別に急ぎじゃなかった。
携帯が鳴ったのはお昼休みのことだ。
休憩室でサンドイッチを食べていた僕の手元で、ガラケーの背面がピコピコと瞬いたのだ。
ダイレクトメールかなぁ、なんて思いながら開いてみたら、存在感ある『美女』の表示が。
…僕は、むせた。
これはまた…改めて見ると、『マホ』のほうがまだマシだった気がするな。
「しかも、電話かよ…」
いや、レディアは電話しか使わなかったな。メールはまだ電報レベルの用件しか伝えられないはずだし、何よりレディア自体が日本語に対応してない。
今は昼休みだから出るけれども。
レディアには仕事中は出ないよって言ってなかったかなぁ。
あ、決して意地悪で出ないのではないよ。
仕事場は携帯持ち込み禁止だから、物理的に持っていないのだ。鳴らしてくれてもいいが、ロッカーでブーブー言っているだけである。
何とか気管に入りかけたレタスを除去して通話ボタンを押す。
「はい、須月です」
『ああっ、マサヒロ様!』
「…レディア?」
切羽詰ったその声に、頬が引き攣った。
何があったんだろう。
走馬灯のように、いつかのドラゴン退治が脳裏を巡る。
でも、あの時だってレディアは僕よりも落ち着いていたはずだ。
じっと耳を澄ますが、異世界からの音声は、特に怒号や喧騒を伝えて来ない。彼女は現状、戦域にない。
「え、何。どうしたの」
『マサヒロ様、お願いです。どうか手をお貸しくださいませ』
必死さだけは伝わってくるその声。
僕の手が借りたいだなんて。
正直申し上げて、僕にできそうなことというのは、大変に少ないんだけど。
「いいよ。いいけど、いつ?」
『えっ』
「まだ僕、仕事中だよ。帰ってからでもいいの?」
ダメだったら早退しなきゃいけない。
だけどそんなこともないだろう。冷静に考えたら、やっぱり役に立たないから要りませんって言われるかもしれない。
『手を…貸してくださるのですか?』
「うん、いいよ」
僕が即答したせいか、レディアは少し落ち着いたようだ。
若干の沈黙。
『あの、お休みの日で大丈夫です』
「そうなの!?」
仕事中にこんな電話をかけてきておいて、急ぎじゃないとはね!
案外大したことではなさそうだと、僕も余裕を取り戻した。
「なんだ、週末の予定を押さえておきたかっただけ? レディアが必死に迫るなんて何事かと思っちゃった」
『いえ、その…も、申し訳ありません。思ったより取り乱していたみたいですわ。お恥ずかしいです』
「いや、いいよ、別に平気。じゃあ土曜…明後日レディアの家に行くね。時間も早めのほうがいいんだね?」
『はい、よろしくお願いします』
最後にはすっかりいつもの調子を取り戻したレディアに安堵した。
どうせ夜には話すんだけど、一応ディーにも速報としてメールを送っておこう。
レディアが何か手伝ってほしいらしいから土曜に行くことになったよ、と。
「おお、早い」
メールの返信はすぐに来た。
『若た,』
…う、うーん。惜しい。
しかしウインクしたウサギの絵文字が最後についていたので、彼は日々進化しているのだなぁと思った。
絵文字については教えてないんだけど、自分で説明書読んで操作を解明したのかな。
「ふむ。何か周囲で異変が起こったなどという話は聞かないが」
「そっか。じゃあ、本当になんか手伝いをしてほしいだけなんだね」
夜に窓を挟んで、ディーに予定と情報の確認。
大きな魔物などが出れば話が聞こえてこないはずはないし、もしも討伐が兵士達で荷が重ければ伝説級のディーエシルトーラ殿下の出番である。
しかしながらディーが知らないというのであれば、レディアのお願いは特に危険なものではないようだ。
まぁ、そもそも荒事なら僕に振るわけがないとは思うけどね。
「土曜はディーも行くんだよね? 何か手伝わされるかもしれないけどいいの?」
「私にとってはそれも息抜きだが、レディアが私に仕事を振るとは思えないな」
嫌そうではなく、ただレディアの考えとしてそういうことはしないだろうとディーは言う。
うーん、と僕は考え込んだ。
「そうかな。困っていそうだったよ? 立っているものは親でも使えって言うじゃないか。王子くらい使うんじゃない?」
「言っておくが、お前のように遠慮のないものは私の周りには他にいないぞ」
呆れを含んだ目で見られても、この言葉を作ったのは僕じゃない。
何だかんだ言ってもヒューゼルトがいるから、ディーに仕事させようとしたら目力で防がれる気もするけどね。