窮地
ゴドゥゥゥンッッ!!!
爆発音は、足下から伝わった後、俺の耳に届いた。
それとほぼ同時に、明らかに人間ではなさそうな何者かの悲鳴が複数、足下から伝わった後、俺の耳に届いた。
〈部下どもめ……一体何をやっておる……〉
爆発音と悲鳴を認識して、赤い奴が少しばかり不快感を露わにする。
「……おやおや、困った部下達だ。私が合図するまで待てと言ったのに、もう暴れ始めましたか」
依耶 瑁人は余裕の表情のままで、そう言った。
……今のうちに、何とか逃げられないだろうか?
だが、そんな俺の内心を見透かしたかの様に、依耶が言い放った。
「無駄だと言ったはずですが?
我が契約相手はあなたよりずっと速く動くと言ったでしょう?
よしんば、あなたが一度や二度まぐれでよけたとしても、私が逃げ道を残しているとでも?」
依耶は、指をパチンと鳴らした。
すると、俺と依耶と、あの赤い奴――依耶が言う所の「我が契約相手」――の周囲を取り囲む様にして、ぼんやりした像が多数、新たに現れた。
数秒後、それら多数の像は明確な輪郭を持つ像となった。
……こいつらも、超対称生物か!
こいつらの半数近くは、だいたい同じ姿をしている。
赤銅色の、金属の様な質感を持つ肌。
全体的な体つきは筋骨隆々とした人間に似ているが、身の丈は3mを優に超える。
頭からは山羊の様な角が張り出しているし、大きな翼や太くて長い尻尾も有る。
口には発達した犬歯、手足には鋭い鉤爪。
中には、腕と脚の数の合計が4本より多い個体や、その代わりに触手を生やしていたりする個体、眼や耳を3つ以上持つ個体、口を2つ以上持つ個体もいた。
個体差が大きいが、赤銅色の肌の怪物どもは、互いに近縁の超対称生物であるらしい。
赤銅色の怪物以外の超対称生物は、肌の色や質感などの外観は様々で、もっと個体差が大きかった。
平べったく丸っこい毛むくじゃらの胴体の上に王冠を被った髭の無い中年男性の頭部と猫科の猛獣の頭部と蟇蛙の頭部が生えていて、胴体の下に無数の触手が生えている、身の丈2mほどの怪物。
宙に浮いていて、黒山羊の脚の様なものが等間隔で放射状に5本生えていて、脚の付け根が獅子の頭部と繋がっている、差し渡し5mほどの怪物。
全体的には虎に似ているが、頭に牛の様な角が生え、体毛は山荒に似ており、尻尾は蛇のそれで、広げると翼開長6mほどもありそうな猛禽類の翼を持った、全長約5mの空飛ぶ怪物。
全体的には人間の女性に似ているが、全身を黄銅色の金属光沢を帯びた外骨格に包まれ、人間の両脚の他に驢馬の様にも見えるもう一対の両脚が腰から床まで伸び、臀部が背後に向かって楕円状に突き出した怪物。
そいつの両腕は手首から肘の辺りの外骨格の一部が外側に向かって鎌の様に飛び出しており、背中に有る黄銅色の翅と透明な翅を広げているので、そいつの姿は人間大の雌の蟷螂を思わせる。
まさしく、魑魅魍魎の軍勢。
数百体以上はいるだろうか。
「この者達は、我が契約相手の配下の中でも特に強力な個体達から成る、言わば我が契約相手の親衛隊です。
強い能力を持つゆえに、その気になれば普通の人間にも姿を見せる事ができます。
親衛隊の中には、
我が契約相手が自らの体の欠片を種として生みだした純然たる眷属もいれば、
我が契約相手が地球由来の超対称生物に『品種改良』を加えた者、
あるいは眷属と地球由来の超対称生物との合いの子もいます。
かつて敵によって破壊された思考能力をある程度取り戻した時、我が契約相手はむやみに地球由来の超対称生物を捕食するのを止め、その代わりに従属させ始めたのですよ」
あの赤い奴――メルリンが言う所の「敵司令官」――は、太古の昔から地球の超対称生態系を侵蝕してきた、地球外の超対称生物の分身である。
しかし依耶は、メルリンが言う所の「敵司令官」と「敵の首領」とを、明確に区別していない様にも見受けられる。
依耶は「首領」の存在に気付いていないのだろうか?
