悪夢顕現
気が付くと、緑色に光る防御障壁の外は、見知らぬ所だった。
第一印象は『大洞窟』。岩石の様に見える壁面の所々が穏やかに光っている。光苔だろうか。
俺が視線を動かして周囲を確認している間に、緑色に光る防御障壁は徐々に消えていった。
防御障壁を発生させていたアジュールが周囲の安全を認識したからだろう。
今いる所は、人間が読書するのに差し支え無い程度の、強過ぎでも弱過ぎでもない穏やかな白色光で満たされている。
辺りは暑くも無く寒くも無く、湿度もちょうど良い。息苦しさは全く無い。
岩石の様に見える壁面は銀灰色。壁面の光っている箇所は、柔らかな白色光を穏やかに放っている。
最初は、光苔が壁面に張り付いているのかと思った。
だが、地球上で実在が確認されている光苔は実は自ら発光しているのではないから、あれは光苔ではないのだろう。
実在が確認されている光苔は組織の一部がレンズの役割を果たす細胞によって構成されており、そのレンズ状細胞が周囲の僅かな光を増幅する事により、光って見えるのだと言う。
今いる所の光源が仮に光苔だとしたら、光苔のレンズ状細胞に含まれる葉緑素によって緑がかった光になるはずだから、その意味でも、あれは光苔ではないと思われる。
「ここは……どこだ?」
俺は思わず呟く。
〈私の体内ですよ。私の本体の内部〉
メルリンの声が聞こえた。天井から聞こえて来たような気がする。
……気が付くと、メルリンの姿だけ見当たらない。
他の味方の姿はすぐに見つかり、全員無事を確認できた。
「た……体内!?」
〈はい〉
「あいつはどうなった!?」
〈今、私の分身のうち1つが捉えている状況の映像を見せます〉
彼がそう言うと、俺達の前方に突如として光る平面が現れる。
〈これは、私が瞬間移動能力を使ってあなた達と一緒に脱出した直後の状況です。今から3分前にずれている、過去の状況です〉
光る平面には、映像が映し出された。
その映像は、ついさっきまで俺達が乗っていた船『いずれ来る幸運』号の全体像。
最上甲板より上はきれいさっぱり吹き飛んでいる。
その映像は、普通の人間が見る事のできない超対称物質も捉えていた。
メルリンの本体――ヴァクトゥールと常に同期状態にある分身のうち1体が捉えている映像なのだから、当たり前であるが。
ついさっきまで最上甲板と重なり合っていた超対称物質製の分厚い装甲板は、前後から丸まった後、闇の奔流で俺達を消し飛ばそうとした『あいつ』のすぐ側まで丸まった状態で、一旦動きを止めていた。
そして程無く、形が崩れ始めて半透明の不定形物体となり、『あいつ』を包み込み始めた。
超対称物質で出来ている不定形物体は、球体となった。
まるで煮凝りの様に見える、半透明の黒い球体。直径約50m。
半ば船に重なり合っているその半透明の黒い球体の中心に、『あいつ』は浮かんでいた。
唐突に、黒い球体の表層が弾け飛び、一回り小さくなる。しかし弾け飛んだ部分もまた超対称物質であったため、船体に影響は無い。
それから少し経って、船のあちこちから黒い点の様な物が涌き出てきた。
千個や二千個は優に超えていた。
それらの黒点はあっという間に黒い球体に吸収されて消えた。すると、一旦一回り小さくなった黒い球体は、最初の大きさから一回り大きくなった。
一回り大きくなった黒い球体は、また形を変えていった。今度は、上下に長いラグビーボールの様な形。全長約百メートル。
その黒いラグビーボールは、物凄い勢いで海に潜っていった。
黒いラグビーボールの中心に在り続けるあいつは、船体を紙の様に貫通して行く。
その勢いに巻き込まれ、世界最大の豪華客船はいともたやすく真っ二つとなった。
「「「船が!!!」」」
俺達は悲鳴を上げる。
その直後、真っ二つになった船は突如として白い光に包まれた。
その次の瞬間、船は消えた。
〈私が瞬間移動させました。……残念ながら、奴が船から充分離れなければ、奴の妨害を跳ね除けて船を瞬間移動させる事は不可能でした〉
メルリンは心苦しさを滲ませた声で話した。
「船はどこに?」
マリさんの問いに、メルリンが答える。
〈それもまた、私の本体内部に在ります〉
