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プロローグ1 招かれて、異世界

一年かけて再始動。

今度は完走出来るよう頑張ります。

 目を開くと、そこは異世界だった。


 ……などと有名な文学書の冒頭を真似した訳じゃないが、事実として目の前に広がっていたのは一度も見た事もない光景だった。


 鼻をくすぐるのは、新緑の草の匂い。

 頬を撫でる風はふわりと柔らかく、遠くに険しく切り立っているであろう山脈が有名な画家の描いた風景画のようにそびえている。

 耳に届くのは、そよ風に吹かれて草が触れ合う、サラサラと流れる小気持ちいい音。

 足に感じる感触は、間違いなく草の柔らかさと土の固さ。


 日本の都市部で色々と社会に束縛を受けながらも、自分の力で稼ぎを得て何とか生きている、一介の社会人。

 そんな俺――狭山芳和が、金策に苦心しつつもなんとか守り抜いている賃貸アパートの一室で眠って起きてみれば、まさにこんな状況だ。


 夢か幻か、或いは幻覚か――


 そんな風に疑ってかかっても仕方ないんじゃないか、と言ってもいいだろ。


 でも、頭がまだ寝ぼけているんじゃないか、などとは言いもしないし思いもしない。

 既に頬を抓ったり頭を殴ったりで、痛覚による正常判断は済んでいる。方法としては非常にアレな気がするが、今が非常事態なんだからそれはどこかに放り投げておく。


 その上で、自分が置かれたこの状況を把握する。


 目に見える限りの光景。肌で感じる限りの自然。

 これらは嘘偽りや幻などじゃない。


 実際にそこに存在する『現実』なのだと、頭ではなく心で理解した。



 そう言い切れるのには、俺なりの『三つの理由』がある。



 最初に、俺は魔法の存在を『信じている』。


 歳が中学生であれば「中二病」で済まされるが、あいにくと俺は先日付けで『三十歳』になった中年だ。しかも恋人いない暦は絶賛更新中、ネットスラングでいうところの『魔法使い』という奴である。


 ……あぁそうだよ、この歳で童貞だよ。

 加えて、二次元が大好きなオタクだ。悪いかよチクショウ。


 世間的に言えば、俺は『痛い人』の部類に入るだろうさ。


 だが、その『痛い人』という認識は、他人が勝手につけたものだ。

 周りの誰が何を考えてそう思うのが勝手ならば、俺がどれを信じようと勝手なはずだ。


 世界には、科学では説明が出来ない異常現象とも呼べる『魔法』が確かに存在しているのだから。



 次に、俺は目の前と自分に起きた出来事をありのままに『受け入れている』。


 受け入れる、といっても「第三者の公平な視点で見た事実と結果」だけだ。

 謂れの無い罪を被せられたり理不尽な理由で責められたりすれば、流石に手を返して突き返しはする。面倒事の押し付けなんてごめんだ。


 ――自分の命令を忠実に聞く『だけの』部下が欲しければ、人形や機械だけを相手にしろ。


 極論ではあるが、真理を説いてはいると思う。

 反論はしたければ勝手にしてくれ。答えは聞かん。



 三つ目に、この状況を『俺が望んでいた』のがある。


 文明として発展はしたが、誰もが自分の望んだ未来を得られないような、軽薄で中身の存在しない社会。

 仁義や義理人情といった人の心が幻想となって、代わりに収まったのは過剰なまでに磨き上げられた学歴による階級差別に、優秀な者だけを選別して残すような能力主義と格差。

 そんな社会を捨てて生きたい、と強く願い、心から渇望していたのだ。


 望んでいたと言えば聞こえがいいが、要は、そんな現代社会が嫌で逃げ出した俺は『社会不適合者』だという事だ。

 だが、あのまま生き続けていても、死んでいるのと同じようなものだ。救いなんてものはどこにもありはしない。


 生きていても地獄、死んでも地獄。

 誰がそんな社会を想像出来ただろうか。


 そんな風に自分が生き抜いてしまった事も理由の奥底にあるのかもしれないが……こうなってしまっている今となっては、そんな事は最早どうでもいい事だ。



 であれば、次に出てくる言葉は限られている。



「……どこだろうな、ここは」



 絶景写真を集めた本を手に取った事もあるが、その中のどれにも一致しない、目の前の風景。

 まだ知られていない世界の絶景に迷い込んだのか、と考えてはみるが、すぐにそれはないと切り捨てる。


 自分の今の状態は、寝る時に着ていた室内着のみ。

 手元には公的に身元を証明するようなものは一切ない。あったとしても、現実的に役に立ってくれるかどうか。

 その上、連絡手段になりそうな携帯電話はお約束とばかりに圏外を示している。


 誰かの手によって運ばれたにしても、連絡手段の一つもなければここに捨て置くような理由がないはずだ。

 それ以前に、ここに運ばれる途中で目を覚ますだろうし、特に血縁や社会的立場な意味でも何の価値もない俺をこんな場所に打ち捨てるように置いていったところで、社会的には何の問題もない。仕事先には迷惑だろうけど。


