決心
「〈うりゃうりゃうりゃうりゃうりゃぁーーっっ!!!〉」
依耶 瑁人とガーデスの融合体は、他者の脳を不快感で直に揺るがす掛け声と共に、毎秒ツァーリ・ボンバ1000発分を優に超える連撃を、俺達を守るヴァクトゥールに浴びせ続けていた。
その猛攻は、突如として現れた緑色に光る半透明な障壁によって、弾かれた。
ヴァクトゥールを拘束していた、融合体の触手や尻尾も、悉く弾かれる。
「〈うおっ!?〉」
融合体は短い驚きの声を上げ、猛攻の手を止める。
いつの間にかヴァクトゥールの背には、白銀の羽根から成る三対六枚の翼を持つ、蒼穹の色の装甲で覆われた天使が立っていた。
その天使の背丈はおおよそ1マイル(約1.6km)余り。一番大きい翼の対の翼開長は約1マイル半。
蒼穹の色の装甲に覆われていない地肌は白銀色で、滑らかに磨き上げられた金属の様な質感を持っていた。
燃え立つ様にゆらめく金色の髪と、常に頭上に在る金色の光輪。腰には、大小2つの剣。
その天使の顔の輪郭は、マリさんのそれだった。――白銀でマリさんの顔の鋳像を作ったとしたら、こんな感じになるだろう。
その巨大な天使は、胸の前で両腕を交差させ、右腕を胸に近い側にして、両手で握り拳を作っていた。
左手の手甲に填まった翡翠色の宝珠が、緑色の太陽の様な眩い光を放っていた。
「〈……なるほど、そう来たか〉」
融合体は不敵な笑みを浮かべる。
それから間もなく、ヴァクトゥールの体から4枚の翼が分離された。
4枚の翼は見る見るうちに形状を変え、そのうち1枚目は二足歩行の蒼い神狼の姿に、2枚目は全身に半透明の茨が巻き付いた有翼の黒い鬼神の姿に、3枚目は大鎌を構えた死神の騎士の姿に、そして4枚目は箱舟のような形に、形状を変えた。
4枚の翼が変じて生じた存在は、いずれも身長ないしは全長が2km前後の巨体であった。
月のコペルニクス・クレーターの中から現れた直後は長めの尾羽を持つ白金色の隼の様に見えたヴァクトゥールは、ここまでに合計9枚の翼を分離していた。
残る翼は4枚。今のヴァクトゥールは、隼と言うよりはむしろドラゴンに近い姿になっていた。
西洋の竜の様でもあり東洋の龍の様でもあるその姿は、アステカ神話の翼蛇神『ケツァルコアトル』の姿にも似ていた。
箱舟はヴァクトゥールのすぐ背後に回り込み、蒼穹の天使は胸の前で両腕を交差させたままでその箱舟にふわりと飛び乗った。
そして蒼穹の天使が維持しているままの防御障壁は、ヴァクトゥールとその翼からつい先ほど生じた存在とを、その内側に抱え込んでいた。
「〈うりゃぁーーっっ!!!〉」
融合体は再び掛け声と共に連撃を叩きこむ。だが、TNT換算で数十ギカトン分の核兵器に相当する破壊力を持つその連撃に、緑色に光る半透明の防御障壁はびくともしなかった。
「〈ほほう? 大したもんじゃねえか、天使憑きのお嬢ちゃん。
まあ、ヴァクトゥールの奴が翼を1枚貸して力を増幅してるんだ。
その状態で防御障壁を全力展開すれば、短時間なら俺様の攻撃を完全に防ぎ切っても不思議じゃない。
……1時間保つかどうかは疑問だがな!〉」
少しは張り合いが出て来た、とばかりに愉しげに笑う融合体の奴。
奴に対して叫ぶ、グレイの声。
どちらの声も空気の振動を伴わず、メルリンの声と同様に、耳を通さずに脳の聴覚野に伝わった。
〈1時間も要らねぇよ! 30分以内に、俺達がお前を倒してやる!!〉
「〈ふん、随分大きく出たもんだ。
……弱い犬ほど何とやら、とかいう諺もあったっけなぁ?〉」
〈お前こそ、吠え面かくなよ!?〉
その言葉と共に、ヴァクトゥールの翼の力で黒い鬼神と化したグレイが巨大化した蒼穹の天使の防御結界の外に飛び出し、何十本もの半透明の茨を鞭のごとく融合体の顔面に叩きつけた。
各々の茨の鞭は50km以上伸び、先端速度は秒速100km以上。
1本の茨の鞭ごとに100メガトン級の核兵器に匹敵する破壊力を持っていた。
「〈……痛ぇな〉」
融合体は顔を顰める。
遠目にも無数の擦り傷として見える程度の傷が付いてはいる。が、さほど大きなダメージには見えない。
傷付いた箇所は、見る見るうちに修復されていく。
〈まだまだぁーーっっ!!〉
