超感覚
不思議な出来事は、尚も続いた。
朝起きて、いつものように無造作に眼鏡をかけたが、あろう事か、焦点が合わない。即座に頭がくらくらしてきた。
慌てて眼鏡を外すと、周囲は明瞭に見える。
おそるおそる眼鏡を覗きこむと、やはり焦点が合わない。
……どういう事だ!? 視力が良くなっている?
俺はだいぶ昔からかなり強い近視で、裸眼視力はすこぶる悪かった。0・1行くか行かないかというところか。
普段は眼鏡をかけているが、それでようやく視力は1・0ちょうど。
しかし今、俺は眼鏡をかけていた時よりも目が良く見えている。
もちろん、「前日に視力矯正手術を受けました」とかいうオチではない。
そもそも、視力矯正手術を受けたのであれば、眼科医から術後の注意点について細かく説明を受けているはずであり、そういった記憶が全く無いのはおかしい。
わけがわからず考え込んだが、ふと壁の時計に目をやると、出勤時間が迫っている事に気付いた。
「ヤバっ!」
俺は慌てて身支度し、自宅を出た。
眼鏡無しでこんなにも明瞭に街の風景を見る事ができたのは十何年ぶりだろうか。急いでなければ俺はその感慨をゆっくり噛み締めたかったのだが、感慨もそこそこに、とにかく俺は最寄駅まで走った。
幸い、行きの列車には間に合い、俺は列車に乗って一息ついた所で、いつもやっているようにしてスマホの画面ロックを解除した。
――「近くが見えづらい」という事は無い。遠くを見てからすぐに手元のスマホに視線を移すという動作を何度も繰り返してみたが、何回やってもピントは即座に調整された。
スマホをポケットにしまい、窓の外を凝視して見たが、いつもは見えない遠方の看板の文字も、はっきり見える。
職場に到着した後、職場の人間から口々に「おっ、いつの間にコンタクトに変えたんだ?」などと言われたが、そこは適当に誤魔化しておいた。
――もし、その中の誰か一人でも俺の眼を間近で注意深く覗きこんでいたなら、俺がコンタクトレンズを着けていない事に気付いただろう。
自分自身の眼に対する驚きはさらに続いた。
いつもの様にパソコンのモニターと睨めっこしながら仕事をしていると、いつもは2時間かそこらぐらいで小休止を挟まざるを得ないほどに目が疲れてくるのだが、今日は全く目の疲れを感じない。そのせいも有ってか、仕事は予想以上に捗り、俺はその日も定時で帰る事ができた。
帰り道、俺は眼科の医院で診察を受けた。ただし、行きつけの眼科医の所ではなく、初めての所だ。――突然視力が大幅に向上するなどという、医学的にはたぶん有り得ないだろう現象について、行きつけの眼科医にあれこれ詮索されるのが面倒だったからだ。
俺の眼には何の異常も無し。裸眼視力は推定5・0以上。通常通りの検査を終えた後、通常の検査距離の倍以上の距離からチラッと見ても、視力検査表の2・0の欄がはっきり見えた。
視力が大幅に向上した事自体はもちろん大喜びなのだが、その事の原因が分からないのは不安である。
俺は一抹の不安をかかえつつ、視力が向上した状態が永続する事を強く期待して、医院を後にした。
期待通り、俺の視力はその日以降も大幅に向上した状態に保たれた。
翌日の帰宅後、「視力」の定義を改めてネットで確認し、いくつかの角度に回転させたアルファベットの大文字『C』の形に似たマーク――即ちランドルト環の、サンプルを数パターン、ダウンロードした。
それらのランドルト環をいずれも直径が7・5mmになる様に印刷し、それを自分の部屋の窓ガラスに貼った。
そして部屋の電灯を点けたまま部屋を出て、近くの、窓ガラスに貼った複数のランドルト環となるべく同じ高さとなる、登っても咎められない所を探して登った。
目線を合わせて、窓ガラスに貼った複数のランドルト環を見ると、環の切れ目の位置を全部はっきり識別できる。
自分の部屋に戻り、グーグルマップを参照して、さっきランドルト環を見た時の距離を割り出すと、約50m。
直径7・5mmのランドルト環の、切れ目の位置を5m離れてはっきり識別できれば、「視力1・0」である。
大雑把な測り方ではあるが、俺の視力は10・0ぐらいにも上昇したらしい。
