褐色ロリ師匠ジーンベル、弟子に赤面させられる
師匠は、いつも顔を赤らめている。
「弟子ぃー! ハルキぃー! お酒が切れたぞぉー! もういっぽーんっ!」
玉を転がすような響きで、八度目のおかわりを求める声が背中越しに届く。カタカタと椅子を鳴らす音も聞こえた。
「はーい。今温めているところですよ」
湯気を立てる鍋に徳利を入れ、人肌に温める。幾度となく繰り返した経験から、わざわざ具合を確かめるまでもなく最適な燗が出来上がった。
「お待たせしました、っと。またですか、師匠」
「ううん……」
「そんな格好で寝たら風邪を引きますよ」
徳利を盆に乗せて居間へと向かうと、褐色の肌をした黒髪の女性――俺の師匠、ジーンベルが、腕を枕にして机に突っ伏していた。小さな背中が、寝息に合わせて微かに上下している。
隙だらけな格好をしており、身につけているのはところどころよれた長袖の白シャツと、黒皮のショートパンツだけだ。
強く赤みがかった肌をしているように見えるが、これは酒で血色が良くなっているだけであり、本来はもう少し薄い。ただ仕事の時以外は大体酒を飲んでいるため、ときたまどちらが本当の肌色だったか忘れてしまう程だ。
そんな益体も無い事を考えていると、惜しげも無く晒された張りのある素足が目に入り、つと目線を上にそらす。
その先にあったわずかに紫がかった黒髪は、うなじの辺りで大雑把に縛られ、垂れ下がった髪先が今にも床に届きそうになっていた。
くたりとした姿は、遊び疲れて寝入った子供のようにも見える。だがその見た目通りの存在でない事は、彼女の全身から漂う酒の香りと、微睡みつつなお手放さぬ右手のお猪口が証明していた。
「はしたないですよ、師匠。ご自身をお幾つだと思っているんですか」
「なにをぉ。私はまだ二百……」
「はいはい。失礼します」
「……? わひゃ!?」
寝ぼけ混じりの抗弁におざなりな返事をしながら机に盆を置く。そして背後に回り込むと腋に手を入れてひょいと持ち上げ、驚声を上げる師匠を座りなおさせた。ついでにめくれ上がり、肌が見えていたシャツの裾を整える。
「これでよし」
「よし、ではないわ」
軽く頬を摘ままれる。完全に目覚めたらしき師匠がじっとりとした目つきでこちらを見据えていた。エメラルドグリーンの瞳が疑うように細められ、口元もへの字の形に変わっている。それがまた可愛らしく、つい笑みをこぼしてしまったことで、師匠の形の良い眉が更につり上がった。
「弟子ぃ……おぬし私を子供とでも思っとりゃせんか?」
「いいえ、それは決して」
「む……」
俺のきっぱりとした答えに一瞬目を丸くした師匠だったが、それでも先ほどの扱いは気に入らなかったのか、少し怒ったようにそっぽを向いた。
「全く! 可愛げなく育ちおって……」
「初対面ですでに三十でしたが……」
「私から見ればまだまだ子供じゃ!」
「はい。ところで……お酒、冷めてしまいますよ。どうぞ」
「おおっ、いかんいかん。うむ、やはりおぬしのお酒は旨いの!」
腕を組んで威厳を見せようとしていた師匠だったが、徳利を目の前に差し出して酌をすると、怒っていたこともけろりと忘れ、喜々として飲み始めた。
◇
「弟子よ。おぬしがここに来てどれくらいになる」
九度目のお代わりに相伴していると、ぽつりと質問が投げかけられた。
「そろそろ三年ですね」
「何じゃ、まだそんなか。てっきりその十倍くらいだと思っておったぞ」
「そうでしたら俺は老人になっていますよ。師匠はお変わりないようで」
「当然じゃ。これ以上は変わりようがない」
師匠は、人間ではない。小さき工匠とも称される亜人、ドワーフ族で、このドワーフの里における守り手――衛兵のような仕事――に就く女性だ。見かけは年若い少女にしか見えないが、俺自身よりも遙かに長い時を生きる長命種である。
三年前。俺が魔術修行の折りに山道から転落し、深い森が広がる谷底で途方に暮れていたところを師匠に拾われた。その後排他的なドワーフの里に連れてこられたのだが、ひょんな事から滞在が長引き、今日まで世話になっていたのだった。懐かしさと共に当初の失態を思い出し、俺は師匠に頭を下げる。
