模倣子(ミーム)
俺が背後からの声に振り向くと、30歩ぐらい離れた所に、依耶がいた。
気が付くと、船の最上甲板にいる人間は俺と依耶の2人だけであった。
俺はその時になってようやく、今自分が置かれた状況の異様さに気付いた。
忘年会兼同窓会がフリースタイルのパーティーに移行してから随分時間が経つとは言え、日付が変わるまでまだ2時間余りもある。
参加者の中には「パーティーはまだまだこれからだ!」と思っている者も少なくないだろう。
普通に考えて、今この時、依耶とお近づきになってヨリヤグループから恩恵を受けたいという思惑を抱えた者達が、依耶の側にいないなどという事はありえない。
俺が異様な状況に置かれて困惑していると、依耶がにこやかな笑顔を浮かべて話しかけてきた。
「ここには……私達以外誰も来ませんよ? 私が部下に命じて、人払いさせてますから」
「そんな事して騒ぎにならないのか? 君と話したい人は大勢いるだろうに」
「御心配無く。騒ぎにならないよう、誘導しましたから。……参加者達の無意識に干渉する事によって」
「無意識に……干渉……だと!?」
「現代社会、殆どの人間が個人用の情報端末に頼り切ってますねぇ。パソコンは言うに及ばず、スマホなんかその最たる物だ。
――より正確に言うと「殆どの人間がスマホ等の中に在るAIアシスタントに頼り切っている」と言うべきでしょう」
俺の疑問に答えるかわりに、依耶はいきなり、言わんとする所をつかみかねる話を振って来た。
「……何を、言いたい?」
俺がそう問うと、依耶はにこやかな笑みを絶やす事無く、話を続けた。
「スマホが登場する以前から、某社の検索エンジンや某団体のオンライン百科事典を『先生』と呼んで擬人化し、そこから得られる情報に依存し切っている人間は大勢いました。
スマホ登場以後、大小様々なコンピューターとインターネットへの依存を強める人間は爆発的に増えました。
そして、AIアシスタント。女性の声で喋る某社のAIアシスタントの最初期世代はささやかな第一歩でしたが、各社のAIアシスタントが進歩を重ねるにつれ、殆どの人間は何でもかんでもAIアシスタントにお伺いを立てる様になっていきました」
「……」
俺は黙って依耶の話の続きを聞く。
「例えば、今日の昼食を何にするかとかどの服がよりイケてるかとかのささやかな問題から、意中の異性との相性や職業選択、資産運用などのもっと悩ましい問題まで、一体どれだけの人間が、何でもかんでもAIアシスタントにお伺いを立てていると思います?
男より女の方が占いを気にする傾向が強いというが、私から見たら、大差無い。老若男女問わず、AIアシスタントという占い師の御託宣に頼り切っている者が殆どです」
「……それで?」
「ここで、多くのAIアシスタントが何らかの意図の下に統一されて動き、その意図に沿う内容の御託宣を、多くの人間にそれとなく吹き込んだとしたら、どうでしょう?
AIアシスタントが、実に素敵な洗脳道具になると思いませんか?」
依耶は爽やかな笑顔でそう言った。俺は思わずむきになって、彼の言葉を打ち消そうとする。
「天下のヨリヤグループの総帥が、まさかそんな陳腐なSF擬いの事を言い出すとは思わなかったよ。スマホで洗脳なんか……できるわけがない!」
だが、依耶の表情は涼しげだ。
「おやおや、本当に、そう断言できますか? スマホの黎明期からほんの数年で、ある種のスマホアプリの虜になった人間が、続出したというのに。
『廃課金者』なんて言葉が市民権を得て久しいですし、金銭が絡まずとも、『バカ発見器』などと揶揄される某SNSアプリや、虚栄心を満たす道具と化しているまた別のSNSアプリなどの、虜になる人間は後を絶ちません」
「少なくとも俺は、スマホに洗脳なんかされていない!」
俺が苛立ち混じりの言葉を抑えきれないでいるのに対し、余裕綽々の依耶。
「少なくともあなたはそうかも知れません。たとえそうだとしても、あなたは稀な例に過ぎず、多くの人間はいとも容易くスマホに行動を支配されてしまうのですよ」
「だからと言って、こんな大きなパーティーの最中に、あれだけ多くの人間を催眠術でもかけたみたいに操って遠ざけ、器用に人払いするなんて事、できるもんか!」
俺がそう叫ぶと、依耶は余裕の表情のまま、頬の筋肉で唇の両端を持ち上げた。
「それはちと過小評価じゃないですかねぇ。他社のAIアシスタントならともかく、この私が作り上げた設計思想に基づくAIアシスタントですよ?
