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千鳥鉄の女  作者: カキヒト・シラズ
壱 柳生家の面々
3/11

三の巻

 品川の東海寺から西へ少し歩くと柳生藩柳生下屋敷がある。

 床の間には水墨画の掛軸と赤い甲冑が鎮座している。

 それを背景に二人の侍が対座している。

 一人は羽織袴姿の矍鑠(かくしゃく)とした老人。もう一人は眼帯をした手甲脚絆(きゃはん)姿の若者。

 老人は屋敷の当主、柳生宗矩(むねのり)。若者はその嫡男、十兵衛。

 十兵衛は昨夜、諸国巡業の旅から帰ったばかりである。

 十兵衛の仕事は隠密。武者修行者に扮して諸国を回り、幕府に謀反を起こす動きはないか、探りを入れる。

 二人とも真剣な面持ちだった。

「能面党が江戸に来ているようでござる」十兵衛が言う。「何かよからぬことを企んでいるに違いありませぬ」

 能面党――能面をかぶって顔を隠す謎の忍者集団だった。

 彼らの正体も素顔もその目的もわからない。

 党員同士でさえ、互いの顔を見たことがない、という噂もある。

 ただ彼らが幕府に対し、反抗分子であることは明らかだ。

「やはり能面党であったか」宗矩が言う。「この前、お蘭が戦ったのも能面党らしい」

「お蘭が?」

「江戸城本丸の瓦屋根に二人の忍者が潜入した。一人はお蘭が始末したが、もう一人は逃げられた」

「お蘭が逃がすとは、かなりの手練れでございましょう」

「......」

 宗矩はふと物思いに耽るように沈黙する。

 それを見て十兵衛は、宗矩が何かしらただならぬことに逡巡(しゅんじゅん)しているのを獣の直感で察知する。

 獣の直感--長い間諸国を巡業し、獣のように、ときには野宿し、ときには獣道を進むうちに、自然と身に着いた十兵衛の感覚だった。

「父上、某に何か隠しておりますか?」

「......」

「父上......」

 十兵衛は食い入るように宗矩を見つめる。

「......ついに......来るべきときが来たか......」

 宗矩は茶をすすると、意を決したように真顔で口を開く。

「実は、儂が隠居するまで秘密にしておくつもりじゃったが、能面党が本気で幕府を潰しにかかっているとなると、そうはいかんだろう。長男のお前だけには真実を伝えておく。よいか、心して聞け。これは徳川幕府ならびに、わが柳生家の存亡に関わる最高機密じゃ」

 宗矩は滔々(とうとう)と話し始める。

 一六〇〇年の関ヶ原の合戦で、本物の徳川家康は戦死した。

 ところが家康の影武者、世良田二郎三郎元信という男が、その後、死ぬまで家康に成りすました。

 影武者とは、武将が敵を欺くため、戦場で自分そっくりの恰好をさせた身代わりの武者を指す。

 一説には家康を殺したのは石田光成率いる西軍の兵ではなく、世良田自身が戦さの混乱に乗じて、家康を背後から脇差で刺し殺したという。

 実は世良田は賤民出身の甲賀忍者で、家康暗殺のために豊臣秀吉が徳川に送り込んだ刺客だった。

 家康と顔が瓜二つなので影武者に登用されたが、常に家康の命を狙っていた。

 本来なら家康の首を持って大阪へ帰り、主君である豊臣家に献上するはずのところ、家康に成りすました世良田は、大阪冬の陣、夏の陣で豊臣家を滅ぼした。

 こうして世良田は将軍家と天下を乗っ取った。

 いつしか世良田二郎三郎元信の話は、老中以下の者には知らせず、幕府の最高機密になった。


「しかし父上」十兵衛が言う。「二代将軍の秀忠公は、徳川の家系では・・」

「本物の秀忠公は世良田が手下に暗殺させ、自分の子供とすり替えた」

「では当代の家光公は?」

「世良田の孫じゃ。徳川の血は流れてない」

 ところが徳川に仕える伊賀忍者たちの中に、世良田を支持しない一派が現れた。彼らは江戸を抜け出し、甲賀忍者の残党と合流し、能面党を結成したという。

 最初は世良田二郎三郎元信の話を喧伝(けんでん)しない見返りとして、小金をせびってきたが、そのうちに倒幕を企む危険な集団に成長していった。

「ところで、われら柳生家とはどう関わりがあるのでしょう」

「よくぞ聞いてくれたな」宗矩が言う。「十兵衛よ、柳生は忍者なのじゃ」

 宗矩の話では、柳生家は武士ではなく、忍者の家系だった。

 同じ忍者仲間の世良田の手引きか、殺される前の本物の家康に気に入られたか判然としないが、宗矩の父、つまり十兵衛の祖父、柳生石舟斎宗厳(むねよし)は、関ヶ原の合戦以前に徳川家に仕えるようになった。

 出自はともかく、剣術の腕前は天下一品。由緒正しい武家の家系でも、並みの侍なら剣さばきでは宗厳の足元にも及ばなかった。

 だから用心棒として徳川家に雇われた。宗厳はそのまま武家に成りすました。

 家康に成りすました世良田からは、同じ成りすまし同士、同じ忍者出身同士のよしみからか、宗厳は随分ひいきにされた。

 士農工商の身分制度の中で忍者は商より下の非人に属する。

 その柳生家当主、宗矩が今では一万石の大名を名乗っている。

 非人が大名に成りすます・・・・本来、許される話ではない。

「もし柳生家が侍の家系でないことが世に知られたら・・」宗矩が声をひそめる。「われら柳生家の人間は破滅するしかない」

「ならば父上、われらはどうすればよろしいのでしょう」

「能面党の忍者の中には、徳川家の秘密だけでなく、柳生家の秘密も知っている者がいる。能面党は一人残らず斬れ。さすれば柳生家の秘密を知る者はいなくなる」

 十兵衛は積年の謎が解けたような気がした。

 通常、武家に生まれた男子は、武術は習得するが、忍術は軽蔑して学ばない。

 忍術は身分が低い者がたしなむ護身術であるからだ。

 ところが柳生家では、幼少より武術とともに忍術の習得が家訓として義務づけられている。

 しかも、柳生家に生まれた男子だけではない・・・・。





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