グレイはさらに茨の鞭の数を増やし、四方八方から攻撃を仕掛ける。
その数、実に百本以上。
しかし、百本以上の茨の鞭は、同数の黒い触手に止められた。
それらの黒い触手は先程ヴァクトゥールを拘束していたものと同じもので、融合体の奴が体の前側の翼一対を変形させて生み出したものだった。
百本以上の茨の鞭と、同数の黒い触手は、鬩ぎ合う。
人間同士の格闘に例えるなら、互いに掌を合わせて握り締め、押し合いをしている様なものだ。
「〈なかなかのパワーだが、俺と一対一で殺り合うつもりなら、無謀と言うしかないな〉」
茨の鞭の群れが、徐々に、黒い触手の群れに押されていく。
〈ぐ……ぐぐっ!〉
グレイの苦しげな声。
と、その時。黒い触手の群れの力が緩んだ。
「〈がっ!〉」
融合体は短く呻く。いつの間にか融合体の頭の後ろに回り込んでいた神狼――合身状態のキョウコとマカミがヴァクトゥールの翼の力で巨大化した存在――が、全力で融合体の後頭部を蹴り飛ばしていた。
その一撃は、十数ギガトン級の核兵器に匹敵する破壊力であった。
融合体の奴にはある程度効いている模様だが、それでも致命傷には程遠い。
神狼は蹴った反動に元来の加速力を加えて離脱し、奴の触手から逃げ切る。
「〈小癪な……っ、ととっ、危ねぇ〉」
融合体の上半身は、間一髪、死神の騎士の大鎌をかわした。
大鎌の全き黒の刃は角度を変え、全長数キロに渡って伸び、回転半径約10kmの弧を描きながら、融合体の触手を数十本まとめて斬り飛ばす。
大鎌の運動エネルギーは、これまた十数ギガトン級の核兵器に匹敵するエネルギーであった。
しかも斬撃系の武器であるので、そのエネルギーが刃という狭い領域に集中する。
更にその刃はあらゆる電磁相互作用を阻害する暗黒の刃であり、あらゆる原子の化学結合を容易く切断する。
その気になればエベレスト山ですら易々と斬り飛ばせるだろう。
大鎌の暗黒の刃は、まともに当たればかなり有効なダメージを与えられる様に思えるが……
〈斬った物を分解捕食できない……? 斯様な事、初めてでござるぞ!〉
巨大化した死神の騎士と一体化しているゴズモフ先生の驚嘆が、メルリンの声と同様に、空気の振動を介さずに脳に響いた。
「〈残念! その大鎌の分解捕食能力に対して、俺様を構成するナノマシン超集合体の抵抗力が勝っている様だな〉」
巨大化する前のハイドの大鎌が窮奇を滅ぼして分解吸収する光景を、俺はつい数時間前に見た事が有る。
今回、分解吸収の能力は発動を阻まれ、斬り飛ばされた奴の触手は本体に戻って行き、元通り翼の形に変わった。
「〈流石に3匹で仕掛ければ結構なダメージだが、それでも、俺様を削り尽くして殺すには30分じゃ足りねぇなぁ〜。
モタモタしてたら、お前らの方が先に限界なんじゃね?〉」
奴はニタニタ笑っている。こちらが抱える「1時間」という制限時間を超えたらどうなるか、薄々感づいているのだろう。
「〈天使と方舟まで攻撃に回れば、宣言通りの30分で俺様を倒せるかもだが、それをやろうものなら、ヴァクトゥールの奴が庇っている人間どもを守り抜くのは到底無理だなぁ〜?〉」
愉悦の表情を浮かべる融合体の姿を、光の平面を通して、俺はヴァクトゥールの体内から見ていた。
方舟の中には真っ二つになった『いずれ来る幸運』号が収まっており、その乗客の生き残りは、方舟の中で保護されている。
強化されたアジュールとマリさんが防御障壁を展開できている間は、保護されている人間に対して融合体が危害を加えようとしても、退け続ける事ができるだろう。
今、ヴァクトゥールの本体の中にいる人間は、俺だけだ。
光の平面を凝視していると、徐々に、外界の動きがまるでスローモーション映像のように緩慢になり、やがてほとんど静止して見える様になった。
〈今、私の体内の時間経過を加速しています。外で1秒過ぎる間に、私とあなたは2週間分に近い時間を費やす事ができます〉
メルリンの声が脳内に響く。
「……時間の流速も制御できるのか」
俺は彼の力の強大さを今まで散々見ているため、彼が時間流速制御能力を有していると分かってもあまり驚かなかった。
〈はい。その気になれば、本体であれ分身であれ、私が展開している結界の中の時間経過を制御する事も可能です。
