方舟から泥舟へ
キタチー自治軍の特務部隊に連行されるジェームズ・田中。
だが、本人は悠々とした表情のまま大人しく連行されて行く。
(悪いな。俺は一足先に離脱させて貰うよ)
そもそも、相手は没落国家とは言え三大国家並みの軍を保有している。
また、オーレムの襲撃も多い事もあり殆どの兵士は実戦経験が豊富である。
対してホープ・スター艦隊は数と見た目こそ一丁前だが、質に関しては残念過ぎる状態。
そして、ワトソンが仕掛けた様々な要因がホープ・スター艦隊の質を更に下げている。
これでは、勝てる戦いも勝てないだろう。
(勝ち戦だったら良かったんだけどな。それに、没落国家が一個艦隊だけを持ち込んでるとは到底思えない)
没落国家にとっても、共和国領内で行動する事はリスクの大きい賭けになっている筈。
だからこそ、確実に目標を達成する必要がある。
没落国家は事前に準備を済ましているのに対して、ホープ・スター艦隊は後手に回り続けるしか無い。
正面から戦えば敗北は確定なのだ。
自分で手に入る情報で、ある程度の状況を把握する。
この手の分析能力は豊富な実戦経験や頭の回転が速い者にしか出来ない。
ジェームズ・田中はそんな人物の一人。
勝てないと分かった以上、深入りするつもりは毛頭無いのだ。
連行されるジェームズ・田中を見送る事しか出来ないアイリ中隊や他の者達。
だが、例外は常に存在している。
そいつは、連行される俺の行手を遮る様に立ちはだかる。
「……ニーナ・キャンベルさん。そこを退いて頂けますかな?」
「…………」
一言も喋る事無く特務部隊の指揮官を見続けるニーナ・キャンベル。
しかし、ナインズの1人を目の前にしても指揮官は警戒心を強め身構える。
「聞いていますかな?我々は重要参考人を連行しているのです。つまり、ホープ・スター艦隊にとっても悪い事では無いのです」
「彼の罪状は?」
「……任意同行ですので。詳しい罪状は無関係の者に言う訳には」
指揮官は嫌な予感がしていた。
このまま、ニーナ・キャンベルの相手をしていると全て見透かされる様な気分になってしまう。
可憐であり、人形の様に整った表情。
美しくも輝きを宿す瞳。
そして、綺麗な声と共にニーナ・キャンベルは口を開いた。
「私、ニーナ・キャンベルはジェームズ・田中さんの保証人になります。ですので、拘束を解いて下さい」
「……何を言うかと思えば。キャンベルさん、貴女個人でどうこう出来ませんよ。例え、ファンタスト宗教の聖女だとしても」
聖女とは言え、使える政治的権力など殆ど無い。
基本的に信者の悩みを聞いたり、祈りの祭典などで踊りや祈りを行う存在。
つまり、お飾り同然の存在なのだ。
だからこそ、個人の保証など意味が無いのだ。
「いいえ。個人ではありません」
だが、彼女が提示したのは実に悪質な物だった。
「私、ニーナ・キャンベルはファンタスト宗教の聖女として、ジェームズ・田中さんの保証人になります」
「なッ!ば、馬鹿な。そんな……たかが、成り上がりを庇うおつもりなのですか!」
「貴様!ニーナ様が決めた事に反論するか!」
指揮官は己の聞いた言葉が信じられなかった。
正規市民とは言えクレジットで買った身分。つまり、まともな人生を送っていない事など一目瞭然。
成り上がり。多くの人達を見殺しにして来た者達の差別的用語でもあり、危険な存在を示している。
最底辺から這い上がるだけの力と才能を持っている。
それは、正規市民達の立場を大きく揺るがす存在。
正規市民にとって、ゴースト以上に危険な存在なのだ。
だからこそ、簡単に成り上がりを認める訳には行かないのだ。
自分達のテリトリーを荒らされない為にも。
「しますとも!この男はゴーストなのですよ!恐らく、今の身分を条件に手引きする様にワトソンから指示を受けている筈です!でなければ、成り上がりが大企業に潜入出来ますか!」
指揮官は尤もな事を言う。
本来、成り上がりが大企業に就職出来るのは非常に難易度が高い。
良くても使い捨て同然の駒として使われるくらいだろう。
