残念だが笑顔の写真は撮れなかった。
目の前の光景が理解できない。
レディアの写真を撮るという目的のために訪れた、彼女の家では。
「だから、ここがフワッとしたらあっちはキューッてなっちゃうから、そこをグッとしてみたんだ」
「成程。しかしそれだとここはニューッくらいになるので、いっそこちらをガッとしたほうがいいんじゃないか?」
「あー…そっか、そうするとここもフワッとしたままであっちがミュッとするんだ」
意味がわかりません。
会話の内容もだけど、ギルガゼートとリルクス君の白熱擬音討論会が開催されていることがね。
僕は困惑したまま、そっと隣に目を向ける。
「ええ…トワコさんが帰ってから何日かして、あの方が…マサヒロ様に勧められたから魔道具を作ってほしいと言って現れたのですわ。それから頻繁に来ます」
「あ、レディアに言うの忘れてたけど、確かに勧めた。ごめんね」
突然人を刺してくるタイプの方が自宅に現れるのだ、レディアもいい迷惑だったことだろう。
しかし彼女は微笑んで「お客様が増えるのはありがたいことです」と、勝手な紹介を許してくれた。
なんて心が広いんだ、レディア。
僕なら出禁にするところだよ。
この場合出禁にされるのは、相談もなく紹介した僕なんだけどね。
「それで、あれは何事なの?」
未だに作業場の隅でポワッだのプヨッだのと真顔で擬音を投げ付け合っている彼らをそっと示すと、レディアもすっと表情を引き締めた。
「当初、マサヒロ様を攻撃した件について許せないギルガゼートが、依頼を受けたくないとゴネまして。しかしながらあの方は何としても受けてほしいと、あの日のことについて謝罪したのです」
なんと。後悔してないから謝らない、というスタンスかと思っていたのに。
トワコさん(へのプレゼント)のためなら頭を下げることは厭わないらしい。
一途そうなので、良かったですね。
というか、謝るなら刺された僕にであろうよ。
あいつめ、何度かトワコさんからの手紙や引越し用の荷物を窓越しに中継してやっているのに、僕にはお礼さえ言ってきたことないのですが。
窓を閉ざして、お望み通りカップル引き裂き魔になってやろうか悩む。
「でもあの様子なら、和解はしたんだよね。あれ、商品開発かなんかの討論でしょ?」
レディアとディーが繰り広げることでお馴染みの空気である。
僕の声に、レディアが溜息をついた。
「空間魔法使いには普通のことだったのですね。てっきりギルガゼートが子供だからだと思っていたのです」
レディアは初めて魔道具に空間魔法を付与するときに、どういう風に情報を組み込んでいるのかを説明させようとした。するとギルガゼートはあんな感じで答えたのだという。
それでは理解できないので「他人がわかるよう伝えなさい」とよくよく考えさせたらしい。
「結果、魔道具にするための刻印を開発できるようにはなりましたが…どうしてもうまく言葉にできないことはあるようなのです」
「感覚で、何となく使ってるってことなんだね」
「けれどそれでは魔道具にはできませんわ。魔法陣だけではなく呪文や回路を刻むのですもの。「フワッ」と言葉を刻んでも、魔道具はフワッとはしません」
嫌味でも何でもない、レディアは説明してくれているだけだ。
でも、真顔で言うからつい笑ってしまった。
「あ、リルクス君が消えた」
討論会は終わったらしい。
空間魔法使いの曖昧感覚を、自力で呪文や回路に置換できつつあるギルガゼートは、魔道具職人としても優秀なのだろう。
「ギルガゼート。お客様ですよ」
見計らったかのようにレディアが室内へ声をかけた。
リルクス君が座っていた椅子を片付けていたギルガゼートは、こちらを見て目を見開く。
凄い勢いで駆け寄ってきたので思わず両手を前に出して構えてしまう。
ぶつかる前にギルガゼートはかかとでブレーキをかけて止まった。
室内、走る、危ない。などと僕まで片言になっている場合ではない。
「マサヒロ! お久し振りです! お元気でしたか!」
「いつも思うけど、そんな熱烈歓迎されるほど久し振りじゃないよね?」
「殿下は毎日会えるかもしれないけど、ぼくはたまにしか会えません」
拗ねた顔をされましても。頭とかは撫ぜぬ。
別に顔を合わせたところで、取り立てて弾む話もないと思うんだけどな。
「あ、うん。レティアの家には窓が繋がってないからね」
そう言って濁した僕に、ギルガゼートははっとした顔をした。
レディアを振り仰ぐ。
勢いよく顔を見られた彼女は、ちょっと首を傾げた。
「レディアはマサヒロの世界と窓を繋いでみたくないんですか?」
あの、確かにうちは窓だけど、別に窓じゃなくても繋がるんだと思うよ?