メルリンがそう言うと、もう一つ別の光る平面が現れ、真っ二つになったイベンチュアル・フォーチュン号が映し出された。
周囲は、俺達が今いる所と同じく、大洞窟を思わせる所。所々が穏やかに白く光る、銀灰色の壁面。
「……え? ちょ、ちょっと待って、メルリン、君の本体ってどんだけでかいの……?」
〈ほどなく分かりますよ。その事よりも先に、伝えるべき事がいくつも有ります〉
彼がそう言うと、また別の光る平面が現れ、映像を映し出した。
ほとんど濃紺一色に塗りつぶされた光景。だがその光景には、横に細長く丸みを帯びた、部分的に隆起している箇所が有る葉巻型の物体の輪郭が、くっきり映し出されていた。
〈これは、今から1分前の、過去の状況です。これも私の分身のうち別の1つが捉えたものです。
あなた達に分かりやすいように、画像補正を掛けてあります〉
「潜水艦……『ふくりゅう』だ……」
それは、依耶 瑁人が自らその存在を明かした、秘密裡にニュートリノビーム艦に改造された最新鋭潜水艦だった。
形状自体は、海上自衛隊の公式ホームページにて公開されていた写真と同じ形状であった。
それ目掛けて、さっき見た半透明の巨大な黒いラグビーボールが急速潜航して行く。
「依耶は……イベンチュアル・フォーチュン号の真下にふくりゅうを随行させていたのか!?」
〈はい。……あの潜水艦には、MAGUS・1とは別個に依耶 瑁人が創造したAIコアシステムが搭載されており、無人でも運用可能である事が、今までの調査で判明しています〉
依耶は(おそらく軍用も含めて)全世界のネットの過半数を支配しているという旨の事を言っていた。その支配力をもってすれば、支配下に置いている艦船の運用状況を欺くのは簡単な事だろう。
増してや、依耶は全世界のスマホを直接あるいは間接に支配し、スマホ所有者の脳に任意のミームを感染させる能力すら持っていたのだ。
その能力をもってすれば、人間の監視者を操り、事実を誤認させたり改竄させたりする事も容易い事だろう。
実際に依耶は、半ば自発的に勃発した『12・1 欧州同時多発テロ事件』の惨禍をさらに拡大するためにイスラム系過激派組織を操ったり、中南米の麻薬組織を自滅させてその資金を強奪したりしたのだから。
「その気になれば……奴は俺達目掛けてニュートリノビームを発射する事も可能だったのか!?」
『背筋が凍る様な感覚』とは、俺が今まさしく感じているような感覚だ。
〈理屈の上では、ね。実用上の観点からは、必ずしも可能とは言えませんが。
……攻城用の巨大な投石機を運用可能だからと言って、その投石機の足元にいる人間を攻撃可能とは限りません。それと似たような事情が有る模様です〉
なるほど。そうすると、依耶とガーデスの融合体である『あいつ』が言っていた「もっと度肝を抜くもの」とは、少なくともふくりゅうからのニュートリノビームの事では無さそうだが……。
そんな事を考えていた数秒の間にも、黒いラグビーボールはふくりゅうに接近し、ついに接触した。
黒いラグビーボールはまた変形し、ふくりゅう全体を包み込む。
やがて、半透明の黒い物体は、ふくりゅうの形を模した全長約200mの葉巻型に変形した。
黒いゼラチンの様な物体の内部に、ふくりゅうが埋まっていた。
そして、ふくりゅうの艦橋のてっぺんには、融合体の『あいつ』が立っていた。
不意に、ふくりゅうを包み込む物体の透明度が落ち、真っ黒になる。
あらゆる波長の光を吸収する、黒。
〈そして、これが現在の状況です〉
更に現れる、別の光る平面。イベンチュアル・フォーチュン号がついさっきまで進んでいた海域を、高々度から見た映像であった。丸みを帯びた地平線と水平線も見える。
その地平線と水平線の彼方の、あらゆる方向から、無数の黒点が殺到してきた。
まるで、黒蠅の大群の様に見える。俺はその光景を悍ましいと感じた。
無数の黒点は、一つの例外も無く、同じ所に向かっていた。――イベンチュアル・フォーチュン号が真っ二つになった所だ。
無数の黒点の群れは、さっき海に潜って行った物の後を追うように、海中に飛びこんでいった。
〈ふくりゅうの映像も、現在のものに切り換えます〉
メルリンがそう言うと、ふくりゅうを包み込む黒い物体に、無数の黒点の群れが殺到し、吸収されていく光景が映し出された。
