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契約内容

 俺から見て、依耶(よりや)の左上に現れた、明確な輪郭を持つ像。


 全体的に赤く、溶岩を思わせる鈍い赤色の光を放っている。

 その像は鈍い赤色の光を放つ一方、黒い(もや)の様なものを纏っていた。

 その黒い靄が、周囲の光を喰らっている様にも見える。

 それにも関わらず、黒い靄の中心に在る赤い像の明確な輪郭を見る事ができた。


 その像に対する俺の第一印象は『(かぶと)』だった。

 だが、人間が被る兜にしては大き過ぎる。人間の頭部の3倍余りの大きさだ。

 それに、人間が頭を入れる穴は無く、その代わりに、鋭い牙が並んだ(あぎと)が有る。


 全体的な形状は髑髏(どくろ)によく似ているが、鼻梁(びりょう)は有る。上(あご)と半ば一体化した、大きな鉤鼻だ。先端が尖った大きな耳介も有る。

 表面を覆う皮膚らしきものは硬質な質感を持ち、熱せられた鋼の様でもある。

 頭髪や(ひげ)などの、体毛らしきものは見当たらない。

 両側頭部からは、大きく湾曲した(いか)つい角。

 そして、眼は3つ有る。いずれも空洞で、空洞の中で赤い炎が燃えている様に見えた。


 メルリンの姿と同様に、そいつの姿は半ば透き通って見える。

 だがメルリンと違って、そいつからは尋常(じんじょう)ならぬ禍々(まがまが)しさを感じた。


 俺の背中に悪寒が走る。それを振り払おうとして、俺は、わざととぼけた言葉を放った。


「……随分と凝った、立体映像だな?」


「立体映像ではありませんよ。『実体』です。

 普通、人間が彼の姿を見る事はできませんが、彼が自らの力で周囲の空間を光学的に歪めた場合は、話は別です」


 依耶は右の掌を赤い像に向けて、言った。


「紹介しましょう。私の(マイ・)契約相手(コントラクティー)です。

 彼は――人間的な意味での性別は持ちませんが、思考様式は男性的なので、便宜(べんぎ)上、『彼』と呼んでいます」


「……名前は……有るのか?」


「有ります。しかし、人間には厳密な発音は不可能です。

 無理矢理発音すれば、さしずめ、『****』といったところでしょうか」


 依耶が発した言葉のうち『****』の部分は、俺には『ガーデス』と呼んでいる様に聞こえた。

 依耶が『****』という固有名詞らしきものを発した直後、怒声が発せられた。


〈我が請負人(コントラクター)依耶(よりや) 瑁人(まいと)よ、我が名を(みだ)りに呼ぶなと言うたであろう!〉


 そいつの声は、メルリンの声と同様に、耳を通さずに頭に直接響いた。

 そいつの声に気圧されてその場にへたり込みそうになったが、俺は気力を振り絞ってこらえ、辛うじて立ち続けた。


 そんな俺の様子を尻目に、依耶は涼しげな顔のまま、そいつに語りかける。


「そんなに怒らないでくださいよ。もうすぐ、あなたが所望(しょもう)するものを味わえるでしょうから。あなたを健に紹介するのも、味付けの一環だと思ってご容赦下さい」


〈うぬぅ〉


 そいつ――依耶が言う所の『私の(マイ・)契約相手(コントラクティー)』――は依耶を睨みつけたが、やがて俺に視線を戻し、依耶の右手側から真上にゆっくり動き、再び黙り込んだ。

 この『契約相手(コントラクティー)』とやらが、メルリンが言う所の『敵司令官(コマンダー)』と同一の存在であるに相違無い。俺はそれを確信した。


 それにしても……


「……味付け、だと?」


 依耶の頭上にいるあいつがメルリンの同等の存在であるならば、あいつも人間的な意味での飲食は必要としないはずだが……?


