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千鳥鉄の女  作者: カキヒト・シラズ
参 闇夜の死闘

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11/11

十一の巻

 日光社参が終わり、大名行列が江戸に戻ってから半月ほどたったある日、友矩、お欄、宗冬の三人は、沢庵和尚の東海寺で座禅を組んだ。

 それが済むといつものように三人は沢庵和尚を囲み、座敷でくつろいだ。お茶を飲み、タクアンをつまむ以外、四人とも雑談に余念がない。

「和尚、実は先日・・・・」友矩が言う。「本丸大広間で『奉答の儀』が営まれましたが・・・・そこに家光公の姿がありました」

「・・・・」

「あの家光公は、一体、誰なんですか?」

 沢庵和尚は無言のまま、一口お茶を飲む。

「宗矩殿の話によれば・・・・」沢庵和尚が言う。「あれは小助という影武者じゃ」

 沢庵和尚の話はこうだった。

 小助は武蔵の国の小作人だったが、数年前、十兵衛が旅の途中で見つけ、江戸城に連れてきた。

 容貌は三代将軍、徳川家光に瓜二つ。だから影武者に登用された。

 だが無学文盲なので、専任の側用人を就かせ、将軍にふさわしい立ち居振る舞いを教育させた。

「和尚、でしたら最初から歌舞伎役者の藤島松五郎など、影武者にする必要なかったのでは」

「影武者は一人だけでは不足じゃ。本丸中奥に、常に少なくとも四人は詰めておる。できればあともう二人か三人必要じゃ」

 将軍の執務は老中たちと側用人たちが協議して行う。

 将軍が人前に出るときは、影武者が出てきて老中たちの指示通りに動く。

 影武者が複数いるのは役割分担があるからだ。

 遠国の十万石以上の大名と会談するときは、容姿はそれほど似てないが、頭が一番切れる影武者が起用される。大名との間に薄い御簾を挟んで会談すれば、顔はどうにかごまかせる。ただし話す内容の大筋は、老中から命令された通りでなければならない。

 儀式のときは、容姿の似た影武者の出番となる。

 将軍は常に命を狙われるもの。万一に備え、控えの影武者も何人か必要だった。

「本物の将軍がいないなら」お蘭が訊く。「大奥に詰めている女たちは誰の相手をするのですか?」

「むろん、影武者たちじゃ」

 影武者たちにはそれぞれ一人か二人の妻が与えられる。

 これが将軍の御台所(正妻)と側室だった。

「英雄色を好むと言うが、影武者たちは英雄ではない。そんなにたくさんの女はいらぬ」

 男子が生まれると将軍の跡継ぎでなく、将来の影武者候補になる。

 その他、数多くの大奥女中も影武者たちが分担して相手をした。

 落胤が生まれると、彼らもまた成人したら影武者の候補になる。 

 影武者の血を引いていれば、容貌も将軍に似てくるはずだった。

「だったら」これまで黙っていた宗冬が口を開く。「一体、誰が徳川幕府を動かしてるんですか?」

「失礼なことを申すな、宗冬」友矩が言う。「目の前のお方がその人だ」

「えっ?」

 沢庵和尚は静かに笑っている。

 友矩は、これまで影武者の話は知らなかった。だが沢庵和尚が幕府の影の実力者であることは、父、宗矩からそれとなく聞かされていた。

「儂は一介の坊主に過ぎぬ。何の権力も権限もない。ただ時々、自分の意見を宗矩殿に伝えるだけじゃ。そして宗矩殿がそれを老中へ伝える。それだけじゃ」

 宗冬は呆けた顔になる。

 それを見て、友矩は弟ながら宗冬に無償に腹が立ってくる。

 この前、お前がここでしたことを覚えているか。いいか、お前は天下人を庭に投げ飛ばしたのだ。こんな無礼を犯して、切腹を免れた悪運の強い侍など、古今東西、お前だけだ・・・・。

 友矩はこみ上げてくる宗冬への叱責の言葉をどうにか噛み殺す。

「ときに友矩殿」沢庵和尚が言う。「今度、『武家諸法度』を改訂しようと思うのじゃ。これまで参勤交代は諸大名が任意で行っていたが、今後はこれを義務化しようと思うのじゃ。参勤交代を義務化すれば幕藩体制は盤石になる。この話、よければ父上に相談してもらえんかのう」

「はあ・・・・」

 友矩はタクアンを齧る。

 塩辛さと甘さがほどよく混ざっている。

 権力の世界は複雑でおぞましい。

 だがタクアンの味は心を和ませる。

 天下を裏で統べる男とタクアンを考案した男が同一人物とは、なんという皮肉か。

 友矩は胸の中でそう思う。

「姉上」宗冬が言う。「これ切れてないよ」

 宗冬はタクアンを箸で持ち上げてみせる。二切れのタクアンがくっついている。

「ちょっと待って」

 お蘭は懐から千鳥鉄を取り出すと、タクアン目がけて分銅鎖を一振りする。

 ぶら下がっていたタクアン一切れが皿に落ちる。

「お蘭!」友矩が叫ぶ。「何という危ないまねを。それに和尚の手前、無礼でござる」

「まあよいではないか」沢庵和尚が言う。「友矩殿は真面目すぎて困る。もう少しおおらかに生きたらどうじゃ」

「しかし・・・・」

 沢庵和尚は友矩の憮然とした表情を見て哄笑する。

 するとそれにつられるように宗冬が頓狂な声で馬鹿笑いし、その馬鹿笑いにつられるように笑い終わった和尚がまた笑う。二人の笑いはいつまでも終わらない。

 そのうちにお蘭も笑う。

 しまいには友矩もいつしか笑いに加わっている。

 初夏の東海寺の境内に明るい笑い声がいつまでも響き渡った。

                                  

                                 (完)

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