黒い物体は見る見る内に大きくなっていく。ものの十秒かそこらで、数百メートル級の大きさになった。
〈他の視点の映像も、現在のものに切り換えます〉
その言葉と共に映像が切り換わった時、俺は本当に度肝を抜かれた。
見る間に数百メートル級を超え数キロメートル級の大きさになった黒い物体は、もはや海中から大きくはみ出ていた。
更に大きくなり続けると同時に、急速に変形し始める。
最初は、馬の様な形に見えた。悪夢の黒馬。
そのうち、馬の首から上の部分は人間の上半身に似た形に変形する。――ふくりゅうの艦橋にさっき立っていた『あいつ』の上半身そのものだった。
最初は馬の形をしていた残りの部分も、更に変形する。――馬と言うよりは、全身を鋼のようにも黒い鼈甲のようにも見える鱗で覆われた、四脚の竜のように見える。
海底に接する四つの脚は虎のそれのようにも見え、鱗に覆われた長大な尻尾の部分だけで全長1kmを超えていた。
そして、翼。
四脚で支えられている胴体の、背中の後ろ半分から腰の辺りに生えて来た一対の翼は、一見すると鳥の翼のようであったものの、細部をよく見ると、葉が生い茂る樹木のような構造になっていた。
人間に似た上半身の背中から元々生えていた翼も、一見すると蝙蝠の翼のようであったものの、細部は同じ様に葉が生い茂る樹木のような構造に変わっていた。
『樹叢機人(ブッシュロボット)』――ロボット工学者のハンス・モラヴェックが考案した、ロボットの構想。かつてモラヴェックの本を読んだ時に目にしたそれを、俺は思い起こした。
樹叢機人は超微細機械の超集合体であり、胴体から分岐した複数の操作肢から更に小さい複数の操作肢が分岐し……という造形を複数回繰り返した多重自己相似構造になっている。
フラクタル構造を持つそれの全体は、樹木や叢林に似た形に見え、
『「樹叢」ロボット』と呼ばれる所以となっている。
分岐を繰り返した樹叢機人の操作肢の最末端は、最小単位のナノマシンそのものとなっている。それによって、ブッシュロボットは原子1個すらも最小単位の操作肢でつかみ、自由に操れる。
また、ブッシュロボットは、自らを構成するナノマシンの配列を変える事によって、まさしく『変幻自在』と呼ぶにふさわしい形態・能力・機能を持ち得る。
あいつの翼の構造は――どう見ても、樹叢機人の操作肢の構造そのものである。
メルリンが超感覚と分身を駆使して把握し、俺達に理解できるように編集し、光る平面に映し出した情報は、あいつの翼の潜在的能力を示唆するものだった。
「あいつ……どこまででかくなるんだ?」
グレイが呻くように呟いた。
〈差し当たりは「利用上都合良い材料が尽きるまで」でしょうか〉
メルリンが沈痛さを感じさせるような声で答える。
「『利用上都合良い材料』、ですって?」
キョウコが、何か嫌な予感を感じ取ったかのような表情で、メルリンに問い返す。
〈はい。奴は、その元となったガーデス同様、あらゆる物質やエネルギーを自らの都合良い形に変換できます。
しかし、奴が成長するには、物質やエネルギーだけでなく、『情報』が必要なのです。
もう少し詳しく言うならば、奴の成長には奴にとって望ましい性質を持った『模倣子』が必要なのです〉
人間としての依耶がまだ存在していた時、依耶は確かにこう言っていた。
『私の契約相手が『滋養』として欲しがっているのは、ミームです。より強力な思考能力の基盤となる、ミームです』
『私の契約相手は、自身にとってより好ましい性質を持った大量のミームと、それらのミームの有機的な結合とを、欲しています』と。
「あいつは黒点の群れを吸収するたびに巨大になっていくけど……あの黒点って、まさか……」
マリさんが少し震え気味の声で、疑問を発する。
〈はい。人間です。正確に言えば、『ついさっきまで人間だったもの』です。
奴にとって望ましい性質を持ったミームを地球上で最も多く含む『材料』とは、『人間』なのですから〉
メルリンの声に、俺達は絶句する。その沈黙を破るようにして、ゴズモフ先生が問う。
「それでは、奴はどうやって人間をあのような形に変えて吸収しておるのだ?
