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千代と露

作者: 魚彦

閑吟集の歌を参考にしました。

 曾祖母のせきが死んだ。野盗に襲われて。さとはその報せを聞いて、何も感じない自分を感じた。曾祖母は隣村の伯父の元に住んでおり、報せもそこからであった。曾祖母は月に一回は歩いて半日、老人の足ではそれ以上かかる寺院に参拝していたのだが、その道中、旅費と奉納金目当ての賊に襲われてしまったらしい。

享年八十九。この辺りで一番の長寿であり、熱心な参拝のご利益だと噂されていた。さとの父は報せを聞いてしばし呆然としていたが、すぐに気を取り直し、一足先に伯父の元に向かった。残された母は淡々と支度を整えていたが、どこかぼうっとしており、何度か物を取り落とした。さとは母を手伝いながら、幾度見つめ直しても何の感情も湧いてこない自分の胸中を不審に思った。

―せきばあのことは、好きやったんやけど。

 曾祖母の、小さく丸まった背中を思い出す。いつでも会いに行こうと思えば会いに行けたが、実際会うのは年に数回、何か用事で隣村に出かけたついでに顔を出す程度であった。曾祖母は仏道に熱心で、尼でこそ無いが念仏や写経に励み、さとが挨拶しに行くとその手を休めて干芋や焼き栗を食べさせてくれた。

―食べ物のことしか思い出せんのか、私は。 思わず顔をしかめる。それにしても、あまりに酷な死である。残り僅かな命、どうせなら穏やかに果てさせてくれれば良いものを。そう、曾祖母の死はいつ来てもおかしくなかった。誰もがそう思っていたからこそ、こうしてすぐに親族が呼ばれ、葬儀の支度が進められているのだから。

そっと、母を見上げる。曾祖母は父方であり母とは何ら血のつながりは無いが、自分よりは大分、悲しげな顔をしているように見えた。

 伯父の家に着くと、曾祖母の人望か長寿の者が亡くなった珍しさからか、かなりの人が集まっていた。

「あのぅ、すみません、お通し下さい。えぇ、そうです、おばあ様の・・・えぇ、ほんとうに・・・あぁ、お義姉様。」

母が声を掛け、道を開けてもらって中に入ると、父の姉に当たる伯母が出迎えてくれた。先に着いた父やいとこ、祖父、大叔母の姿もある。そして奥には、黄ばんだ布を掛けられた曾祖母の遺体と、その傍らで経を唱える僧侶の姿があった。布の膨らみを見て固まったさとを、僧が手招きし、目で座るように促す。僧が丁寧に布をめくり、さとは思わず目をつむってしまうが、ゆっくりと目を開けるとそこには、穏やかで青白い、見慣れた曾祖母の顔があった。

「・・・賊も殺すつもりはなかったのでしょう、さほど深い傷ではなかったのですが、お体が耐えられなかったようで・・・。」

 僧の静かだがよく響く声に顔を上げると、曾祖母より、ひょっとすると祖父よりも若く見える僧は深々と頭を下げた。

「拙僧らの寺にお参りくださる道中でこのような惨い目に遭われるとは・・・せき様には長年、懇意にして下さったというのに、誠に申し訳ない。」

 突然の謝罪にさとがきょとん、と驚いていると、母がおろおろとしながらもさとを押しのけ、滅相もない、どうか頭を、と繰り返した。さとには僧侶の位というものはよく分からなかったが、その物腰や立派な法衣、法具から、きっと位の高いお坊様なのだろう、と考える。さとの視線に気付いた僧は穏やかに笑むと、

「最後のお別れをしてあげて下さい。安心して、この方は間違いなく極楽浄土に転生なさいます。」

と、さとの頭を撫でつつ言った。さとは、改めて曾祖母の顔を見つめる。が、何と別れの言葉を告げるべきか分からず硬直してしまったまま、さとは母に手を引かれて席を立った。

 その後、さとは母や伯母の指示のもと、葬儀の手伝いをした。といっても、物を運んだり白湯を配ったりと、簡単なことばかりである。盆を抱え、曾祖母の死を悼む人々の間を歩いていると、ちらほら泣き顔が目に入る。どうにも居心地が悪く母のもとに戻ると、

「ねぇ、るいちゃんが見当たらんのよ。心配やから、ちょっと見てきてもらえる?」

と頼まれた。るいはさとのいとこである。さととは同い年だが、あまり話したことはない。先程から家中を歩き回っていたが、そういえば見ていない。外に出て、ざっと見回すが大人ばかりで子どもの姿はない。裏の林にいたら面倒だな、と思いつつ探し歩いていると、井戸のほとりに膝を抱えた少女の姿があった。るい、と呼ぼうとして、声を詰まらせる。

―泣いとるの?

