【モブ視点】…近衛兵が、来る…。
別視点チャレンジが、予想を裏切る全くの初出モブです。
でも…書きたかった、よ…。
不審者が現れた。
誰もがそう思っていた。
「では、ここまでの範囲を借り受ける」
「は、はい」
奪われたスペース。そこは空いてるんじゃない。次の作業をスムーズにするために空けてあるんだ。
しかし、誰一人としてそんな言葉は口に出来なかった。
生真面目な顔でひとつ頷いたのは、多分、気になるあの娘が褒めちぎっていた…はずの近衛兵。
「邪魔になりそうなら除けるから言ってくれ。私のことはいないものとして、気にせず普段通りに」
「え、ええ…ありがとうございます?」
できるかよ!
けれど俺もやはり例外ではなく、その言葉を口に出すことなく、曖昧な笑顔を返したのだ。
ここは城に勤める兵士達がつめている寮だ。
非番や夜勤の人も混在しているから、食堂は深夜まで営業していて、つまり調理場は休日少な目の交代制勤務。
そして寮にいる兵士の人数が人数だから、調理場を走り回る俺達だって毎日が戦場なんだ。
「…やはり、今日はパイだったな。そろそろだと思っていた」
平日の昼食ラッシュから夕食ラッシュまでの貴重かつ束の間の平和タイム。
そんな中、夜の仕込みをする俺達の横でギラリと目を光らせているのが件の近衛兵だ。
仕事仲間達は遠巻きだ。
俺だって、遠巻きにしたい。
だけど、俺の作業スペースが、ヤツの隣なのだ。
職場の中では俺が一番下っ端だから、絶対に誰も交代なんてしてくれない。場所争いなんて意味がない。泣く泣くそこで仕事をするほかない。
「…キッシュは、お嫌いですか?」
アレが俺に向けられた言葉だったのかはわからないが、無視をすることも出来ず、無難な言葉を搾り出す。
俺の手元を睨みつけたまま、相手は首を横に振った。
「そんなことはない。寮の食事はどれも美味しいから、いつも感謝している」
思いがけず褒められて、周囲がニマッとしたのが視界の端に映る。
俺だって、ニマッとしたい。
手元が、ぶった斬られるんじゃないかって眼力で見られてさえいなきゃあ。
居心地が悪いまま作業を続け、俺は驚くことになった。
じっと俺や先輩達の手元を凝視していた近衛兵は、俺達が作業を終えると、持ち込みの材料を作業台に並べた。
どれも、今し方俺達が、使っていたものだ。
そして俺達が終えた工程を、そのままなぞり始めるではないか。
「…キッシュ、作りに来たんですか? 言ってくれたら、やりながら教えるのに」
唖然として言うと、相手は「いいや」と首を横に振った。
教えるとか言ってはみたけど、下っ端とはいえ料理人の俺より手際がいいこの人、一体何なんだ。
メモを取っていた様子もないのに、見た感じ、分量は調理場のレシピで再現しているよう。
近付いて秤の数字まで覗き込むほど命知らずではないので、確かにそうだとは言えないけど。
詰める具材だけは辺りに見当たらないようだが、早いわ危なげ全くないわ仕上がり綺麗だわで、こっちの立場も消失だ。
「キッシュでは、ないんだ。ただでさえ場所を空けてもらっているんだ、これ以上邪魔をするつもりはない。勝手にやるから気にしないでくれ」
いやいやいや。いい人そうなこと言ってるけど、調理技術を突然盗んでいくとか、何やってるんですか。
飯作るくらいの調理スペースなら宿舎にもあるのに、なんで調理場に来たんだろうなぁとは思っていたんだ。
料理長が許可出してるんだから、俺達下っ端は何も言えないけれども。
皆も彼の行動には理解しがたいものがあるようで、先程よりもチラチラと寄越される視線が増えている。
だけど、もちろん誰も何も言わない。
この、何だかおっかない近衛兵に話を振るなら、それはお前に任せた…皆の目はそう言っている。
遠慮したいけど…話題を仕入れておけば損にはならないかな。
何せ、俺の気になるあの娘は、侍女見習い。兵士の誰だかがどんな活躍をしただとか、同僚との噂で仕入れては、なぜか俺にも教えてくれる。
料理人、ましてや寮の料理人が噂に上ることなんてのはもちろんない。料理人より近衛兵のほうが、そりゃあ格好いいんだろうけどさ。
褒めちぎってた近衛兵の話題なら、飛びつくんじゃないかって気もして。
だけどまた、他の男の話題で気を引こうってのもどうなのかなって虚しくなったりもして。
…などと思っているうちに、近衛兵は手早く作業を終えると焼いていない生地を籠に詰めた。
「邪魔をした」
「えっ!?」
いつの間にか作業台の上は片付いている。布巾で台をきっちり綺麗に拭ってまであった。
呆然とする俺達を残して、不審者は去って行った。
…それがこの後、頻繁に調理場に現れることとなるヒューゼルトとの邂逅であった。
前にも言ったけれど、調理場は交代制勤務だ。
だから、毎回この近衛兵が現れる日に俺が出勤しているというのは、実のところおかしい。
調理場の立ち入り許可が料理長から出た日と、彼の休日と、俺の出勤日。
この三つが合わさらないと、俺達は出会わないはずなのだ。
「…おはようございます」
なのになぁ。何なんだろうなぁ。
もしかして料理長、俺の出勤に合わせて許可出してませんよね?