それにも関わらず、長時間のデスクワークでも眼が疲れる事はあまり無い様になった。
たまたま大昔のギネスブックを古本屋で見た時、「約1・6km離れた人の顔を識別できる、西ドイツの女子大学生」という記録を読んだ事があるが、2030年現在、ギネスワールドレコードの公式サイトにはなぜかその記録が無い。
記録に間違いが無ければ、あるいは仮に再検証可能だとして結果が同じであれば、彼女の視力はおおよそ20・0以上ということになるが……。
代わりに載っていた記録はマサイ族の青年のもので、視力12・0との事だった。
更に日が進むにつれ、それまで見えなかったものまで見えるようになった。
――別に、「霊が見えるようになった」とか、そんな話ではない。
ある日、職場の女性社員が俺の課の事務室に有る窓際の花瓶に花を生けた時、その花の色をめぐってちょっとした議論になった。
俺以外の誰もがその花の色を「黄色一色」と主張したのに対し、俺は「確かに黄色が主体だが、花弁の先端から半分近くが淡い紫色に染まっている」と主張した。
議論は数分間に渡り続いたが、最終的には「俺の眼が疲れている様だ。コンタクトの不具合かな」という事にして議論を打ち切った。
その日、俺は帰宅後に自宅でネット検索に勤しんだ。日中の「ちょっとした議論」を打ち切った直後から心当たりは有ったのだが、検索を進めるにつれ、確信を深めた。
俺の眼は、紫外線が見えるようになったらしい。いわゆる『4色型色覚』というやつだ。
4色型色覚の持ち主は、ごくまれに存在する。良く知られた事例は高々数十例しか存在しないらしいが、潜在的にはもっと多くの4色型色覚保有者が存在するとの説を唱える学者もいる。たぶん、数万人に1人~数十万人に1人といったところではなかろうか。
しかし、4色型色覚は先天的な形質であるはず。後天的に4色型色覚が備わるなどという事が、有り得るのだろうか? ……その疑問については、その日のうちに解決する事は到底できなかった。
自分自身の視覚についての調査を一旦打ち切り、俺は眠る事にした。
寝床に入って天井の電灯を消した途端、俺はまた驚かされる事になった。部屋を真っ暗にしたつもりなのに、周囲の物体の輪郭が分かるのだ。色はさすがに分かりづらくなり、辺りは概ね濃紺や黒に見えるのだが、それでも、物の輪郭はだいたい分かった。
「単に眼が暗闇に慣れただけ」と言うには、暗順応が早過ぎる。
俺は再び電灯を点けてみた。一瞬眩しいと感じたが、明順応は即座に完了した。俺の眼は、猫の眼と同じ様に暗い所でも良く見え、尚且つ、光量調節が素早く行えるようになったらしい。
もしやと思い、俺はまた電灯を消し、台所まで歩いてみた。何の支障も無い。
台所の電灯も消したままだが、俺は難無く湯のみを戸棚から出した。そして、電気ポットのお湯を湯のみに注いでみた。
俺には、お湯が淡い赤色に光って見えた。
お湯の入った湯のみをテーブルに置き、電灯を点けてみる。すると、何の変哲も無い、お湯の入った湯のみが見えた。
また電灯を消してみる。やはり、淡い赤色の光を放つ湯のみが見えた。
再び湯のみを手に取り、流し場に立って水を注ぐと、淡い赤色の光が橙色に変わり、更に橙色・黄色・黄緑色へと変わり、しまいには周囲とあまり変わらない濃紺色になり、淡い光が消えた。
間違い無い。俺の眼は、赤外線も知覚可能になった様だ。どういう原理なのか分からないが、俺の眼には熱線視覚と同じ機能が備わったらしい。しかも、明かりが有る所ではちゃんと普通にものを見る事ができる。
明らかな超常現象に俺は困惑したが、今のところ何の不具合も無く、良い事づくめである。考察は、暇な時にゆっくりやれば良い。
俺は、今度こそ、眠る事にした。
常識では有り得ない程の大幅な視覚強化という超常現象を経験してから数日後の、良く晴れたある日の夕暮れ時。俺は職場からの帰りがけに妙な音を聞いた。
それは、極めて甲高い叫び声のように聞こえた。
その音を文字や音符で表現しようとしても元々の声の感触を再現できるはずも無いが、強いて文字で表現するなら『「うー!」と唸り声を上げた時の声を圧縮して周波数を10倍以上にした音』と言ったところだろうか。
