猛攻
奴は、足を付けていた海底の岩盤を蹴って、俺達に向かって突進してきた。
ただの一蹴りで、音速の数十倍にまで加速する。
――秒速約20km。地球が公転する向きに沿って跳べば、地球どころか太陽の引力圏ですら易々と振り切ってしまう速度。
奴の加速度は、地球表面の重力加速度の2千倍を優に超えるだろう。
全長10kmを超える巨体であるにも関わらず、奴は絶大な加速度に伴う破滅的な慣性力に平然と耐えていた。
奴が海底の岩盤を蹴って加速したという事は、岩盤もまた反作用を受けたという事。
奴の質量は3百億トン以上。――奴は地球上の半分以上の人間から遺伝子と模倣子を略奪し、それらの人間の肉体を全て分解・吸収してしまった。
2030年現在の地球人口約85億人に対し、老若男女・痩身肥満ひっくるめた個体毎の平均質量を約50kgとすると、犠牲となった地球人口の約半数の総質量は2億トン余り。
もちろんこれだけでは全然足りないので、奴が巨大化するに当たって周囲の海水と岩石と生物をも分解・吸収した事は明白だ。
メルリンと同様に、奴もまた周囲のあらゆるエネルギーや物質を分解し、全身から吸収できる。
何にしろ、3百億トン以上の巨体が海底の岩盤を一蹴りして秒速約20kmにまで一瞬にして加速したという事は、同じ質量の隕石が同じ速度で地球に激突したのと同じエネルギーが岩盤にぶつけられたという事だ。
そのエネルギー量、実に約6ゼタジュール(約6×10の21乗ジュール)。
仮に起こるとしたら、マグニチュード11・3の超巨大地震の総エネルギーに匹敵する。
ほんの十数分ほど前に奴によって不完全核爆発を誘発させられ消滅した全世界の核兵器が、仮に完全な核爆発を起こしていたとしても、奴の一蹴りの百分の一程度でしかない。
奴にとっては、地球人が作った最強の核爆弾であるツァーリ・ボンバですらも、人間にとっての癇癪玉ぐらいの危険度でしかない。
メルリンが俺達に状況を告げる光の平面は、少し前から、メルリンがガーデスの旧い本体を滅ぼすために地球の中心核付近に派遣していた分身を全て呼び戻した事を告げていた。
そして、それらの分身が展開した防御結界で破滅的なエネルギーを余剰次元方向に巻き取って逃がし、先ほどの奴の一蹴りによる周囲の被害を最小限に抑えた事を告げていた。
余剰次元――超弦理論とその発展形のM理論が予言する、3本の空間軸と1本の時間軸以外の、宇宙の座標軸。
宇宙開闢の直後、宇宙が極めて微小であった時代、11本の座標軸(11個の次元)はいずれも同じ大きさだった。
しかし宇宙が大きくなる過程で、3本の空間軸と1本の時間軸以外の「余剰次元」は極めて微小な状態に留まった(コンパクト化した)。
超弦理論とその発展形のM理論では、コンパクト化した余剰次元が素粒子たちの多彩な性質の源になっている事を説明する。
――光の平面が奴の一蹴りについての情報を告げていた当時、俺は頭の中で多くの事柄を連鎖的に連想していたものの、今ここに書いた通りの情報を瞬時に整理できていたわけではない。
しかしながら、僅かなりともメルリンが分けてくれた量子重力理論の知識が無ければ、俺は、防御結界の原理に余剰次元が関わっている事を理解できなかっただろう。
また、その知識が無ければ、後でこの回想録を書くに当たって、防御結界の原理と余剰次元との関係を先述の文章として纏め上げる事ができなかったであろう。
何にせよ、もしもメルリンの分身達多数が展開した防御結界が無かったならば、先ほどの奴の一蹴りだけで地球人は絶滅しかねなかった。
それだけは、当時把握できた。
奴の一蹴りでの人類絶滅をとりあえず免れた事に安堵する間も無く、衝撃が俺達を襲った。
「うわぁっ!」
「「うおぉっ!」」
「「きゃあぁっ!」」