「私にとってはどうでもいい事なんですが、私の契約相手が「たまには変わったものを摂取したい」なんて我儘(わがまま)を言うもんで、仕方無く、ね」


 そう言って、依耶は肩をすくめた。


「そいつが人間と同様に飲み物や食べ物を必要とするとは、とても思えないんだが?」


 メルリンと同格の、しかも明らかに友好的には見えない存在を「そいつ」呼ばわりするのは恐ろしかった。

 しかしそれ以上に、そいつに屈服した自分を想像するのが恐ろしかったので、屈服したくない一心で、俺はそいつを「そいつ」呼ばわりした。


「ええ、彼にとって人間的な意味での飲食は必要ではありません。その気になれば、彼は周囲の物質やエネルギーを分解して全身から吸収する事も可能です」


 やっぱり。そういう所も、メルリンと同等か。


「じゃあ、どういう意味だ!? 『味付け』とは!?」


「慌てないでください。順を追って説明しますから」


 精一杯の虚勢を張って食ってかかる俺に、落ち着き払った依耶が話を続ける。


私の(マイ・)契約相手(コントラクティー)は、かつて今よりずっと大きい力を持っていたそうです。

 しかし、同等の力を持つ敵との死闘の結果、かつて持っていた力の(ほとん)ど――(こと)に思考能力――を失ったらしいです」


 その辺は、メルリンの話と一致してるな。……という事は、あいつがメルリンと同等の能力をもっているとしたら、今俺が考えた事を読めても不思議じゃないわけだ。

 それどころか、メルリンが述べた様に、俺の脳を破壊する事を(いと)わなければ俺の深層意識から情報を引きずり出す事すらできるはずだが……まだ今の所はそうする気は無いらしい。


 依耶はどこまであいつと『同調』しているのだろうか? ――メルリンの言い方で言い直せば、「どこまで『侵蝕』が進んでいる」のだろうか? 

 『同調』と呼ぶにしろ『侵蝕』と呼ぶにしろ、その現象の程度によっては、依耶もまたあいつに準じる読心能力を得ていても可笑しく無い。


「元々太陽系から何億光年も離れた宇宙空間に棲んでいた私の契約相手は、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵と死闘の末、この惑星――地球に不時着しました。

 その時、思考能力は殆ど失われていたものの、自己復元能力までは失われていませんでした。

 ただし、死闘で受けた損傷(ダメージ)が大き過ぎたため、微弱ながらも意識を取り戻す段階に復元するまで、非常な時間を要したそうです」


 そう言や、その「非常な時間」って、確か数百万年単位だったよな……。


「微弱ながらも意識を取り戻した彼は、たまたま周囲にいた地球由来の生物を片っ端から捕食し始めました。

 そうしてある程度力を取り戻した時、かつて死闘を繰り広げた敵もまた地球にやって来ました。

 ……そして再開された死闘は、長期戦と化して、今も地球上で続いています」


「……」


 俺はできるだけ考えを読まれまいとして、無言になる。そんな俺に対し、依耶の(くちびる)が形作る三日月形の湾曲が増した様な気がした。


「……ツッコまないんですね?」


「……何を?」


「「今も地球上で続いていると言うなら、その長期戦に人間が気付いていないのは何故だ!?」とか」


「さて、な。ツッコみ所の多過ぎる話だからじゃないか?」


 そんな言葉で誤魔化して(うそぶ)く俺に構わず、依耶は言葉を続ける。


「気付かないのが当然です。現代の人間ですら殆ど科学的知見を持たない、超対称物質で出来た世界の話ですから」


「超対称物質?」


 俺は知らないふりをする。それがどこまで通用するか疑問だが。


「おやおや、曲がりなりにも大学で物理学科に在籍していたあなたの言葉とは思えませんねぇ。

 あなたと同じかそれ以上の予備知識を持つ人が、今の状況で『超対称物質』と聞いたら、こんなに反応が弱くはないはずですが? 否定にしろ、肯定にしろ」


「……!」


 くそっ! 俺が黙ったりとぼけたりし始めたから、誘導尋問を仕掛けに来たか? 