その音は俺の耳にはっきり聞こえたのだが、俺の周囲の人間でその音に気付いた者は誰もいない様だ。その音は俺の背後から聞こえ、急速に音量を増している。
俺は思わず振り向くと、背後から近づいてきたものと目が合った。
「おわっ!」
俺は反射的に頭を低くして身をかわす。その直前、俺には背後から近づいてきたものの正体がはっきり見えていた。
鼠に似た顔。濡れた様な光沢の有る黒くて小さいつぶらな瞳。顔に比して大きな両耳。大きく開けた口に生え揃う尖った小さな歯。頭部と胴体を覆う焦げ茶色の体毛。そして、飛膜で覆われた両翼。
――蝙蝠だ。それも、都心でも時々見かけるアブラコウモリだ。
俺が身をかわす直前、背後から近づいたアブラコウモリが蚊を捕食して急上昇する瞬間も、俺にははっきり見えていた。――俺の視覚は、動体視力も大幅に強化されている様だ。
東京には、アブラコウモリが意外に多く棲んでいる。東京をよく知らない人にこの事実を話すとたいてい驚くが、もとから東京に住んでいる俺もこの事実を初めて知った時は驚いたものだ。
さっきみたいに不意に目が合ってびっくりした場合はともかくとして、アブラコウモリは意外とかわいい顔をしている。少なくとも、俺はそう思う。
画像検索か何かでアブラコウモリの顔を見た事が有るが、その時も、アブラコウモリを意外とかわいいと思った。
吸血鬼の変化の1つとしてのイメージや、イソップの寓話(「蝙蝠と鼬」ではなくて「鳥と獣と蝙蝠」の方)でのイメージのせいで、西洋ではあまり良いイメージを持たされていない蝙蝠であるが、東洋ではそれほどでもなく、古代中国の様にむしろ『福を招くもの』と見做されている場合もある。
確かに血を吸う種 ( チスイコウモリ ) もいるが、アブラコウモリの様に小さい虫を主食とする種やオオコウモリの様に果実を主食とする種などの方が多い。
たまに地面に落ちている状態で発見される事もあるアブラコウモリだが、まだ生きているにしろ死んでいるにしろ、不用意に触るのは絶対に止めた方が良い。狂犬病あるいはその他の危険度の高い人畜共通感染症の病原体が付着している場合も有るからだ。
感染症対策が万全である場合でも、傷病個体を一時的に保護するだけならともかく、無許可で飼育あるいは駆除する事は鳥獣保護法によって罰則の対象となる。
怪我や病気で弱ったアブラコウモリ、あるいはその亡骸を発見した場合は、真っ先に、国または地方公共団体の鳥獣行政担当部署(環境保護課など)や保健所に通報した方が良い。
俺が蝙蝠について知る諸々の事柄はさておき、先述の『妙な音』の正体は、アブラコウモリが反響定位を行う為に出した超音波だった。
一度や二度なら「偶然」と思うが、同様の体験はその後一度や二度ではなかったし、たまたま暇な時にアブラコウモリの巣を見つけ、その巣をしばらく観察していると、その巣に出入りするコウモリが例外無く先述の『妙な音』を発している事が確認できた。
――俺の耳は、普通の人間の可聴域を超えた超音波すら聴き取れる様になったのだ。
人間の可聴域を超えた低周波音源も、遠距離から知覚可能になった。ボイラーやコンプレッサーなどの作動音には人間の可聴域を超えた低周波成分が有り、それらの成分は普通の人間にとっては「音」ではなく「何かの物体越しに体に伝わる振動」として感じ取られるが、俺の場合はかなり遠距離からでも「音」として知覚可能になっている。
聴覚が大幅に強化されたからと言って、うるさくて困るという事は無い。
ここ最近の知覚能力の強化に気付くよりもずっと以前から、俺は、電車の中でヘッドホンもイヤホンも使わずに、騒音を気にせず読書に集中する、という事が出来るようになっている。
これは、「集中力のあまり、カップインの瞬間、周囲の騒音に全く気付かなかった」というある女性プロゴルファーのエピソードを読んで以来、しばらく練習してから出来るようになった。
それと同じ要領で、集中したいものだけに強く意識を向け、雑多な情報を意識下に追いやれば良い。普通の人でも顔を顰める様なよほどうるさい音でなければ、それで解決した。




