軒を貸して母屋を取られ…るわけには行かぬ!
恐れていたことが現実になった。
ディーが動き出したのだ。
目の前で窓を越えようとする王子と、その肩をガッチリと掴んでいる護衛兵。
僕は戦々恐々だ。
「何度言えばご理解下さるのです、安易に異世界へ渡ろうとするのはおやめください。異世界は我々の知識と常識では計れない。城下へのお忍びとは違うのですよ」
諾々と従うだけではない、きちんと仕事をする護衛兵。
感動した。見直した。
だから超頑張れ、防波堤ヒューゼルト!
「そうは言うがヒューゼルト、家から出なければ全く問題はないぞ。なぜなら」
キラッキラの笑顔で、ディーは僕に向かって言い放った。
「もう、私の部屋のようなものではないか」
うわあぁ、ついに僕んちを乗っ取りに来たあぁぁ!
「大丈夫、今日はマサヒロの家に泊まって遊ぶだけだ」
「なぜそちらへ泊まる必要があるのです」
「私が泊まりたいからだ」
あのぅ、迷惑です。迷惑なんですよー。
必死の意思表示は、まるで聞こえないように無視されている。
そして説得を試みるヒューゼルトも、にっこにこのイイ笑顔で拒絶されている。
「では、例えば、この間のドラゴンのように急な公務が入ったらどうするつもりなのですか」
「これで連絡しろ。お前の分のモドキだ。最新だぞ、良かったな」
ありがとうございます、とケータイもどきを受け取るヒューゼルト。
え。遠慮か本気拒否かは知らないけど、様式美的に一回くらい断ったりとかしない?
主君からの下賜だから拒否はできないとか?
驚愕する僕を護衛兵が睨む。
「今日だけに限ったことではないのだ、連絡手段はないよりもあったほうが良いに決まっている」
それはそうだけど、着信でブルッと震えた途端にまた床に叩き付けるんじゃ…。
下賜された品を壊すとか、ヤバくないか?
それとも実は欲しかったとか…いや、あの顔からは義務しか見えない。ツンデレモードではないな。
「私は警護です、お側を離れるわけには参りません。これをいただいたところで私も同行しますが」
「いらん。ああ、よく見ろ、窓は閉めていないな?」
「…はい」
「書斎と繋がっている、つまり、ここは私の部屋の一室だ」
「ぎゃあ! 違うよ、ここは僕の部屋です!」
「固いことを言うな、マサヒロ」
一切固くない。領土侵害だよ、ちゃんと声を上げねば有耶無耶のうちに乗っ取られるよ。
一旦部屋に連れ戻されたディーが護衛を説得している今がチャンスだ。
「あっ、こら。閉めようとするな!」
クソッ、バレたか。
こそっと窓の端に触れた僕の右手に勘付き、ディーは素早く窓を押さえる。
力では勝てない。窓を閉める作戦は封じられてしまった。
「普段は部屋の外で警備しているのだから、それと変わらないだろう?」
「しかしっ…」
「もう一度言うぞ。マサヒロの家からは出ない、この窓は開けたままだ。ならば書斎にいるのと何が違う? 階下に下りているとノックでは聞こえぬかもしれないから、代わりにモドキがある。部屋が広くなっただけではないか」
頑張れ、ヒューゼルト! 護衛視点でよく見ろ、どこかに綻びがあるはずだ、僕には見えないけど!