……一度奴が急速に巨大化する前に少しだけ小さくなった一瞬が有ったが、それが関係しているのでござるか?」
〈その通りです、ジーキル〉
メルリンがゴズモフ先生をファーストネームで呼ぶ。
〈奴が巨大化する過程で、少しだけ小さくなった一瞬。その時に、奴は大量のナノマシンを散布していたのです。
元々は超対称物質製の装甲板だった物を材料にした、超対称物質製のナノマシンです〉
彼はそう言って、少し前に映し出した映像をもう一度映し出す。
それは、まるで煮凝りの様に見える、半透明の黒い球体。直径約50m。
半ば船に重なり合っているその半透明の黒い球体の中心に『あいつ』は浮かんでいたが、唐突に黒い球体の表層が弾け飛び、一回り小さくなる。
その一瞬が、映し出されていた。
〈あの超対称物質製のナノマシンの群れは、もちろん通常物質を素通りできますが、通常物質との相互作用率を任意に変える事もできます。
その能力によって、通過した通常物質の成分や構造の情報を読みとる事もできます。
そして、通過した通常物質がたまたま人間を構成する物質であった場合……あのナノマシンどもはまずその人間の脳の位置に重なり合おうとします。
次いで、その人間の脳が『望ましい性質を持ったミーム』を多く保持しているかどうか、調べます〉
「『望ましい性質を持ったミーム』というのは、つまり……」
〈はい。依耶 瑁人が比喩的に『悪意のミーム』と表現した、ミームです。
その他、『恐怖』や『絶望』などのミームも〉
俺は話の続きを想像して慄然としたが、我慢して、続きを聴いた。
〈あのナノマシンどもは、『悪意』『恐怖』『絶望』などのミームを多く含む人間の脳を見つけると、その脳の乗っ取りを試み始めます。――情報的な意味でも、物理的な意味でも。
見つけた直後、最初に脳の情報伝達経路に干渉して、脳を支配するためのミームを感染させます。
この時、依耶 瑁人が生み出した『ペルソナ』や、『ペルソナ』に間接的に支配された他社のAIアシスタントへの依存度が高い者ほど、あのナノマシンどもが注入するミームへの感受性が高くなります〉
……想像通りだ。前もって頭に思い浮かんだからといって、心の準備の役に立たない事柄だから、始末に負えない。
〈首尾良く脳を支配した後、あのナノマシンどもはミームを自身に取り込む過程を開始します。
この過程は不可逆過程です。残念ながら、この過程を実行された脳の機能は、破壊されます〉
メルリンの声に、再び心苦しさが滲み出る。
〈犠牲者の脳からミームを収奪した後、あのナノマシンどもは肉体さえも収奪します。
超対称物質と通常物質との相互変換機能を応用して、肉体を構成する通常物質を超対称物質に変え、自らの構成材料にするのです。
そして、数を増やしたナノマシンどもは、本体――『奴』のいる所まで戻り、再吸収されます〉
「それが……『奴』が肥え太った仕組みでござるかっ!?」
ゴズモフ先生が、憤りを抑えきれずに、叫ぶ。
〈依耶 瑁人が支配下に置いたスマホに依存し、尚且つその脳内に『悪意』『恐怖』『絶望』の少なくとも1つがある程度以上満ちていると、あのナノマシンどもが注入するミームの感染に抵抗できずに『奴』の材料となってしまいます。
……おそらくはこの数分間で、地球上の人間のおよそ半分が犠牲になっています〉
メルリンの言葉に心苦しさが更に強く滲み出る。
俺達の間に重苦しい沈黙がのしかかる。
その沈黙を無理矢理にでも打ち破るべく、グレイが口を開いた。
「……どうやったら倒せるんだ……あの化け物を!」
グレイの言葉に対し、メルリンが言葉を返す。
〈そのために、私はあなた達を私の体内に避難させました。
――その他の人達もできる限り避難させたかったのですが、残念ながらあの時は、『奴』が離れて行った直後のイベンチュアル・フォーチュン号を瞬間移動させるのが精一杯でした。
『奴』の材料になる事を免れた人達は、今も船の中で生きています。
怪我人などは、私の他の分身達が、只今治療中です〉
「生存者が……いるのね……」
マリさんが少しだけ安堵した様子で呟く。
〈今から、私は本体を移動させます。――地球に。
『奴』を滅ぼすための戦いにおいて、あなた達が『鍵』になるかもしれません〉
メルリンがそう言うと、今いる所の地面から、壁から、天井から、力強い振動が伝わり始めた。




