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何も無かった。
紅はぎりぎりで輿から後方へと跳び降り、難を逃れていた。
「おーんーなー」
重軒が眼を細める。
「何者だぁ?」
「あたしは」
紅が言った。
「紅」
「ボクちゃんに逆らって、ただで済むと思ってるのか?」
紅が黒楽器を口元に近づけ、ふっと息をかけた。
黒楽器は一瞬で黒い煙に変化し、紅の右肩に吸い込まれた。
きめ細かく白い肌に黒楽器の形の入れ墨が浮かび上がる。
「あたしは」
紅が続けた。
親指で首を掻き切る仕草の後、指を下に向ける。
「お前たちには屈しねぇ。あたしの反骨魂が、絶対にお前たちを許さねえ!!」
紅が吼えた。
「ぶひひっ」
重軒が腹を抱えた。
「許さないって、どうするのさ? お前はボクちゃんの具足に傷ひとつつけられないのにさ。ぶひひっ!!」
突然。
「べべべべべっ!!」
男とも女ともつかない声が再び、紅の紫の唇から響いた。
紅が左肩を露出する。
「ま、またぁ?」と重軒。
重軒と紅の眼が合った。
紅が中指を立て、かっと眼を見開く。
「べべべべ邊獲主!!」
紅の左上腕部から、右肩の黒楽器によく似た物が出現した。
細帯を肩にかけ、両手で弦を押さえる。
首のほくろに長い紐の先端を差す。
右肩の楽器との違いは、板部分の形状が左右対称ではないこと、弦が四本というところか。
 