この下っ端めに対応を押し付けてませんよね?
「おはよう。早いんだな、誰かが来るまでにはもう少しかかると思っていた」
「ええ、まぁ…皆はもう少し遅いかも。俺は一番下っ端なんで、色々準備があって」
そんなアンタはなぜに調理場の鍵が開く前に来たのですか…。
言えるわけもないから、俺も相手も黙々とやるべき事を始めた。
早朝からパイ生地捏ねてる近衛兵に、振るべき話題なんて思いつかない。
このまま調理場に転職してくるんだろうか。俺の隣の作業台に。
いやいや、噂によると相当上位の剣の腕の持ち主らしいし、まさかそんな。
しかし彼が調理場に入れば、もしかして料理人に対する女の子の目が変わるかも知れない。
料理人達のモテ期に期待が…あっ、ダメだ。調理のアドバイスでギリギリ繋いでいる意中の彼女が、完全に俺なんて眼中になくなってしまう。
すみませんけど、俺の縄張りを荒らさずに早く帰ってください。
チラチラと威嚇の視線を投げつつも、相手がこちらを向きかけると視線を逸らすヘタレな俺である。
「…何です、それ」
話題なんかねーよと思っていた俺だったが、近衛兵がパイ生地に詰めようとしているものを見た途端に口から言葉が転がり出ていた。
甘い匂い。
これは…何だろう?
林檎、かな。だけど林檎にしては何か不可思議な匂いがする。
近衛兵は、実に嫌そうにちらりと一瞥をくれた。見んじゃねーよと言わんばかりである。
怖い。
すんげぇ怖いけど、知りたい。
「林檎、詰めるんですか?」
キッシュに林檎って斬新…いや、でも、甘い匂いなんだよな。
「…これは…菓子ですか? どんな味なんです、気になります。具だけでいいんで、一口味見に貰えませんか」
林檎がどんな味付けなのかがわかったら、自分でパイ生地作って詰めてみりゃいい。
怯みつつも問うのをやめない俺に、手を止めた相手はひとつ溜息をついた。
そして、ちょっとだけ困ったように笑った。
「焼けたら、味見するか?」
「はい!」
それから、近衛兵は警戒を解いたのか、俺と会話をするようになった。
パイ生地も作り方を知りたいけれど邪魔をするのが申し訳なかったので、調理場への入室許可を料理長に得ただとか。
共同調理スペースで持ち帰った生地を焼いたけれど、火力がいまいちだっただとか。
パイに入れる中身が林檎なので奇異の目で見られると思って、早朝に調理場に来ただとか。
俺は俺で、近衛兵ってものが普段どんな仕事をしているのかだとか。
最近一番危険だった任務はどんなだったかだとか。
ついでに好みの女の子のタイプはどんな子かなんてことを聞いた。
そうこうしているうちに焼きあがった摩訶不思議な菓子を貰ってみたら、意外な美味さにビックリした。
林檎って、パイ生地に詰めてもいいものだったんだ。
是非とも、俺もレシピが欲しい。
自分でも引くくらい、熱心にお願いしてしまった。
怒られるかとハッとしたが、寄越されたのは苦笑で、安堵する。
油断しているところに、あの目でギラリと睨まれたら泣くかもしれないからな。
「まだ完成していないから。それに、材料にものすごく手に入りにくいものがあってな。…似たものでも何か見つかるといいんだが」
「それがどんなものか現物を分けてくれたら、代替品探しも手伝いますよ。俺も作りたいっす」
「…少し考えさせてくれ。もし…万が一、分けられる目処が付いたら、頼むかもしれないが…手持ちが心許ない」
「いつでも! 待ってます、全力で!」
不審者だと思っていたのだが、思ったより悪い人でも怖い人でもなかった。
幾度となく調理場に現れる近衛兵は、毎回何かを試してみながら、ひたすら林檎を詰めたパイを焼いていく。
毎回十分に美味いと思うのに、彼は納得いかないらしかった。
もっと食べたい俺は失敗ならば食べるのを手伝うなどと申し出てみるのだが、研究に使うからと味見の一切れ以外渡してはくれない。
…料理人じゃないよな。近衛兵だよな?