「その節は、失礼いたしました」
「ん……? ああ。あんな質問をされたのは久しぶりじゃったわ。乙女に髭など……」
「乙女?」
「なんじゃ。文句あるのか」
「いえ、なにも」
細腕を上げ始めた師匠に慌てて首を横に振る。ドワーフなのに髭は生やしていないのかという、かつてした迂闊な質問に対する返答は、魔力を帯びた師匠の鉄拳だった。今思えば手加減されていたのだろうが、一発で悶絶して倒れる程の痛みだった。
「ま、おぬしが住み着いたおかげで、旨い酒も飲めるようになった。今では皆おぬしを認めておるよ」
「なにが役に立つか、分からないものですね」
偉大な魔術師であった祖父が遺した手稿に、清酒と呼ばれる酒の製法が記されていた。ドワーフの酒好きは祖父に聞いた話通りであったため、それを礼に渡したところ、手稿を目にした師匠に清酒造りの指導をして欲しいと引き留められたのだ。
専門家では無いため断る事も考えたが、恩人の頼みである事と、鉄拳を受けた際に感じた、上質な魔力の練りに感銘を受けていた事から、魔術修行の指導と引き替えにその依頼を受諾した。かくして俺は師匠の弟子となり、紆余曲折を経て里の人々にも受け入れられた。
「本当に、楽しい日々でした」
「……どうした?」
「師匠……お話がございます」
出会いの頃を懐かしんでいた師匠が、俺の言葉尻に反応する。口調は素っ気ないが、その瞳には家族に向けるような暖かさがあった。その心地よさに惹かれ、続く言葉を飲み込みかけるも、俺は背筋を伸ばして自らを奮起させ、この半年間で考え続けていた事を口にした。
◇
翌朝。俺は里の外れにある修練場に立っていた。修練場といっても多少開けた土地というだけで、普段は周囲の木々に小鳥がさえずるのどかな場所だ。
しかし常ならば聞こえてくるはずの動物達の声も、ひっそりと静まり返っている。その原因が、対峙している師匠から放たれる威圧感である事は明らかだった。
師匠は、服装を改めていた。上半身に軽装の皮鎧と、手足に金属製の甲を身につけている。俺が師事する魔術格闘の戦装束であり、有事の際にしか目にしないものだ。手足を動かして付け具合を確かめ終わった師匠が、こちらに酒の抜けて肌色の薄くなった顔を向けた。
「考えは、変わらんのじゃな」
問いかけに、ただ頷く。すると師匠はそれ以上何も言わず、僅かに腰を落とした構えを取った。
――里をでて、戦闘技能大会に出場する。
それが、昨夜俺が語った話だった。戦闘技能大会。あらゆる戦闘技術の熟練者が集う、三年に一度行われる大規模な大会だ。上位入賞者には莫大な賞金がもたらされ、主催者である帝国から仕官の声が掛かることもある。また、帝国全土へと大々的に発表されるため、時には富以上に効力を持つ名声をも手に入れる事が出来るのだ。
「おぬしは、甘い。帝国には、世界には、おぬし以上の使い手などあまたおる」
「申し訳ございません。それでも、俺はいかねばならないのです」
「馬鹿弟子がっ……」
そう吐き捨て、師匠が更に身を低くする。俺も迎え撃たんと身体強化の魔術を重ね掛けし、構えを師匠の動きに合わせていく。
戦闘技能大会は危険性も孕んでいる。互いに全力を出して戦いを行う勝ち抜き戦。一方が必ず敗者となる局面で、手加減など考えられようもない。殺人こそ禁じられているものの、運が悪ければ死に至る事すらあるのだ。
――ならば、私が見極めてやる。おぬしの得た技術が、いかほどのものなのかを。
その危険性を説かれても気持ちの変わらなかった俺に、師匠はそう静かに告げた。
「ゆくぞ。馬鹿弟子」
ぐん、と地に伏せるような動きをした次の瞬間、地面の土を吹き飛ばす程の勢いで師匠が目前に迫る。直線的な、しかし矢のごとき速さの拳。魔術で強化されたそれを腹に受けたら、常人ならば即死。身体強化をした俺でも骨の数本は持って行かれる程の一撃だ。
