一の巻
「あれは南蛮千鳥鉄じゃ」
暗がりの中で男の声がする。
ろうそくが四本燃えている。
その周囲に能面をかぶった四人の人影がある。
互いに互いの顔が見えない。
「ときに、お頭」一人が言う。「伊賀者に千鳥鉄の使い手などいましたか?」
「伊賀者じゃねえ」頭と呼ばれた男が言う。「別の流派の忍者じゃ」
「伊賀者じゃねえ忍者?」別の一人が言う。「そんなの幕府が雇ってますかい?」
「聞いたことあるわ」最後の一人は女の声だ。「江戸城には、伊賀者よりもっと手ごわい忍びが潜んでるって、もっぱらの噂よ」
頭の話はこうだった。
江戸城本丸に侵入し、瓦屋根の上に手下とともに登ったところ、柿色の忍者装束に身を包んだ者が現れた。
柿色の忍者は懐から奇妙な武器を取り出し、凄腕の手下を簡単に倒した。
頭は手裏剣と刀で応戦したが、最後は敵わぬと見て退散した。
柿色の忍者が使った武器が南蛮千鳥鉄だった。
南蛮千鳥鉄―一品流千鳥鉄とも呼ばれ、秘武器中の秘武器とされる。
千鳥型の分銅に鎖がついていて、鎖は鉄筒の中を通り、鎖のもう一方の端に絹の肩紐が結びつけられている。
千鳥型の分銅は先端が刃になっている。
分銅を振り回すと全長三尺の分銅鎖となる。肩紐を引くと鎖が鉄筒に収納され、刃がついた一尺六寸の棒となる。
遠距離では分銅を振り回して分銅鎖として使い、近距離では肩紐を引き、短刀にして相手を刺す。
「女じゃった」頭が言う。「千鳥鉄を使ってのたはクノイチ(女忍者)じゃった」
手下を倒されてから、頭は仇を討とうと必死で戦った。
頭が投げた手裏剣はすべて千鳥鉄で弾き飛ばされた。刀は千鳥鉄の分銅に巻きつかれ、すでに奪われていた。
近距離から顔面を狙って最後の手裏剣を投げるとわずかにそれ、顔を覆っていた柿色の平頭巾が破けた。
現れたのは若い女の顔だった。
「武器がすべてなくなった」頭が言う。「逃げるより他に手立てがなかったんじゃ」
「いざとなれば」女が言う。「女の方が男より手強いわ」
「今日、みなに伝えたかったのはこのことじゃ。儂は消えるぞ」
ろうそくが一本消える。
「敵は伊賀忍者でなく、しかもクノイチ・・。某はそろそろこの辺でおいとまいたす」
男の声とともに別のろうそくが一本消える。
「じゃあ、おいらもお先」
ろうそくが消え、最後の一本だけ残る。
部屋に残った能面は一つだけになる。
「みんな帰り支度が早いのね」女が言う。「最後に残されるのは、いつだって、あ・た・し」
能面を取る。
現れたのは女ではなく、中年の男の顔だった。
中年の男は最後のろうそくを吹き消す。
あたりは漆黒の闇に包まれる。ほどなくして行燈の火が周囲を照らす。
窓のない楽屋部屋だった。中年の男以外、すでに誰もいない。
「松五郎先生」付き人の少年、三郎が部屋に入ってくる。「そろそろ出番です。化粧をお願いします」
「わかってるわ」松五郎と呼ばれた男が甲高い声で答える。「床山を呼んでちょうだい」
二代目藤島松五郎は女形の歌舞伎役者だった。
松五郎は鏡の前に座り、頭に羽二重を巻くと、慣れた手つきで顔におしろいを塗り始める。