45 ローザリア卿
「ロ、ローザリア卿ッ!? な、なぜあなたがここにッ!?」
この場に突然現れた、謎の仮面の男。
その男の姿を見た次の瞬間から、偽者の領主の顔色がどんどん青ざめていった。
俺と対峙した時よりも明らかに怯えているし、目に見えて動揺している。
加えて、魔族であるコイツが『名前を知っている』事からも、新たに現れたあの男も魔族なんだろう。
「ある噂を聞いたものだからな、それの真偽を確かめに来た。なに、確認をするだけだ、時間は取らせまい。無論、そこの冒険者の君にもな」
俺にもそう話しかける、ローザリア卿と呼ばれた仮面の魔族。
その仮面から覗く口元は、どこか愉快そうに笑っている。
気配を察知させることもなく、ここまで近付いてこれた実力の持ち主なのだ。本人にその気があれば、俺の身体の一部はすでに切り飛ばされていたっておかしくないだろう。
相手に敵対の意思がなければ、俺も刃を向ける理由はない。
道を譲る俺に、ローザリア卿は小さく頷いて偽者の領主になっていた魔族に歩み寄る。
「……正直に答えた方が、君の身のためだ。嘘偽りなく、答えたまえ」
そう言って、ローザリア卿は腰に下げていた武器に手を添えた。
無駄な装飾のない、武器として実直に造られたサーベルがこの部屋を照らす魔力灯の光に鈍く反射している。
「君は、この町を拠点として奴隷売買をしていた。間違いないか?」
「は、はい」
「その目的を答えろ」
「そ、それは……」
「答えられないのか?」
明らかに狼狽する偽者の領主に、ローザリア卿が放つ空気が怒気によって冷たくなっていく。
声が聞こえる程度に離れた場所から見ている俺にもその変化が伝わるのだから、相対しているあの魔族にそれが伝わっていないはずがない。
事実、恐怖で身体の震えが止まらず、唇も青ざめているのだし。
「……帳簿は」
「は、はい?」
「帳簿はあるのか、と聞いている。流石に相手を確認せずに売り渡している訳ではあるまい?」
「そ、それは……」
「出せないのか? それとも『出さない』のか?」
サーベルの柄頭に置いていた手が、柄へと滑り落ちる。
すぐには抜刀しないが、明らかに命の危険が迫っていることが分かったのか、魔族の反応があからさまに変わる。
「だっ、出しますっ! ここにありますっ!」
胸元を探り、帳簿として使っているらしいノートをすぐさま手渡す。
それを受け取り、中身を改めるローザリア卿。仮面の下の表情は見えないが、何かの線が繋がったらしく、時折小さく頷く様子は見える。
「売り払った奴隷達の身の安全は保証しているのか?」
「……まさか。相手の自由に決まっているでしょう?」
それが当然だ、と言わんばかりに答える偽者の領主。
下種な発想ではあるが、最初から「そのつもり」で集めては売り払っていたんだろう。
(やはりコイツは、生かしておくべき理由は無い……ッ!)
苛立ちに任せて斬ってしまおうか、と背中のフローライトに手を伸ばそうとする。
だが、その瞬間。
「――ッ!?」
俺は空耳でも聞き間違いでも何でもなく、確かに『聴いた』のだ。
一瞬にして凍り付き、ひび割れて軋んだガラスのように悲鳴を上げた……空間の『声』を。
「確かに、奴隷商として『奴隷の身の安全を保障する』という取り決めはありますよ。ですが、それが実際に守られているかどうかは怪しいものですね」
ここぞとばかりにベラベラと饒舌になって話し出す、偽者の領主。
しかし、コイツが言っていることは間違っていない。
創造神のチートによってこの世界に完全適応した俺達の知識には、奴隷商の取り決めや契約といった知識も全て入っている。もちろん、ここに来る前に立ち寄った奴隷ギルドでも徹底して守られている規則でもある。
「仮に、その取り決めが破られていると分かっても、奴隷の所有権は相手に移っていますからね。奴隷商が相手に手放した段階で、こちらから口出し出来るような問題ではないんですよ」
「……ほぅ?」
「なので、私としては売り渡した奴隷のその後に関してはあずかり知らぬところなんですよ」
「なるほどな……」
言い分として筋が通っている上に、正当性もある。
腹が立つ言い方ではあるが、集める手段はどうあれ、奴隷商としては当然の事をしているだけなのだ。コイツは。
「――だから、どうした?」
しかし、ローザリア卿は一歩詰め寄る。
顔の半分以上を覆う仮面の下に浮かんでいる表情こそは見えないが、仮面から覗く瞳は――路上の石でも見つめるかのように、この上なく冷え切っていた。
「え……?」
「私が何の下調べもせずに、ここに来ると思っていたのか? 私が必要としていたのは、コレだよ」
硬直している偽者の領主に、ローザリア卿は帳簿を示すように叩く。