俺達は口々に叫び声を上げる。
俺のすぐ近くにいる味方のうち俺以外の全員は空に浮かぶ能力を持っているので転倒しなかったが、俺だけはぶざまに尻もちを付いてしまった。
――マリさん、キョウコ、グレイの3人については既に空に浮かんでいる状態を目撃した事が有るが、ゴズモフ先生もまた、ハイドと重なり合っている時は同様に空に浮ける事を、俺はこの時初めて目撃した。
光る平面は、秒速約20kmで突進してきた奴がメルリンの本体であるヴァクトゥールに体当たりした事を告げていた。
もしもヴァクトゥールが防御結界を展開していなかったら、ヴァクトゥール自身は無事でも、その中に避難している俺達が受ける衝撃はこんなものでは済まなかったはずだ。
俺のすぐ近くにいる味方達は、それぞれに同調している超対称生命体の力によって空中に避難して制動をかける事ができるが、ことによったら、俺は百メートル以上先にある天井か壁に叩きつけられていたかもしれない。
俺がそんな事を考えていると、先程よりは弱いものの絶え間無い衝撃が、連続した振動となって俺達を揺るがした。
光る平面は、奴が前側の翼一対を変形させてできた無数の触手と元から有る長大な尻尾とでヴァクトゥールを拘束し、両腕と四本の脚で絶え間無く連撃を浴びせている事を告げていた。
「〈うりゃうりゃうりゃうりゃうりゃぁぁーーっ!!!〉」
奴はいかにも愉しげな様子で、空気の振動無くして脳に直接響く掛け声と共に、拳を、蹴撃を、鉤爪を、ヴァクトゥールに叩きつける。
その数、毎秒数百発以上。一発一発がマグニチュード9の巨大地震に匹敵するエネルギーを持っていた。
もちろん、奴のパンチ一発ですら、ツァーリ・ボンバの数倍以上のエネルギーを持つ。
毎秒ツァーリ・ボンバ1000発分を優に超える、地球上の全人類を数回絶滅させて余り有るエネルギーを毎秒受け続けているにも関わらず、ヴァクトゥールはそれに耐え続けた。
敵の破壊能力は筆舌に尽くし難いが、ヴァクトゥールの防御能力と耐久力も大概である。
俺達を守ってくれているヴァクトゥールに対する敵の猛攻は、たとえ『神』であっても止める事能わず、まさしく『神』すら超越する力の行使と言っても過言ではなかった。
〈ぐうぅっ……!〉
メルリンは、両手で持った杖を前に突き出して仁王立ちしたままの姿勢で、苦痛の呻きを上げる。
時々その姿がゆらめき、まるでノイズが入った映像のように見える。
――『メルリン』としての姿形は、ヴァクトゥールが人間との意思疎通のために作った仮の形に過ぎず、人間が無意識に取る仕草や思わず出す声を模倣する必然性は本来無いはずである。
しかし、少なくとも数万年に渡って陰ながら人間を見守っていたせいだろうか、『メルリン』の行動プログラムには『人間』の無意識的な癖が思いのほか色濃く反映されているのかもしれない。
メルリンが上げた苦痛の呻き声に対し、あの融合体は哄笑と共に言葉を発した。
「〈ハァーッハッハッハッハァーーツ!! 簡単に死ぬなよ? ヴァクトゥール!
『神』すら殺せる今の俺様にとって、地球はあまりにも脆過ぎる!
お前ぐらいに頑丈な奴じゃねぇと、壊し甲斐が無さ過ぎるからなぁーっっ!!!〉」
奴はヴァクトゥールに対して殆どゼロの相対速度を保ち、自身の加速に使えるエネルギーを全て攻撃に回していた。
ヴァクトゥールもまた、自身の加速に使えるエネルギーを全て防御に回していた。
その結果、ヴァクトゥールと奴との合計運動量は衝突直前と変わらず、衝突直前の奴の速度の半分で、両者とも地球周回軌道に乗りつつあった。
――それでも、両者の速度は秒速約10km。
あとほんの少し加速するだけで、地球の引力圏を振り切ってしまう。
「〈どぉしたぁ~!? 防御一辺倒かぁ~!!?
