わたしのカバくんはどこにいったの!
わたしには、一番のお気に入りのぬいぐるみがある。
その名はカバくん。
名前の通り、かばのぬいぐるみだ。
サッカーボール二個分ほどの大きさで丸っこく、お腹回りと足の裏は白色で、それ以外は薄い茶色だ。
顔は縦長で、でかい。
お腹が少し膨らんでいて、耳はちっこい。
目は優しい眼差しで人間に例えるなら、孫に優しくするお爺ちゃん、といったところだろうか。
わたしはカバくんを、小さい頃にお爺ちゃんにもらった。
最初はあんまり可愛くない、とおもった。
だってわたしは女の子だ。
かばのぬいぐるみより、可愛いくまのぬいぐるみの方が断然いい。
けれど、いつのまにか、かばのぬいぐるみに愛着が湧いた。
そして、カバくん、と呼ぶようになった。
たまに友達や家族に、
「変なかば。」
と、言われてしまうが、わたしは一切気にしない。
そんなこんなで、わたしはカバくんを十年以上大切にしている。
たまにカバくんと想像の中で遊んでいる。
想像の中のカバくんは、見た目通りの優しい性格だ。
そして、お爺ちゃんみたいな渋い声をしている。
そんなある日、わたしは夜中に自分の部屋で夏休みの宿題をやっていた。
わたしは中三だ。
受験という、敵がいるのだ。
宿題の量なんて、とんでもなく多い。
勉強机から逃げたいぐらいだ。
「あーあ。疲れちった。
こんなん終わるわけない。
休憩、休憩っと。」
わたしがサボろうと考えていたら。
「それはそれは、困りましたなぁ!。」
と、背後から野太い男性の声。
しかも怒っているような声色だ。
「ひっ。」
わたしは肩を震わせ、恐る恐る振り返った。
あんな声だから、後ろにはきっと怖い男の人がいるだろう、と想像して。
「えっーーーーー。」
わたしは呆然としながら、椅子から転げ落ちた。
「ガタン。ガタガタ。」
「さっき始めたばっかりですよぉ!
十分に一回は休憩してるじゃねえかよ!
ちゃんとやれよ! 」
と、脅して叱ってくるカバくん。
そうカバくんなのだ、さっきからヤクザそっくり口調でしゃべっている正体は。
しかもカバくんの口が動いている。
「カっ、カバくん……。カバくんだよね。
ゆっ、夢でもみてんの?
なんでカバくんがしゃべってるの? 」
わたしは呆気にとられて、床に座り込んだままカバくんに問う。
「そんなこと言ってねえで、早く宿題やれ、こら! 」
「バキバキ、バキン」
「ひぃーー!」
カバくんが手を振り上げ、床を殴った。
なぜか、殴った場所にとても大きなへこみが出来あがっていた。
「か……怪力だね。」
「当たり前だろ。
男が力がねえわけあるか! 」
と、わたしの部屋をまんまと壊した恐ろしいカバくんが誇らしげに言う。
わたしはいい加減なカバくんにぶちぎれる。
「いいかげんにしてよ!
カバばかが!
床がこんなめちゃくちゃになったら、
お母さんに怒られるのは、わたしなんだよ!
修理代、自分で働いて払って!
そもそも怪力って、どこにそんな力眠ってんの!
ぬいぐるみの腕の中にあるのは綿でしょ!
筋肉じゃあなくって、綿! 綿だよ!
綿に力こめたって、床がへこむわけない!
しかもしゃべり始めた途端、命令口調。
礼儀がぜんっぜ~~んなってない。
そもそもどうなってんの!?
ぬいぐるみが動いて、しゃべってるなんて!
夢でもみてんの~~~~~~!
はぁっ、はぁっ、はぁっ。」
わたしはカバくんに思いっきり文句を言い切った。
今までで一番暴言を出した。
いや、人生で一番になることだろう。
そうして不満をぶちまけた後、カバくんの顔は大分こわばっているように見えた。
ぬいぐるみなので、顔は変わっていないが。
カバくんはしばらくかたまっていた。
一分、二分、三分、四分、……
時間がどんどん過ぎていく。
さすがに言い過ぎたかな……。
そう思って、わたしは反省する。
「カバくん。お~い、カ~バくん!」
明るい口調で話しかけてみる。
「……。」
カバくんは動かない。
「えっ、カバくん!
