二の巻
品川の万松山東海寺の縁側では、二人の若者が座禅を組んでいる。
一人は柳生家の二男、友矩。もう一人は三男、宗冬。
住職の沢庵和尚が二人の背後で警策を持ってゆっくり歩き回っている。
宗冬の体がわずかに動く。
沢庵和尚が宗冬の肩を狙い、警策を振り下ろす。
すると宗冬が「チュェェェース」と奇声を発して立て膝になり、沢庵和尚の手首をつかむと、起き上がりながら和尚の体を庭に投げ飛ばす。
沢庵和尚はもんどりうって地面に大の字になる。
「和尚!」友矩が気づいて起き上がる。「大丈夫ですか?」
「すいません」宗冬が我に返って言う。「間違いました」
沢庵和尚は友矩に起こされて立ち上がり、袈裟についた土を払う。
「宗冬っ」友矩が言う。「おまえ、何やってんだ」
「兄上、無刀取りと間違えちゃった」
宗冬は最近、柳生新陰流の奥義、「無刀取り」の稽古に精を出していた。
自分を襲ってきた相手の手首をつかみ、投げ飛ばす技だ。
背後から襲われた場合、気配を感じてすぐ攻撃に転じねばならない。
そのくせが出て、つい警策を刀と間違えて、沢庵和尚を投げ飛ばした。
宗冬は頭を掻きながら、長々と弁解を続ける。
「おぬしも柳生家の子よのう」沢庵和尚が言う。「父上や兄上に似て、頭の中はいつも剣術のことばかり。剣豪を目指すなら、これくらいがちょうどいいかも知れん」
沢庵和尚は声を立てて笑う。
怪我はないようだった。
「申しわけございません」友矩が頭を下げる。「弟には拙者からもよく言っておきます」
「まあ気にするな。友矩殿は真面目すぎる。ときどきは弟を見習って、野獣の感性を見につけたらどうじゃ」
すると境内に人影がある。
お蘭だった。友矩の妹、宗冬の姉である。
桃色の小袖と赤い帯が、おかっぱ頭に似合う。
数えで友矩が二十一、お蘭が十九、宗冬が十七だった。
「和尚さん」お蘭が言う。「練馬大根のお漬物を持ってきました。よかったら召し上がってください」
「それは大変失礼いたしました」お蘭が言う。「私からも弟によく言っておきます」
宗冬はうつむいたまま何も言えない。
座敷では、柳生家の三人と沢庵和尚がお茶を飲みながら、お蘭が手桶で持ってきた大根の漬物を皿に盛り、つまんでいる。
大根の漬物は、以前、沢庵和尚がお蘭に作り方を伝授した。
「この漬物」お蘭が言う。「江戸中で評判です。和尚さんが考案したとのことで、タクアンと呼ばれてます」
「それは光栄ですな」沢庵和尚が言う。「上方ではさして珍しくない食べ物なのに」
「将軍、家光公も好んで召し上がっているとか」友矩が言う。「この前、父上が申しておりました」
「ますます光栄ですな。お父上にもよろしく言っておいてください」
三人の若者の父、柳生但馬守宗矩は、徳川幕府の兵法指南役にして、沢庵和尚の無二の親友だった。