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 随分長々と語ってしまったが、ここで言いたい事をまとめておこうと思う。

 

 まず、個体としての認識がある。世界から離れた己の姿がある。

 

 己とは共同体に属さない「我」である。共同体の中で安らいでいると同時に個である存在などない……海の中の一滴が、自分をいかに周囲から分別するか? 自らの存在を知るには世界から離れなければならない。

 

 しかし、そこには当然、孤独・寂寥がつきまとう。ここから、この個体はかつて自分が出てきた母胎…もう一つのまだ見えぬ共同体を目指す過程に入っていく。ここに宗教ならびに、垂直的な封建社会から放逐された人々が紡ぎ出した近代文学の本質があるように思う。

 

 人はどう言うかわからないが、西欧において「神」は社会から切り離された抽象的なものであったが為に、異端者や追放された人間も各々に「神」を信じる事ができた。そのような空間があったのではないかと思う。つまり、異端者においても、(自分は真の神から見れば正しいのだ)と信じられた。

 

 日本社会においては、神は共同体と融和している。その為に、異端者は「敗北者」として現れる他ない。漱石の作品のストーリーにおいて、主体であるキャラクターは社会からの敗北を痛切に受け止める事しかできない。その敗北から目を逸らさず、そうした自己を滅亡の最後まで演じるという事が唯一できる、この日本社会における主体の主張だったように思える。

 

 最近で言っても、私の評価する「神聖かまってちゃん」というバンドも、敗北そのものを美しい歌に変える、という、いわば太宰治的な詩情の持ち主と言える。表面は変わっても日本社会の本質は大して変わっていないのではないか。天皇に代表されるように、現に生きている存在と神とが融和し、国民に穏やかな笑みを浮かべながら挨拶をしている姿が理想である…これは、十字架に張り付けられ、ダラダラと血を流すキリストの姿となんと違うことだろう。

 

 共同体そのものが神である社会では、異端者、敗北者としての自己の在り方を主張するのが精一杯の所である。しかし、日本社会は、そうした異端者の哲学を後から自分の中に取り込み、我が物にする事によって自分達の姿を更新してきたのだった。私にはそう思える。日本社会から異端者や敗残者が消えれば、硬直した組織のみが存在する事になり、そのまま枯死するのではないか。科挙が絶対化されて以降の中国のように。

 

 私はあまりにも恣意的に論を進めているのかもしれない…。が、まあいい。先を続けよう。私は…例えば、ラスコーリニコフが神を信じる事が許されたように、ファウストが天使に抱きかかえられたように、西欧においては、異端者や犯罪者もまた神を持つ事は許された。神は、ある集団と同一視されていなかった。神から見放された人間もまた神を持つ事ができた。そのように、神は抽象化され、対象化されていた。神は同一者と他者とを止揚する存在として機能していたと私は考えている。

 

 これに関しては「反ー神」でも事情は変わらない。神に反するという場合もここでは、根底的な思考構造を問うているから、反神としての神を持つ事も許されよう。そういう意味では、フランソワ・ヴィヨンにもボードレールにも神はいた。神に逆らうという事はもう一つの神を、彼だけの神を定立する事だが、我々にはそれも許されない(ほとんど生理的にできない)ので、敗北者としての自己を痛切に感じる事が精一杯である。

 

 今言った事と、日本文学が主観的であり、主体と対象の分離があまり成れさていないというのは根底で繋がっている(日本語の構造とも関わるが)と思える。日本文学は、主体と客体が一緒になり、情念的に流れていくのが特徴であり、どうしても主情的になっていく。柳田国男の学問が、彼の独特の文章と切り離せないというのは、我々の国に特異な事ではないか。つまるところ柳田国男にしろ折口信夫にしろ学者と作家が融合されている。それは日本的なものであり、対象と主体との情念的合一が理想である我々の姿をそのまま現しているようにも見える。

 

 そこでは主客の合一が念頭に置かれており、明治、大正の青年らを見舞った分裂、即ち、西欧と日本という分裂はやがて彼らが大御所になり、また、日本的伝統に還る事によって、ポリフォニー的、対話的要素を失い、モノフォニー的な音楽に収斂していった。その軌跡は小林秀雄に見る事ができる。彼は日本の伝統に還ったが、その時、彼の中にあった対話的要素が消え「物」「経験」との一致に静かに還っていった。そこは神と人間が同じ空間で融合している、我々の理想環境であろう。

 

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