ぬいぐるみに戻っちゃ――」
不安になってきたら、
「――すっ、すまなかったーーーーーーー。
ちっと考えてみりゃあ、床を殴ったんはさすがに俺が悪い。
修理代は許せ!
命令口調だったのは、お前に頑張って勉強してもらいたかっただけだ。
お前が高校受験に成功して、嬉しそうな顔を、どうしても見たかったんだ。
お前の後悔してるところなんか見たくねぇしな。
親心みてぇなもんだ。
あとな、俺が動いて、しゃべれるようになったんはお前のおかげ。
お前はちっせぇ頃から、ずっと俺のこと大切にしてくれてたろ。
だから、俺に命が宿ったんだ。
それでな……って、どうしたんだお前? 」
さっきから、どんどん顔色が悪くなっていくわたしの様子にカバくんが気づく。
「いっ、いや、なんでもない。」
必死に首を振って、わたしはそう言う。
「はぁーあ。
なんでもねぇわけあるか!
ちっせぇ頃からお前を見てきたんだ。
お前が何か思っていることぐれぇ、分かるに決まってんだろ! 」
「なんでもないよ~。
あはっ、あはははは。」
棒読みで笑うわたし。
「答えろ。」
「嫌です」
「答えろ!
お前が心配なんだ。」
「あのさ。」
「あぁ。」
「あのさぁ……。
う~ん。」
カバくんをちらっと見る。
「早く言え。」
不機嫌な声で言うカバくん。
「言っても怒らない? 」
「はぁ? 」
「ぜったい、ぜ~~ったい。
怒らない? 」
わたしは恐る恐る聞く。
「……ああ。
約束してやるよ。」
「あのさ。
勝手な話だけださ、
わたしの中のカバくんと、今のカバくんが違いすぎて、
いやだ! 」
大声でわたしは言った。
「そっ、そうか。」
少し引いた声でそう言うカバくん。
「そもそも、わたしの中のカバくんは、『僕』って自分のことを呼んでた!
それに、わたしの中のカバくんは、ちゃん付けでわたしのことを呼んでくれた! 」
なぜかわたしは涙声でそう言った。
「何じゃそりゃ! 」
「おかしくない?
そんなかわいい顔をして、脅してくるなんて!
ひどいよ~~~!
わたしのカバくんーーー。
わ、わたしが大好きだったカバくん。
わたしの、わたしのカバくんはどこにいったのーーーーーー。」
大声で叫びながら泣くわたしと、呆れた目をしているカバくんが、ここにいる。
「ばかか。
お前。
ほら、泣き止め。」
カバくんがわたしを抱きしめて、そう言ってくれた。
「うっ、グスン。
案外優しいんだね。」
「お前は俺をどんな性格だと思ってやがる。」
「ふふっ。
ねえ、カバくん。」
わたしは思わず笑った。
「なんだ? 」
「これからも一緒にいてくれる? 」
「当たり前だろ。」
「ありがとう!」
わたしとカバくんは笑い合った。
「よし!
宿題やるか! 」
わたしはやる気を出した。
「こんな真夜中に勉強するのはやめろ。」
カバくんが怒り気味に言った。
「あ、ほんとだ。
もう十二時だ。」
わたしはカバくんを抱き上げ、ベッドに座る。
「抱き上げるのはやめろ。
子どもみたいじゃねえかよ! 」
「いいじゃん、別に。
っていうか、カバくんって何歳なの? 」
そんなことを聞いてみたら。
「なっ、何歳でもいいじゃんかよ。」
焦ったように言うカバくん。
「あっ、もしかして、わたしが生まれた時より後に作られた? 」
「そっ、そんなことねえよ! 」
「わたし、カバくんのお姉ちゃんか~。
年上のわたしに丁寧に接しなよ、カバくん! 」
わたしは、ニタリと笑う。
「いやに決まってんだろ! 」
嫌そうな顔をするカバくん。
ぬいぐるみだから、本当の表情は分からないけど。
「あっ、けどわたし、カバくんがお兄ちゃんの方がいい。」
「どっちだよ。」
つっこむカバくん。
「だって――
「――早く寝るぞ。」
そう言って、ベッド脇に置いてあるクッションで寝ようとするカバくん。
「えっ、ベッドで一緒に寝ればいいじゃん。」
