6 拠点を確保しよう
「……まいったな」
ベンチに腰掛けながら、絵的には「解雇を告げられた事を家族に言い出せないでいるサラリーマン」のような感じで俺はぼやいた。
宿の部屋がどこも取れなかったんだから、それも仕方ないだろう?
「まさか、空きがないと言われるなんてなぁ」
普段なら一部屋二部屋は空いているそうなんだが、冒険者の団体が来ていたり、たまたま宿を改装している途中だったりで部屋に余裕が無いとの事。
代わりにと色々と宿を紹介してもらったものの、そのどれもが満室。
こういう事態は珍しい、と宿の人も言うほどの事なのだから、本当にタイミングが悪かったんだろう。
だからと言って、ここで諦めたら色々と終了だ。
野営用の道具も視野に入れたが、今の手持ちでは正直な所、手が届かない。
何があるか分からない冒険者生活だ。抑えられるのであれば抑えておきたいが、命を天秤に賭ける訳にもいかない。
馬小屋でもあれば、そこをちょっとお借りしようかとも考えたんだが……それも無かった訳だし。
「……一応、聞いてみるか」
ベンチから立ち上がり、足を教会に向ける。
どこかの貧乏探偵みたいに、宿と食事を恵んでもらおうとするなんて思いもしなかったんだけどなぁ。本当に。
「すみません、どなたかいますか?」
「はいはい、お待ちくださーい」
扉を押し開き、数時間前と同じやり取りをする。
ただ、前回と違うのは返事がすぐにあった事だ。
「あら……ナナキさんじゃないですか。どうかなされましたか?」
「えぇ、実はシスターに相談がありまして。今日会ったばかりの人に言うような事じゃないかもしれないんですが……」
怪訝な表情をされたシスターに、俺はそう前置きを置いて『宿が取れなかった』事を相談する。
宿が取れなかった事はシスターも驚いたらしく、それは災難でしたね、とこちらを労ってくれた。
そして、ここからが本題だ。
「……それで、どうでしょう。シスターが良ければ、少しの間で構わないので教会で寝泊りをさせて貰う事は出来ないですかね? 毛布と場所を借りるだけでも構いませんので」
「そうですね……」
こちらを確認するように見るシスターの視線を、俺は甘んじて受ける。
女一人で教会を切り盛りしているとは聞いていないが、自分の身を守りたい気持ちは分からないでもない。特に、身元もハッキリしていないような流れ人が相手なのなら。
そんな思考も含ませつつ、シスターの反応を待っていると朗らかに微笑まれた。
「……事情は分かりました。このような場所で構わないのでしたら、喜んで場所をご提供させて頂きます」
「本当ですか!?」
「はい。お困りになっている相手を見捨てずに手を差し伸べて助けるのが、神の教えだと思いますので」
「よかった……」
安心して緊張の糸が切れたのか、その場に崩れ落ちるようにして座ってしまう。
少なくとも、これで雨風は凌げる場所を確保出来たのだ。安心するのも仕方ないだろう。
そう考えていたら、シスターはちょっと怒っているような表情で続ける。
「けれど、毛布と場所だけお貸しする、なんて事は致しません。ちゃんと部屋を用意させて頂きますし、質素ではありますが料理も準備致します」
「……いいんですか?」
「ちゃんとした食事や睡眠が取れなかった事で、病気になられたら困りますので。冒険者というのは身体が資本なんですから、ちょっと自分自身を安く見過ぎです。ちゃんとご自愛下さい、よろしいですね?」
「…………、はい」
転移する前にもエルクゥに言われていた言葉なだけに、少しだけ耳が痛い。
チートスキルがあるとはいえ、自分の事を蔑ろにしている部分があったんだろう。それがほんの少しだけであったとしても。
だとしたら、こうして心配をしてくれる誰かの言葉に耳を傾けなくてはいけない。
その相手は心から俺の事を心配して言ってくれているに違いないんだから。
「あと、ナナキさんには約束して頂きたい事もあります」
「なんでしょう?」
首を傾げていると、シスターはにっこりと微笑む。
「こちらに泊まっている間だけでも構いませんので、神に祈りを捧げる時間を作って頂く事と……夕刻を告げる鐘が鳴る前に、必ず帰って来て下さい。仮ではありますが、ここはナナキさんの家になる訳ですから。いいですね?」
「……分かりました、約束します」
拠点、という言葉だけでは済みそうも無い、想いも込められた言葉。
それを反故にしないようにしよう、と深く頷いた所で間の悪い事に「きゅうぅ」と俺の腹の虫が鳴いてしまった。
えっとその、と慌てて弁解しようと言葉を考えるのだが、あまりにも急な事と恥ずかしさで上手く言葉が繋がってくれない。
そんな様子を見て、シスターはくすっと微笑んでくれた上で、一言。
「では早速、食事に致しましょうか」
「……お願いします」
顔が熱いのを自覚しながらも、聞かれてしまったものは仕方ない。
これ以上恥ずかしい事は無いだろ、とばかりに気持ちを割り切って、素直に頭を下げてお願いする事にした。
「……はい、お待たせしました」
礼拝堂の奥にある、生活するために作られた簡単な住居のような空間。
元の世界でいえばマンスリーマンションのようだともいえる生活空間に招き入れられた俺は、そこでシスターに手料理を振舞われていた。
手料理と言えば響きがいいが、要は事前に用意していたシスターの分の料理をもう一人分用意して貰っただけなのだが。
「すみません、わざわざ用意して頂いて……」
「いえいえ。必要な誰かの所に届くのであれば、食材達も本望でしょうから」
そう言ってくれるが、そのために本来の食事の時間からずれてしまっているのは事実だ。
その点は忘れてはいけない。
「……何らかの形で、この恩はお返ししますね」
「はい、そうして頂けると私も助かります。それよりも、早速頂きましょう」
微笑み、食前の祈りを捧げるシスターに合わせて、俺も手を合わせる。
調理された食材に感謝の気持ちを込める。
命を頂く、という事は元の世界にいた頃に読んでいた漫画でも言われていた事ではあったが。
毎日欠かさず食事が出来るのは実に贅沢な事なんだ、と分かったのは転移してからだ。
元の世界は、どれだけ恵まれた環境にあったのだろう。
命を無闇に脅かされる事も無く、望めばいつでも食事をする事も睡眠を取る事も出来る。
飽和した時代だからだ、と言ってしまえばそれで終わりだが、それだけではない。それすらも選ぶ事もできない人もどこかにいる、という事実に蓋をしていただけのような気もするのだ。
だからこそ……思う。
こうして、食事が出来る事。
屋根と壁のある場所で寝食が出来る事は、とても恵まれているのだと。
「……いただきます」
ウィルマキアに来てから、ちゃんとした食事は初めてだ。
だから、という訳ではないが……とても美味しく感じたのは、そういう事を考えていたからでもあったんだろう。
(……食事と寝る場所だけは、しっかりしないとな)
ウィルマキアで生きていく上で、大事にしなければならない項目が増えた瞬間でもあった。