「そちらで襲撃…そう、暗殺でなくとも強盗やらがあったら…」
「マサヒロ。お前の家は襲撃を受けたことがあるのか?」
「あるわけないよ。ご町内の老人は鍵もかけず出かける人もいるくらい平和ボケだよ。そしてそれで問題も起こらない土地柄だよ。悲鳴が上がっても、それは大概テレビの音がでかいだけだね。生音に聞こえたらリーダー気質のご近所さんが「なんかあったかー」って声かけてくれるよ。たまに「踏み台から落ちたけど大丈夫」とか「洗い物中に茶碗を落としちゃっただけ」とかって返事が聞こえるからね」
理由もつけて返事をするので本当に何でもないことがわかるシステムだ。いつからこうなのかは知らないが、長年住んでる人たちばかりだし結束は固い町内会なんだろうなという気はする。
僕の「(ガシャーン)うべぁっ!!」に「大丈夫かー?」が聞こえたときには心底恥ずかしかった。ちゃんと返したよ、「プラモデルが急に落っこちただけで平気ですー」って。お気に入りのプラモだったのに、大破してゴミ箱行きになったので、精神的には大丈夫じゃなかったんだけどさ。
ヒューゼルトが睨んできたが、この恐ろしく治安の良い田舎町が物騒だなどという嘘はつけない。
「犯罪がゼロなど、ありえるはずがない!」
「んーとね、ゼロじゃないよ。でも外に出ないならほぼ遭遇しないと思うよ」
老人が運転手だったり歩行者だったりするから、さすがに交通事故は少なくないし。あとは…三十円分の駄菓子を盗んで捕まった人がいたらしいという噂を聞いた。三十円でも窃盗は窃盗。小物感丸出しすぎて却って辛い。
「ならば…そう、災害はいつあるかもしれない。そちらで巻き込まれては事だ!」
災害というとアレか。地震、雷、火事、親父。親父災害は何なのかわからないし、父も留守だ。起こる予定がないな。
「海もおっきい川も遠いし平地だし、高い建物はない…むしろ家が全く密集してない…わりとこれでも町寄りだから警察と病院も避雷針も近くて。…つまり警備も救助も駆けつけやすくて、噴火も山崩れも津波も洪水もないし、雷も落ちない。でも、そうだね、裏の家は距離が若干近いから火事になったら危険だね」
「ならばっ」
「火事くらい、私が魔法で消せば良いのではないか?」
「…そうですね」
そうですか。
結局、ヒューゼルトには問題が発見できなかった。
護衛兵は外へ出かけるという異世界脱走を心配していたが、ディーの表情が次第に不機嫌になってきたので、妥協案として指切りを教えてあげた。
「えっとね、これは僕の国に代々伝わる誓いの儀式だよ。約束を破ったら拳骨で一万回殴られて針を千本飲まされるんだよ」
「…なん、だと…。平和ボケなどと言っていたくせに、マサヒロの国は過激だな…妙に具体的なところが、また想像力をかき立てる」
「軽い口調で、随分と恐ろしいことを…。儀式を経てまでの誓いを破った場合には、ただの処刑では生温いということか。気持ちはわからなくはないが…」
異世界人二人は完璧にドン引いてしまわれた。
本当に殴ったり飲んだりはしないよと言ってしまうと、ヒューゼルトの疑心が堂々巡りになるから、甘んじて誤解を受けよう。
「はいはい、そうだよ、僕が立会人だからね。さぁ、二人とも小指を出すんだ」
さすがに言葉がうまく翻訳されないようで、僕が歌うのに合わせて不思議そうに二人がブツブツと繰り返す。
「…ユ、ヴィキー…?」
「ユヴィキーリ・ゲンマン…」
何それ、怖い。なんか聞いたことのない呪文に思えてきた。
ヒューゼルトはディーの部屋の扉を守っている、らしい。
僕の部屋と繋がっているときに窓から入れないのは実証済みだし、逆に安全なんじゃないのかな。むしろディーの部屋側からヒューゼルトまでも倒して現れた暗殺者が来たら、うちがヤバイ。
「つまらん。いつもの寝衣では異世界感が足りないではないか」
「駄々をこねるな、足の長さが違うのはわかってるだろ」
僕のパジャマを強奪しようとするディーを叱る。