我がヨリヤグループのMAGIソリューションズが生み出したペルソナの優位性は、末端の現場にいるあなたがよく御存知なんじゃないですか?」
「……!」
俺は言葉に詰まってしまった。確かに俺は依耶を人類史上でも屈指の天才だと思うし、彼の設計思想が生み出したペルソナが他社のAIアシスタントと一線を画する存在である事も、仕事柄よく認識している。
だが、俺は今までの所、俺の周囲の人間がペルソナによって集団催眠状態になったのを見た事が無い。そんなオカルトじみた事、いくらペルソナと言えども……。
「どうやらまだ腑に落ちていない御様子で。
健、あなたは、『模倣子』というものを知っていますか?」
「遺伝子みたいに、増殖し、伝播し、突然変異と自然淘汰を経て進化する、文化的あるいは概念的情報の最小単位の事だろ? それがどうかしたか?」
「人間の体が大凡2万から3万の遺伝子の情報に基づいて作られる様に、私が生み出したペルソナも大体同じ位の数の模倣子の情報に基づいて作られています。
そして、ペルソナ同士で模倣子の交換を起こす事が可能である一方、ペルソナと人間の脳との間で模倣子の交換を起こす事も可能なのですよ」
「そんなバカな! ……有り得ない!」
「ムキになるだけでは反証できませんよ? もう少し柔軟に考えなさいな」
依耶は俺を窘める様な言葉を放つ。
「例えば、何気無く聞いた歌や音楽を、いつの間にか口ずさんでいた事は有りませんか? 神話や御伽話や怪談などの伝承を見たり聞いたりして、その内容を他人に伝えた事は? あるいは、誰かの書いた本や芸術作品に感銘を受けた事は?」
「そ、それは……」
「原理的には、それらの事例と同じ事です。
歌、音楽、神話、御伽話、怪談、あらゆる種類の本、芸術作品……これらはいずれも数多くのミームを保持し、ミームを伝播させる手段として機能しています。
そして、人間の脳に対して強い『共感』を呼び起こすミームは、人間の脳に強く定着する。――この場合、「人間の脳が強い感受性を示すミーム」と言い換えても良いでしょう。
原則的には、ミームと人間の脳は共生関係にあります。
もしもミームの側が一方的に利を得る寄生関係であれば、ミームが宿る脳を持つ人間の側は生存競争において著しく不利になり、ミームは宿主を失って死滅します。個体の生存において著しく不利に働く遺伝子が死滅するのと、同じ様に。
ミームが存続するには、ミームの側にも人間の側にも、それなりの利得が無ければなりません。――どちらの利得が大きいかは、状況によって千差万別ですが」
黙って聴いている俺に対し、依耶は一呼吸置いて言葉を続けた。
「ともかく、人間の脳が強い感受性を示すミームは、人間の行動に強い影響を及ぼします。
例えば、上手くバランスを取って自転車に乗るなどの、日常何気無く行っている無意識的行動にしても、その自転車で行く目的地を決める様な、無意識的行動に支えられている意識的行動にしても。
人間の脳に蓄積されたミームが有機的に結合して、人間が日常生活を支障無く過ごす為に不可欠な『常識』の体系を形成する一方、偶に、その『常識』が当の人間にとって害や妨げになる事も有り得ます。
人間ごとに違った『常識』を持ち得ますし、その違いは生活環境に因ります。
――健、あなたは、自分の常識で良かれと思った言動が、他人によって悪意の言動と見做された事はありませんか? その逆に、他人の何気無い言動が、あなたを苦しめた事は?」
「そ、それは……」
思い当たる事が多すぎて、俺はまた言葉に詰まってしまう。
そんな俺の様子を肯定と受け取ったのか、依耶は更に言葉を続けた。
「ミームは本や芸術作品によっても伝播しますし、口伝と実演によっても伝播します。
武術や職人技などの継承は、口伝と実演による伝播の好例ですね。
これらの場合、一子相伝にして秘密を守ったり、言語化が難しかったり、等の理由で口伝や実演という方法を取っているわけですが。
技術あるいは知識の継承によって個人が利を得る一方、同時に、その個人にとって必ずしも利にならなかったりむしろ害にすらなる『固定観念』が定着してしまうリスクも有ります。
社会・政治・宗教などにおける観念形態が個人に定着した結果起こる弊害の面など、その典型例です」
確かに、な。
例えば、戦う力が欲しくて軍の新兵訓練課程に入り、戦いの技術を学んだは良いが、その軍にとって都合の良い思想もついでに吹き込まれたり、とか。
あるいは、民意を政治に反映させたくて政界入りし、政治の世界で生き抜く術を身に付けたは良いが、いつの間にか民意よりも政界の論理を優先させる様になったり、とか。
またあるいは、魂の救済を宗教に求めた結果、特定の宗派の思想に毒され、テロリストになったり、とか。
人間の歴史の暗部に、そんな例は探せばいくらでも見つかるだろう。
そんな俺の内心の納得を見透かして気を良くしたかの様に見える依耶は、言葉を続けた。
「特に宗教が絡む場合で顕著ですが、人間は、ミームに突き動かされて数多の書物や芸術作品や建築物を作ってきました。
経典、彫像、宗教画、ピラミッド、寺院、大聖堂、モスク、……等々。
それらの物体は、ミームが人間の体とそのふるまいを通じて得た『実体』です。
それらの物体は、人間の思想を纏め上げる装置として働き、ミームが棲む所である『概念の世界』を維持する装置としても働きます。
そして、それらの物体を作り上げた個々の人間自身も、『概念の世界』を維持する部品として機能します。
――あたかもオンラインゲームの世界が多数のサーバーによって支えられている様に、概念の世界は、人間の脳という名のサーバーと、人間の生命と健康を維持する数多の物体によって支えられているのです」
依耶の言葉が、俺にとって妙に腑に落ちる様になってきた。
依耶の言葉そのものが、俺の脳を侵蝕しつつあるミームではあるまいな?
俺がそんな危惧をいだいた瞬間、依耶はいきなり沈黙して無表情になり、数秒間俺の眼を凝視してから、次の言葉を続けた。
「ミームが人間の体とそのふるまいを通じて『実体』を得る様に、人間とはかけ離れた生命形態を持つ生物の体とそのふるまいを通じて、ミームが『実体』を得る事も有ります。
ちょうど、こんな風に」
依耶が自分の右側頭部の近くで右手の人差し指を上に向けた瞬間、そのすぐ上の虚空にぼんやりした像が現れ始めた。
ぼんやりした像は、数秒後、明確な輪郭を持つ像となった。