 膝に頭を埋め、肩が震えている。さとは足を止め、そろりと向きを変える。そぅっと、音を立てないように一歩一歩戻ろうとしたが、もう一度、と振り返った拍子に蹴躓いてしまった。

「ひゃあっ!痛ぁ・・・」

声を出してから、しまったと思い振り返ると、かがみ込んだままこちらを見るるいと目が合ってしまった。

「・・・大丈夫?」

久しぶりに聞くるいの声は、やはり鼻声なのか聞き取りづらかった。

「うん、大丈夫、何とも・・・」

そっちは、と言いかけるが、気安く尋ねてよいものかと言いあぐねている間にまた目を逸らされ、膝に顔を埋めてしまった。一歩踏み出して慰めるべきか、一歩退いてそっとしておくべきか、と悩んでいると、

「・・・もん。」

と何か呟く声が聞こえた。

「え?」

「分からんのやもん、何も、分からん。何でかな、何でうちは泣いとるん?悲しくなんか無い、悲しいから泣いてるんやね、なんて言われとうない、悲しいっていうんはこうじゃなくて・・・もう、分からん、分からんのよ。何で、何で・・・曾ばあは、死ななあかんかったん?」

しばらくるいは、分からん、何で、ともごもご繰り返していたが、やがてそれも無くなりただ嗚咽が漏れるだけとなった。

「・・・ごめん。」

何に謝っているのか自分でも分からない。口の中で呟いた謝罪の言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、るいは更に丸く身体を強ばらせて小さくなった。

 さとが逃げるようにして母の元に戻ると、

「どうやった?」

と聞かれ、一瞬ためらうが

「井戸んとこ・・・泣いとった。」

と伝えると、母はうなずいた。手を休め、ゆっくりとさとに向き直ると、

「さとも、少し休む?」

と微笑む。大丈夫、というつもりで首を振るが、

「手伝ってもらうこと、もう無いから。」

と背を押される。しかし、知らない大人ばかりの輪にも、親類と僧侶の話し合う中にも入っていけないし、ましてるいの泣いている井戸端には近づくこともできない。仕方なく、人の居ない伯父の畑に入り、ぼんやりと草をむしる。

―るいは、泣くんやな。

るいは少し離れた村に住んでおり、曾祖母との関わりはさとよりも少なかったはずだ。

―自分は、情というもんが無いんやろうか。

曾祖母との思い出を、頭の中から引っ張り出す。ちんまりとした背、声を掛けるとしわくちゃの手に干芋をのせて差し出してくれる。幼い頃、曾祖母の唱える念仏を謡と勘違いしたことがあった。

「せきばあのお歌、何言っているのか分かんない。さとがお手本歌ってあげる。」

とか、確か自分はそういう事を言って

「―いくたびも摘め、生田のわかな―君も、千代をつむべし―」

を歌ったはずだ。自分なりに、曾祖母の長寿を言祝いだつもりだった。曾祖母は、今思えば笑いを堪え、

「お上手、お上手。」

と褒めてくれた。そして母が迎えにくるまで二人、色々と謡った。曾祖母は、幼くても分かる巧みな歌い方であったが、小さく呟くような声であったため、もっと大きな声で謡えばいいのに、と思ったことは覚えている。けれども、何を謡っていたかまでは思い出せなかった。

 まもなく母に呼び出され、曾祖母の遺体を山へと運ぶ父らを見送った。多くの人が見送りに立つ中、るいも伯母に抱き寄せられて見送りに来たが、顔を伯母の背に押しあてており、今どんな顔をしているのか分からない。一方のさとは、曾祖母の入っている棺桶を見てもやはり何も感じられなかったが、目を離す事だけはできなかった。父らが行く畦道に真っ赤な彼岸花が群がり咲き、曾祖母を送るかのように風に揺れる。明るすぎるその緋色が目に痛かったが、葬列が山に入って木々に隠れ、母に手を引かれるまで、ただじっと見つめていた。

 

 家に帰ると、今まで通りの日常と生活が、何事も無かったかのように再開された。秋が深まるにつれ忙しさは増し、さとは両親と共にきびきびと働いた。食事は難なく喉を通り、夜にはすとん、と眠りに落ちた。ふと、曾祖母とその死を思い出すこともあったが、トンボのように一瞬、目の前に現れては過ぎ去って行き、何の感慨も引き起こさなかった。

 秋の刈り入れも終わり、忙しさが落ち着いたある日、さとは寺へと使いに遣らされた。曾祖母の死の際、お世話になった僧への礼を届けてこいという。曾祖母の襲われた道を通ることになるが、木の葉が落ち、隠れ場所の少ないこの季節、賊は少ないらしい。

 芋や米、僅かながら銭も持たされ、さとは出発した。もっと遠くまで働きに出たこともあるし、寺への道のりも分かっているので一人臆することなく山道に入る。怖いのは、日が落ちてしまうことだけだ。闇と寒風に閉ざされる前に、寺に着かねばならない。朝早くに出発し余裕はあるが、それでも急ぎ足で落ち葉を踏み分ける。