トワコさんはエレベーターからだったし。
ということは、もしかしてコンビニの自動ドアから出たら異世界とか…あ、こっちには自動ドアがないからセーフか。
…いや、リルクス君は魔法が切れて犬耳王子を放り出しただけだったはずだ。つまり限られた空間からの出口を、自分の手で開けていなければ一致と見るんだろう。
案外、緩い。判定は結構甘いぞ。危ないな。
「同調は、やろうと思ってできるものではありませんわ。それに異世界人であるマサヒロ様の言動は私には理解しがたいですから、難しいと思います」
「殿下は2回もできたんだから、ぼくかレディアができてもいいと思うんです」
「ギルガゼート。その件については再三、無理だと説明したはずですわ」
確かに。そうポンポンできるもんなら、こちらの世界での異世界人は決して珍しくはないだろう。
そして僕らみたいな出入り口保持者達がいるのなら、日本にも異世界人が流入する。
「マサヒロの部屋には見たことがないものがいっぱいありましたよ」
「…くっ…。ああ、マサヒロ様、どうして私は入れて下さらなかったのです…」
あ、火の粉がこっちに来た。
「えーと。そうそう、嫁入り前の女の子が男の部屋にホイホイくるもんじゃないんだぜ?」
「マサヒロ、発言が全く似合いません」
即座にギルガゼートからのツッコミが入った。
この速さ…やるな、ギルガゼート。
「えー。ワイルドっぽくなかった? 惚れたら火傷する感じ出てなかった?」
「マサヒロはマイルド系です」
「…うん」
むしろただの勘違い系である。存じております。
「そういえば、今日はマサヒロ…一人なんですか?」
「外に隊長が護衛でいるけど、ディーは今日は外せないお仕事があって来られないんだって。日をずらせって駄々はこねてたけど、僕だって来週には使いたいからさ」
ヒューゼルトは当然、主であるディーの護衛だ。
じゃあなんでヒューゼルトの上司である隊長が、僕の護衛に来るのかといいますと。
…ヒューゼルトは…手合わせで隊長を負かし続けているらしいんだ。
悔しいけどあっちのほうが強いから、殿下の護衛にはヒューゼルトをつける…そう言った隊長はちょっと眉が下がっていた。
でも、偉いと思うよ? ちゃんと評価して活用してる辺りは。
無駄にプライドだけが高い上司だったら、ヒューゼルトは使い潰されていたかもしれないもんね。
「急ぎで、何かご注文ですか? 作れそうだったら、ぼくが作ってもいいですか?」
そうだよ、危ない、何しに来たんだか忘れるところだった。
早いとこレディアの写真を撮ってサクッと部屋に帰ろう。
「ううん、違うんだ。今日はちょっと写真を取らせてもらおうと思って来ただけ。しばらく携帯の待ち受けにしたいんだよ。いいかな、レディア?」
何でもないことのように言って、ツラッと撮らせてもらう作戦だ。
レディアはびっくりしたようにまばたきを繰り返している。
「わ、私ですか?」
ダメだった、何も誤魔化せなかった。しかしお局様の話はもうしたくない。
そして、ふと視界の端で、ギルガゼートが俯いた。
「…えーと、ちょっと二人で並んでくれたらすぐ済むんだけどな」
ギルガゼートの顔がわかりやすく笑顔になる。
うん。はい。大丈夫だよ、ギルガゼートは弟設定かなんかにしとく。
それに、考えてみたら今まで撮ったのは集合写真しかないもんな。スナップ的な写真を撮っておいてもいいかもしれない。
思い出はプライスレスって言うしな。
「そうだ。ギルガゼート、再来月の後半ってディーについて来られる?」
「ぼくは普段、予定とかはないので。保護者であるレディアとマロックの許可があればどこにでもいけますけど」
「そうなの? 先に保護者に訊かないといけないんだ。ってわけで、レディア、再来月ギルガゼートを借りてもいいかな」
「構いませんが、殿下のお供なのでしたら失礼があってもいけませんし、師匠か私も行けますよ?」
来られては困る。行き先はマロックにも内緒なのだ。
ディーと話し合った結果だ。異世界研究など考えない、そんな子供が望ましい。
王子様が当たり前のように申すには、4人行けるなら3人で済ませる選択肢もないのらしい。ディーには何の損得もないのだから、もったいながらなくてもいいのにね。
「ちょっと一泊二日で借りるよ。レディアは要ら…レディアにはお土産買ってくるから」
「…マサヒロ様。今、要らないと言いかけましたね…」
「えっと、違うよ。レディアにはニラお土産に買ってくるからって言おうとしたんだよ」
「ニラじゃないものにして下さい!」
ええ、そうですよね。