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無意識の悪意

 俺が今直面している問題は、トロッコ問題によく似ている。


 俺が今直面している問題が典型的なトロッコ問題と本質的な部分で同じ構造ならば、多数派的な選択肢はおそらく「何もしない」という事になるだろう。


 つまり、「メルリンの頼み事を丁重に辞退する」という選択肢だ。


 その選択肢を選んだところで、メルリンは俺に何ら危害を加えはしない。


 しかし今回の場合、果たして「何もしない」という多数派的な選択肢が正しいのだろうか?


 その点で、俺は大いに悩んだ。


 いわゆる「トロッコ問題」的な問題は、前提条件が異なれば答えが正反対になる事も珍しく無い。


 そこで俺は、3連休の間、メルリンに思いつく限りの質問をした。

 ――前提条件を可能な限り正確かつ明瞭に把握するためだ。


 例えば、こんな質問だ。


「メルリンにとって、敵は何ゆえに敵なんだい?」


 俺が「敵対理由」を尋ねると、メルリンは次の答えを返した。


〈その敵は、私が好ましく思う存在や見守りたいと思う存在を、壊す者だからです〉


 敵の目的についても尋ねた。


 それに対する答えは「敵の目的は、宇宙全体を破壊して、自らにとって好ましい形に創り直す事」との事。


 信じ難い答えであったが、地球人を遥かに上回る科学知識を持つメルリンの様な存在や、メルリンと同格の存在なら、その方法を知っているとしても不思議ではない。

 何しろ、地球人が作りだした最強の兵器ですら傷一つ付かない、超越的な存在なのだから。


 メルリンの話を信じるのであれば、メルリンの敵はかつて極めて強大な力を持っており、それより強大な存在は全宇宙に存在しなかったらしい。


 メルリンですら単独では分が悪く、メルリンよりは劣るものの全宇宙では上位に入る力を持つ、いくつかの知性体あるいは高度文明から力を貸してもらう事で、ようやく敵を滅ぼし得る戦闘能力を確保したらしい。