不思議に思うわたし。
今まではカバくんと一緒に寝ていたのだ。
「お前と一緒に寝るわけねえだろ。」
当たり前にそう言うカバくん。
「なんで? 」
意味が分からないわたし。
「はっ、お前気づいてないのかよ。」
呆れたように言うカバくん。
「えっ、何が? 」
「あのなぁ、お前の寝相がひどすぎんだよ。
何度も何度もころころ転がって。
そのたんびに、俺まで何度も何度も押しつぶされて。
地獄にいるかのようだ。」
その時のことを思い出しているのか、暗い表情でそう言うカバくん。
「えーーーーーっ。
わたしって、寝相が悪いの! 」
「はぁっ、お前、自分が寝相悪いことすら分かんねえのか。
とんだマヌケだな。」
「えぇー。
そんなに寝相が悪かったの。」
「っていうか、他の奴からも苦情が出てるぜ。」
「へっ、他の奴って、誰? 」
わたしはきょろきょろと周りを見回す。
「ぬいぐるみのことにきまってんだろ。」
そう言われて、ベッドに無造作に散らばっているぬいぐるみたちを見る。
くまの小さいぬいぐるみやアニメのキャラクターのぬいぐるみ、動物のぬいぐるみなど、たくさんある。
「えっ、この子たちもいきてんの? 」
「いきてるっつうか。
心があるだけだ。」
「へぇー。
なんかすごい。」
わたしは物にだって命はあるのか、と関心した。
そう思っている間に、なぜかカバくんがぬいぐるみをベッドから下ろし始めている。
いや、下ろしている、と言うより……
「カバくん何やってんの? 」
一応聞いてみる。
「こいつらを避難させてるんだ。
かわいそうだろ。」
思ったどおりの返事が返ってくる。
「えー。
じゃあわたしは誰と寝るの? 」
そうわたしが聞いても、カバくんは無視して、他のぬいぐるみ達と一緒に寝てしまった。
「ねぇ、カバくん。」
「うるさい、一人で寂しく寝てろ! 」
と、不機嫌にわたしは言われてしまった。
そしてわたしはションボリしながら、ベッドに寝転び、寝ようとしたが……
ふと、言いたいことを思い出した。
「ねぇ、カバくん。
わたしさぁ、荒っぽいカバくんでも、優しいカバくんでも好きだからね。」
そう言ってわたしは寝た。
数分後、誰かがベッドに上がってきた。
そうしてわたしは、カバくんと一緒に寝た。
それからわたしは、カバくんと楽しく、騒がしい日々を過ごしていった。
***
おまけ カバくんのけが
そうして、命の宿ったカバくんと生活するようになってから数日たったある日。
わたしは勉強机に向かって、コツコツと宿題をやっていた。
朝、カバくんに叩き起こされて。
カバくんは宿題の答え合わせをしてくれてる。
ちなみに、カバくんが壊した床は今も健在だ。
今のところはお母さんにばれていないが……
ただ、これを一生隠し通すことは出来ない。
お母さんに雷を落とされる日は、だんだん近づいている。
そして、
わたしはサボりたい、と思いながらなんとか宿題をやっていた。
残念ながら、後ろに居る監視役がそうさせてくれない。
わたしは半分真剣、半分眠かった。
それから数十分後。
「おわああああああぁ。」
背後から、カバくんの叫びが聞こえた。
「えっ、何々、どうしたの? 」
いきなりの大声に驚きながら、急いで振り返りカバくんを見る。
「みっ、見ろ、ここを。
死ぬんだ。
死ぬんだ、俺はーーーーっ。」
そう言ってカバくんは、バタッ、と倒れた。
カバくんが「見ろ」、と言った場所は、お腹の隅っこの方。
その場所を見てみると……
「あっ、破れてる。
けど大げさだよ、カバくん。
綿が血みたいに出血多量になるわけ無いじゃん。」
呆れてわたしはそう言った。
「あぁ、痛い。
痛いよ~。」
苦しそうにそう言うカバくん。
「ぬいぐるみの癖に。
痛さなんて感じ無いんじゃないの。」
「心が痛いんだ。
こ・こ・ろ・が! 」
「はいはいー、今治しますよー!
