39 彼は「彼」でありながら『彼』ではないもの
「心の闇……?」
『あんたらに分かりやすく言い換えれば、俺は、アイツが心の奥底に押し込めてる「欲望」や「憎しみ」といったどす黒い感情の塊みたいなもんだな』
そう言って、自らを「彼の心の闇」だと名乗った『声』が笑う。
『考えた事はないか? 転生して見た目が子供になったおっさんが、それを利用して『変な事』をやろうとしてもおかしくないって』
「確かに、そう考える輩はいるかもしれないが……」
「でも、ナナキさんにソレをやろうとする気配は無かったよ?」
『まぁ、全員が全員、そういう事をやろうと考えてる訳じゃねぇから一つの例だと考えてくれればいい。極論だし実際にやる奴はごく一部だろうな。やったとしてもその後に待つのは地獄だが』
ミネルバとアルカナが言ったように、彼……ナナキさんは転生した身体を使って楽しもう、という考えは持ち合わせていないようだった。
むしろ、逆に自制している部分もあったと思う。女性との接触を避けている部分もあったし。
「……まさか、女よりも男が好きって事は」
『そいつだけは絶対にねぇから安心しろ。あんな度胸無しのヘタレでも、普通に女の裸見れば興奮するくらいの性癖は持ってんぞ』
私が言いかけた言葉を遮るようにして『声』が断言する。
……そうだよね。
結婚願望はあっても出会いもないし、自分が好かれる事なんてない、と考えている彼の事だ。
そういう選択肢はあっても、行おうという意思はないんだろう。
『実際、アイツがどう考えてるかは俺も知らねぇ。そのまま枯れて死ぬまで独身童貞貴族でも貫くかも知れねぇな』
「そんな事はありません! 恋人候補との出会いが近いって言ったら喜んでましたよ!?」
『ソレは、あくまで「候補」なんだろ? 実際に恋人になるかどうかは分からねぇだろ』
「うぐぐ……」
呆れた様子の『声』に、私は返す言葉を口から出す寸前で飲み込んだ。
確かに、候補である以上は「確定」ではないんだから断言はできないけど……!
『……まぁ、俺もこんな話をしたくて繋いでるんじゃないんだ。じっくりと説明してやりたいのは山々なんだが、今は時間が無い。ざっくりとだが説明してやるから話を聞け』
目の前にいるのであれば、その場に胡坐でも掻いて座っていそうな物言いに私達は顔を見合わせる。
どこまで自分本位なのだろうか、こいつは。
しかし『声』の言う通りではあるので、私達は渋々ながらもその『声』に耳を傾ける。
『さっきも言ったが、俺はアイツの『心の闇』だ。アイツが普段抑え込んでる黒い感情の塊で、表層に出てるアイツの意識が弱くなった時にしか出てこれないのさ。例えば、寝起きで意識が目覚めきってない時、とかな』
「それは解ったけど……じゃあ、どうして心の奥底に押し込めてられてるはずのあなたが表に出てきているの?」
『簡単な事さ。アイツが「俺を呼んだ」からだよ』
「彼が?」
『アイツが俺を呼ぶ時は「今の自分では解決出来ない事態が迫っている」時だ。記憶の共有は出来てるからな、アイツの周りで「何が起きていたか」は解るんだよ』
こちらの戸惑いを読み取っているのか、肩を竦めたように息を吐く『声』は続ける。
『そして、アイツの代わりにソレを解決させるのが俺なのさ』
「そんな事が出来るの?」
『アイツが「狭山芳和」として生きていた世界だったら『不可能』だったさ。どんなに天地がひっくり返ろうとも俺はアイツの『心の闇』なんだからな、現実として表に現れる事は出来ねぇんだよ』
「それは、社会的な意味で?」
『物理的な意味も、含んではいるな』
「……物理的な意味で、だと?」
ニヤリと笑ったように声を上擦らせる『心の闇』。
その言い方に、私達は不安しか感じ取れない。
『今の俺は、普段は表層に出ているアイツと「入れ替わっている」状態なんだ。意識と肉体の主導権も入れ替わってるから、ステータスなんかも全く違うぜ?』
「「「えっ!?」」」
ソレを聞いて、私は慌ててキーボードを叩き始める。
まさか、身体を乗っ取られたとか!?
『……あー、何やってるかは大体検討がつくが、無駄だぞエルクゥ。今、この回線の主導権はこっちが握ってるからな。こっちからは慌ててキーボードを叩いてるエルクゥの顔が丸見えだぞ』
「なっ――」
考えていた事が実際に起きていた事に、私は言葉を失う。
それなりに強固なプログラムを組み込んであるのに、ソレを突破した上に掌握してるというの……!?