 裏を返せばそれは、頭上の赤い奴が持っているかもしれない読心能力を、おそらく依耶は持たないであろうという事だが。

 依耶が尋問役であり、俺が思わず表層意識に出してしまった事を、あの赤い奴が読みとっているという可能性も考えられる。


 俺の内心を知ってか知らずか、依耶はお構い無しに話を続ける。


「多くの地球人にとっては思い当たる事すらできない科学的事実ですが、実は地球を構成する物質の約10%弱は超対称物質です。

 超対称物質は通常物質と殆ど相互作用しないので、多くの地球人にとって既知の手段では観測する事さえできませんが」


「……それが科学的事実であるとして、どうやってそれを知った?」


「愚問ですね。私は、10代に入る頃には既に、あなたが大学で知り得たであろう内容以上の物理学を知っていました。

 それくらいの予備知識が有れば、超対称物質の存在や、それで構成された世界あるいは生物の存在可能性に思い至る事は、造作も無い事です」


 混乱させようとして口から出任せの質問をしたが、無駄だったらしい。


「もっとも、この私も、実例を知るまでは確証を持てませんでした。……14歳の時、彼という実例を知るまでは」


 そう言って、依耶は頭上の赤い奴を見上げる。


「再開された死闘が長期戦に移行してからというもの、彼は敵の目をかいくぐって色々な策を講じたそうです。

 その策のうち一つが、超対称物質の世界から通常物質の世界への進出。

 その為に、彼は自分の体を分割して複数の分身を生み出し、通常物質の世界――つまりは、地球人がよく知る、地球の通常物質側――に派遣しました」


 依耶は俺に視線を戻した。


「地球の通常物質側に派遣された複数の『彼』の殆どは敵に殲滅(せんめつ)されたと聞きますが、1体だけ、敵の追跡を逃れて作戦を開始できた者がいました。

 ――それが、今あなたが見ている『彼』です」


「その赤い奴の事を、君は『私の(マイ・)契約相手(コントラクティー)』と呼んでいるが……どういう事だ?」


 赤い奴に余計な情報を与えまいとして、俺は目下の疑問だけを頭に思い浮かべる。

 それに対して、「よくぞ聞いてくれました」とばかりに、依耶が答える。


「結論を先に言うと、

『相互の利害が一致したから、契約した』

って事です。


 ……最初、彼が私の前に現れた時、彼は私の精神の本質を成す情報を全て強奪してから、私という人間に成りすますつもりだった様です。


 陳腐な言い方をすれば、「私の魂を喰らってから、私に化けるつもりだった」ってところでしょうか。


 彼は、成りすました人間の肉体が死ぬ毎に若い人間の肉体に乗り換えるという行為を、何百回も繰り返してきたらしいです」


 つまりあの赤い奴は、最初、依耶の同意を得ずに依耶の深層意識から情報を引きずり出そうとした、という事か。


「私も、いきなりわけも分からず強奪されたくはありませんでしたからね。

 説得を試みました。「私から強奪するのは待ってもらいたい。私を生かしておくなら、きっと今まで思いもよらなかった質と量の『滋養』を、あなたに供給できるはずだから。私から強奪するのは、それからでも遅くない」といった感じで」


 結局、依耶も自分の命が惜しかったから、という事か。俺だって、同じ状況に置かれたら同じ試みをするかも知れない。


「しかしその赤い奴は、人間の説得なんぞ歯牙にもかけなさそうに見えるが?」


 メルリンの話通りなら、あの赤い奴はメルリンと同様に、ツァーリ・ボンバ級の核兵器で攻撃されても無傷だし、その気になればどんな人間でも殺したり操ったりできるはずだ。


「それは内容次第である様ですよ? 過去にも説得を試みた人間は大勢いた様です。……殆どは、彼を満足させる提案ができずに、彼に「魂を喰い尽されて」しまった様ですが」


「「魂を喰い尽されて」か」


「ええ。私は、『精神の本質を成す情報』を比喩(ひゆ)的に『魂』と呼んでいるに過ぎませんが。

『魂』に関するオカルティックな解釈が嫌いなもので」


「……で、さっき言った、その赤い奴にとっての『滋養』とは?」


 少なくとも、依耶が喋っている間は、あの赤い奴は俺の『魂』を喰うつもりは無いらしい。

 こうなったらとにかく、なるべく心の奥底を表層意識に上らせずに、話を引き延ばすしか無い。


 そんな俺を見て、依耶は楽しそうに話を続ける。


「さっき話した『模倣子(ミーム)』のくだりは覚えていますか? 」


「ああ」


「既に話した通り、原則的には、ミームと人間の脳は共生関係にあります。


 ミームは、人間の脳と体と、人間の生命と健康を維持する数多の物体によって、生活環境である『概念の世界』を維持する事ができます。

 ミームが棲む『概念の世界』を支える人間の側も、ミームが有機的に結合して出来た『技術』や『知識』等の体系によって、『物質の世界』での生存確率を高める事ができます。


 ――私の(マイ・)契約相手(コントラクティー)が『滋養』として欲しがっているのは、ミームです。より強力な思考能力の基盤となる、ミームです。


 敵を滅ぼすために、そして敵を滅ぼした(あかつき)に果たすべき目的のために、私の契約相手は、自身にとってより好ましい性質を持った大量のミームと、それらのミームの有機的な結合とを、欲しています。