「曲がりなりにも爵位を持っているのだ、奴隷の扱いについては心得がある。同時に、お前が言っている事が正しい事なのは分かっている。問題なのは……お前のソレは、目にあまる行動が多過ぎる、という事だ」
「……どういう事だ?」
「簡単に言えば、この魔族は自分の手を汚さずに人間同士を争わせようと画策していたのだよ」
「「なっ――」」
俺と偽者の領主、二つの口から同じ言葉がこぼれた。
俺としては、思いがけない新事実に。
偽者の領主としては、目論見を最初から看破されていたことに、だろう。
「そのために町や村を襲い、奴隷になりそうなものをさらっていたわけだ。聞けば、人間以外にも様々な種族にも手を出したそうだな?」
「そ、そこまで調べ上げていたのですか……!?」
「私の斥候を甘く見ないで貰おうか。この程度の下調べなら五日もかからん」
パラパラと帳簿を捲り、それに記載されている種族や人数を読み取っているらしい彼の表情からは何も読み取れない。
唯一つ分かるのは、彼が偽者の領主を見る視線には、一切の感情が含まれていないことだけだ。
「誰の指示だ。エリギュストか? それともアルゴールか?」
「そ、それは……」
「まぁ、お前が言わずとも、強硬派の誰かが指示したのは間違いないだろうがな」
……魔族も一枚岩ではない、と以前に感じてはいたが、どうもそうらしい。
強硬派、なんて言葉も出ているのだ。魔族の中でも色々ともめているようではある。
「……ふむ。お前から叩き出せる情報はこのくらいか」
「み、見逃していただけるのですか?」
「そうだな。丁重にお前がいくのを見送ってやろう」
あたふたと立ち上がり、今にも走り出しそうな偽者の領主にローザリア卿は頷く。
「――但し、逝き先は地獄だがな」
「……えっ?」
ヒュン、という風を切る音が鳴る。
そして、その風切り音が『ローザリア卿が目にも止まらぬ速度で放った居合い』だと気付いた次の瞬間には――偽者の領主の首は胴体から切り離されていたのだった。
「……貴様のような腐った思考の同族を生かしておくと思っていたのか。魔族の恥さらしめ」
断末魔も最期の言葉も残せず、恐らくは自分が死んだことすら知覚できないまま光の粒子になっていった偽者の領主に、ローザリア卿は怒りをあらわにしている。
それは俺も同感だ。
しかし、同じ魔族でもこんなに反応は違うものなのか?
「……そういえば、奴は君の獲物だったのではないのかな? 私が殺してしまったが」
「あぁ、別にそういうのにこだわっちゃいないさ。どのみち、あんな事を聞かされちゃ殺すしかなかっただろうよ。今後の事を考えるとな」
「そう言ってくれると助かる」
そして、魔族なのにこの人物はとても礼儀正しい。
完全適応した知識であっても、例外はあるってことなんだろうな。
「しかし……君のその格好と装備。改めてみると、やはりそうか」
怒気を収めたローザリア卿が俺の姿をまじまじと見て、興味深いな、と面白そうに笑う。
魔族に興味深そうに笑われる理由なんて、俺にはないはずなんだが。
「冒険者らしくない服装で、得物が「カタナ」の冒険者……なるほど、君がヴェストの言っていた冒険者か」
「げっ!?」
だが、その魔族の口から出てきた人物の名で、俺は嫌な予感が的中してしまった事に気付く。
まさか、本当に魔族の中で俺の事が知れ渡っているのか……?
「……あぁ、待つがいい。私はここで君と刃を交えるつもりはない。ここで巡り合えたのは一つの偶然だろう」
身構えて距離を取り、今にも抜刀しようとしていた俺に、ローザリア卿は手で制する。
悪意や敵意を隠したまま近付いてくる輩も裏の世界では多いが……この短い間でのやり取りで分かった事だが、彼はそういった腹芸が出来ないらしい。
良くも悪くも、自分に正直だというべきか。
「そこで、君に1つ問いたい」
「なんだ?」
「君は――『流れ人』かね?」
「……なぜ、そんな事を聞く?」
「ただの興味だよ。それに、君が魔族に対して怖気付かないことと無知であることに納得がいくだけだ」
理由を隠すこともなく、正直に答えるローザリア卿。
その気であれば力づくで聞き出すことも出来るだろうに、それをしようともしない。
快男児、というのは彼のような人物のことを指すのだろう。
「君は、今後も魔族と戦うつもりか?」
「……必要となれば、だな」
「ならば、これも何かの縁だ。君とはあまり戦いたくないものだね」
そう言って、来た時と同様に扉を開けて出て行く、ローザリア卿。
あの変態科学者と知り合いだったのには驚いたが……魔族の認識がまた1つ変わったことには、間違いない。
「俺だって、あんたとは戦いたくないな……」
居合いを放った瞬間すら分からなかったんだ。
今の俺でも太刀打ち出来るか分からないような相手と戦うなんて、勘弁して欲しいさ……。