『まぁ、こいつに関しては俺の管轄外だから『別の俺』にやってもらった訳だが』
「……ちょっと待て。今のは、どういう意味だ?」
「文字通りの意味さ。俺ではない『俺』に頼んで、ハッキングをしてもらったのさ」
ミネルバの疑問に、隠す事ではないとばかりに『声』が答える。
そうだとしたら、あちらにはどれだけの人数がいるというの?
『……変な事を考えてそうだから先に言っとくが、こっちには『俺一人』しかいねぇからな?』
本当に相手からは見えているらしく、考え込んでいた私を見て『声』が釘を刺す。
でも、そうだとしたら理屈が合わないのだ。
この『声』の言葉を鵜呑みにすると、この『声』には回線をハッキング出来るだけの技能は無い。
けれど、別の誰かの声が聞こえた訳でもないし、入れ替わった様子もない。
それなのに、別の『俺』に頼んでハッキングをしてもらった、という。
「……余計に解らないわ」
『目先の情報だけに囚われ過ぎるなよ、エルクゥ。俺は「俺」ではあるが、同時に『俺ではない』んだぜ?』
「どういう事?」
『個は全にして、全はまた個なり。複数にして一つ…ってな。要は、心の闇は『一つだけではない』って事さ』
小難しい事を言っているが、私にはよく分からない。
理解出来ていそうなリーディアに聞いてみれば、言葉を選ぶように口を開いて、
「……ナナキの『心の闇』は、こうして会話をしている『声』だけではない。たまたま表面に出て来ているのが『彼』なだけで、他にもたくさんいる」
「うわぁ……」
私の理解の範疇を超えそうだから、この事について考えるのを私はやめた。
とりあえず、こいつみたいなのが他にもいる、という事が解ればそれで充分よ。
「ねぇ、あなた。とりあえずは『心の闇』って呼ばせてもらうけど」
『なんだ? 用件なら手短に頼む。こっちは準備に集中したいんだ』
「大丈夫よ、聞きたい事は一つだけだから」
通信の主導権が相手にある以上、複数は聞けない。
私達の安心のためにも、これだけは聞いておきたい。
「……ちゃんと、元に戻るの?」
『アイツの意識が戻ってくるか、って事か。そりゃ、俺に頼まれた用件が終われば主導権をアイツに返すからな、戻るだろうさ』
……よかった。
ソレが聞ければ、私としては充分だ。
『けど、それ関連であんたらに頼んでおきたい「重要な事」がある』
「重要な事?」
『あぁ。ステータスなんかが入れ替わっていても、ソレを行使する肉体は「コイツの身体」だからな。身体が許容できる限界以上の力を行使するから、意識を返せば確実にコイツは消耗する』
「――まさかッ!?」
その状況、前にも見た事があるわ。
あの時も、彼は異常なくらいに消耗をしていたけど――!
『察しがいいな。アイツが使うスキル『ライフ・サクリファイスブースト』と同じ状況が確実に起きるんだよ』
だから、と『声』は続ける。
『俺の方から「事が終わったら」連絡を入れる。コイツのケアを頼む』
「随分と身勝手だな。自分でやればいいではないか」
『ソレが出来りゃあ、俺達だって苦労はしてねぇよ。主人格であるコイツがそういうのに無頓着過ぎるんだよ』
「……確かに、ちょっと前の討伐依頼なんかはそんな感じがするよね」
あれは自分の身体を苛め抜くというか、後先を考えていない、が正しいと思うわ。
本人なりには考えているんだろうけど、それが周りに伝わっているかどうか。怪しいところよね。
「……分かったわ。何らかの形でフォローに回るわ」
『ありがとよ。それじゃ、通信を切るわ』
プツン、と通信が切れ、画面は電源が切られたように黒く染まっている。
これは、彼との接続が断たれているからそうなっているだけだけど……本当に元に戻るのかしら。
「そういう事みたいだから、いつでも下界に降りれるように準備はしておいて」
「……分かった」
「全く、面倒をかけさせてくれるな。彼は」
「でも、それがいいと思っちゃってるんだよね」
「違いない」
クスクスと笑い合う娘達を見て、私は思う。
彼を失ってしまったら、この娘達は塞ぎこんでしまうかもしれない、と。
(それだけは、避けないといけないわね)
ギュッと握り締めた手に力がこもるのを、私は静かに感じていた。




