扉がノックされ苗がトイレから戻り、部屋に3人になるが……
「「「………………」」」
「えーと……話しずらい事?」
沈黙に耐えきれず沙也加が苗に声をかける。
「沙也加ちゃんごめんね! やっぱりまた今度にしてもいいかな?」
「え……え? 勿論、話はいいけど……」
「今日はやっぱり帰ろう涼君」
そう言いながら涼の袖をひっぱり立ち上がる苗
「あ、ああ……まぁ、分かった」
苗の考えは分からないが、涼も引っ張られるまま立ち上がる。
「ごめんね沙也加ちゃん! 今度ちゃんと話すから!」
「あ……うん」
そして苗は涼を引っ張り外に出る。
「お……おい瀬名? どういう事だよ?」
「後でちゃんと説明するね、ごめんね、もう少し走るけどいい?」
「もう……何がなんだか分からないけど、お前がそう言うんなら必要な事なんだろ? 従うよ」
「ごめんね……ありがとう」
――――――――――――――
「さて……どうしたもんかな」
一方その頃、楽は繁華街の人混みの中にいた。
「でもまぁ、やっぱりそうか……とりあえずは……仕方ないか」
独り言を言い、何かに納得し、何かを諦め、楽は繁華街を後にした。