 秋の山は玉で飾られた錦のようだ、とさとは思う。玉も錦も、まともに見たことは無いが。見上げれば、楓、けやき、漆が遠く青い空を染め上げ、そこかしこに山葡萄やガマズミが連なり輝く。足下には、つやつやとしたドングリが転がり、一枚の中で様々な色を見せる落ち葉がそこかしこでひらめく。だが、一度その輝きに手を伸ばせば、もう少し、もう一つ、と虜になり、道を外れ、闇に呑まれてしまう。そのため、誘惑に負けぬようキッと前だけを見てせっせと足を動かす。その甲斐あって、さとはまだ日の高いうちに寺に着いたが、その時になって初めて自分が曾祖母の命日も覚えていないことに気がついた。

―命日も分からんのに、親族や言うて信じてもらえるんやろうか。

 恐る恐る門をくぐり、庭で落ち葉を掃いていた小僧に案内を請うと、

「あぁ。あのお婆さまの。少々お待ちを。」

とあっさり通された。程なく、曾祖母の枕元で見た僧が現れた。やはり威厳あるその姿に、さとは思わず縮こまってしまう。

―しょうもないお礼の品を、こんな子どもが渡しにきて却って失礼なんやないやろうか。こんな、立派な人のお時間を割いてまで・・・。

 恥ずかしさと恐れ多さを押し込め、さとは声を振り絞って挨拶する。

「先日は、曾祖母、せきをお送りくださいまして、誠にありがとうございました。こちら、ささやかですがお納めくださいませ。その、本来でしたら私の父母が参るべきでしたが、野良仕事と、あの、母が妊みまして忙しう・・・。」

「ほぅ。お子が。それは大変おめでたい。せき様もお喜びでしょう。」

 恐る恐る顔をあげると、僧は心底嬉しそうに微笑んでいた。

「せき様は、ご一族のことを大層お気に掛けておりましたからな。あなた様のことも、勿論。」

 そうだったのか、と首をかしげると、僧は手でさとに待っているよう示し、僧房へと引き返したがやがて帳簿のようなものを手にして戻り、めくりはじめた。

「せき様の、お子様、嫁様、婿様、お孫様、ひ孫様・・・ご一族のみならず、近隣の者まで。せき様はいらっしゃる度に、多くの方の長寿と安寧をお祈りでした。」

「・・・初めて、聞きます。曾祖母は、自分の長寿を祈願していたとばかり。」

 身内のことを誤解していた恥ずかしさに、さとは再び顔を伏せてしまう。その耳に、僧の低くどっしりとした声が降りてくる。

「そうでしょうな。ご祈願の内容はこの寺の中でも私しか知りませんでしたし、私もせき様も口外しませんでしたから。」

 視線だけを少し上げると、僧の節くれ立った手が帳簿をなぞるのが見えた。

「しかしご祈願むなしく、多くの方を亡くされました・・・あなた様から見て、曾祖父様、大叔母様、お祖母様、叔父様・・・そして、ご兄弟。」

 さとはうなずく。三年前、弟が生まれたが目を開けないまま死んだ。姉もいたらしいが、さとが物心つく前に池に落ちて死んだらしい。さとの母は子を三人生んで、今残るのはさとだけであったが、それは決して珍しいことではなかった。

「せき様はその度、大層お嘆きで・・・。また一人、また一人、消えていく、私は長生きしてめでたい人と言われるが、それはただ露が露の落ちていくのを眺めているだけのことと。」

 さとは、布に覆われた曾祖母を思い出した。じわじわと、消える時を待っていた露。それが、唐突に散らされ、地に落ちた。曾祖母の背、しわくちゃの手、柔らかな笑顔、優しい目元を、今までになく克明に思い出した。ぎゅっと拳を固く、握りしめる。

「それでも、私は・・・せきばあに、もっと生きていてほしかった。せきばあは長生きした、何十年も生きた、でも、私は・・・私の中では、十年そこらしか、せきばあは生きとらん。」

 目を閉じると、涙は出そうで出なかった。泣きたくて仕方が無いのに、出てくるのは怒声であった。背中に、僧の手が置かれる。ぜいぜいと喉を鳴らす音が、少し弱まる。

「・・・祈りましょう、せき様のために。あの方は、生きている人のためにも、亡くなられた方のためにも、祈っておられました。」

 耳の奥で、分からん、分からんとうめく、るいの声が響く。さとには、祈りに何の意味があるのか、分からなかった。ただ、ようやく曾祖母が生前謡っていた謡を思い出した。


―世間は、ちろりに過ぐる、

ちろり、ちろり。


―世の中は、ちろりと過ぎていく、

露のように、ちろり、ちろりと。

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