確かにお前はこの俺様の攻撃を殆ど防ぎ切っているが、微細なダメージは着実に溜まっていってるなぁ~。
あとどれくらい保つかなぁ~? 数時間かなぁ~? 数日かな~?〉」
奴は猛攻を続けながら、粘性を帯びた陰湿な言葉を発し、俺達の脳を不快感で揺さぶる。
「〈体内に匿っている弱っちい連中の事なんざ気にせずに攻撃に転じれば、お前が俺様を倒すのは難しくないかもなぁ~?
でもお前にはできないだろうなぁ~!?〉」
もしもヴァクトゥールが防御の手を抜いたら、俺はもちろん、真っ二つになった船体ごと匿われている『いずれ来る幸運』号の乗客の生き残りも、あっさり死ぬだろう。
地球起源の超対称生命体であるアジュール達と同調している、マリさん達は生き残るかもしれないが……。
「〈かと言って、地球に待機させているお前の分身どもをこっちに寄こすのも、お前にとっては不可能だ。
俺様にはまだこういう攻撃手段も残されているからなぁ~〉」
奴はそう言って、後半身側の翼一対に、無数の青白い宝珠を再び生やした。
――地球上の核兵器を悉く消滅させた、超高エネルギーニュートリノビームの発生器官だ。
無数の青白い宝珠から肉眼では見えない無数の超高エネルギーニュートリノビームが地球目掛けて発射される。
だがそれらは、地球で待機しているヴァクトゥールの分身達多数が展開している防御結界により、防がれた。
「〈お前が地球に待機させている分身どもをこっちに寄こしたら、超高エネルギーニュートリノビームを阻むものは何も無い。
超高エネルギーニュートリノビームがもたらすハドロンシャワーで、哀れ、人間どもは無惨な死を迎える、というわけだ!
アーッハッハッハッーーッ!!〉」
非常に腹立たしいが、このままでは奴の言う通りだ。
今の奴がヴァクトゥールに仕掛けている猛攻は、人間同士の一対一の格闘に例えれば、馬乗りの体勢を取って一方的に殴りまくっている状態に相当する。
極めて脱出困難な状態だ。
数時間後か数日後かは分からないが、微細なダメージが溜まり続けるとヴァクトゥールは防御結界の強度を維持する事ができなくなる。
そうなれば、マリさん達のように身を守る術を持つ人間はまだしも、そうでない人間は俺も含めて残らず死ぬだろう。
防御結界の強度を維持できなくなるほど弱った状態では、ヴァクトゥールが奴に勝てるかどうかも怪しい。
毎秒ツァーリ・ボンバ1000発分を優に超える猛攻を続けているままの状態で、唐突に、奴は思い出したかのように俺を名指しして言葉を発信した。
「〈……ああ、そうそう、健の奴がおっ死ぬ前に、健の奴に礼を言っとくよ〉」
「何っ!?」
「〈お前が2ヶ月ほど前にMAGIソリューションズの中で担当した、ニュートリノ捕捉式走査システムの制御AIの、最終調整。
完成した走査制御AIモジュールは、どこに運び込まれたと思う?〉」
「……まさか!?」
「〈そう、『ふくりゅう』の中だよ!
俺様が今の体を作り上げる時に核とした、『ふくりゅう』のな!
まったく、お前が調整した走査制御AIの出来は素晴らしかったよ。
多種多様なニュートリノ源から、核物質由来のニュートリノの空間分布密度を的確に拾い出してくれるんだからな!
おかげで、世界中の核兵器と原子力艦の位置が丸分かり!
超高エネルギーニュートリノビームの狙いを付け易かったぜーーっ!!
ハーッハッハッハッハーーッ!!!〉」
「何、だと……!?」
俺は奴から聞かされた事に愕然とし、その場で膝を付いた。
……知らなかったとは言え、俺は奴による大虐殺を間接的に手助けしてしまったのか!?