事実として、現在進行形でスケープゴートに近い状況に追い込まれていた訳だ。
「その全てを含めて彼の保証人になります。ですので、拘束を解いて下さい」
だが、それでもニーナ・キャンベルは譲らない。
ファンタスト宗教の聖女の1人としてジェームズ・田中の保証人となる。
「有り得ない。こんな……事が」
聖女の意思が揺るがないと知ると、肩を落とし諦める指揮官。
まさか、ファンタスト宗教が成り上がりの肩を持つとは思いもしなかったのだ。
だが、それは重要参考人も同じ事を思っていた。
(……え?ちょっと待って。話が追い付かないんだけど。拘束解かれて、再び泥舟に戻れって言うの?冗談だろ)
いつの間にか、手錠も外され自由の身となった訳だが。
唖然としていた俺を無視して、指揮官はニーナ・キャンベルに対して捨て台詞を吐き捨てる。
「この決断は必ず後悔する事になりますからね!後から言い訳をしたとて、遅いのですから!」
そして、怒りを隠す事無く部隊を率いて別の重要参考人の元へ向かう。
手錠を外された腕を見ながら呆然としている中、周りの喜びと安堵の声を聞こえて来る。
「田中氏殿、良かったでござるな。無事に無実が証明されて」
「ウチは最初から信じとったけどな!だって、あれだけ活躍しとったさかいな。普通なら目立たん様にするやろ」
「だな!それに田中が居れば、俺達も心強いから助かるぜ!」
聞こえて来る声を無視しつつ、俺は静かに怒りの感情が湧き上がって来るのを感じていた。
(この……クソ女がぁ。やってくれたぜ。地獄への道連れは逃さないってかぁ?)
そして、サングラス越しにニーナ・キャンベルを睨み付ける。
一瞬、身構える様に杖を強く握るニーナ・キャンベル。だが、サングラス越しなので周りの連中からは分からない筈だ。
「いやー、助かりましたよ。まさか、ファンタスト宗教の聖女として助けて頂けるとは。まさに、至極光栄の極みとは今の状況の事を言うんでしょうね」
「……私は」
「あーあー、言わなくても分かりますよ。分かっていますとも。それに、下らない言い訳を聞きたい訳ではありませんから。唯、ちょっと話させて貰って良いかな?勿論、二人っきりで……ね?」
拒否は許さん。俺はそう言わんばかりに聖女の前に堂々と立ち塞がる。
彼女の透き通る様な美しさ表情と瞳が僅かに揺らぐ。
だが、意外にも拒否はされなかった。
「……分かりました。貴女達は戻っていて下さい」
「ニーナ様?駄目です!こんな、野蛮な人物と二人っきりなど」
「そうです。それに、男性と密室なんて危険過ぎます!」
周りのお付きの者達が聖女に対し、危険だと訴える。
立場的に、聖女と二人っきりにさせるのは有り得ないのだろう。
とは言え、聖女様が許可を出したんだぜ?だったら、大人しく引っ込んでな。
「おいおい、俺は聖女様に保証されている立場なんだぜ?だったら、最後まで聖女様を信じてやれよ。それとも……信じれないの?お付きの人なのに」
「クッ……その言い方は卑怯だぞ」
「ハン!何とでも言えよ。まぁ、所詮は世話係だ。お前達程度では何も出来ねぇよ」
俺はお付きの連中を無視して、ニーナに向け手を差し出す。
「さ、行きましょうか。お手をどうぞ……ニーナ様」
絶対に逃さない為に手を差し出す。
そして、素直に従う聖女様。
(どんな言い訳が聞けるか楽しみだぜ。誰かに頼まれた可能性もあるだろうが。それでも、最後に了承した時点で何かがある)
あの特務部隊の指揮官も言っていた通り、普通なら成り上がりを庇う理由は無いのだ。
そもそも、立場的や入社時期を考えても状況証拠としては充分だろう。
自分が怪しい立場なのは充分理解している。
だからこそ、ニーナ・キャンベルが何を考えているのか知る必要がある。
(立場的にも色々厄介な奴だからな。全く、アイドルの癖に聖女なんぞやりやがって)
特例みたいな状況を平然と作り出せるからな。
今回の件も本来なら許される訳など無いのだから。
俺は聖女様の手をしっかりと握り締めながら、人気の無い部屋まで移動するのだった。