容赦なく突き出された拳を、自身も同様に付けていた手甲で受け流す。直後、すかさず異なる角度から第二、第三の連撃が繰り出された。火花が散り、金属同士がこすれ合う甲高い音が立て続けに響く。
「どうした! おぬしの力はそんなものかっ」
必殺の威力を持つ拳を振るいながら、その動きに隙というものが見当たらない。強化の魔術が隅々まで行き渡った師匠の身体は、その全てが強靱な武具と化していた。
拳をしのげば蹴りが、それも防ぐと長い黒髪が死角から蛇の如く襲い来る。幾筋にも分かたれたそれの一つを捌ききれず、右肩に鈍痛が走った。
「くっ」
痛みをこらえ、師匠の胴体に拳を当てるも、十分な威力は出せなかった。互いに距離を取って再び構えるが、師匠の表情に焦りは見られない。
「今一度いう。考え直せ。私の様な半端者の攻めすら受けきれぬおぬしが出ても、怪我をするだけじゃ」
「お断り、します」
「分からず屋がっ。私にすら勝てぬおぬしに、何が出来る!」
聞き分けの無い態度に業を煮やしたのか、師匠が再び突撃の構えを取る。だが、思い留まらせるためにあえて口にされたであろう言葉で、俺の決意は更に固まっていた。
師匠の魔術格闘は、このドワーフの里でも随一のものだ。その一方で、師匠はドワーフたちが最も尊ぶ魔術による鍛冶――魔工技術を習得する事は叶わなかった。それだけでこの里では、師匠と他のドワーフとの間に微かな、されど明確な隔絶が生じていた。
――私の魔術など、ただ己にしか施せぬ浅はかなものじゃ。
普段は鍛錬を繰り返し、自身の技に疑いを持たない様に見える師匠も、深酒をした際に一度だけ卑下する言葉を口にした事があった。決して忘れられぬ、こちらまで胸の苦しくなるような姿だった。しかし誇り高い師匠は、以降同様の弱音を口にする事は無かった。
それなのに今、自らを貶してまで弟子を危険から遠ざけようとしている。その思いやり故に、構えを解く事は出来なかった。
「師匠は決して、半端者ではありません」
両手足に力を込めるように、魔力を身体中に巡らせる。見つめるのは正面のみ。俺は最初の稽古で学んだ、身体強化による突きの構えをとっていた。その型を見た師匠も、こちらから目を逸らさず魔力を練り上げ始める。互いの視線が相手の目を捉えたとき、俺たちは同時に地を蹴っていた。
師匠の姿が急速に近づく。弟子入りをした際に目を奪われ、惹かれ続けている強く、美しい姿を目に焼き付けながら、俺はただまっすぐに、学んだ全てを拳へと乗せた。
◇
「行くのか。ハルキよ」
両手足を広げ、仰向けになった師匠が、青空を見上げながら呟いた。こちらも倒れそうなほど痛む腹部を押さえながらも、はいと返事をする。
「先ほどのおぬしの技、見事だった」
「師匠が、教えて下さったものです」
「――そうか」
師匠は、俺が戦闘技能大会を目指す理由の一つに思い至った様だ。
「おぬしの選んだ道じゃ。好きにせよ……だが、その気持ち、嬉しく思うぞ」
「ええ、そして必ず戻ってきます」
「む……? いくらここが田舎とはいえ、大会の結果くらい届くぞ」
俺の返事に、師匠はなぜここに戻る必要があるのかと、半身を起こして訝しげな顔を向けてきた。俺の抱いていたもう一つの理由までは気付かなかったらしい。
大きく深呼吸をし、師匠の傍らに跪く。そして先ほどの一撃以上に気合いを込めた言葉を告げた。
「貴女と並び立ちたいのです。師匠。いえ、ジーンベル。俺が勝ち、戻った暁には、貴女の気持ちを教えて下さい」
「な……ば、馬鹿弟子がっ! ひゃ、ひゃくねん早いわ!」
一瞬呆けていた師匠の顔は、言葉の意味を理解するや朱に染まり、酒に酔ったいつも以上の赤さとなっていた。
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TS公爵令嬢エリザの内政(第一部完結済。更新再開予定)
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