 その欲求を充足させる事。それを請負(うけお)う代わりに私からミームを強奪するのを無期延期してもらうのが、私が交わした契約です」


「その契約の為に……君は事業を起こしたというのか!?」


「動機の半分くらいはね」


「半分!?」


「まあ、そんな事より」


 いや、「そんな事より」じゃねーよ。

 俺は次の疑問を発しようとしたが、それよりも早く、依耶は言葉の続きを発する。


私の(マイ・)契約相手(コントラクティー)が好む類のミーム。それは、

『自らが優位に立つ為に、敵が最も忌避する状況の実現を、ひたすら効率的に追求する』

という類のミームです。


 陳腐な言い方をすれば、『悪意』のミームですね」


 それは……まあ、そうかも知れない。「勝負事に勝つ鉄則は、敵が最も嫌がる事をやり続ける事」っていう言葉もあるし。

「他者が嫌がる行動の方針」――俺が思いつく限り、これが最もシンプルな『悪意』の定義だ。


「健、ここで、インターネットの歴史を思い起こしてください。


 そもそもインターネットの前身は、アメリカの国防総省が開発資金を提供した『ARPANET(アーパネット)』です。

 軍事のため――言ってみれば、敵の悪意の上手(うわて)を行くため――のシステムです。


 インターネットの黎明期を支えた技術者達は、平和的な目的への転用を希求したかも知れません。


 しかしながら、割と早い時期から、インターネットには『悪意』のミームが溢れかえっていたと思いませんか?」


 それは……否定できない。


「インターネットがまだ殆ど普及してなかった1980年代後半の時点で既に、明確に悪意を以て作られたコンピューターウイルスが出現しています。

 1995年に発売された某社のOSによってパソコン利用者が爆発的に増え、パソコンをネットに接続して使うのが当たり前になりだして間もなく、迷惑メールが溢れかえる様になりました。

 今や、1日約4千億通ともいわれる世界中の電子メールのうち、約半分が機械的に送信される迷惑メールです。

 ここまでの経緯だけを見ても、インターネットが『悪意の温床』としての素質を多分に有していると思いませんか?」


 ……反論の余地が無い。


「まあ、それも当然と言えるでしょう。

……私の契約相手は、私と契約するずっと以前から、乗っ取った人間の肉体を通じて、様々な種類の『悪意の温床』が発生する様、画策し続けてきたそうです。

 インターネットの前身であるARPANETにしても、その誕生に際して私の契約相手が一枚噛んでいたそうですから」


 この赤い奴、人間への成りすましを何百回もやってきたとかいう話だよな……

 その気になれば、人間の歴史の要所ごとに力を振るって――誰かを殺したり操ったり、思考を読んだりして――、「神の使い」あるいは「神そのもの」を演じる事も可能だったろう。いや、やらなかったはずが無い。

 ……もしかして、宗教の悪しき側面の多くは、こいつのしわざか? ことによると、貨幣制度も?


〈お察しの通りだ〉


 出し抜けに、赤い奴が不気味な表情を浮かべて声を発した。たぶん、(わら)ったのだろう。

 やっぱりこいつ、俺の表層思考を読んでいやがった!!

 冬なのに、冷や汗がどっと出る。とても気持ちが悪い。


「私が彼に出会う前から、私はペルソナの原型となるアイデアを持っていましたが、私がそのアイデアと、それが彼にとっていかに役立つかを話すと、彼は(いた)く気に入ってくれましてね。

 私の脳からミームを強奪するのを後回しにするばかりか、私がペルソナを使った事業を起こすのを、全面的にバックアップしてくれる様になりましたよ。――契約成立、ってわけです」


 その時、俺は依耶の笑顔を、初めて不快に感じた。とても不快に感じた。

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