「〈おいおい、元気出せよ! 健!
核兵器とかいうクソウゼぇオモチャを世界中から抹消できたのは、お前のおかげでもあるんだぜ!?
フゥワハハハハァーーッ!!〉」
奴の哄笑に対し、俺は何も言い返せなかった。
そんな俺を、メルリンが叱咤激励する。
〈健! 奴の言葉に翻弄されないでください!!
……奴が今明かした事が本当なら、この状況を打開するチャンスにも成り得ます!〉
「チャンス……だって?」
その時、俺はメルリンが言う所の『チャンス』がどの様なものか、全く想像がつかなかった。
〈その『チャンス』を活かすには、あなたのすぐ側にいる私の友達はもちろんの事、あなたの全面的な協力が必要です〉
「俺が……この状況を打開する役に立てるのか!?」
〈正直、100%の確率でその通りだと断言する事はできません。
しかし、このまま手をこまねいていたら、我々の敗北はどっちみち避けられません〉
「俺達の協力が必要だと言ったな。どうすればいい?」
グレイがメルリンに問いかけた。
〈あなた達に、私の『翼』の力を貸し与えます。
最初に、マリと蒼穹の天使の組に。
次いで、キョウコと真神、グレイと聖者の茨、ジーキルと死神の騎士に。
私の本体から『翼』を1枚ずつ分離して、それぞれの組ごとに1枚ずつ、貸し与えます〉
「そんな事をしたら、防御が手薄になるのではござらんか?」
死神の騎士を相方とするゴズモフ先生が疑問を呈する。
〈現状から翼を1枚分離するだけなら、私の本体の防御能力は大して変わりません。
一方、マリと蒼穹の天使の組が私の翼の力で強化されたなら、防御障壁展開時の防御能力は私に準ずるものとなるでしょう。
その状態なら、他の組に翼を貸し与える余裕が生じます〉
「マリとアジュールが、あなたの翼の力で強化された防御障壁を全力で展開している間、残りの組が奴に攻撃を仕掛けるって事?」
マカミと一体化したままのキョウコが問う。
〈はい。私の本体の翼によって、あなた達の姿も能力も大きく変わります。
1時間ぐらいなら、奴の攻撃に耐え続ける事もできるでしょうし、
看過できない程度のダメージを奴に与える事もできるでしょう〉
「俺達があんたの『翼』によって強化された後、元の姿に戻れるのか?」
再びグレイが問う。
〈正直に言うと、戦いが長引けば長引くほど、元の姿に戻す事が難しくなります。
……先程「1時間」と言ったのは、私があなた達を元の姿に戻せる限度の目安でもあります〉
答えるメルリンの声に、心苦しさが垣間見える。
それに対し、グレイは数秒間だけ逡巡して、迷いを振り払うかのような口調で、言った。
「俺は……やるぜ。聖者の茨も、協力する意志を俺に伝えている」
「グレイと聖者の茨がやるなら、当然、私とマカミもやるわ」
「拙者とハイドにも、異存はござらん」
「もちろん、私とアジュールだって」
俺の周囲の味方は、メルリンの策に対して口々に同意を示す。
〈健、あなたは……どうします?〉
メルリンの問いに、俺は内心躊躇いながらも、勇気を振り絞って、答えた。
「俺も……全面的に協力する!」
実の所、俺の内心には恐怖が渦巻いていた。しかしここで協力を拒むのは愚の骨頂。
どの道、ヴァクトゥールが奴に敗北するような状況に陥れば、俺達は確実に死ぬ。
メルリンに協力する以外の選択肢が有ろうはずも無い。
〈皆さん、ありがとうございます〉
メルリンは俺達に感謝の意を伝えた。
〈それではまず、マリとアジュールの組を、私の背の後半部分から尻尾にかけて生えている垂直尾翼の根本に、空間転移させます。
そして垂直尾翼を分離して、マリとアジュールの組に貸し与えます〉
メルリンがそう言った途端、アジュールと一体化したままのマリさんの姿が、俺の眼の前から消え失せた。




