白昼夢の再会
コンビニで待っていると、瀬川は軽自動車に乗ってやって来た。
髪を染め、少し日焼けしている。東京の短大に行った瀬川は、どことなく垢抜けた印象があった。
「散らかっててごめん。これ、家の車だから」
後部座席には、チャイルドシートが備え付けられ、オモチャやウェットティッシュが置かれている。明らかに子供のいる家の車だろう。
「いや、いいけど、車で来るとは思わなかった。どこ行くんだ?」
「兄さんの家」
慣れた様子でハンドルを握る瀬川は、運転しながら、詳しい話を始めた。
「いなくなった三花さんは、アタシの義理の姉さんなんだ」
瀬川には、年の離れた兄がいる。その兄の結婚相手が、瀬川三花さんで、いなくなった、義理の姉だ。今は、隣の市に住んでいるらしい。
「三花さんがいなくなったのは一週間くらい前で。兄さんが朝起きたら、もういなかったらしい」
「その言い方だと、三花さんは自分の意思で、出てったのか?」
「多分ね……鞄とか財布とかはなかった」
大の大人がいなくなった。何かの事件に巻き込まれたのか、自ら失踪したのか。今のところ、後者の可能性が高い。
「けどさ……、三花さんが、子供を置いて出かけるとは思えないんだ」
「子供? でも、電話では亡くなったって……」
「あ、息子が二人いるんだ。亡くなったのはお兄ちゃんの優也くん。弟の和也くんは、4歳」
亡くなった優也くんは、6歳だったという。タチの悪い病気にかかっており、病気が発覚してからはあっという間だったそうだ。
瀬川は、甥っ子を亡くした時のことを思い出したのか、ちょっと鼻をすすった。
「……三花さんは相当落ち込んでた。でも、兄さんにも何も言わないで一週間もいなくなるなんて、絶対何かあったんだよ」
話すうちに、瀬川のお兄さんのマンションについた。瀬川は勝手知ったる様子で、合鍵を使って中に入る。
「いいのか? 勝手に入って」
「大丈夫。和也くんは昼間、うちで預かってて、お迎えは私がしてるんだ。家のことも多少手伝ってる」
瀬川がどんどん上がり込むので、俺も仕方なく続く。
玄関に家族写真が飾ってあった。母親らしい女性と、男の子が二人、写っている。撮影者は父親だろうか。
写真に写る女性が三花さんかと聞けば、瀬川は頷いた。長い黒髪の、ほっそりした女性だ。
「まあ、大体、状況は分かったけど……しかし、どうするかな」
捜すといっても、どこを捜したものか。心当たりのある場所は、瀬川のお兄さんやご家族が既に当たっているだろうし。
「え? ここからあの水晶の振り子で、三花さんの行ったルートを辿っていけないの?」
「俺は犬か」
そんなのは無理だ。
水晶の振り子は、あくまで俺の感覚に反応する。俺が、無意識下のうちに、五感で知覚したものが、微かな腕の振動を伝わって、振り子の動きに表れるのだ。
だから、あまりに遠くにあるものを捜し出すことはできないわけで――三花さんがよほど近くにいない限り、俺の振り子は反応しないだろう。
とはいえ、何もしないまま帰るわけにもいかない。
「部屋の中を見てもいいか? 手がかりを探してみる」
「わかった。好きに見ていいよ」
瀬川の立ち会いのもと、振り子を出して、ゆっくりと、部屋の中を歩いていく。
リビングに入ると、線香の香りがした。仏壇があり、男の子の写真がある。遺影に映った男の子は、母親似で、おとなしそうな印象を受けた。
静かに、静かに部屋を進んでいくと――パソコンデスクの前で、振り子がピクリと揺れた。俺がパソコンの前に立つと、瀬川は腕を組んだ。
「パソコンかあ……これの中身は、さすがに兄さんがいないと見れないかも」
「いや」
確かに、パソコンを調べれば、三花さんが失踪前に行き先に関する何かを検索した履歴など、手がかりはあるかもしれない。
だが、俺が注目したのは、パソコンの横に置かれたメモ帳だった。一枚ずつはがせるようになっているタイプのメモ帳の、一番上の紙に、引っ掻いたような跡がある。
「瀬川、鉛筆あるか」
「ペンならそこに引っ掛かってるよ」
「いや、鉛筆がいい」
瀬川は、子供部屋から鉛筆を出してきた。借りた鉛筆を、メモ帳の上に、弱い力でこするようにする。
「前の紙に書いた時の跡が、下の紙に残ったんだ。こうして弱く塗れば、へこんだ部分が浮き出てくる……」
「へえ……」
そして、浮き出てきた文字を見て、俺はぎょっとした。
「……『裏野ドリームランド』?」
少し焦ったような、走り書きの文字。なぜ、この場所の名前がここに――。
俺の背筋に嫌な汗がつたい、思わず首元に手をやった。
これは勘でしかないが、俺の感覚が警鐘を鳴らしているのが、はっきりわかる。
「……ここに行こう」
■■■