うるさいな~。」
わたしは適当にそう言った。
「はぁっ! お前が治すのかよ! 」
そう言って、わたしをジーっと疑いの眼差しで見つめてくるカバくん。
「わたしだって女だよ。
手芸の一つや二つ、出来る! 」
自信をもってわたしがそう言うとカバくんが反論してくる。
「普段裁縫をやらない奴が、上手に出来るか! 」
カバくんが怒鳴ってくる。
こんな朝から怒鳴られるなんて、いやだな、と思った。
だが、カバくんのためだと思って、やる気を出す。
宿題のことを忘れてほしい、という気もあったが。
「いいから。」
そう言ってわたしは暴れるカバくんを押さえる。
しかし、カバくんはわたしの部屋を殴った張本人。
カバくんを押さえるには、とてつもないほどの力がいる。
じたばた暴れるカバくんを前にどうしようか、と考える。
「あっ、そうだ! 」
わたしはとてもいい案を思いついた。
数十分後、わたしはぐるぐる巻きにされたカバくん、いや、ぐるぐる巻きにしてやったカバくんの前に裁縫道具を広げている。
「うー。うーー。」
カバくんが恐怖の目をして、わたしを睨んでくる。
しかしわたしにはなにを言っているのか分からない。
だって、カバくんの口にはガムテープを貼ってあるからだ。
カバくんをガムテープでぐるぐる巻きにしてやった上に、ロープで縛ってある。
さすがの怪力でも拘束を解くことは出来ない。
そうしてわたしはカバくんに針を刺し始める。
カバくんの目には、絶望がありありと浮かんでいる。
遡ること数十分前、わたしは、なぜかボクシングポーズをかまえてこちらを警戒しているカバくんを横目に、ある最強の武器を捜していた。
そして、ごちゃごちゃの勉強机の中をさばくる。
「あっ、あった! 」
わたしはにたりと笑う。
「何に使うんだ。
ガムテープなんて。」
カバくんは首をかしげて、不思議そうにしている。
びーーっ、とわたしはカバくんの言葉を無視し、ガムテープをのばし始める。
「ちょっと待て、お前それで俺を捕まえる気か! 」
口をあんぐり開け、驚くカバくん。
「うん、そうだよ。
カバくんが暴れるからね。」
「ちょっと待て、お前。
そんなことしたら、俺の毛が無くなる!
俺の毛は、成長しないんだよ!
俺がハゲになったらどうしてくれる! 」
切迫な声を出して訴えるカバくん。
「えっ、カバくんがハゲのおっさんになるだけじゃん。」
わたしはにっこりと笑ってそう言う。
「やめてくれーーーーっ。
俺たちは家族だろ! 」
大声で叫ぶカバくん。
「ごめんね。
わたし、家族には遠慮が無いんだ。」
そう言ってわたしはカバくんを壁際に追い詰める。
「さあ、カバくん大人しくするか、ガムテープに捕まるか。
どちらか一択だよ。」
わたしはそう言った。人によっては脅しているように聞こえるが、決して脅している訳では無い。
「分かった……。
突撃だーーー。」
そう言ってカバくんは扉へと突進する。
牛のように。
まさに猪突猛進だ。
そして、カバくんは扉をあけようとする。
しかし、扉は開かない。
それはそうだ、わたしが鍵をかけていたのだから。
それでも、カバくんは何とかしようと、ガチャガチャと扉を触っている。
「とりゃあー、カバくん、覚悟~~~。」
そんなカバくんの後ろからわたしはガムテープで攻撃する。
「おわああああぁ。」
そんな今日一番の大声がこの家に響いた。
そうしてわたしは、カバくんの怪我を治してあげた。
とてつもない広く、優しい心で。
ちなみにカバくんは、わたしが縫っている間、ずっと泣きそうな目をしていた。
しかも、わたしが針を刺す時、ブルブル震えているのだ。
やりにくいったら、ありゃしない。
その日の夜、わたしはいつものようにカバくんと一緒に寝ようとする。
「あーあ。
ここ上手に縫えてねえぞ!
こら! 」
カバくんはまだグチグチと文句を言っている。
「えーっ。
上手に縫えてるよ!
そういえば、わたしはカバくんから、『ありがとう』の一言もきいてないんだけど! 」
わたしは言い返す。
「ありがとう。
上手に縫えねえ癖に治そうとしてくれて! 」
怒った様子でそう言ってくる。
「どういたしまして。
いやぁー、頑張ったかいがあったよ。」
わたしが嬉しそうにそう言うと、
「なあ、お前二度と裁縫なんてするなよ。」
そう言ってこっちに背中を向けて、寝てしまった。
「おやすみ、カバくん。」
そうして、わたしたちは中睦まじく寝た。