宵闇の別れ
優也の葬儀が終わって、しばらく経って、緩やかに日常が戻ってくる。
慌ただしいままに、するべき手続きは終わる。主婦である三花は、食事を作ったり、部屋を片付けたりと、家の用事をしていかなければならなかったし、夫も会社に出勤するようになった。
しかし三花は、いくら経っても、大きな穴が空いてしまったように、力が入らないままだった。
下の息子の和也は、相変わらず手がかかる。兄がいなくなり、慣れない状態を過ごしたストレスか、赤ちゃんがえりしてしまったようで、ごねることも増えた。
家事と育児に追われながらも、三花は食べ物が喉を通らず、夜もよく眠れない日々を過ごした。夏の暑さもあって、もともと細かった三花の、体重は落ちていく一方だ。
そんな時――三花はある夢を繰り返し見るようになった。
人のいない遊園地で、優也が自分を呼んでいる。応えようと必死に手を伸ばすと、汗だくで目が覚める。
何度も同じ夢を見るうちに、三花はあれが、死んだ優也からのメッセージだと考えた。
あれはどこなのか。見たこともない遊園地で、家族で行ったことはない場所だった。三花はネットで、遊園地という遊園地を調べ、ようやく裏野ドリームランドにたどり着いた。夢で見た場所が実在するものだと知り、三花はますます確信を持つ。
優也が、自分を呼んでいる――。
行くことに迷いはなかったが、夫に相談すべきかは迷った。だが、それとなく尋ねてみたところ、夫は、三花のように、優也の夢を見ていないようだった。
だから、黙って家を出てきた。到底信じてもらえないと思ったし、憔悴した三花を心配する夫は、恐らく止めるだろう。
それに――誰かに話すことは、優也を裏切る行為のような気がした。
許されるなら、今度こそ――あなたを一番にするから。
優也が死んだのは、自分が聞き分けのいいあの子のことを、後回しにしていたからだと、三花はずっと自分を責めていた。自分が、もっとよく気にかけてさえいれば、優也を失うことはなかったかもしれないのに。
だから、三花は息子に取り殺されても構わないと、そう思ってさえいた。
■■■
三花が優也と手をつないで、メリーゴーランドのステップを上れば、木馬は、乗るのを促すようにその動きを止める。
前に乗った優也を、後ろから抱くような形で、二人で一緒の白馬にまたがる。二人が馬に乗ると、メリーゴーランドは、独りでに回り出す。
「きれい……」
赤い夕陽が沈み、夜を迎えたドリームランドで、光を散らしながら、走る木馬。二人が貸し切ったメリーゴーランドは、他の客を乗せることはない。いつまでも、このまま回っていられる。
「ママ」
「なあに、優ちゃん」
「僕、もう大丈夫だよ」
三花は、胸が詰まるような思いがした。
「ママが来てくれて、嬉しかった」
だからもう、大丈夫。
三花は、静かに涙を流す。心を壊していたのは、会えて救われたのは、三花の方だ。
気がつけば、周りは闇に包まれている。城も、観覧車の影も、何も見えない。真っ黒の空間の中、そこだけ別の世界を切り取ったように、輝くメリーゴーランドが回り続けていた。
やがて、少しずつ、少しずつ――闇に金の粒が溶けていき、二人を包む世界は消えていく。
最後に二人を乗せた木馬がかき消えた。三花の手をすり抜け、優也は光と共に、宙へ浮かんでいく。
「愛してる」
三花の言葉に、満足そうに笑う優也の笑顔を最後に――三花の意識は闇へ沈んだ。
■■■
俺達がドリームランドに着いた時、空は薄い紫色に染まり始めていた。
一応、立入禁止のロープは張られていたが、軽くくぐると、すぐに侵入できた。遊園地のキャラクターであるうさぎの看板が、俺達を見下ろしている。
「なんか不気味……」
瀬川が、腕を擦った。俺はといえば――気持ち悪いくらいの悪寒に襲われている。
一歩足を踏み入れただけで、よくないものの気配を、はっきりと感じる。まだ営業中はここまでじゃなかっただろうが――と悪態をつく。正直、しんどい。
「どうしよう、手分けして捜す……?」
「いや」
俺は、水晶の振り子を出し、腕を伸ばして高くぶら下げた。まだ沈みきらない夕日の光が、青い結晶の中に反射する。
「これで、人の気配を追う。瀬川の気配が遠くにあると、混ざってわからなくなる。俺のすぐ近くにいてくれ」
「……わかった」
言わないが、ここで離れるのは危険だと、俺の勘が告げていたのもある。
瀬川は、俺が集中できるよう黙った。俺は意識を集中する。すると――ふっ、と振り子が揺れた。
「こっちだ」
一度掴んだ気配に近付くほど、振り子の揺れは大きくなる。俺と瀬川は、走り出す。そして――
「三花さんっ!」
瀬川が叫んだ。
メリーゴーランドの前に、女性が倒れている。すぐに駆け寄り、様子を確かめる。弱々しいが、息をしていた。
「三花さん、しっかりしてっ」
「救急車だ!」
俺の言葉にはっとして、瀬川は急いで電話をかける。俺は失礼して、軽く三花さんの体に触れる。通常の体温より、熱い。
「熱中症か……?」
真夏の屋外に倒れているのだ。今は日も暮れ、ある程度はマシだが、それでもかなり蒸し暑い。
意識のない彼女を、瀬川と二人がかりで日陰に運び、水を振りかけて扇ぎ、体温を下げる。じりじりしながら救急車の到着を待った。
やがて救急車のサイレンが聞こえてきて、俺と三花さんを残して、瀬川は案内のために走って行った。
「……良かった」
あと少し発見が遅れていたら、危ないところだっただろう。三花さんの意識が戻るまでまだ安心はできないが、やるべきことはやったと、俺はようやく息をついた。
日が沈み、辺りは徐々に暗くなってきていた。この遊園地のシンボルらしい城が、暗がりで本物のような威圧感を放つ。
「――っ?」
その城を見た時、俺は背中の毛が逆立つような感じがした。妙な胸騒ぎがして、水晶を取り出す。
水晶は、ふらふらと円を描くように揺れ、反応を示していた。俺は――さっきまで必死に察知しようとしていた、「人の気配」を見つけようと、再び試みる。
渦巻く泥の中に、細い糸を手繰り寄せるような感覚――弱々しいその気配を、掴もうとする。だが、集中しようとした時、瀬川が救急隊員を連れ、走ってきたので、その気配に引きずられ、水晶が大きくぶれた。
「こっちです!」
救急隊員は、三花さんをストレッチャーに乗せ、運んでいく。
「私達も早く行こう」
「……そうだな」
俺は、近くに落ちていた三花さんの物らしい鞄を拾い上げ、瀬川と共に、ドリームランドを後にした。
最後に、城を振り返ってみたが、もうそこから、人の気配は感じなかった。
勘違いか――?
普段なら、自分の勘を信じる俺だが、この時ばかりは、そう思うしかなかった。
――ここは、そうでないものの、気配が濃すぎて。
救急車がドリームランドから遠ざかる。低く唸るようなサイレンの音に、俺は、ここに集まる多くの怨念の声を重ねていた。