 なら、俺はどうしてここにいるのか。



「……もしかして、ここは死後の世界か?」



 考えられる限りで、可能性の高いものをあげてみた。

 眠っている間にスッと息を引き取ったであれば、苦しまないで済んだ、という点でありがたくはある。


 だが、俺はまだ三十歳になったばかりの人生の若造。死ぬにしたって、少しばかりは若過ぎやしないだろうか。

 要因になりそうなものなら、個人的にいくつか心当たりはあるけれども。


 それでも、ここが本当に死後の世界であるのなら――年齢や若さというものは関係ない。

 死ぬ時は死ぬ。それは、誰であっても同じ事だ。



「本当に死んだんなら……仕方ないよな」



 色々とやりたい事はあった。

 返せていない恩もあった。

 心残りになっているものもあった。


 それらを全部ひっくるめて、二度と出来ない事なのだとしたら……それはもう、諦めるしかないだろう。


 あれこれ足掻いても出来ないものは出来ないのだし、未練がましくしがみついているのもみっともない。


 後悔はすれども、未練は潔く断つ。

 未練に縛られていては前に進む事ができない。


 それを今までの人生で嫌というほど思い知らされているのだから、決断は早かった。



「さて、どうしようかね」



 今の俺が理解出来る限りでこの現状を受け入れてしまうと、急いでやる事が見つからない現状に気付いてしまった。


 とりあえず、俺がいるこの草原が何処まで続いているかを調べてみようか。

 永遠に続いている訳でもないのだし、小さな変化でも見つけられれば万々歳だ。


 そう思い、立ち上がったその瞬間。




「――驚きました。取り乱しもしないで、この状況をあっさりと受け入れるなんて」




 本当に驚いたような声が、空から「降って」きた。

 誰だろうかと見上げて考えている間に、その声の主はゆっくりと空から降りてくる。


 視線の先には、どこかの民族衣装のように布を身体に巻きつけた女性が宙に浮かんでいた。

 卑猥な訳ではなく、かといって色気を押し出すようなものじゃない。それが自然であるかのように着こなしている。


 そして、なによりも目に付くのが、背中から伸びている純白の翼。


 一言で言えば、宗教画に描かれるような女神がそこにいたのだった。



 いたのだが……その女性の姿がはっきりと見えてくると、胸に抱いた感動や畏怖といった感情が裸足で逃げ出していった。

 代わりに、呆れとも何とも言い表せない感情が胸の中に腰を下ろしていて、色々なものが台無しな気分になる。


 けれど、安心していたんだろう。

 俺は肩の力が抜けて、薄くだが笑みを浮かべていたのだから。



「……なんですか、その『迷子になった子供が親を見つけた』ような顔は」


「起きてみれば知らない場所に置き去りにされてて、そこで戦場で背中を預け合った戦友に会えもすればこんな顔にもなるだろうさ」


「それもそうですね」



 女神の衣装を纏った女性に、俺は正論と例えを持って苦笑で返す。

 俺の例えに納得がいったのか、彼女も苦笑を隠そうとはしない。


 事実、彼女とはお互いに参加したイベントで同人誌を手分けして確保しにいったり、衣装の作成を手伝ったり、地方のイベントに同伴で参加したり、マニアックなゲームの貸し借りをしたりする……世間一般的に言われるところの『オタク』な友人なのだ。


 そんな友人ではあるが、以前から少し浮世離れした感覚の持ち主だな、と思っていたのは間違いではなかった。


 それも当然だ。

 この流れを見るに、彼女は明らかに『人間ではない』のだから。



「それに、取り乱してない訳じゃないさ。足掻いてもどうしようもないなら、なるようにしかならないと割り切っただけだし」


「相変わらずですね、その順応性の高さと割り切りの良さは」


「無駄に人生経験は多いからね。正確には『無駄な』かもしれないけど」



 笑う事を返事として、俺は女性に向き直る。

 おそらく、この状況で俺に起きた出来事を説明出来るのは彼女だけだろう。訳も分からないままこの場所に放り出された側としては、納得のいく説明をして貰わなければ割に合わないのも事実だ。



「……で、俺を納得させてくれるだけの説明はしてくれるんだろ?」


「もちろんですよ。私としても聞きたい事がありますから」



 俺の頼みに、彼女は朗らかに微笑んで応える。



 どうして、俺がこの場所に放り出されていたのか。

 そして、この場所は何処なのか。

 そもそも、それを知っているらしい彼女は何者なのか。



 それらが彼女の口で語られるのを、俺は静かにその場で待つ事にして。



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