二の四 水中
深い縦穴を降りて行った先には、大きな地底湖があった。薄暗い照明は梯子の側にしかなく、奥に続く湖の全体像をつかむことはできない。
「でっかい……。あ、あれって潜水艦?」
ヒロミが20メートル程先の水面に浮かぶ影を指差した。
「そんな馬鹿な。地質学的にこんなとこにこれほどの地底湖ができるなんて有り得ない」
深水はヒロミが指差す影を見るというよりは、湖全体を眺めながらつぶやく。
「人工みたいですね」
大石は天井を見上げながら言った。
光がほとんど届かず、うっすらとしか見えないが、鍾乳石などの影が見えない。
「その通り。驚いたか」
兵衛老人が相変わらず自慢げに言う。
衛正は降りて来た梯子を見上げ、ポケットからリモコンのような物を取り出して言った。
「あの扉もいつ破られるとも限りません。出発しましょう」
衛正がリモコンを操作すると、波を立てて潜水艦が浮上した。五人に対して側面を向けているため、全体を把握することができた。長さは20メートル程だろうか。明かりがくらいせいもあるだろうが、黒っぽいそれは、まるでクジラのようにも見える。
潜水艦は横を向いたまま、ゆっくりと五人のほうにやって来る。
「狭い地下水脈のために特注で造らせた。自慢の船だ。ただ残念なのは、操縦できるのが衛正を含めて五人しかいないのと、ここと目的地の往復しかできんことだ」
「すっごい! 潜水艦なんて始めて乗る!」
ヒロミが珍しく兵衛老人を素直に讃えた。
「そりゃ、こんなんどこでも走らせていいことはないでしょう。日本は、川は狭いし、法律は細かいし……」
深水も感動したように潜水艦に見入っている。
「目的地ってどこです?」
大石の問いに、兵衛老人はいたずらを思い付いた子供のような笑顔を返した。
「そりゃ、お楽しみだ」
機嫌がかなりいい。さっきまで三人が着いて来るのを反対していたのが嘘のようだ。
大石の足に冷たい水がかかる。潜水艦がもう、すぐ側に来ていた。
衛正が梯子の一部を取り外して、潜水艦までの橋としてかけた。今度は先に行って潜水艦の入り口を開け、四人のほうに手を伸ばした。
「さあ、どうぞ」
全員が乗り込み、無事出発するまで、追っ手は気配も感じさせなかった。
ある程度覚悟はしていたが、潜水艦の内部は予想以上に狭かった。兵衛老人によれば、本来三人程度が乗るように設計したのだという。
それでも、深水とヒロミは操縦席に張り付き、深水は様々な計器について衛正に質問し、ヒロミは衛正が触るレバーやらスイッチやらを触りたがった。
衛正は、ほとんど無言で返していたが、二人はお構い無しに勝手にしゃべり続けた。
兵衛老人は嬉しそうに時々自慢をし、大石は相変わらず何かを考えていた。
一時間も経たずに目的地に着いた。出発したところと、ほとんど様子は同じだ。違いといえば、梯子ではなく、上に続く階段があること。
階段はそれほど段数を登らずにすんだ。螺旋状の階段を一、二階分昇登ると、やはりボタン付きの扉が現れた。
扉の先は殺風景な部屋だった。
深水が壁際の機械のいくつかを見て言った。
「水質検査の建物か?」
兵衛老人が先に進み、出口らしきドアのノブに手をかける。
「その通り。外に出ればもっとはっきりとわかるだろう」
ドアを開けようとする兵衛老人を衛正が慌てて制止する。
「大父、私が先に行きます」
「心配するな。やつらが来ているならなら、外ではなくここで待ち構えている」
兵衛老人がドアを開けると、目を開けていられない程の光が飛び込んで来た。
「あれが何かわかるか?」
兵衛老人の言葉に、大石は薄目を開けて見ようとする。もうすっかり日が昇ったのだ。目が慣れて最初に見えたのは、あれだった。「嘘……」
ヒロミが言葉を漏らす。
「まさか……信じられない」
深水はふらふらとドアの外に出た。それにつられるようにヒロミも、そして兵衛老人と衛正も外に出る。
大石だけがその場から動けずにそれを見ていた。
朝日を反射して光り輝く湖の水面から、それは天空を突き刺すように伸びている。朝日の影となり、一層深い黒のそれは、今や100メートル近くの高さではなかろうか。
大石と深水のアパートの隣に突如現れた、オベリスクと名付けられた塔。それと全く同じ物がこんな山奥にもある。
大石は結局、一言も言葉が出てこなかった。そのかわり、ずっと考えていたものが、何か形になってきた気がした。