19 民と世界の相違
「……よし。休憩は終わりにして、種族の説明に入るよ」
国の説明の時のように、それほど厚くもない資料を手にカタリナが黒板の前に立つ。
「仕事は大丈夫なんですか?」
「おや、心配してくれるんだ」
「目の前でアンナさんの耳を抓り上げられてるのを見てた側としては、そうも思いますよ」
ギルド長がそういう目に遭う状況が想像出来ないけども、少なくとも誰かに叱られるんだろうなとは思う。
そんな事を考えている微妙な表情を見てか、カタリナはニコリと微笑む。
「ふふ、大丈夫だよ。アンナちゃんみたいに仕事を疎かにしてないし、これは私の息抜きにもなってるんだから」
「そうですか……なら良いんですけど」
「君が心配する気持ちも分かるから、サッと終わらせてしまおうか」
資料を開き、一つ一つ確かめるように目を通す。
完全適応によって知っているのが当然なんだが、それは表情に出さないでおく。
それ以前に知っているものもあるわけだし。
「君は流れ人だ、この中には聞いた事のある名前の種族も多いんじゃないかな?」
「えぇ、まぁ……」
「資料で言うと、どの辺までかな」
「ここからここまでですけど」
資料には、エルフやドワーフ、獣人やリザードマンなどの亜人といった、幻想物には必ずと言っていいほど登場する種族の事が書かれていた。
それらを指し示すと、カタリナは驚いたようにも見える表情を浮かべた。
それもそうだ。
手渡された資料の殆どを指差したんだから。
「……私が手解きする必要はないんじゃないかな? コレ」
「そういう訳じゃないですよ。世界が違えば種族の性質も違いますし」
「そうかい?」
「俺の知ってるエルフの一部は、水中に一時間は潜っていられますから」
「確かに、それは種族の性質としては違うね……私も始めて知ったよ」
「まぁ、本当に一部ですから」
確かに、知っている人は一部かもしれない。
けれども、そういう記述がある文献も俺の世界にはあった訳だ。
俺は、たまたまそれを知っている「一部」の一人であっただけ。
「ちなみに聞きますけど、全身が鉱石になっている人間とか、魔力を一切受け付けない小人とかいたりします?」
「そんな種族がいたら話題になっているだろうね。少なくとも、私もギルドの本部で聞いた事はないよ」
そういう種族もいるのかい、と聞かれたが曖昧に頷いて答える。
……本当、こういう時に想像力に豊かな日本人である事に驚きを覚えるよなぁ。異世界の人間でも思いも付かない発想をするんだから。
この様子だと、ほぼ一般的な種族しかいないという事だろう。
「あとは……魔族もいるんですね」
「こればかりは、私も一括りにして説明は出来ないからなぁ」
魔族と言っても、その姿は本当に幅広い。
人間と同じ姿をしたものもいれば、元の世界でいうところの『悪魔』に近い姿形のものもいる。
それ故に、資料には最低限の情報しか書かれていない訳だが。
「……で、実際の所。君に手解きの必要はあるのかな?」
「必要がなかった訳じゃないですよ。これは、俺が元の世界にいた時から知っていた知識とのすり合わせに必要な事でしたから、やる意味はありましたよ」
「そうか。それで、結果はどうだったかな?」
「分かったのは、どの世界でも同じ種族は同じ傾向を持っているって事でしたね」
エルフやドワーフ達の種族的な外見や特徴は、元の世界で飽きるほどに見続けている。
その知識と、ウィルマキアでの彼らの違いを知りたかっただけなのだけど、結果としては『総じて同じ』という事が分かっただけであり。
それ以外に何かが増えたのかというと、完全適応ってやっぱりとんでもないチートだよな、という認識だけだったりする。
「それでは、これで私が君に教える事は全て終わった、というところかな?」
「物事の常識的なところで言えば、ですね」