そんなはずはあるまい。
俺よりもずっと知能が高く、あの赤い奴相手にふてぶてしくも契約をもちかけ、しかも成約に結び付ける、あの依耶が。
依耶が「首領」の存在を知っているにも関わらず、「首領」と「司令官」の区別を付けずに「我が契約相手」と一括りにして呼ぶのであれば、それはおそらく「区別する必要を感じないから」という事であろう。
依耶の口ぶりから推察するに、「敵司令官」と「敵の首領」は、どちらも本体になる事ができ、どちらもが互いの予備に成り得る関係なのかも知れない。
何にせよ、あの赤い奴は多くの超対称生物を下僕としている。
こいつらこそ、世界各地の神話や伝承や怪談に出てくる悪魔・怪物・妖怪の類の起源なのだろう。
あの赤い奴の下僕どもは、半球状に広がって、俺と依耶と赤い奴を取り囲んでいた。
――逃げ道は無い。死角も無い。赤い奴が、勝ち誇ったかのように悠然と俺に迫って来る。
今度こそ、万事休すか。
俺が諦めようとしていた、まさにその時。
俺のスーツの胸ポケットから三日月のペンダントが飛び出し、そこから溢れ出た白金色の光が、半透明の光の球となって俺を包み込んだ。
俺に迫って来た赤い奴が光の球に接触する。
〈グアァァァァァッッッ!!!〉
赤い奴は、凄まじい苦痛の叫び声を上げて、俺から飛び退いた。
こころなしか、光の球と接触した下顎の表面が蒸発してえぐれたように見える。
〈どうやら、間に合ったようですね〉
しばらくぶりに聞くその声に、俺は振り返った。
「メルリン!?」
〈お久しぶりです、健〉
そこには、俺が初めて会った時と同じ姿の、メルリンがいた。
〈グヌウゥゥゥゥゥッ!! *******!! 貴様ぁぁぁっっっ!!!〉
赤い奴は、メルリンを指し示す固有名詞と思しき単語を発した。
人間が正確に発音する事は不可能であるが、敢えてカナ表記するなら……
『ヴァクトゥール』
これが、正確な発音に最も近い表記であろう。
〈生憎ですが、****、お前が健を喰らおうとしても、この私がそうはさせません〉
メルリンは赤い奴にそう言い放つ。
あの赤い奴の固有名詞と思しき部分は、依耶が俺に赤い奴を紹介した時に発した固有名詞と同じ様に聞こえる。
あの赤い奴の名前を敢えてカナ表記するとしたら、やはり、『ガーデス』が最も近い表記であるようだ。
それにしても、いつも温厚な口調で話すメルリンが、あの赤い奴――ガーデスを「お前」呼ばわりとは。
それは、ガーデスに対する静かなるも強い敵意の顕れであると言えよう。
メルリン――ヴァクトゥールの宣告に対し、ガーデスが吼える。
〈「そうはさせません」だと!? 嗤わせるな!!!
いかに貴様と言えど、たかが分身1体でこの我と我が部下どもをどうにかできると思うてか!!?〉
ガーデスとその親衛隊の悪意が凝縮して「殺意」となり、メルリンと俺に投射される。
その「殺意」に物理的な「実体」は無いはずであるにも関わらず、全身を高熱で炙られる様な、肌がちりつく感覚を覚えた。
三日月のペンダントが生み出した半透明の光球――まさしく『結界』――に守られていなければ、本当に肌が焼け焦げたかもしれない。
しかしメルリンは、ガーデスと親衛隊から殺意を投射されても、涼しい顔をしていた。
〈確かに、今ここに在る1体の私のみなら、分が悪いでしょうね〉
メルリンが一旦言葉を区切った、次の瞬間。
ギィンッッ!!!
鋼の塊が断ち切られたかの様な、しばらく耳が痺れそうな衝撃音を、俺は聞いた。
ズンッッ!!
何トンもある様な恐竜か何かが、岩石でも蹴り飛ばしたかの様な、衝撃音。
その衝撃音を追いかける様にして、直径3m余りの分厚い円盤が宙を舞った。
それは、丸く切り抜かれた最上甲板であった。
〈ぬうっっ!〉
ガーデスが短い唸り声を上げて、切り抜かれた甲板を避ける。
……ん? 奴の今の動作、何か違和感が……
ガーデスが避けたその先には、赤銅色の下僕が何体かいた。そいつらも慌てて避けたが、逃げ遅れた1体の頭を、丸く切り抜かれた甲板が砕いた。
――おかしい。さっき逃げ遅れた奴は何故頭を砕かれた?
いや、そもそも、ガーデスと下僕数体は、丸く切り抜かれた直径3m余りの甲板を何故避けた?
超対称生物が通常物質で傷つけられる事は殆ど皆無であるはずなのに。
そんな疑問が頭をよぎった、ちょうどその時。
「客船の甲板にしてはずいぶんと頑丈でござったな。やはり、超対称物質で出来ている装甲板と重なり合っていたせいでござるか。
かくも堅牢な装甲板なれば、道理で、アジュールが放った超対称光子の反射波が発生したわけでござる」
俺の足下から前方に数歩離れた所に開いた丸い穴から、聞き覚えの有る声が聞こえた。
その時実際に使われていた言語は英語だった。
「アジュールの超対称光衝波に敵味方識別機能が無かったら、俺達の守護精霊も反射波でダメージを受けてたかもな」
「最初の衝撃波と反射波、図らずも2段構えの攻撃になって、雑魚が一掃されたのは好都合だったわね」
「私の守護聖霊が驚かせてしまって、ごめんなさいね」
聞き覚えの有る声が、他にも3つ。いずれも英語だった。
と、その時。
俺の前方に開いた丸い穴から4つの人影が飛び出し、穴の周囲に着地した。