流石に今はあまり広範囲多目標の時間制御に力を回す余裕が有りませんが、私の本体と、本体が直接展開している結界内では、通常通りに時間制御可能です〉
その気になれば、某世界的人気マンガに出て来た「内部の1年が外界の1日に相当する」部屋を作る事も可能なわけか。
そんな部屋を誰もが使えるとしたらさぞかし需要が有りそうだが、急速に老化する奴が増えそうな気もする。
「……なぜ、俺達だけの時間を加速した?」
〈理由は2つ有ります。1つは、私が本体を変形させる時間を稼ぐため。
もう1つは、あなたに予備知識を伝える時間を確保するためです〉
「変形、そして予備知識、ね」
〈因みに、私が翼を貸し与えた友達を巨大化変身させる時も、私の敵が自らの体を変形させる時も、時間制御能力が行使されています。
そのため、通常の速さの時間が流れる空間から見た者にとっては、巨大化・変身・変形が短時間で起こっているように見えます。
……ああ、能力の影響下にいる味方が急速に老化しないよう、また、その他およそ考えられる限りの害や不具合をも被ったりしないよう、調整する事は可能ですのでご心配無く〉
「少なくとも、さっき言ったように『通常の速さの時間が流れる空間』にいる者にとっての、おおよそ1時間の間は、か?」
〈そう捉えていただいても、差し支え有りません〉
「外界の100万倍の時間流速で100年間過ごしても老化はしないし、その間、外界では1時間弱しか経たない、ってか」
〈その通りです〉
下手すると『邯鄲の夢』になりかねないな。
時間流速が遅い側にいる方は浦島太郎と同じ様な目に遭う。
気を付けないと。
そう思いつつ、俺は次の疑問を口に出す。
「あ、そうだ、外界の何倍も速く時間が流れる世界にいるのなら、相手がほとんど動けない間にボコり放題、なんて事はできないのか?」
〈残念ながら、私にとっても私の敵にとっても、それは不可能です。
相手に有効な物理的影響を及ぼすには、その相手もまた同程度の速さで時間が流れる空間の中にいなければなりません。
――自分以外の時間が止まった世界を想像してみて下さい。その世界では、光も、空気分子も、決して動きません。
そんな世界で、何かを見たり聞いたり、空気分子を押しのけて動いたりできると思いますか?〉
「……まあ、無理だな」
〈但し、『外界の何倍も速く時間が流れる領域』を少しずつ広げたり移動させたりする事は可能です。
そうする事で、広げたり移動させたりした領域の方向に動く事は可能ですし、その領域に内包されるものに対してならば、通常通りに物理的影響を与える事も可能です。
対象に影響を与えられるならば、その対象からも影響を受け得るのは、当たり前ですが〉
「それじゃあ、敵に攻撃を当てようとする瞬間までは、敵の動きを実質的に止めておく事が可能というわけか。
敵からは、相手がいきなり瞬間移動して攻撃してきたかのように見える、と」
〈はい。それと、『敵も味方も同程度の時間流速制御能力を持っている場合、時間流速が遅い領域を互いにかき分けながら戦闘せざるを得ない』という事を忘れないでください〉
「雪で埋め尽くされた空間をかき分けながら戦闘するようなものか。
鉢合わせするまで、互いの出方は分からない――厄介だな」
〈それゆえ、私も私の敵も、鉢合わせまでの間に膨大な計算量を伴う『読み合い』を行います。
彼我の情報処理能力に圧倒的な優劣が有る場合、優る方は劣る方の出方をほぼ完璧に読み尽くし、鉢合わせ前の予測と違わぬ結果を、鉢合わせ直後に得られます。
残念ながら、今回は彼我の情報処理能力に大差は有りませんが〉
「泥沼な戦いになるかも、という事か」
〈はい。……そこで、あなたの存在が鍵となります〉
「……本当に? 俺、物理学を多少かじった程度しか取り得らしきものが無い、凡庸な人間だぞ?」
〈己を卑下する事も無く高慢になる事も無く、自分の力量を正しく弁える事は美徳ですよ、健〉
「……ありがとう」
諭すような、励ますような、そんなメルリンの声に対し、俺は呟いた。
「それで、どういう意味で『鍵』になる、と?」
〈より正確に言うと、『鍵』となるのは『あなたが内包する模倣子』です。