「なるほど。では、逆に質問をしてもいいかな」
「俺に、ですか? 別にいいですけど」
ウィルマキアの知識を再確認させてくれた対価として、それくらいだったら別に構わないだろう。
流石に、自分が転生という形で若返った事は言いはしないけど。
「では聞こう。ウィルマキアに流れてくる前に居た君の世界は、どんな世界だったんだい?」
「俺の世界、ですか」
「そう。私以上に博識らしい君がいるんだ。どれだけ優れた世界なのか、気になってね」
俺への授業に当てる予定だった時間が丸々余り、手持ち無沙汰になっていたカタリナが笑う。
本当に興味だけらしく、こちらを見る視線は楽しみで仕方なさそうだ。
それにしても、俺がいた世界、ね……。
「……こちらと比べれば、平和な世界かもしれませんね。魔物なんていないし」
「魔物がいない世界か、それはさぞ楽しいだろうね」
「まさか。いないからこそ、大変で残酷な世界ですよ」
ほぅ、と驚くカタリナには悪いが、現実を見てもらうとしよう。
……その殆どは俺の主観ではあるが。
「弱いものを虐げて強いものが生き残るのは当然で、真実は捻じ曲げられて虚偽ばかりが伝えられる。正義が悪だと吹聴され、国が民を虐げ、這い上がる力の無い人間はそのまま谷底で死んでいくような……名ばかりの平和と平等を掲げた世界ですから」
「それは……」
「ある意味では、こっちの方が「平和」ですよ。自分の身は自分で守れますから」
税だなんだと金を毟り上げ、必要経費だと様々な理由をつけて取り立てて。
手元に残った僅かな金で細々と生きるしかない。
そんな人間もいるのに、世の中には真逆の存在がいる。
湯水のように金を使い、人生を大いに満喫している存在がいるのだと。
……分かっているのだ。
それが意味の無い逆恨みだと。
けれども、たった一つ。
歯車が違うだけで、こうも環境に違いが出てしまうのだろうか。
国もそうだ。
片や、生きる保障のなされた文化的な社会で生まれて。
片や、明日をも満足に生きられるか分からないような争いの絶えない社会に育って。
対岸の火事だ、と笑っていられるのはいつまでだろうか。
いつ、その日が悪意ある人間によって持ち込まれるのかも分からないというのに。
「こちらにも奴隷制度があるように……あちらにも、奴隷制度はあったんですよ」
今の世でも、確かにそれは存在する。
但し、それは表立ったものではない。
僅かな地域にだけ残されている、人の道理としては間違っているであろう所業だ。
「……なければいいと思っていたかい?」
「いえ。こういう世界だったら付き物だって理解はしてましたけどね」
過去に戦争があった。
その戦火に巻き込まれ、今日を生きる力までも無くした人々が身を窶したのが……奴隷の始まりだ。
イシュマではそういった人々の姿を見た事はないが、恐らくは首都に足を伸ばせば奴隷商を見かけたりするのだろう。
「けれど、そうしなければ生きられない理由があった。それなら、俺がとやかく言う事じゃないですよ」
奴隷になる事で生きられた。
奴隷にならなければ生きる事が出来なかった。
考えは違うが、それこそ十人十色だ。
誰が正しくて、誰が正しくないかなんて、誰にも分からない。
「ある意味では恵まれているそんな世界から流れてきた俺としては……今が幸せだって言えちゃうのも、おかしい話ですけどね」
――そう。
恵まれていた世界では不幸せで、そこよりも不便であるはずのこの世界では幸せだと感じている。
だからこそ、俺はこの世界で幸せになりたい。
自分の意思で生きられる、という事がどれだけ尊いものなのかを知っているから。
「だから……色々と教えてくれてありがとうございます、ギルド長」
「……、そうか」
丁寧に頭を下げる俺を見て、色々と察するところがあったんだろう。
カタリナは曖昧に笑って、頷くだけだった。