メリーゴーランドの横で動いたのは、地面に倒れていた女性だった。金髪に派手なメイク、肌を大きく露出した格好は、かなり若いように見えた。
どうやら、自分の声に反応して気がついたらしい。体を起こして頭を振り、怪訝で不快そうな顔をしている。
廃園になった遊園地という、本来誰もいない場所で、まさか倒れている人間を見つけるとは思わなかった。彼女は一瞬ぎょっとしたが、すぐに倒れていた女性に近付き、声をかける。
「……あの、大丈夫ですか?」
「あ? ……頭痛い。何よココ。アンタ誰?」
睨みながら、矢継ぎ早に質問してくる。意外と強い口調だったことに驚き、ギャルのような女性の質問に、彼女は素直に答えていた。
「私……は、瀬川三花です。ここは、裏野ドリームランドという遊園地ですが」
「何それ。知らないんだけど」
ギャル風の女性は、ふん、と鼻を鳴らした。知らないというのはどちらに対してだろうか。少なくとも三花は、この女性を知らないし、ドリームランドという、廃園に遊園地のことも、調べるまで知らなかったが。
「てか、遊園地っぽいけど、誰もいなくない?」
「……ここは、少し前に廃園になったので」
三花が、ドリームランドの場所を簡単に説明すると、女性は、はあ!? と大きな声をあげた。
「何それ、意味わかんない! なんでそんな場所にいるわけ!?」
どうやら彼女は、ここに自分が来た経緯も覚えていないらしい。財布も携帯も、何の荷物も持っていないことを知ると、苛立った様子で喚き出す。
「ちょっと、携帯貸してよ!」
まるで、自分がここにいるのは三花のせいだと言わんばかりの口調だ。
仕方なく三花は自分の携帯を出したが、しかし、画面に「圏外」と表示されているのを見て、三花は固まった。
「え? まさか、そんな……?」
確かに田舎だが、並外れて山奥というわけでもない。電波が入らないなど、あるものだろうか。
ふと、辺りを見渡して、空を見上げると――さっきまで、目に痛いような青空だった空は、いつの間にか雲で覆われ、嵐の前のような、奇妙な空の色をしていた。太陽の前に色ガラスを重ねてしまったかのようだ。
携帯の電波が入らないことを示すと、女性はますます癇癪を起こした。
「じゃあ、金、貸して」
さすがに三花も躊躇うが、帰る手段がない彼女も食い下がる。
「ちゃんと返せばいいでしょ。私の名前、河野芹香。アンタの名前と連絡先聞いておけば十分でしょ?」
「はあ……」
「てか、アンタだって何でこんなとこにいるわけ?」
そこで、三花は自分がここに来た理由を思い出す。こんな話をしている場合ではない。この妙な女性のことは、適当にお金を渡して、追い払おう。
そうして、三花が鞄に手を入れた時だった。
――ママ。
その声に、はっと三花は振り返る。突然動いた三花に、芹香もぎょっとして、三花の向いた方を見た。
「優ちゃん……?」
そこには――三花の死んだ息子が、生きていた時と変わらない姿でそこにいた。
自分を見つめ、手を伸ばしている。
「ママ……っ!」
「優ちゃん!」
三花は、何もかもを放り出し、息子に駆け寄り抱きしめる。
「優ちゃん、優ちゃん!」
「来てくれたんだね、ママ」
涙を流しながら、三花は必死に頷く。やっぱりあの夢は――優也が自分を呼んでいたのだ。
「――ひ、ひゃあああっ! 幽霊っ!!」
芹香は、悲鳴をあげてその場から走り出していった。三花はその言葉に、息子は死んだのだと突きつけられた思いがしたが――すぐに、自分の腕の中に優也がいる、それでいいと思い直した。
優也は、三花から少し離れると、嬉しそうな笑顔で、三花を見上げて話す。
「あのね、ママ、僕、ここにいたら、苦しくないんだ。それにね、友達もできたんだよ」
「お友達?」
「うん、あげはちゃん」
言われて、三花は始めて、優也の後ろに隠れるように立っていた女の子に気がついた。いつからいたのだろうか。三花には、優也しか見えていなかったから、最初からいても気付かなかったかもしれない。
年は優也より少し下か。俯いて、痩せた体つきをしている。
「あげはちゃんも、僕と同じなんだよ」
僕と同じ――つまりは、もう、亡くなっているということなのか。
三花は、まだ幼くして死んだ、小さな女の子がいとおしくなって微笑みかけたが、女の子は怯えたように、優也の服の袖をつかんだ。優也は、ちょっと困ったような顔で、照れくさそうにしながら、三花とあげは、二人とそれぞれ手を繋ぐ。
「ねえ、ママ、ここで一緒に遊ぼう、ずっとずっと、一緒にいて」
「優也……」
三花は、こみ上げるものを堪え、頷いた。
「ええ。ずっと一緒よ」
息子の手は、柔らかいが、どこかひんやりとしていた。しかし、自らの手も冷たくなってきていた三花は、それに気付かなかった。