 敵との死闘の結果、敵から力を奪って消滅寸前にまで追い込んだものの、メルリンもまた、直ちに敵にとどめを刺せなくなるほどに損傷(ダメージ)を受けた。


 現在、敵は目的を果たす力を持っていない。

 しかし仮に、敵が力を取り戻す事を阻む者(メルリン)が存在しなくなれば、敵は遠からず目的を果たす力を取り戻す。


 典型的なトロッコ問題では、選択肢次第で地球や宇宙が滅ぶ様な状況は想定していない。

 しかし俺が今直面している問題では、選択肢次第で地球や宇宙が滅ぶ事も有り得るのである。


 一番気懸かりなのは、俺が「何もしない」を選ぶ事によって宇宙が滅ぶ確率だ。


 俺がそれを尋ねると、メルリンは次の様に答えた。


〈不確定要素が多過ぎて厳密な計算は不可能です。

 概算では、おおよそ百万分の1から10分の1の範囲です〉


 百万分の一? これが航空事故に遭って死ぬ確率の話なら、迷わず「何もしない」を選んだであろう。

 メルリンの様な強大な存在の干渉が無い場合でも、1回の搭乗で航空事故に遭って死ぬ確率は大体百万分の一のオーダーなのだ。


 しかし、秤に掛けるものが宇宙の存亡となると……気軽に選択肢を選ぶわけにはいかない。

 しかも、悪い方の見積では滅ぶ確率が1割にもなるのだ。


 逆に「メルリンの申し出を受ける」場合を尋ねると、こういう答えが返って来た。


〈敵を滅ぼせる確率は9割を超えますが、100%にはできません〉


 俺が申し出を断った場合に、残りの候補者のうち少なくとも一人が申し出を受ける確率を、俺は既に尋ねており、それが「五分五分」だという事は知っている。



 悩ましい。実に悩ましい。



 功利主義的な考えに(のっと)るなら、直ちにメルリンの申し出を受けるべきだろう。

 しかしその選択肢によって、少ないながらもかなりの確率で犠牲者が出る。

 その犠牲者の中に「人間世界に大きな影響力を行使できる」者が含まれるとなれば、功利主義的な観点からの判断も難しい。



 俺は使える限りの時間をメルリンへの質問に費やした。

 だが、答えの中には俺がその意味を理解できないものもいくつか有り、

「前提条件を可能な限り正確かつ明瞭に把握する」という目標を、必ずしも充分に果たせたとは言えなかった。


 結局俺は、制限時間内に知り得た事のみで選択肢を決めなければならなかった。


 俺が決めた選択肢は……「メルリンの頼み事を丁重に辞退する」であった。



 俺の選択を、メルリンは特に非難する事も無く、微笑を浮かべて受け入れた。


〈あなたが自らの知力の限りを尽くして考え抜いた結果ならば、私はあなたの意思を尊重します〉


 メルリンは、そう言ってくれた。


〈ですが、私があなたに与えた力のほとんどは、返して頂きます。


 その力は、言わば「頼み事に対する報酬」でもあったのですから〉


 それは仕方無い。当然の話だ。


〈まあ、一部分はあなたにあげたままにしますよ。言わば「口止め料」として〉


 そういうわけで、俺は人間の域を超越した超感覚を失ったものの、『嘘を見抜く能力』は残された。

 あと、ちょっぴりだけ分けてもらった、量子重力理論の知識も。


 裸眼視力も、メルリンの干渉を受け始める直前よりは、ちょっぴり良い状態に保たれた。

 後日、行きつけの眼科医で測定したところ、俺の裸眼視力は0・4。

 眼鏡の処方箋を作り直してもらうハメにはなったが、まあ、悪く無い結果だ。


 別れ際に、メルリンは俺に色々な忠告をしてくれた。


〈今後、私とあなたが再会する機会が有るとしたら、敵を滅ぼして地球から離れる際の、別れの挨拶の時ぐらいのものでしょう。

 それ以外の機会ではもう会う事も無いでしょうが、あなたの今後の人生が幸多きものになる事を願って、いくつか忠告させて頂きます〉


 そう言われた直後、真っ先に、こんな事を言われた。


〈『無意識の悪意』を警戒して下さい。

 明確に意識的な悪意に対するのと全く同等に、あなたの今後の人生全てにおいて、警戒して下さい〉


 これは……思い当たるフシが有る。


 今までの人生で、他人から何かと面倒事や厄介事を押し付けられる事が多かったような気がする。

 今の勤め先なら、特に上司や同僚から厄介事を押し付けられる事が顕著だった。


 メルリンから限定的ながらも読心能力を付与されていた時、同僚Aや係長や課長が俺の事を快く思っていない事を、俺は知った。

 いや、「俺の事を快く思っていない」どころか、「俺に対して悪意を持っている」と言い換えても過言ではなかろう。


 ただそれらの悪意は必ずしも明確で意識的なものではなく、むしろ無意識的なものが多かった。

 昔よりも職権を盾(パワー)にした嫌がらせ(ハラスメント)が問題視される現代、表立った嫌がらせができず、悪意が漏れ出るのを意識の力で抑え込む事を試みていた様子も(うかが)えた。


 他者の、意識の力で抑え込めずに漏れ出て来た『無意識の悪意』が、俺を苦しめた。そういう事なのだろう。


 確かに俺は『無意識の悪意』の標的になりやすい性格かも知れない。


 しかし考えてみれば、他者の悪意は別に俺だけを標的にしていたわけではない。


 例えば同僚Aは気の毒にも意中の女性から「歩くATM候補としては価値が低い」と内心で見做(みな)されていたし、係長は課長に対して密かに下剋上を狙っていた。

 課長は係長の本心を薄々感づいているようだが、確証さえ得られれば、全力で係長を潰しにかかるだろう。


 会社の中と言う狭い領域の中ですら、人間は『明確に意識的な悪意』を隠す一方、隠しきれなかった『無意識の悪意』をまさしく無意識に撒き散らし、結果的に他者に害を与える事が有る。

 もっと広い領域ならば、そういう事例はもっと多い事だろう。


 そんな事を考えていて、唐突に、俺は10年以上前に聞いた「海賊に円陣を組ませて隣の者を叩かせるゲーム」の事を連想した。


 海賊に円陣を組ませ、最初の一人に右隣りの者を軽くはたかせ、

はたかれた者に「自分がはたかれたのとおなじ力で右隣りの者をはたく」様に命令する。

その更に右隣の者にも同じ命令をする。


 それを繰り返すと、「はたく力」はどんどん強くなり、「はたく」どころか「殴る」と表現すべき強さとなり、しまいには海賊は殴り合いを始める。


(俺はこの話の出典が気になって調べた事が有るが、いまだに正確な原典を突き止めてはいない)


 正確な原典が何であるかはともかくとして、件の海賊のゲームの話は凄く説得力が有ると、俺は思う。

 人間は、自分が受けた仕打ちを誰かに転嫁する機会が有れば、実際に受けた仕打ちに上乗せしないと気が済まない生き物であるらしい。


 ……『無意識の悪意』にも、件の海賊のゲームと同じ性質が有るのではなかろうか?


 俺がその疑問を口にすると、メルリンはこう答えた。


〈それは、『返報性の原理』の表れ方の一類型と言えますね。

 返報性の原理は、良い方向にも悪い方向にも働きます。

 恩恵には恩恵を、害悪には害悪を、上乗せして返す。

 ――人間の脳が、進化の過程で、自然や社会との関わり会いを通じて、獲得した形質です〉


 『返報性の原理』か。昔読んだ心理学の本に書いてあったな。――もっと心理学を勉強するべきか。


 考え込む俺に、メルリンは次の言葉を続けた。


〈他者からの『無意識の悪意』だけでなく、あなた自身の中にあるかもしれない『無意識の悪意』も、等しく警戒して下さい〉


 うん、それは重々気を付けるよ。


〈それと、後で私が再び話しかけてくるその日まで、依耶(よりや) 瑁人(まいと)に近寄らないで下さい。

 彼を敵の侵蝕から救う試みをしている最中に、もしもあなたが彼の近くにいたら、あなたを敵から守る事について、私は確信を持てません〉


 そだね。


〈しかしながら、もしも依耶 瑁人が特に強く意識してあなたを招待する意思を示した場合……その時の判断はあなたに任せます〉


「そりゃあ、流石(さすが)に無いと思うぞ? 依耶が俺の事を特に強く意識してるとか、ちょっと考えられない」


 依耶が企画しているという今年の忘年会兼同窓会の、ごくごく形式的な招待状は届くかも知れないけど。「その他大勢」に宛てたうちの一通として。

 そん時は、招待状がゴミ箱行きになるだけだ。政財界の重要人物が集まるであろうパーティーじゃ、参加費もバカにならないだろうし。


〈万が一、という事も有りますからね。念の為に言っただけです。


 ……忠告は以上です。


それでは、御機嫌好(ごきげんよ)う〉


「ありがとう、メルリン。色々良くしてくれて」


 別れの言葉を交わすと、メルリンの姿は徐々に透き通っていき、やがて、俺の眼からは見えなくなった。

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