赤いリボンの境界線
人里に降りたつばさと青藍は、馬を買った。馬に乗れば一日半で城に着くと青藍は言う。彼の後ろに乗ったつばさは、馬の背が想像以上に揺れるので舌を噛んで痛みに悶えていた。
「いひゃい、いひゃい」
「おまえ、そんなんで戦えるのか? 」
「ひゃひゃかう!? 」
青藍はため息をつき、馬を加速させる。戦うとはなんのことか聞こうとしても、つばさは舌を噛まないようにしながら彼の背中にしがみついているのが精一杯だった。
村は、あまり豊かには見えなかった。だれもかれも疲れた顔をして、ぼろきれのような着物を着ている。
夜になると、青藍は村の宿屋に馬をつないだ。
「一晩泊めてくれ」
「すんませんが、部屋は一つしか空いてやせん」
「かまわん。馬が一頭いる」
「馬屋につないでおきますよ」
つばさは疲れでうとうとしていたために、二人の会話を聞き流していた。主人が部屋に案内してくれ、襖が閉まった。布団は一組だった。
「……あれ? 」
そこでつばさはようやく頭がはっきりしてきた。
「ちょっとまって、一部屋しか空いてないって……え……? 」
二つならんだ枕を見つめ、彼女は顔がほてりはじめる。
「わ、わたし、あんたなんかと、寝られないわよ! 」
「なんでだよ」
「な?! なんでって、な、な、なんでもよ! 」
「安心しろ。まな板に発情なんかしねぇよ。もうちょい肉つけてから顔赤くしろ」
「まな板ですって!? これでもCカップよ!! 」
「しーかぷ? なんだそれ」
思わずサイズを口にしてしまったつばさは、顔から火がでるほど恥ずかしくなり、青藍をおしのけて布団にもぐりこんだ。
「もう寝る!! 」
セーラー服の赤いリボンで布団の真ん中に境界線をつくり、
「ここ、絶対にはみださないでね! 」
つばさは頭の上まで布団をかぶって、眠ったふりをした。
つばさは怖い夢を見ていた。鬼たちが、両親や裕美を食い殺しているのだ。あたりに散らばる指や脚。ごとりと音をたてて転がったのは、裕未の頭だった。
耳をふさぎ、ぎゅっと目をとじて叫ぶつばさ。たすけて、たすけて、とまわらない口で必死に言葉を発しようとしていた。
そのとき、急に鬼も死体も消えて行った。だれかの胸に、ふうわりと包まれたのだ。つばさは頭の後ろや頬にあたたかさを感じて、ずっとこのままでいたい、と思いながらまぶたに朝の光りを感じはじめていた。
目覚めたくない、このまま、このままがいい……。そう思うのに、無意識にまぶたがもち上げられていく。つばさの視界は、やわらかな青でいっぱいだった。
彼女は意識がはっきりすると、自分が青藍に抱かれていることに気づいた。
「なっ! 」
起き上がろうとして、青藍の腕にはばまれる。
つばさの後頭部を包んでいる青藍のおおきな手のひら。腕は彼女の背中をしっかりとおさえこんでいる。彼女の顔は青藍の胸におしつけられるような形になっていた。
「青藍……」
上を見ると、青藍のなめらかな顎があった。閉じられたまぶたからのびる黒く長いまつ毛が影をつくっている。鼻筋の深い彫りにも影が生まれている。
つばさは、眠っていたといえども「ずっとこのままでいたい……」と唱えていた自分を思いだし、恥ずかしさで発狂しそうだった。
「よう。起きたのか」
「うわっ! 」
「色気のねぇ声」
突然目を覚ました彼は、たのしそうにつばさを見下ろしていた。
「どうしてこうなってるのよ! 」
顔を真っ赤にしているせいで迫力のないつばさ。青藍はますますたのしそうだった。
「おまえが夜泣きしたからだろ」
「よなき……? 」
つばさは、両親や裕美が鬼に襲われるという、あのひどい悪夢を思いだした。
「もう泣いてないから離しなさいよ! 」
「俺が寝返りうとうとしても、いや~行かないで~って泣いてしがみついてきたのはどこのだれだっつーの」
「は!? うそでしょ!? 」
そのとき、襖の向こうから声がした。
「朝食をおもちいたしました」
なにごともなかったように乱れた着物をなおす青藍。つばさはもう一度、頭まで布団にもぐりこんだ。
つばさと青藍は、城まであと二つという村まできた。城に近づくにつれて村は豊かになっていっているようだった。ぼろきれを着ている人もいなくなり、きらびやかな簪をさす女もいた。
つばさはセーラー服を着ているというだけでも目立ってしまうので、宿のそばで青藍が買ってくれた桜色の着物に着替えていた。
「青藍様! お帰りになられたんですか! 」
馬を降りて手綱を引きながら歩いていた二人のほうへよってきたのは、つぶらな目をした人のよさそうな青年だった。腰に刀をさしているけれど、強そうには見えない。
「おう。城からでてたのか」
「ええ。人里にも鬼がでるようになりましたから、交代で見まわることになったんですよ。みんな、青藍様がお帰りになるのをまっていますよ! 青藍様が希望をはこんできてくれると、城下でも噂になっています」
「果たして希望になってくれるかな、この姫様は」
「え? 」
「え? 」
馬の身体をなでていたつばさと、つぶらな目の青年が同時におどろいて、青藍を見た。
「わたしが……希望? なんの? 」
「このお方が姫様……なんですか? 」
つぎの瞬間、青年はつばさの足もとにひざまずいていた。
「姫様がいらっしゃったとは気づかず、無礼をお許しくださいませ! 」
「いや、あの、ちょっと、顔を上げてください」
「いえ、わたくしのような身分のものでは、姫様の前で顔を上げることはできませぬ! 」
村の人々も、なにごとかとつばさや青年をうかがっている。それを見かねた青藍は、
「友成、顔を上げろ。騒ぎになってはまずい。とにかく城につれていくぞ」
友成というなまえらしい青年は、恐る恐ると言うように顔を上げた。
つばさは城へ行くのがますます憂鬱になる。
城の門の前には、甲冑を身につけた男が二人立っていた。城は広い川で囲まれ、門の前には上げ下げできる橋が一つだけかかっていた。
「青藍様!! 」
門番の男二人は頭を下げて青藍を迎えいれた。
「馬をたのむ」
「はい!! 」
そして、青藍と友成の後ろに立つつばさに気づくと、門番たちは膝を地面につき、言葉もでないというように彼女の顔をじっと見つめていた。
「このお方こそ、姫様だ! 」
友成がそう言うと、門番たちは「ははーっ! 」と額を地面に擦りつけ、つばさはまわれ右で帰ってやろうかと本気で思った。
城の長い廊下。その真ん中を歩いていく青藍と、その後ろについていくつばさ。そしてつばさから一歩下がって歩く友成。
「おい、だれかじじぃを呼べ。姫をつれて帰ったぞ」
城が急に騒がしくなる。青藍が止まると、若草色の着物姿の娘がすぐに襖を開けた。娘はつばさとおなじ歳くらいに見えた。
「お十世、元気そうだな」
「青藍様は、すこしお痩せになりましたか? 」
「ふんっ」
青藍に「お十世」と呼ばれた娘もひざまずいていた。
襖の向こうは広々として、奥に老人が一人座り、お茶を飲んでいる。
「じじぃ、姫をつれて帰ったぞ」
老人はハッとしたように湯飲みを置き、つばさを見た。
「わたくしども民は、千年、あなた様をおまちもうしておりました」
そう言ってひざまずく老人に、つばさは「もうやだ帰りたい……」とつぶやいた。