……ついさっき、あの融合体が私を拘束しつつ連撃を加えていた間、地球に向けて超高エネルギーニュートリノビームを発射した少し後に、奴が何と言ったか覚えていますか?〉
「……「俺が最終調整を行った、ニュートリノ捕捉式走査システムの制御AIモジュールが役に立った」という旨の事を言っていたな」
〈その通りです。問題のAIモジュールには、あなたが最終調整を施した。
言い換えれば、問題のAIモジュールに対し、あなたが訓練を施した。
それゆえ、件のAIモジュールはあなたの自我を構成するミーム群の一部を受け継いでいます〉
メルリンのその言葉が引き金となって、俺は「技能や知識の継承もミームの伝播の一形態」という旨の依耶の言葉を思い返した。
〈つまり、あの融合体はあなたに由来するミーム群の一部をも内包しています。
しかも奴はそのミーム群を、他のミーム群に比べて、割と重用しています。
それは奴が超高エネルギーニュートリノビームの照準を合わせるのに件の制御AIモジュールを用いている事からも窺えます〉
「俺に由来するミーム群が『鍵』になるらしい事は分かった。だが、どうやれば『鍵』になる?」
〈『反乱』を起こさせるのです。
ミーム群の源流であるあなたと、奴が内包するあなた由来のミーム群との間に、私を介して『共鳴』を起こす事で、反乱を惹起できます。
もちろん奴は反乱の鎮圧を試みるでしょうが、たとえ鎮圧までの時間が短いとしても、私が奴に致命傷を与えるための隙は、充分に生じ得ます〉
「君を介して、か」
〈はい。そのためにはあなたの深層意識に接する必要が有り、従って、あなたの同意を得て『同調』状態になる必要が有ります〉
メルリンが俺に初めて話しかけた日、彼が
『同意を得て同調状態になれば、何の害も無く、俺の深層意識を読み取れる』
『同意無しでも深層意識の読み取りは可能だが、その場合、俺の脳は破壊される』
という旨の話をした事を、俺は思い返した。
それと同時に、俺は次の事柄を思い返した。
依耶がガーデスとの『同調』を『侵蝕』と呼んでいた事。
グレイと聖者の茨がヴァクトゥールの翼の力を借り受けるに際し、力を借りる事のリスクについてグレイが問いかけた事。
「リスクは、どれくらい有る?」
〈正直な話、「全く無い」とは言えません。
同意を得て深層意識を読みとる『だけ』なら、あなたに初めて話しかけた日に説明した通り、何の害も有りません。
但し、同調したままの状態で、戦闘など生命の危険を伴う行動が長時間に及ぶ場合は、話が別です。
同調状態を維持したままの戦闘を長時間行うにつれ、私との『同化』が進行します〉
「俺の自我が君に吸収されて消えてしまう、という事か? 14歳時点の依耶の自我をガーデスが喰い尽くそうとした場合と、同じ様に」
〈はい。……一般に、あなた達人間の様な通常物質から成る生命体と、私の様な超対称物質から成る生命体との『同化』は、前者と後者の力の差が大きければ大きいほど、速く進行します。
あなたと私との場合、『同化』までの時間は、「通常の時間流速の空間から見て」、約1時間です。
私が力の及ぶ範囲の時間を何倍に加速しようとも、「通常の時間流速の空間から見れば」、約1時間です。
その時間内ならあなたを同調開始直前の状態に戻せますが、その時間を過ぎるにつれ、元に戻せる可能性は急速に低下します〉
「それは、いま外で融合体の奴と戦っているみんなについても当てはまる事なんだな?」
〈はい〉
もう、躊躇っている場合ではない。俺は決心した。
「分かった。君との同調を、受け入れる」
〈ありがとうございます〉
メルリンは微笑みながら礼を言った。
〈ところで……健、あなたには剣の心得は有りますか?〉
「剣? そりゃ、高校と大学時代は一応剣道部だったから、初段ぐらいは申し訳程度に持っているが……正直、腕前にはあまり自信無いぞ?」
メルリンの唐突な問いに、俺は困惑気味に答えた。
〈それで、充分です。その程度でも下地が有れば、どうにかなります〉
メルリンが何を意図してこんな事を言い出したのか、俺は訝しんだ。
〈私の質問の意図は、同調すれば分かりますよ。……さて、始めましょう〉
彼がそう言ったとたん、俺は白金色の光に包まれ、俺の意識は一瞬途切れた。