最近ではよくわからなくなってきた。
わかったことといえば、凝り性で生真面目だということ。
それから、仕事とプライベートを厳しく分けるタイプらしく、機嫌の良い休日なんかは目に篭る力の強さも三割減であるようだ。
しばらく姿を見せなかった近衛兵は、ある日の早朝いつもと違う様子で現れた。
威風堂々、自信満々という感じだ。
レシピが完成したのだろうか…ワクワクしながらも問いかける。
「しばらく来ませんでしたね?」
近衛兵はコックリと頷いた。
「私も早く試したかったのだが、料理長の許可の出た早朝と私の休日が合う日というのが少し遠くてな」
ああ、料理長…やっぱり、やっぱり対応を俺に押し付けてましたね…。
だけどお陰で、他の人の知らない料理の完成に立ち会えるのだから、決して悪くない。
余談であるが、彼が調理場に来る前日の夜は、準備で煮ているのだろう林檎の甘い匂いが宿舎に充満するらしい。
食堂に来る兵士が「すごくいい匂いがするけど、近付くと睨まれるから何をしているのかって聞けないし分けてくれとも言えない。超腹減る。夜中に甘いもの食べたくなる」とひっそりと噂をしている。
しかしそんな試作の日々も今日で終わりになるのかもしれないのだ。
近衛兵の強い意気込みは、今日で必ず完成させるという無言の決意に満ちている。
いつもは小さめの器に作るのに、今日持ち込まれた型は大きめのうえに二つだ。
誰かにあげるのだろうか。
…彼女とか?
「仕事をしなくていいのか? 手が止まっているぞ」
「あっ。いや、します。大丈夫です」
じっと近衛兵の作業を見つめてしまった。
俺は休日ではないのだった。下っ端さんは準備のために誰より早く出勤しているのだ。
慌てて今日使う予定の器具やらを皆の作業スペースに準備して、食料庫から野菜を共有スペースに引っ張り出す。
朝はさして手の込んだものを出すわけではないが、あまり時間がないのだ。ある程度、皆が調理が始められる状態にしておきたい。
そんなわけで、近衛兵が成功のためにどんな手順を加えたのか、見ることは叶わなかった。
バタバタと一通りの準備を終えて、ようやく腰を据えて朝の準備だ。
しかしタマネギの皮を剥きながらも、チラチラと近衛兵の背を見てしまう。
そろそろ焼けるのかな。
今回は成功してるかな。
彼の求める成功とは、今までの味とどれほど違うものだろう。
って、よそ見してたら指切るとこだわ、危ねえぇっ。
指先を見つめてゾワゾワしていると、近衛兵が動いた。焼き上がったパイを取り出している。
タマネギを置いて手を洗い、気になる出来映えを覗きに行くことにした。
「どうです? 成功ですか?」
逸って聞いてみたが、当然ながら試食しないことにはわかるまい。
ささっとナイフと、皿とフォーク2セットを差し出す。抜かりなく。
緊張の面持ちの近衛兵が試食するのを見届けてから、俺もフォークを口に運ぶ。
美味い。もぐもぐと端っこから食べ進めていく。
「…あれっ?」
気が付くと近衛兵は撤退準備を進めている。
試食は、感想は…と唖然とする俺の前に、ばっさりと半分に切られたパイが差し出される。
「半分ですまないが、今までの礼だ」
思わず俺は笑みを浮かべた。
菓子を貰って単純に嬉しかったのもあるが、晴れ晴れとした顔の相手を見て、これが彼の求めた完成形だというのが理解できたからだ。
作業台を綺麗に片付けてさっさといなくなってしまった近衛兵に代わり、先輩達が出勤してくる。
漂う甘い匂いに「アイツまた来てたのか」とか「朝からご苦労さんだなー」なんて声が聞こえて、慌てて俺は半分のパイを隠す。
パイが完成したんだ、今日はきっといい日に違いない。
だからこれは1人でなんて食べずに取っておいて、仕事が終わったら、あの子をお茶に誘ってみよう。