ケチなのではない。僕のパジャマがステテコみたいになるのはなんか許せないだけだ。僕はMサイズでいいのだが、多分ディーの足の長さではLサイズが必要なのではないだろうか。
旅行者が旅館ですぐ浴衣を着るかのように、人の家でパジャマでうろうろしだすディー。
「…楽しい?」
「うむ」
「そっか」
ならば仕方がない。
僕のうちを探検しに出かけるディーの後ろをついて歩く。前に一度不意打ちで入ってきたことはあったけど、台所くらいしか見てないもんな。
あとはお出かけしてるから、玄関直行だし。
「マサヒロ。なぜ、この部屋だけ床が草なのだ?」
「ああ、和室。畳っていうんだ。元々僕の国はこっちの部屋の形が主流だったけど、外国の文化が入ってきて、こっちのリビングみたいなのが増えたんだよ」
ディーは僕が部屋で靴を履いていないこと、靴を履いて侵入したら叩き出すと公言したことを思い出したらしい。
「…成程。土足を嫌うに足る歴史があるわけだな。確かに土足に草の床では掃除が大変だ…待て、こちらは木でも草でもないぞ」
「台所の床は…それ、何て呼ぶんだろうね? 気にしたことないからわかんないや。まぁ、水を弾く素材で掃除が楽ってことだよ」
「成程。草の床に水を零すと後始末が大変そうだ。草の床は不便ではないか」
「昔ながらの台所っていうと土間だったんじゃないかな。僕は見たことないから知らないけど」
「汚れも水気も困るというのに、なぜ草の床を採用したのだろうか」
「さあねぇ…とりあえず草の床って言うな。畳って言ってるだろ」
「ふむ。タタミだな」
あと、皆そう思ったから現代の主流はフローリングなのかもね。今時は大量の親戚が集う家も減ってきただろうし、家を建てるときに和室を必要とするかどうかは好み次第なんだろう。僕はわりと畳が好きです。
問題は擦り切れると木っ端が服に付くってことだけど。
やがて、ディーはリビングのキュリオケースの前で立ち止まった。
じっと飾り棚の中を見つめている。
「内部に鏡を使っているのか。素晴らしい発想だな」
「電気つけてあげよっか?」
言われた意味は恐らく理解していないだろう。返事を待たずに、僕は飾り棚の陰についているスイッチを押した。棚の中で電球がパッとついた。
「…おお…」
感嘆の声を漏らしたディーに、僕は意味もなく胸を張る。
ガラス製品を入れたキュリオケース。棚板が鏡面なことも相まって、ついた明かりでキラッキラになるのだ。とっても綺麗なのだが、いかんせん電気代がかかるので通常は消灯されている。
しかしながらディーの金髪もこの反射により見たこともないほどキラッキラしてしまったので、僕はこっそりと吹いた。
ヤバイ、この王子、魔法も使ってないのに輝き出した。天使の輪どころじゃない。金髪って面白い。
「いいな、これ。綺麗だ。欲しいな」
「あげないし、買ってあげられないよ」
僕のものじゃなくて家のものだからね。
それに、お城にある飾り棚のほうが余程立派なのだろうから、ディーの目が眩んだのはきっと電気と棚板だ。
「電気はさすがにアレだけど、棚板と背板を鏡で作らせたらいいじゃん」
「そうだな」
そうだなと答えましたか。
「もちろん棚だけではなく、中も良い。こちらはガラス製品が豊富なのだな」
「ありがとうと言いたいところだけど、大した物は入ってないよ。あのコップなんて僕が作ったヤツだし」
「なん…だと…」
「観光地とかで工芸体験できるんだよ。大体プロがやってくれるから息吹き込んだりするだけだけどね」
懐かしい。友人数人と出かけた時の思い出の品だ。
ふと思い出から現実に目を戻すと、爛々とした青い目にぶち当たった。
「…マサヒロ、これから」
「行かないよ、片道2時間だからね。行く気ならちゃんと準備してからだし、指切りしたでしょ?」
ディーの目に、一気に正気が戻った。
「ユヴィキーリ・ゲンマだったな」
うーん。ちょっと違うけど、まぁ、そうだよ。